Tenrikyo Europe Centre
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リヨン布教所長夫人 藤原由香
ヨーロッパ出張所では普段から、日本に比べて若い方のご参拝が多いように思います。今日はこれからこのお道を長く通って行かれるそういったみなさまに、神実様のお祀り、講社についてお話ししたいと思います。
天理教のおうちに生まれた人でも、また、どなたかとのご縁でお住まい近くの出張所や教会、布教所に参拝に来られるようになったりした人も、普段は事改めて神実様のお祀りについて話を聞く機会はあまりないような気がします。やはり信仰というのはまずは目に見えない世界の話であるからでしょうか。でも私のように信仰のない家庭に育ちますと、まずはどうしても目に見える事の違いに目が行きます。普段の生活をしている家の中に、毎日のお礼や特別な祈りのための場が誰の目にもはっきりとした形であると、非常に特別な環境、場所としてそこが目に飛び込んできます。他人はその事によって信仰家庭かどうかを判断しますし、またそこに住む人たちにとっても、そういった場がはっきりとした形で家の中にあることは、自分自身が信仰という目に見えないものを常に意識して日々生活していくためにはどうしても必要な、非常に分かりやすい第一歩だと感じています。
私が神実様をお祀りした家に初めて住むことになったのは、主人と結婚して3年目のパリでの生活が始まってからのことです。それまでの2年間は結婚したといっても日本とフランスに離れていましたので、私は基本的には実家のある神戸に、月次祭の前後や行事のある時には大阪の主人の実家の教会に、どちらにしても居候のような形で暮らしていました。教会や大教会、ご本部に参拝して、行事などで色々なお手伝いをさせて頂いてはいても、特別な場所で特別なスイッチを入れて自身の信仰を手探りしている状態だったように思います。特別な場所、特別なスイッチという雰囲気については、修養科などのおぢばでの行事やおぢばのおつとめに参加されたことのある方は皆さんきっと感じられたことがあるのではないでしょうか。あの感じに似ています。神実様のお祀りどころか我が家も持たずに過ごした2年間は、いくら教会に参拝して祈り、自分なりに教えに感銘して日々前向きに過ごしていても、自分の信仰はいつまでも根なし草のような不安定なものだったように感じていました。
2001年にパリでようやく夫婦そろって暮らせるようになった時、当時はまだ教会長だった主人のお母さんが、日本から神実様を運んでくださりお祀りしてくださいました。神実様をお祀りするかと聞かれた記憶もないぐらい、自然な流れで運んできて下さることが決まりました。当時の自分を振り返ると、主人にとって当たり前なら私にとっても当たり前だったのでしょう。大きな感慨も持たずにお迎えしたので申し訳なかったなと思います。神実様を手荷物にして遠い国まで飛行機で運ぶお母さんの胸の内には、どういった思いが込められていたのか、今ではよく想像できます。実際、神実様を運ぶのはものすごく緊張したそうです。慣れない長距離飛行機の中、膝の上に抱きかかえながら、さぞ気疲れされたに違いありません。やっとの思いで到着してみれば、まだ若かった私達夫婦が用意していたお社の台座は、今思えば笑いがこらえきれない代替え品でした。普通ベッドの横に置くために売られている「シュべ」と呼ばれる小さな家具です。主人の母は大らかな性質ですし、おそらく何用かよく分かっていなかったのでしょう。ダメ出しもありませんでしたので、うちの神実様はそれからしばらくの年限、その「シュべ」の上に祀られてありました。お供え物を入れる入れ物も、とにかく真っ白ならいいか、とこれまた何用かよく分からない小さな食器を代用していました。当時その様子を見たことのある方々の中には、できれば一言モノ申したいと思われていた方もいたのではないかと恥ずかしい気がします。ともあれ、私にとっては神実様をお祀りした自分の家での初めての生活が始まったわけです。家に目に見える形で神実様をお祀りさせてもらって初めて、日々の暮らしの中に信仰が浸透していったような感じです。特別なスイッチが入っているわけではない、信仰とともにある日常です。朝が来ればお供えをして朝づとめをし、午後には片づけをして夕づとめをするという、今も変わらず続く信仰家庭生活のスタートでした。
