Tenrikyo Europe Centre

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2015年8月月次祭神殿講話

角本もと子(飾東巴里出張所長)

最近の出来事ですが、16歳から出張所に通われている信者のAさんが3月に心臓移植の為、入院をされました。

彼女は生れ付き心臓が逆になって右に付いて生まれて来ました。

小さい頃から病院に通い、何度も入院し、若い頃に治療法が二つあると教えられ、一つは薬での治療法、もう一つは心臓手術でした。彼女は子供が大好きな為、薬を飲んだら子供が出来なくなるリスクがあると聞き、薬の治療法は選びませんでした。

そんな彼女が3年前に40歳で結婚する事が出来ました。その出来事は家族や親友達にとても喜ばれました。いつも優しくて面倒見の良い素敵な旦那さんに巡り合えたのです。その両親は私の娘が生まれる前から出張所に通っておられました。

Aさんは16歳の頃に受けた手術の後も心臓のペースメーカーの電池を変える為やカテーテルを入れる為などに何度も手術を受けられました。Aさんの担当のお医者さんは「彼女が生きているのが奇跡」だと言われました。

そして、去年頃から原因不明で少しづつ体調が崩れて行き、次の手術の話も医者たちはしておられました。

始めは、心臓移植はまだ20年程先の話だと医者たちは判断されていたそうですが、Aさんの体調は日に々弱って行き、息切れになりやすくなり、歩く事もだんだんと難しくなり、とうとう日常生活の動きすら自分で出来にくくなって行ったのです。その変化を前にして、医者たちは心臓移植を急ぐ事にされました。

そして、Aさんは2月頃から移植の準備を行う為に病院に通うようになりました。今までの数々の手術で身体が造って来た多数の免疫体を抜いて、心臓移植の拒否反応を出来るだけ減らす為に、2週間に一回はその免疫体を抜く為の機械に掛かっておられました。

そして3月19日から入院されました。彼女の心臓の半分右側は早くも動かなくなり、心臓が3度も停止しました。そして、医者たちは急いでAさんに心臓の負担を外からおぎなってくれる機械を設置されました。

フランスでは、SUPER URGENCEと言って、ウエイテイングリストの最優先になれる状況がありまして、彼女はまさしくそれに当てはまりました。しかし、そのSUPER URGENCEというのは2度しかチャンスが与えられないのです。Aさんの場合は、1度目は医者が手術前に臓器が合わない事に気づき、2度目は臓器が運ばれている間にダメになってしまいました。そんな状況で、次の移植まで身体が持つのかどうかという処に、また奇跡が起きました。それは、3度目のSUPER URGENCEでした。医者、看護師達の真剣さ、そしてAさんの珍しい身上と今までの頑張りの上、次の臓器を与えて頂く事が決まったのです。そして、無事5月末に心臓移植を終えさせて頂く事が出来たのです。

彼女の心臓は右側に付いて真逆な為、Aさんの手術が出来る腕を持つ医者も少なく、ヨーロッパに2人しかいないそうです。その2人の医者が無事手術の日を迎えられ、鏡を使った難しい手術を無事終えられたのも、親神様の大きな御守護ですね。

手術というのは皆様も御存じだと思いますが、とても身体に負担が掛かる出来事です。

Aさんは手術後集中治療のICUへ入院されました。手術後にお見舞いに行かせて頂いた頃は沢山の機械に囲まれて、口に入れた管から息を吸い、左手はパンパンに張れていました。見ていてとても痛々しい姿でした。そんな中、私がおさづけを取り次がせて頂いた時には、彼女は必死に両手を合そうとして、一生懸命に親神様にすがっておさづけを受けてくれました。一緒におられたご家族の方も揃って、真剣に手を合わせて添い願いをして下さいました。

その時に、今まで連絡がまったくなかったAさんの兄がお見舞いに来て、一緒に添い願いをしてくれました。私はその時、この身上を通して、彼女は家族の中心となって、家族の一人ひとりの心を寄せて一手一つにしてくれたんだと思わせて頂きました。

