Tenrikyo Europe Centre

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2018年2月月次祭神殿講話

内子・パリ布教所長 松川高明

皆様もすでにご承知のように、ヨーロッパ出張所は2020年に開設50周年を迎えます。先月長谷川所長より、この出張所開設50周年に向けての成人目標を発表していただきましたが、本日は今一度この成人目標を再確認させていただき、共々に同じ目標に向かって歩ませていただくべく、契機とさせていただきたいと存じます。

開設50周年に向けて、ヨーロッパに在住する我々の成人目標は、本年より向こう3年間までを区切って、「おつとめを習得すること」、そして「周囲の人に初参拝を勧め、親神様を知ってもらうこと」であります。

具体的には、次の三つを成人目標として挙げていただいております。

まず一つ目は、「座りづとめから12下りまで、みかぐらうたをすべて歌えるようになろう」です。次に二つ目は、「おてふりが今以上に踊れるようになろう」です。それから、三つ目として「教会、布教所、出張所、または自宅での初参拝を促す声掛けをしよう」を提唱していただいております。

まず一つ目の「座りづとめから12下りまで、みかぐらうたをすべて歌えるようになろう」ですが、このみかぐらうたおつとめの地歌であります。教祖は最初に「なむ天理王命」と神名だけを唱える唱名のおつとめをお教えくださいました。次につとめの歌である唱句に手振りをつけた「てをどり」を教えられ、その後かぐら面をつけてつとめるものを、かぐらづとめとして、かぐらとてをどりの二つに分けられました。このかぐらとてをどりの地歌を合わせたつとめの地歌の書きものを、みかぐらうたと呼びます。

かぐらづとめとは、元のぢばに於いて勤められるものです。十人のつとめ人衆が、かんろだいを囲み、親神の人間世界創造の働きをそのまゝに、それ/\゛の守護の理を承けて、面をつけ、理を手振りに現わして勤められます。

かぐらの地歌は、次の三句より成ります。

あしきをはらうてたすけたまへ
てんりわうのみこと

ちよとはなし かみのいふこときいてくれ
あしきのことはいはんでな
このよのぢいとてんとをかたどりて
ふうふをこしらへきたるでな
これハこのよのはじめだし

あしきをはらうてたすけせきこむ
いちれつすましてかんろだい

てをどりは、陽気ぐらしの如実の現われとして、かんろだいぢば以外の所においても勤めることをゆるされております。このてをどりの地歌として教えられたのが、よろづよ八首及び十二下りの歌です。

「ようこそつとめについてきた これがたすけのもとだてや」と、みかぐら歌の中でお聞かせいただくように、おつとめは、「たすけの元だて」であります。人にたすかっていただくにも、自身がたすかるにも、この根本の手立てなくして本当のたすかりはないわけです。私たちを陽気ぐらしへ導く道として、教祖はこの「たすけづとめ」をお教えくださったのであります。

おつとめには手振りがついているので、本当は神意を口に唱え、心に念じながら、手振りに表してつとめるのが一番いいわけでありますが、まだ手振りを覚えていらっしゃらない方は、まず「なむ天理王命」と神名だけをしっかり唱えさせていただくとよいと思います。なぜなら親神様の神名を何度も唱えることによって、心のほこりが払われ、心が澄んでくるからです。心が浄化されると、親神様の思召しがよく分かるようになり、善い方向の思案ができるようになります。そうすると自然に神一条の精神になり、たすけていただけるというわけです。

神名がしっかり唱えられるようになったら、次の段階として、かぐらづとめの地歌である坐りづとめの地歌をしっかりと唱えさせていただきましょう。これは短いので、すぐに覚えられると思います。道を歩いているとき、あるいは電車に乗っているときなど、声に出さなくても心の中で唱えることはできると思います。

続いては、よろづよ八首と12下りの地歌ですが、これはちょっと長いので全部覚えるのはなかなか大変だと思います。今日のように月次祭に参拝に来られた折、地方の人に合わせて一緒に歌いながら節回しなども覚えていただければ良いと思います。最終的には、歌詞を見ないで全部歌えるようになることが理想であります。

次に成人目標の二つ目の「おてふりが今以上に踊れるようになろう」です。

教祖おてふりの手振りについて、次のように諭されております。

「これは、理の歌や。理に合わせて踊るのやで。たゞ踊るのではない、理を振るのや。」

つとめに、てがぐにや/\するのは、心がぐにや/\して居るからや。
一つ手の振り方間違ても、宜敷ない。このつとめで命の切換するのや。
大切なつとめやで。」

おてふりは自然体を旨としており、無理な手は一つもありません。踊り方にそれぞれの癖はあると思いますが、まず間違えないように踊ること。それから自分の癖をとるように心がけることが大切であります。

まずは朝夕のお勤めでつとめさせていただく、坐りづとめの手をしっかりと練習させていただくことが肝要です。私たちは親神様からこの体をお貸しいただき、毎日十全のご守護を頂いて結構にお連れ通りいただいているのですから、朝夕の最低2回は、親神様にお願いと御礼を申し上げるのは欠かせないことです。

また、かぐらづとめの地歌でもあります、この坐りづとめのお歌には天理教の基本教理が濃縮され、結晶しているとも言えます。すなわち、かしものかりもの、八つのほこり、十柱の神様のご守護、元始まりの話、ぢばの理、教祖のひながたなどであります。ですから、私たちは毎日朝夕のおつとめをつとめることで、教理を唱え、その理に合わせて手を振り、命の切換をさせて頂いているのです。従って、日日しっかりと朝夕のおつとめを欠かさず、つとめさせていただくことがどんなに大切なことか、よくお分かりになると思います。

