Tenrikyo Europe Centre

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2014年2月月次祭神殿講話

ヨーロッパ出張所長 長谷川善久

只今は、皆様と共にたすけ心をもって当出張所の2月の月次祭をおやがみさまがお勇みくださいますように勤め終えさせていただきましたこと誠に有難く存じます。
皆様方の中には、少しお疲れの方もおられるとは思いますが、どうぞ今すこしお時間を頂きますようお願い申し上げます。

さて、私たちには、各自この天理教の教えを伝えてくれた人がいます。その人が、自分の親である人もいるでしょうし、親戚や友人からの人もいるでしょう。いずれにせよ、現在、皆さんがこの教えのお陰で幸せな毎日を過ごしているとすれば、その幸せは、それらの方々がもたらしてくれたものだと言えます。そして、そのような教えを伝えてくれた人にも必ず誰か教えを伝えた方がいます。その先々も同様で、このようにずっと次代を遡っていくと最終地点には、1798年から1887年までこの地上に実在する人間として生活しておられた「教祖」中山みき様、お一人に辿り着きます。私たち人間が遡ることのできるこの「喜びの教え」の発信源は「教祖」中山みき様であります。
言換えれば、もし教祖がおられなければ、私たちには、親神様の存在も、そのご守護も分からなかったと言えるでしょう。現在私たちが知ること全ては教祖によって教えられ、教祖によって始められました。ですから、私たちの信仰は、この愛情溢れる「をや」である教祖が教えて下さった事を信じることからしか、はじまりません。その中で、教祖が今現在も、姿が見えないだけで、いつも私たちのすぐ近くに居て下さること。私たちが取次ぐおさづけにお働きくださっていることを心の深いところで感じられるようになることがが大切です。
教祖のお立場は、「月日のやしろ」、「ひながたの親」、「御存命の理」 の三つからなっています。
月日のやしろ」とは、教祖がご自身で、1869年から1882年に渡って書かれたおふでさき

いまなるの月日のをもう事なるわ
くちわにんげん心月日12号-67

しかときけくちハ月日がみなかりて
心ハ月日みなかしている12号-28

とあるように、教祖のお姿やお言葉は、人間と少しも異なるところはありませんが、その心は、親神の心であり、したがって教祖の言葉も行いもすべて親神のなさる事であったという意味です。
教祖は一番最初の啓示、「我は元の神、実の神である。この屋敷にいんねんあり、このたび、世界一れつをたすけるために天降った。みきを神のやしろに貰い受けたい。」という親神様の言葉を受けて生き神様になられました。いわゆる宗教的な修行をした結果、教祖となられた訳ではありません。親神様が直接身体の中に入込まれたのです。また、教祖の90年に渡る地上での生活の中でも、41歳までは人間、中山みき様としての生活であり、その後の約50年間が神として人間を導かれた教祖としての「ひながた」とお教え頂きます。
教祖は「いざなみのみこと」の魂の因縁ある方でもありました。親神様によって、この世が創造されたときのお話、元の理の話にありますように、親神様は、人間創造の時、2つの雛形と八つの道具をお引き寄せになりました。最初に雛形として、「うを」と「み」を引寄せになり、「うを」については男雛形-種、「み」については、女雛形-苗代とお定めになりました。「いざなみのみこと」というのは、この、「み」のことです。男雛形には、「いざなぎのみこと」女雛形には、「いざなみのみこと」との神名を与え、朝夕のおつとめでも歌わして頂く中に、「このよのぢいとてんとをかたどりて、ふうふをこしらへきたるでな、これハこのよのはじめだし」という部分があるように、これらを夫婦の雛形とされました。
次の「ひながたの親」とは、 教祖は、分かりやすい言葉、自らの行ないなどを通して、どんな境遇、状況の中にあっても、心の持ち方一つで陽気ぐらしができる、という手本(ひながた)を人々に伝えられた方であるということです。教祖は私たちのために、口や書物で教えを伝えるだけでなく、その教えを実際に自分の行動として示し、真に人間のたすかる道をお通り下されました。