そして、私が帰る時にはAさんは話せないながらも口を動かして、私に「BON COURAGE」と励ましてくれました。

その数日後、彼女は肺炎で40度近くの高熱を出し、医者達も心配されておりましたが、それも治まり、酸素の機械の必要も無くなり、落ち着いた頃にはICUの別の部屋に写られました。その後もおたすけに行かせて頂きました。彼女はその頃、身体全体の痛みに苦しみ、食べ物の味が気持ち悪く感じると言って、何も食べなくなってしまいました。彼女のお母さんが与えようとしても、何も口にしたくない、水も飲みたくないと言い出したのです。

Aさんはやっと自分の口でご飯が食べれるようになったにも関わらず、食べたくても食べれないという状況におちいったのです。彼女は今まで、鼻から胃までに食糧を送ってくれるカテーテルのようなもので栄養を取っていたので、口で食べる習慣を失いがちであったのです。しかし、彼女の身体が元気を取り戻すには、ちゃんとしたご飯を食べて、その食糧を消化し、エネルギーに変える事が重要なのです。我々は毎日水を飲んだり、ご飯を当たり前のように頂いておりますが、これは実は大きな御守護なのです。

これはまさしく、教祖がこかん様と秀司様に仰った通り、「世界には、枕もとに食べ物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さんと言うて苦しんでいる人もある。そのことを思えば、わしらは結構や、水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与えくだされてある。」(天理教教祖伝、第三章みちすがら、p40)なのだと思わせて頂きました。

また、おふでさきには、

めへ々のみのうちよりのかりもの
しらずにいてハなにもわからんおふでさき、三、137)

とあります。

このお言葉を通して、教祖はこの身体は親神様からの「かりもの」であり、その有難さを感じて日々通らせて頂くようにとお教え下さっておられます。

親神様からお与え頂いている御守護を分かり安く、教祖は「十全の御守護」をお教え下さいました。そして、その御守護一つ々に神名をお付け下さいました。

くにとこたちの命、人間身の内の眼うるおい、世界では水の守護の理。
をもたりの命、人間身の内のぬくみ、世界では火の守護の理。
くにさずちの命、人間身の内の女一の道具、皮つなぎ、世界では万つなぎの守護の理。
つきよみの命、人間身の内の男一の道具、骨つっぱり、世界では万つっぱりの守護の理。
くもよみの命、人間身の内の飲み食い出入り、世界では水気上げ下げの守護の理。
かしこねの命、人間身の内の息吹分け、世界では風の守護の理。
たいしょく天の命、出産の時、親と子の胎縁を切り、出直しの時、息を引き取る世話、世界では切る事一切に守護の理。
をふとのべの命、出産の時、親の胎内から子を引き出す世話、世界では引出し一切の守護の理。

この一つ々の御守護を毎日お与え頂いているのです。高熱や心臓の停止、息をするのに酸素マスクが必要となったり、思うように動けなくなることがあるように、この身体は自分達の意思ではコントロールすることはできません。これが「かりもの」であるという事なのです。

しかし、親神様は我々に心の自由をお与えくださいました。

人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの。たった一つの心より、どんな理も日々出る。おさしづ明治22年2月14日)

と、教祖はお教え下さいました。

心遣い一つによって、身体や身の回りに現れて来る事柄が変わってくるのです。

これまでAさんの御両親が少しづつでも出張所に足を運んで来られ、Aさんご本人も16歳の頃から出張所に琴やおつとめの練習に通い、その努力を少しでも親神様が受け取って下さったのだと、これこそ、彼女の真実と16歳からの徳積みなのだと、この手術を見て思わせて頂きました。

Aさんの御両親は、Aさんが入院されてすぐに田舎の家から駆けつけて来られました。そして、Aさんのお母さんは、移植手術が早まったことを不足に思われておられました。しかし、もしもこの手術が20年後に行われていたら、Aさんは63歳でお母さんは80歳を超えておられました。Aさんとそのお母さんの年を考えても、今の「時期」が一番良かったのだと、私は確信致しました。

そして、その後もおたすけに行かせて頂く度に元気になって御守護を頂いているAさんの姿を見させて頂き、その有難さをみんなで心から喜ばせて頂いております。

この方は本当にこれからの人たすけに必要な人材で、親神様から選ばれた方なのだと思わせて頂きました。また、たすけて頂いたこの喜びを人様に伝えてさせて頂き、おぢば帰りをさせて頂いて、いつかはよふぼくとなって、共におたすけに励ませて頂きたいと思わせて頂いております。

御清聴ありがとうございました。

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