次に、よろづよ八首と12下りの手振りについてですが、これを全部ひとりで踊れるようになるには、かなりの努力が必要だと思われます。しかしながら、覚える気になれば、だれでも踊れるようになるのも事実であります。その証拠に、日本語の分からない外国の方が本部の修養科のわずか三か月間で、12下りすべてがひとりで踊れるようになったという話をよく耳にします。

お恥ずかしい話ですが、私は教会で生まれ育ちながら、12下りを歌詞も見ずに全部ひとりで踊れるようになったのは、大学生の時でありました。それまではたぶん一人だけで踊るという機会がなかったのだと思います。てをどりをするときは、いつもだれかが隣にいたように思います。大学2年生のときに、ある心定めをして、毎日12下りを踊らせていただこうと思い始めてみたのですが、その時に初めて一人で全部踊れないということが分かりました。自分自身では踊れると思っていたので、とてもショックな経験でした。それから、猛練習して、全部ひとりで踊れるようにはなりましたが、何でも真剣に練習しなければ、ダメなんだということを、その時に悟ったのをよく覚えています。

陽気てをどりともお聞かせいただくように、12下りをさせていただくと心が勇みます。人が勇めば神も勇む、神が勇めば世界勇ますと仰せられます。この3年間でそれぞれが自己達成目標を決めて、少しでもたくさん踊れるように努力していただきたいと思います。また全部踊れるという方は、ご自分の癖などの細かい点のお手直しをしていただければと思います。特に月次祭の時などは、芯に合わせて踊るということも大切なことなので心に留め置いていただければと思います。

以前、本部の宮森先生がこの場で、おつとめを勤める時の3つの心というものを教えてくださいました。それは、「一手一つの心」「澄み切った心」「勇んだ心」の3つであります。一手一つにみんな揃って、澄み切った誠真実の心となって、陽気に勇んで勤めることが何よりも大切なことであります。

三つ目の成人目標は「教会、布教所、出張所、または自宅での初参拝を促す声掛けをしよう」であります。

この声掛けというのはにをいがけのことです。「ひとことはなしハひのきしん にほひばかりをかけておく」と教えていただくように、ちょっとの話を以て匂わせておく、またなるほどの人という良き匂いを以て信仰を伝える。そしておつとめが勤められる場所であるところの、この出張所や近くの教会、布教所、講社をお祀りしているところへ案内させていただくことであります。最終的には、おぢばへお帰りいただくということが、大きなおてびきとなります。

ご承知の方も多いと思いますが、本教における初めてのにをいがけとなったのは、教祖の末娘であるこかん様の浪速布教であります。こかん様は教祖の御命を受けて、お供の人3人を連れて、おぢばから約50キロ離れた大阪の街に神名を流すべく歩いて向かわれました。その時の様子が教祖伝に次のように示されております。

その日、こかんの一行は、早朝に庄屋敷村を出発して西へ向い、龍田村を過ぎ十三峠を越えて河内に入り、更に西へ進んで、道頓堀に宿をとり、翌早朝から、往来激しい街角に立った。

「なむ天理王命、なむ天理王命。」

元気に拍子木を打ちながら、生き/\とした声で、繰り返し/\唱える親神の御名に、物珍らしげに寄り集まって来る人の中には、これが真実の親の御名とは知らぬながらも、何とはなく、清々しい明るさと暖かな懷しみとを覚える者もあった。

こうして、次から次へと賑やかな街角に立ち、

「なむ天理王命、なむ天理王命。」

と、唱えるこかんの若々しい声、冴えた拍子木の音に、聞く人々の心は晴れやかに且つ和やかに勇んで来るのであった。

実はこの年、父親である善兵衛様が亡くなり、悲しみのさなかにありながらも、こかん様は、親神様の思召のままに素直に浪速布教に向かわれたのです。17歳という若い娘であったこかん様にとりましては、いかにお供の人がいるとはいえ、大阪という繁華な街中で拍子木をたたきながら神名を唱えて回るということは、大変人目を気にする行為であったことと推察いたします。しかしながら、このにをいがけが世界たすけの門出となったことは紛れもない事実であります。

ぢばから大阪に向かう道中では「十三峠」という険しい峠を越えなければなりません。ちなみに、いまでも多くの方がこかん様の足跡をたどるために、またおたすけのお願いのためにと、この十三峠を越えておぢばに徒歩団参されています。私も学生時代は何度もこの十三峠を越えておぢば帰りさせていただいたことがあります。そのたびにこかん様のご苦労が偲ばれ、心勇ませていただいたことを思い出します。

話を戻しますが、このようにちょっとの匂いをかけて、「天理王命」の神名を広めていく。神名が広まるということは、大勢の人が、より広い地域で「なむ天理王命」を唱えるということです。それは即ち、親神様を拝して、おつとめをするようになるということで、そこにこそにをいがけの眼目があると言えると思います。正に、「やまのなかでもあちこちと てんりわうのつとめする」 とお聞かせいただくところであります。

ですから、私たちが行う声掛けというのは、周囲の方々に元の神、実の神である親神天理王命の神名をしっかりと伝え、おつとめが勤められる場所へといざなうことであります。そして最大の目標としては、かぐらづとめが勤められるおぢばにお帰りいただくことが一番大切なことであることは言うまでもありません。

私たちは今、次なる塚であるヨーロッパ出張所開設50周年に向けて、新たな一歩を踏み出したところであります。持ち場立場はそれぞれ異なりますが、同じ目標に向かい、お互い励まし合いながら、これからも精一杯勇んでつとめさせていただきましょう。

ご清聴、ありがとうございました。

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