まず、1838年「月日のやしろ」となられた直後から、陽気ぐらしへの道は何よりも先に「よく」を忘れることを、身をもって教えるため、貧のどん底に落ちきられました。それまでに中山家が蓄えていた家財財産を次々と貧しい人達に分け与え、執着心をされば、心に明るさが生れ、心に明るさが生れ、自ずから陽気ぐらしへの道が開けてくると教えられたのです。
その行いは約25年も続きます。とりわけ夫、善兵衛様が出直されてから信者が出来はじめる1863年頃までの10年間は、家にあるもの全てを施してしまい、2人の子供、長男、秀司様と五女、こかん様と寒い冬にも燃やす薪もなく、食べる物もないような貧しく辛い中を過ごされました。ある日、こかん様がうなだれて、「お母さん、もうお米はありません」と言われると「世界には枕元に食べ物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さんというて、苦しんでいる人もある。その事を思えばわしらは結構や、水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある」とお諭しになられたのもこの時期のことです。
一般的に、人は、物質に恵まれすぎると心は冷やかになり、かえって傲慢になりやすく、喜びの心は無くなり、求める心が一層強くなるものです。どんな境遇にあっても喜ばせて頂く種は、身近にいくらでもあることを教祖は身をもってお示しくださいました。
このように、ひながた50年の中でも、その前半は神様の思し召しを受入れたにも関わらず、信者もなく食べ物にも困るような暮らしぶりを強いた25年でありました。
しかし、時が経つと共に、やがて、それも終り、をびや許しのご守護が発端となって、信者が出来はじめ、人びとが教祖のもとへお参りにくるようになります。ようやく親神様の教えが広がり始め、喜ばしいことではありましたが、一方、同時に教祖への迫害干渉の25年といわれる日々の幕開けでもありました。
1863年以降ぐらいから、出産ばかりでなく、様々な病気にも不思議な親神様の働きを目の当たりにした人びとが多く教祖のもとを訪れるようになりました。本席となる飯降伊蔵様が妻の病気から入信したのもこの時期です。この時期、程無くして、つとめ場所が、教祖からたすけて頂いた信者等によって寄進されます。
1866年には、人びとを救済する手段として「おつとめ」がお教えられはじめます。このときに教祖から直々に教えられたおつとめが、十人のつとめ人がおぢばにあります甘露台を囲んで行われる「かぐらづとめ」と呼ばれるものです。このおつとめをつとめることにより、人間創造のときの親神様のお働きが現実に現れ、いかなる病気や問題などへのご守護が与えられ、世界が平和に治まり陽気ぐらしの世界へと次第に立て替わっていくのだと教えられました。

このつとめなんの事やとおもている
よろづたすけのもよふばかりを2号-9

はや/\と心そろえてしいかりと
つとめするならせかいをさまる14号-92

おふでさきに教えられるところです。

教祖は、おつとめを教えるにあたって、勤める人びとの由来と親神様が教祖を「やしろ」として、この世の表に現れた奇しき因縁について、この世の始まりに遡って教えられました。また、その起原の一点、「ぢば」もお示しになられました。
陽気ぐらし世界実現への手立てが着実に進むなかでしたが、教祖のことが生神様として、広く辺り一面に知れ渡り、大勢の信者が寄り集いはじめると、天理教はまだ政府公認がなかったために警察からの弾圧が激しくなってきます。
教祖は78歳から89歳の約10年間に渡って監獄された回数は、実に18回にも上ったと言われています。ですが、教祖は、そのような事を一向に気に掛ける様子もなく、人びとには、人間思案からくる不安心を捨て、親神様の思し召しにもたれおつとめを勤めることが何よりもこの信仰では大切であることを教えられました。
しかしながら、おつとめをつとめて、人が集まれば教祖は拘引されます。老齢の身を心配するあまり、心では思し召しに添わせて頂きたいと思ってはいても、実際には容易に添わせて頂くことの出来なかった当事の信者らの苦痛が忍ばれます。
やがて、教祖の体調が悪化して参りました。
人びとは、教祖に何とか回復してもらいたいと、おつとめをつとめ、お願いもしようと思うのですが、上述のように、日中におつとめをつとめれば、人が集まり、人が集まれば、教祖が拘引されるというジレンマから、最初は夜にこっそりとお勤めをつとめておりました。しかし、それでは、教祖はお許しになられません。人間思案と神から思し召しの間にあり、悩み苦しむ信者等に向けられた神言、おさしづには以下のものもありました。

月日がありてこの世界あり、世界ありてそれ/\あり、それ/\ありて、身の内あり、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一やで。おさしづ 明治20年1月13日)

神の意志を素直に受入れ、心を定めて、とにかくおつとめを勤めよという一連のおさしづを前にして、ついに、初代真柱様は一大決心とともに、白昼堂々と信者達と共におつとめをつとめます。すると不思議なことに、この日に限って、警察がやってくることもなく、無事におつとめが勤めきられました。ですが、人びとの期待とは裏腹に、このおつとめによって、教祖は元気になられることはなく、おつとめが終った直後にお姿をお隠しになられてしまいます。

呆然とする人びとに当時すでに神の思し召しを伝えておられた飯降伊蔵様の口を通してお言葉がありました。

さあ/\ろっくの地にする。皆々揃うたか/\。よう聞分け。これまでに言うた事、実の箱へ入れておいたが、神が扉開いて出たから、子ども可愛い故、をやの命を25年先の命を縮めて、今からたすけするのやで。しっかり見て居よ。-中略- さあこれまで子供にやりたいものもあった。なれども、ようやらなんだ。又々これから先だん/\に理が渡そう。よう聞いて置け。(明治20年2月18日)

ろっくの地にするといのは、世界中の人間を分け隔て無く助け上げるということです。また「これまでに言うた事、実の箱へ入れて置いた」という部分の「これまでに言うた事」とはおさづけの理のことで、実の箱とは教祖をさします。子供が可愛い思いから、25年先の命を縮め、現身を隠し、これからは存命のまま世界たすけに働くのであるから、これから先々をよく見ているがよい、そしてこれまでも渡したくても渡すことの出来なかったさづけを、これから道の子供に渡すと宣言なされたのです。

