Tenrikyo Europe Centre
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ヨーロッパ出張所長 永尾教昭
天理教信者にとって、おぢば帰りというのは、非常に大事な信仰的実践行為です。ぢばは、天理教にとって聖地です。ぢば以外でも、世界中に聖地と言われる場所はたくさんあります。キリスト教、ユダヤ教、イスラム、仏教など、ほとんどの宗教が聖地を持っていると思います。例えば、フランスのルルドーという所は、カトリックの聖地ですが、これは聖母マリアが洞窟の中に現れて、そこからわき出る水を飲むことによって多くの病人が助かったので聖地となりました。またルンビニーという所は、釈迦が生まれた所であるが故に、仏教の聖地です。
しかし、ぢばは現身を隠された教祖が再び現れたとか、あるいは教祖がお生まれになった所でもありません。ちなみに、教祖がお生まれになったところは、その家屋等保存はされていますが、特に聖地でも何でもありません。天理教では、ぢば以外に聖地と言われるところはありません。では、このぢばは、どういう意味で聖地なのでしょうか。
おふでさきに、
そのとこでせかいぢうのにんけんわ
みなそのぢばではじめかけたで (十七−7)
とあります。また、先ほど唱えました「みかぐら唄」の五下り目に
ここはこのよのもとのぢば めづらしところがあらわれた
ともあります。
親神様は人間が陽気ぐらしするのを見て共に楽しみたいと、人間を創られました。天理教では、これが世界の始まりであると教えます。この世の原初において、親神が人間を宿し込まれた場所、そういう実に珍しい場所、これがぢばであります。
つまり、空間的な意味において、世界あるいは人類の元の地点が「ぢば」であります。おぢばに帰って、不思議な救けに浴したという話はたくさんあります。しかし、それ故に、ぢばが聖地なのではありません。ぢばは、この世界を始めた元の一点なのです。天理教信者は、「おぢばに行く」とは絶対に言いません。「おぢばに帰る」と言います。それは、ぢばが人類が始まった地点、つまり全人類の原点だからです。
そして、このぢばで勤められる唯一のおつとめ、これがかぐらづとめです。このかぐらづとめは、親神が紋型ないところからこの世人間を創られるときの珍しい働きを、今一度、この世界に表現しているものです。ということは、かぐらづとめは、時間的な意味における世界の始まりを意味しています。つまり、この世界の空間的な元の地点であるぢばで、時間的な始まりを表現するかぐらづとめが勤められるのです。ですから、かぐらづとめは、ぢばでしか勤められないのです。逆に言えば、ぢばで、かぐらづとめ以外のおつとめが為されることも、あり得ません。お手振りの冒頭に「よろづよのせかい」と唱えます。おふでさきの冒頭も、同じように「よろづよのせかい」で始まります。「よろづよ」とは時間的な永遠性であり、「せかい」とは空間的な世界を表します。ぢばで勤められるかぐらづとめは、「よろづよのせかい」の原点です。
教祖がその身を隠されてから二年後くらいから、日本のあちらこちらに教会が設立され始めます。当初にできた教会は、自教会でも、かぐらづとめを勤めさせてもらいたいと願われますが、神はかぐらづとめはぢば一点に限ると仰せられ、この願いは聞き入れられません。たとえ、天理教本部の境内地であっても、ぢば以外のところでは、かぐらづとめを勤められないのです。でなければ、空間的な元の一点と、時間的な元始まりが一致しないことになってしまいます。
このように、ぢばで勤められるかぐらづとめに参拝することは、私たちが、この世界の時間的、空間的原点に帰ることを意味します。言わば、象徴的に、人が宿し込まれた場所である母親の子宮の中へ、しかも生命が芽生えたその瞬間に戻るようなものでしょう。そのとき、親神の不思議な働きが、親神によって創られたこの体の中に充ち満ちて来ます。ちょうど、子宮の中で胎児は、母親の栄養を存分に吸収するようなものです。そして、魂は救済されるのです。
さらに、おふでさきに、
心さい月日しんぢつうけとれば
どんなたすけもみなうかやうでどのよふなたすけとゆうもしんちつの
をやがいるから月日ゆうのやこの月日もとなるぢばや元なるの
いんねんあるでちうよぢさいを (八−45〜47)
とあります。
人間の心の真実を、月日つまり親神が受け取られたなら、どんな救けも請け負ってくださる。それは、この世界の元のぢばに、「真実の親」すなわち、元初まりの母親の魂のいんねんある教祖がおわしますからであり、そのぢばで親神の自由自在の守護、言い換えれば全知全能の守護が現れるとおっしゃっているのです。親神、教祖、ぢばがその理一つと言われるゆえんがここにあります。
「おさしづに、
ぢばに一つの理があればこそ、世界は治まる。ぢばがありて、世界治まる。
