Tenrikyo Europe Centre

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2013年4月月次祭神殿講話

ナゴヤ・パリ布教所長 津留田正昭

只今は4月の月次祭を陽気につとめさせて頂きましたこと、心から嬉しく存じます。届きませんが、講話をつとめさせて頂きます。

今月4月は言うまでもなく教祖のご誕生の月でございます。教祖は1798年4月18日にお生まれになりましたので、今年で215回目の誕生日をお迎えになられる訳です。おぢばでは、教祖ご誕生祭が執り行われます。このご誕生祭の内容といいますのは、まずかぐらづとめが勤められます。その後、つとめ人衆の方々は教祖殿に向かわれ、真柱様より教祖に対してのお祝いのお言葉が読み上げられます。祭典のあとは、本部の中庭で、「よろこびの大合唱」として、参拝者一同が教祖のご誕生をお祝いする歌が歌われるというのが、誕生祭の大まかな内容です。

私はこれまで数回このご誕生祭には参拝させていただきましたが、実に感動的な祭典であります。しかし、実は、私はこの祭典について子どもの頃から疑問に思っていることがありました。それは、「どうして教祖ご誕生祭にかぐらづとめをするのだろうか」という疑問です。誕生のお祝いならば、おつとめじゃなくて、もっと違う方法、例えば、ケーキを皆で食べるとか、ハッピーバースデイを歌うとかでいいんじゃないかと思っていました。その上、今の若い人は知らないかもしれませんが、私の子どもの頃には教祖慶祝旬間というのがありまして、4月18日から27日までの10日間、毎日かぐらづとめがつとめられていました。それについても「どうして10日間もおつとめをするんだろう」と思っておりました。

教祖は、人間元始まりのときのいざなみのみこと様の魂を持ってこの世に生まれられました。その後、旬刻限の到来によって、教祖41才のとき、お身体に親神様が入り込まれ、以来「月日のやしろ」として人々に親神様のお思召しを伝えられ、50年の間道を歩まれたのです。そして、教祖が歩まれた50年の間、終始一貫してお望みになられたのが、「つとめの完成」であったのです。教祖のお望みは、人間がおつとめをつとめ、それによって世界が救われ、そして互い助け合いの世界、陽気ぐらし世界、神と人が共に楽しむ世界の実現を望まれています。ですから、教祖の望まれる「つとめ」をつとめさせていただくことが教祖への最大の誕生日のお祝いであり、それが誕生祭の日に勤められる意義であると思うのです。さらには、教祖はその御身をかくされた後もなお永遠にお働きいただいていると教えられていますから、その教祖おつとめをつとめる姿をご覧いただくことが、最大のお祝いになるからであります。そのことが子どもの頃の自分には分からなかったのです。

では次に教祖の望まれるのはつとめを勤めることだけなのかというと、それだけではありません。「よろづたすけの道」として教えて頂いたのは、「つとめ」、そして「さづけ」であります。さづけは、身上の患いをたすけるものであります。これは言い換えますと、私たちが互い助け合いの世界を実現するものとして教えられた具体的な行為であります。病む人にさづけを取り次がせて頂き、親神様の思いを伝えさせていただく、そして心の向きをかえていただく。親神様は、さづけを取り次ぐ人と病んでいる人の真実を受け取り、十全の御守護によって、身上をたすけていただくのであります。そして、ここからが大切なことであります。今度は助かった人が、別の人にさづけを取り次がせていただく、こうしたサイクルが永遠に続くことを教祖はお望みになっているのであります。

ですから、この「つとめ」と「さづけ」を私たちの使命とし、世界だすけの先頭を歩まれる教祖の手足となって歩ませて頂くことが肝心であり、それを教祖のご誕生日に改めて心に誓う機会とさせて頂きたいと思うのであります。

では、もう少し教祖のひながたについて考えてみたいと思います。教祖の50年を勉強させて頂いて気付くこと、常に変わらない教祖の態度というものは、それは簡単な言葉で言えば『与えることを喜ぶ、人に尽くすことを喜ぶ』ということではないでしょうか。人は常々何かを求めて生きているのが当たり前ですが、でも教祖のひながたは、求めるのではなくて、真のよろこびというものは、与えることがもっと尊いと教えて頂いていると思うのです。

例えば、泣いている子どもにお菓子を与える、それを子どもは喜んで受け取り、口に入れるのですが、そのお菓子が無くなってしますと喜びは終ります。でも一方で、お菓子をあげた私自身はというと、子どもが喜んでいる姿を見ると本当に嬉しくなって、じゃもう一つあげようかとなります。貰う方も嬉しいですが、あげる方が実はもっと嬉しいと思うのですが、皆さんどうでしょうか。

教祖は、幼少の頃から、両親が畑仕事で忙しくしている近所の子ども達を集めては、自分が貰ったお菓子を他の子どもにあげて喜ばれた、と教祖伝には書かれています。また、月日のやしろとなられて、ある信者の方が、泥棒に入られたけれども何も取られなかった、これも教祖のお陰と御礼に行くと教祖は、「ほしい人に貰ってもらったらもっと結構やのに」(「もっと結構や逸話編39)と、逸話編に書かれてあります。この教祖の世界観、価値観は全く世界の一般常識とは正反対ですね。