ようぼくハンドブックの記載によりますと、ようぼく宅には、願い出によって神実様をお祀りすることができる、とあります。そのおうちにようぼくが一人でもいることがお祀りの唯一の条件で、希望する場合、所属教会に願い出て、教会を通してお祀りして頂く、という流れになります。その中で、希望してご本部に届け出て認められるとそこは「布教所」ということになりますが、それ以外のところは一般的に「講社」と呼ばれます。毎日のお供えや朝夕のおつとめ、講社祭について特に決まりはなく、それぞれの家庭の状況に応じて勤められています。つまり、ようぼくであれば、神実様を自宅にお祀りするのに難しく考える必要はなく、日々の感謝の心を忘れないための祈りの場として、目に見える形を自宅に設置するということです。同居している家族と日々色々な話をするのと同じように、嬉しい時も不安な時も、どんな時もその前に座って話をし、自分の心を落ち着かせるための場所に他なりません。
もちろん、神実様のお祀りされていない場所でもおつとめはできます。日々に感謝することも、時には瞑想して自分の心を落ち着かせることもできるでしょう。旅先などで自宅にいない時、あるいは日本に帰省した時の実家でもそうなのですが、どこにいてもおつとめという祈りの時間を持つことは今では私の生活の一部になりました。でもやはり、定められたお社の前に座る時とは何か気持ちが違うものです。東に向かってとか、窓のある方に向かって座ってなどと工夫はしてみますが、祈りのベクトルと容量が定まらないような感じがします。お社のない出先では、十分に心を鎮めることが難しく、ルーティーンとしての時間しか持てないように感じています。皆さまはどうでしょうか。
ここにいる皆さまは「かしもの・かりもの」の理をはじめ多くの教えを学び、どんな時も感謝の気持ちで通ることを念頭に日々過ごされている事と思います。しかし人間には誰でも心の波があります。自分の心に良い波が来ている時には、割とたやすく家族や他人に優しくでき、感謝の気持ちを持てるものです。しかし自分の心に悪い波が寄せている時にこそ、どう考えどう動ける人間になるのかが大切です。そのことを私達は頭で分かっていても一進一退の日々を送りがちなのではないでしょうか。そうした時、お社の前に向かい、神様と対話することによって私たちの心は安らぎを取り戻します。「神様と対話する」ということは、自分自身を見つめ直すことでもあります。その対話によって私たちは事改めて心を平穏にするためのひと時を持つことができます。神実様のお祀りされていない場所でも、こうした行動を日々取れるのは理想ですが、正直そういった理想的な行動を恒常的に取れる人はなかなかいないものなのです。
よく何か習い事などを始める時に「私は形から入るタイプで…」と言う人がいますが、形から入ることは恥ずかしいことではないでしょう。目に見えるものは自然な流れで受け入れやすいものです。むしろそれがピアノやギターなどの場合は、楽器がないと入ろうにも入れないわけで、私たち信仰者にとってはそれが 神実様のお祀りされているお社が日々の生活の中にあるということのように思います。困難にぶつかった時、どう心の向きを変えればいいのかを教わっていることは大変心強いことですが、その心の向きを変えるための場所が、手を伸ばせばいつもすぐそこに、自分の生活の中にあるということはとても大切だと日々感じています。また、家族など 同居人がいる場合、そうした姿を、特別な場所に行かなくても自宅で日々共有することによって得られるものが必ずあると思います。諭達第四号にお示しくださいます「親から子、子から孫へと引き継いでいく一歩一歩の積み重ねが、末代へと続く道となる」ことに繋がるのではないでしょうか。
就学や就職、あるいは結婚などでこれまでのご家庭から離れて暮らされる時、そしてもちろん信仰初代のみなさまも、ようぼくになられたらおうちに神実様のお祀りをすることからスタートされてみてはいかがでしょうか。
天理教教祖伝逸話編27のお話の中にある次の教祖のお言葉からも分かるように、そのことで教祖は大変お喜びくださいます。
「ようしたな。これでよい、これでよい。」
「今日はよい日やな。めでたい日や。神様を祀る日やからな」
「今日から、ここにも神様がおいでになるのやで。めでたいな、ほんにめでたい」
ご静聴ありがとうございました。