とあります。ぢばがあるからこそ、親神の守護はあまりなく垂れ、世界は平和に治まるのです。
ところで、第2次世界大戦で日本は敗れました。敗戦後数年間、日本はアメリカに占領されておりました。そのとき、あるアメリカの兵士が本部を訪れました。彼は、案内した本部の先生がぢばを指し示し「ここは、元初まりに人間が宿し込まれた場所です」と説明するのを聞き、「そんな高貴な場所がなぜ、日本にあるのだ」と質問いたしました。それに対して、その先生は「日本にぢばがあるのではありません。ぢばの周りを日本と呼んでいるだけです」と答えられたと言います。確かに、ぢばは、現在の行政上では、日本の奈良県天理市に存在しておりますが、ぢばが日本よりも先に存在していたのであります。日本だとか、フランスだとか、そういったことは人間が便宜上決めたことで、単なる人間のルールにすぎません。この先、何百年後、何千年後もまだ国家という概念があるかどうかも分かりません。現に、ヨーロッパでは、徐々に国家という概念がなくなる方向にあります。日本の中にあるとかないとか、そんなことはさして重要なことではないと思います。神の真理とっては、日本とかフランスとか、そういった人間社会のルールは意味を持ちません。ぢばは普遍的なものであります。
19世紀の中頃、教祖たった一人から始まった道が、やがて近村、そして日本全国に広まって行きました。当時、歩く以外に交通手段はなく、ぢばに帰るということは簡単なことではありませんでした。しかし、多くの天理教信者は、ぢばに帰り、おつとめを拝し、身上事情を助けていただいて、またこの道が広まっていったのです。
増井りんという方は、現在の大阪府と奈良県の県境近くに住んでおられました。ぢばからの距離は、30キロほどあるのではないでしょうか。主人を亡くされ、幼い子二人を抱えて途方にくれておられた頃、さらに不幸が続きました。自分自身が失明されたのです。やがて、この教えを聞き、失明をご守護いただかれ、幾度となく、おぢばに帰られました。ある時は、猛吹雪の中で、橋から落ちそうになり、履き物を脱いで、落ちないように四つんばいになって橋を渡り、おぢばに帰られました。そこまでしておぢばに帰ってきた真実を、教祖はたいそう喜ばれ、「ようこそ帰ってきたなあ。親神が手を引いて連れて帰ったのやで。あちらにてもこちらにても滑って、難儀やったなあ。その中にて喜んでいたなあ。さあ/\親神が十分十分受け取るで。どんな中も皆受け取る。守護するで。楽しめ、楽しめ、楽しめ」とおっしゃり、りんさんの手をご自分の手で温めてねぎらわれました。
このように、私は、色々な困難な中を敢えておぢばに帰らせていただくことこそ、信仰ではないかと思うのです。楽々の中を帰るよりも、そういった苦労の中を帰ってこそ、神は受け取ってくださるのではないかと思うのです。
「おさしづに、
国を隔てて戻りて来る。皆、道のため楽しんで帰りて来る。神一つの理あればこそ、戻りて来る。…日々どんな中にも厭わず、国に一つの事情の中も厭わず、心楽しんでくる。(M40.3.13)
とあります。国を隔てて、喜びをもってぢばに帰る。そこに教祖がおられるから帰る。個人的な色々な困難の中も厭わずに、ぢばに帰ってくる。その事実が、どれほど大きなご守護をいただく元になるか分からないという意味であります。
では、おぢばに帰らなければご守護はいただけないのでしょうか。そんなことはありません。ここ、フランスにいても、ご守護はいただけます。しかし、みかぐら唄に
八つ やしきハかみのでんぢやで まいたるたねハみなはへる
九つ こゝハこのよのでんぢなら わしもしっかりたねをまこ
十ド このたびいちれつに ようこそたねをまきにきた
たねをまいたるそのかたハ こえをおかずにつくりとり
とあります。この唄の中の「やしき」とはぢばと同義語と見なして良いと思います。ぢばは言わば神の田地であるから、蒔いた種は必ず生えるのだ、と言われます。そして、その実は、肥を置かなくても作りとれる。すなわち人為的な労をかけずとも、存分の恩恵となって我が人生の中に現れて来るというお言葉です。そのためには、多少の困難はあっても、おぢばに帰らせていただくという実践が必要なのです。
「おさしづに、
どんな艱難もせにゃならん、苦労もせにゃならん。苦労は楽しみの種、楽しみは苦労の種、と皆聞いているやろう(M39.12.6)
と教えられるのです。ぢばに帰る、その苦労は仮に今、実となって現れなくても、将来の楽しみの種になるのです。