教祖は、子供の苦悩を思う親の気持ち、世界一列をはやくたすけ上げたい思いから、自ら現身を隠しただけで、永遠にお姿があったときと同じように、「教祖存命の理」として、おさづけによってお働きくださることになさったと言えます。
実際、これにより、各地でおさづけによる不思議なたすけが相次ぎ、これ以後の天理教は、爆発的に伸び広がってゆきます。
1年祭こそ、年祭の途中に巡査がきて年祭を中止するというようなことが起っていますが、五年祭では3日間での帰参者は3万5千人を数え、警官十数人が交通整理にあたったといいます。このときの年祭の後に頂いたおさしづでは、

皆一手一つの理に運び、思わく通りよかったなあ。所々でも勇み、先々も勇み、真実も定めてするなら、皆、この通り。(明治24年3月10日)

と言われるような有難いお言葉も頂戴しております。

そして、5年後の10年祭には10万人を越える帰参者があったといいますし、20年祭は、日露戦争の直後であったにも関わらず、既に韓国や台湾からも帰参者があり、十数万人がおぢばがえりをしたと記録にあります。これ以後も教祖の十年ごとに行われる年祭を一里塚として、現在のお道は日本国内はもとより、広く世界中に伸び広がっていることはご存じの通りだと思います。
教祖ご在世当時から考えると、現在に至るこのような発展を誰が予想したでしょうか。
これも教祖が存命の理をもって、私たちを道具としてお使いになり、日夜お働き下さっているからにほかなりません。そして、今現在、この信仰に生きる私たちに求められていることは、教祖月日の社であって、今も当時と変らず存命でお見守り働いて下さることを信じ切り、勇気をもって、自分自身の「ひながた」を辿る道の一歩を踏み出すことだと思います。

只今は、天理教が全教を挙げて、来る2016年1月26日にご本部で執行われます教祖130年祭へ向けての活動を推進しております真っ直中であることはご承知だと思います。今年は三年千日活動の2年目に入ったところです。
当ヨーロッパ出張所といたしましても、主だったヨーロッパにある布教師の方々と相談を重ね、この期間における「活動基本方針」と成人目標を定めさせていただきました。これは、在欧全ての信者の皆さんに参画してもらい、教祖にお働き願い、この年祭の旬に喜びで飛上るような御褒美を頂戴してもらうための後押しをさせてもらいたいという思いからであります。
所報にも、毎号掲載しておりましたが、よくできたと思う人も「あー。そんなのがあったなあー」ぐらいで完全に忘れていたという人の為にも、今、一度、ここで基本方針と成人目標をお知らせしたいとおもいます。
活動方針は、仕切っての成人-ひとだすけの実行-です。
この旬に真柱様が我々に期待なさっている「人だすけ」とは、重い病気の人がおさづけで助かったというような、よく本に書かれているようなことばかりではありません。勿論、それができたら本当に素晴しいことだと思いますが、それよりも、とにかく、我々信者全員が、今のこの旬の守護を信じて、どのようなことであっても今の自分にできることで、人が喜びそうなことを教祖へのお供えとして実行して欲しいということだと思います。
それから、4つの成人目標、これは具体的な行動となります。
1番目は、おつとめをつとめよう-おてふり鳴り物の練習-
2番目は、身近なひとだすけを実行しよう-小さな事でもすぐに声をかける-です。
3番目は、おさづけを取り次ごう-十全の守護、八つのを伝える―です。
おさしづ

道具でもどんな金高い値打ちでも、心の理が無くば何にもならん。さづけ/\の処、よう聞分け。日々の席をする。席をすればさづけは渡す。その時の心、受取る時の心、後々の心の理がある。日々まあ一日の日、結構という理を忘れて了う。どうも残念でならん。(明治23年7月7日)

とお教えいただきます。お互い教祖から直接頂いたこの宝を神様が残念でならんとまで仰ることにならないよう、使わせて頂きましょう。
4番目は、子供に信仰の喜びを伝えよう-家庭内で信仰の話を増やすです。
もし皆さんが天理教の教えは知っているけれども、日頃から自分の心遣いさえも省みることもなく過ごしているとすれば、それは、天理教の教えをコレクションして、飾って眺めて満足しているようなものです。この教えは目で見て楽しむような芸術品とは違います。むしろパンのように口に入れ、味わい、自らの身体に取り込むことで不思議な神様の光りが輝くものだと思います。
真柱様は、昨年の秋季大祭のお話のなかで、「親神様の守護は昔も今も変りません。私たち信者がそれぞれに自分のできるおたすけの歩みを少しでも進めるならば、働いたら働いた分だけ、必ずお受け取り下さり、ご守護くださるのです。」とお話くださいました。
これまで、どうせやってもご守護が頂けないからという気持ちでいた人も、どうか、真柱様のこのお言葉を信じ、残りの2年間、周囲に心を配るなかで、出合った悩み苦しむ人の手助けを積極的にさせて頂きましょう。

ご静聴ありがとうございました。

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