現代の世界を見てみますと、正に教祖の世界観と比べ、逆の世界が当たり前であります。資本主義社会では、競争の原理に添って、人よりも多く働いて、ときには働く時間を少なくして、そしてより多くの収入を得ようとするのは当然という考え方です。しかし教祖は、「働くとは、はたはたを楽にする」(「働く手は」逸話編197)ことと仰せられ、自分の利益を求めるのではなくて、周りの人々へと心を尽くすことが何よりも肝腎であると教えられました。

私たちはこの教祖の教えていただいた「人に尽くす喜び」を実践させて頂かなくてはなりません。小さいことからでも実践することが大切ですが、「人に尽くす」という行為は難しいと思われる方も多いのではないでしょうか。

「人に尽くすこと」。具体的にはどのようなことを言うのでしょうか。なかなか大変そうですが、その具体的な方法として、「時間をお供えする」「人の為に時間をつかう」ということから実践してみてはどうかと、今日は、皆様にご提案いたしたいと思います。

私たちには皆一様に分け隔てなく、一日24時間という時間があります。お金持ちも24時間、あまりない人も同じ24時間です。元気な人も、身上で苦しむ人も24時間という時間を与えられています。しかしながら、これをどのように使って毎日を過ごすのか、これが問題だと思うのです。全ての時間を自分の為に使うのか、それとも24時間のうち、毎日最低でも10分は人の為に使わせて頂く、その10分とはおつとめを通して、知り合いの病気の人のために祈る時間にする。あるいはまた、5分だけは必ず何か人が喜ぶ行為をする、何でもいいのです。ここにゴミが落ちていると周りの人が不快に思うからその落ちているゴミを拾う、また、電車で身体の不自由な人に席を譲るという行為はそれだけも喜ばれる行為ですね。その不自由な人のために立っているその時間は、自分が好きな本が読めないので、その時間はその人の為の時間となります。その他身の回りに至る所、家庭内でもいくらでも見つけることが簡単にできます。それを毎日、毎日継続して、喜んでその行為をさせて頂ければ、きっと親神様はその心を受け取ってくださるに違いないと思うのです。最初のうちは、一日のうち5分、そして15分と増え、だんだんと1時間、2時間と、人に尽くす時間が増えて行けばいいと思うのです。例えば、私が毎日人に尽くす時間を30分とすると、1年間で合計182.5時間、3年間で547.5時間になります。これが私たちの人の為に使わせて頂いた時間のお供えであり、人に尽した時間となって、親神様に受けとって頂く真実となると思うのです。心の問題をこうした数字で表すのは非常に不謹慎と思われるかもしれませんが、でも毎日7時間ぐらい寝る私には、あと17時間が残り、この時間をどのように使うのか、とても大切だと思うのです。全てを自分の為に使うのか、少しでも人の為に使うのかでは、長い人生では自ずと変わってきます。

私が結婚するとき父がこんなことを話しました。「食事をしているとき、だれかから病気だと連絡があったら、食べている箸を置いて、すぐにおたすけに行きなさい」と教えられました。まさに自分の空腹を満たす時間、ゆっくりと過ごす時間を人に尽くす時間に転換するということです。現在、私自身それを守っているかというと、できていないのが現実ですが、その父の言葉は今も心に深く残っております。

このように全てが自分のものと思っている時間を中心に考えさせて頂くと、人に尽くすということはそんなに難しいこととは思いませんし、今日からでも誰にでも可能だろうと思います。このようにして、年限とともに人の為に尽くす行為、時間が多くなっていけば、成人の道をしっかりと歩んでいることになると思案するのです。

教祖は、月日のやしろとなられてから親神様のお心となり、24時間、365日、そして50年間、常に世界の人をたすけるという「ひながたの道」をお通りくださいました。それは時間にすると、合計438000時間になります。膨大な時間を人の為に尽くして通られました。

そして、今なおも世界たすけの先頭に立って日夜おたすけにお働きくださっている教祖の万分の一でも、人に尽くす時間を通らせて頂くことが、今の三年千日という旬であると思うのです。

ヨーロッパ出張所では、この三年千日の旬に、四つの成人目標と二つの心定めを発表して、皆さんにこの旬に人だすけの実行を呼びかけております。
1番目は、おつとめをつとめよう
2番目は、身近なひとだすけを実行しよう
3番目は、おさづけを取り次ごう
4番目は、子供に信仰の喜びを伝えよう

これら4つの成人目標に加えて、ヨーロッパからの帰参者人数350名、さらにはおさづけの取り次ぎ回数については13000回と、この3年間の目標を定めて頂いております。

出張所のホームページには130年祭まであと何日とカウントダウンが刻まれております。今日の時点であと1000日なっております。どうか、心を揃えて勇んでこの3年間を通らせて頂きたいと存じます。

ご清聴ありがとうございました。

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