先ほど紹介した増井りんという方は、大勢の信者を導かれ、後に大きな教会を設立されました。もう一人、女性で、やはりたくさんの人々を助け導き、東京に大きな教会を設立した中川よしという方がおられます。この方も、りんさん同様、元は決して幸福な人生ではありませんでした。父親が事業で失敗し家は没落します。13歳頃から、奉公に出られます。19歳で結婚されますが、主人も父親と同じように事業がうまくいかず、家屋敷を売ることになってしまいます。さらに道楽がやみませんでした。そんな頃、よしさんは、この信仰を知り助けられ、やがて人々にこの教えを広めに回られます。この方は、「一人をたすけるのに百里(つまり現在の約400キロとなります)を歩く」と決心をされたと言います。つまり、一人の病人に知り合ったら、その人を助けてもらうために、おぢばに帰る。そして、その人が助かったら、またお礼におぢばに帰る。一人の人に対して、おぢばと自分の地元約100キロを二往復することになるので、計約400キロということになります。
このお二人だけではありません。多くの布教師、信者たちが、おぢばへおぢばへと帰って来、そして天理教は大きくなっていきました。おぢば帰りは、天理教信者の信仰のエネルギーの源泉といっても良いのではないでしょうか。
確かに今は、教祖のお姿は拝せません。ですから、苦労して帰っても、教祖のお声が直接聞けるわけではありません。しかし、その後の私たちの人生の様々な出来事の中に、教祖の声や姿をつかむことができるのではないかと思います。今紹介した中川よしさんも、信仰を始められたときは、既に教祖は御身を隠された後であり、おぢばに帰っても、決して教祖のお姿が拝せるわけではありませんでした。しかし、それでも、おぢばに帰るのです。
今は交通も発達し、たとえフランスから帰ると言っても、増井りんさんのように、ぢばに帰ること自体はそれほど大変な事ではなくなりました。またここフランスから、現実に、中川よしさんのように何度もぢばに帰ることは不可能です。しかし、一方で、別の苦労があります。現代は人間は皆、何らかの組織に属し、往時に比べて、はるかにたくさんの時間的制約があります。自由な時間が十分にあるという人は、この中にもあまりおいでにならないと思います。今ひとつは、経済的な困難です。よほどのお金持ちでもない限り、簡単に飛行機に乗り、ぢばに帰られる人はおられないでしょう。しかし、それらの困難を超えて、ぢばに帰る。このことに、私は大きな意義があると思うのです。
日本でも、この便利な時代にあえて苦労を自分で作って、ぢばに帰ってくる人がたくさんおられます。地元から歩いておぢばに帰るのです。車や電車に乗れば、おぢばに帰ることは、いと、たやすいことです。わざわざそれを避けて、困難を作っておぢばに帰る。客観的に見れば、これほど馬鹿げたことはありません。しかし、これが信仰なのだと私は思います。
それほどまでして、ぢばに帰らねばならないのですかという疑問が沸くかもしれません。これは、根本的にその質問の設定が間違っていると思います。ぢばは「帰らねばならない」のではなく、「帰らずにはおられない」ところなのです。前真柱様はよく、「おぢば帰りは親元へ藪入りに帰るようなものである」とおっしゃいました。神は親であり、人間はその子供であります。親元へ行くのに、義務的に「行かねばならない」と思っていく人はいないでしょう。親がいるから、そこに行かずにはおられない、これが普通の人の感情です。よろづよの中で「このもとをくはしくきいたことならばいかなものでもこいしなる」と表現されています。教祖の教えを詳しく聞いたならば、どんな人でも、ぢばが恋しくなり、帰らずにはおられない心境になります。
自分は忙しいから家内が帰ればそれでよい、と思っておられる方もあるかもしれません。そうではなくて、本人が帰ることに意義があるのです。昔、加見兵四郎という人がおりました。この人は、段々目が悪くなっていき、やがて一人では歩くことができなくなりました。そこで、教祖に助けていただきたいと思い、目が悪くて歩きにくい自分に代わり、妻を教祖の許にやったのです。そうしたところ、教祖は「人言伝ては人言伝て。人頼みは、人頼み。人の口一人くぐれば一人、二人くぐれば二人。人の口くぐるだけ、話が狂う。狂うた話した分にゃ、世界で過ちが出来るで。過ちが出来た分にゃ、どうもならん。よって、本人が出てくるがよい。その上、しっかり諭してやるで」と仰せになり、本人が訪ねてくるよう促されました。そこで、兵四郎さんは、目が悪いにもかかわらず、約16キロの道のりを、片手には杖、片手は妻に引いてもらっておぢばに帰ってこられたのです。さぞ、難儀な道中であったと想像できます。神は、この困難を押して帰ってきた真実を受け取られ、やがて兵四郎さんは全快の守護を頂かれます。真実は、神が間違いなく受け取られます。よろづよにも「きゝたくバたずねくるならいうてきかすよろづいさいのもとなるを」と教えられています。教えを芯から探求したいなら、自らおぢばに帰らせてもらうことが、必須なのです。
人に頼むのではなく、困難を乗り越えて自らおぢばに帰る。そして、その元なるぢばで勤められるかぐらづとめに参拝する。これが天理教の信仰であります。おぢばに帰参した喜びは、経験した者にしか味わえないものです。
ご静聴ありがとうございました。