Tenrikyo Europe Centre

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2006年4月月次祭神殿講話

ヨーロッパ出張所副所長 岩切耕一

只今は4月の月次祭を陽気につとめおえられ、誠に結構な事と存じます。ご指名をいただきましたのでしばらくの間お話をさせていただきたいと思います。 

天理教の信仰は、一言で言えば、人間創造の時の神の意志を実現することです。

そして、そのために、天理教では、人間創造と同じ原理で、人間救済の道が教えられています。天理教では、人間創造の話と人間救済の道は、原理的にイコールなのです。わたしはこれが天理教という宗教の大変大きな特徴だと思います。

今日は、天理教のことを余りよく知らない方がおられると思いますので、その方々を念頭におきながら、同じ原理で成り立っている天理教の人間創造と人間救済の道について、簡単にお話をしたいと思います。

天理教の人間創造の話は、天理教教祖中山みき様のお口を通して、人間を創られた親神ご自身が明らかにされたものです。また親神が、何事も忘れやすい人間のために、教祖に筆をとらせて書き残されたものでもあります。この書き物は「おふでさき」とよばれていて、天理教の最も重要な聖典であり、天理教教義の一番の拠り所となっているものです。

さて、人間創造といった場合、問題になることは次の5つです。人間が、だれによって、いつ、どこで、どういう目的で、どのように創造されたかという5つです。

天理教は一神教の教えですが、現在、世界を2分すると言われる一神教の宗教、キリスト教とイスラム教にも、人間創造の話があります。皆さんご存じの通り、この2つの宗教は、一民族宗教であるユダヤ教が元になっていますから、人間創造の話も当然、ユダヤ教の人間創造の話、つまり、旧約聖書のアダムとイブの天地創造の話ということになります。

この話を読んでみるとわかりますが、この旧約聖書の天地創造の話からは、さっき言いました人間創造の5つの疑問全てに対する答えを見つけることはできません。

一方、天理教の人間創造の話は、この5つの疑問に明確で詳細な解答を与えています。この話は、今日、天理教教典第3章「元の理」としてまとめられています。

このお話を元に、先程の人間創造の5つの問に対する答えをまとめてみたいと思います。

 問1 誰によって創られたか。 天理王という名前の親神によって創られました.親神は人間の元の親であって、我が子である人間に命を与え、守り、愛情いっぱいに導き育てようとする親です。ですから、悪い人間に罰を与え、地獄の苦しみを与え、人間の運命を思い通りにあやつり、人間に絶対的な服従を強いる、近寄りがたい恐ろしい神というイメージは天理教には全く存在しません。キリスト教もイスラム教も同じ神様がお始めになった宗教に違いないと思いますが、親神のイメージは大きく変っています。一神教の歴史の上で、これは大きな意味があると思います。

 問2 いつ創造されたか。人間創造は、今から約9億10万年前の出来事であったということができます。旧約聖書の天地創造は約6000年前のことといわれるそうですが、この点でもずいぶんかけ離れています。

 問3 どこで創られたか。 人間創造の時、人間が宿し込まれた後、母親が3年3ヶ月とどまっていたとされる地点です。人間創造の元の地場と呼ばれています。教祖中山みき様はこの人間創造の時の母親の魂のいんねんをお持ちになった方であると教えられています。人類の母親でありかつ神の社でもおありになる教祖は、今から131年前、1875年6月この元の地場の地点がどこであるかをお定めになりました。そして、この元の地場に、天理王の神名を授けられました。さらに、人間創造の証拠として、かんろ台という6角形で13段の台をお据えになったのです。

元の地場は現在、日本国天理市にある天理教教会本部神殿の中央に位置しています。

 問4 どういう目的で創られたか。 天理教教典第3章元の理を読むと、人間創造の目的はあきらかです。それは神と人間の両方の和楽です。そのためには、まず人間の陽気ぐらしが実現されなければなりません。

ここで大変重要なことがあります。それは、親神は人間創造の時、まず夫婦を創ろうとお考えになるのですが、この夫婦となる男女など人間創造に必要な8つの道具に対して、しかるべく相談をして全員の承諾を得た上で事を進めておられる点です。人間は、親神の子供として宿し込まれ、産み降ろされる前からすでに、人間としての主体性を尊重されているのです。天理教では、このことを、人間には心の自由が与えられていると言います。人間は親神のロボットでもなければ、おもちゃとして創られたのでもありません。人間は親神から与えられた心の自由を使って、主体的に創造目的である陽気ぐらしの道を自分で選び取っていく存在です。

この点はイスラム教預言者ムハンマドの運命決定論の教えとはずいぶん違います。天理教は、人の運命はその人の心次第で切りかわっていくものであることを教えます。

では、一体、この創造目的は今日実現されているでしょうか。残念ながら答えはNO.です。親神の望まれる陽気ぐらしの基本は互い助け合いですが、人間は心の自由を使い誤って、自己中心の陽気ぐらしに流れてしまったからです。

教祖は陽気ぐらしに反する心使いをほこりに例えて注意をうながされています。それは、惜しい、欲しい、憎い、可愛い、恨み、腹立ち、欲、高慢、うそ、ついしょうの10の心使いです。ほこりというものは、必ず発生するものであり、払えばすぐきれいになります。ただし、そのまま長い間放置しておくとこびりついてとりにくくなります。

それで教祖は、親神を箒に例えられて、親神に願って絶えずほこりを払っていただくようにと教えられています。それが、天理教の人間救済の道である、つとめなのです。このつとめに関しては後でお話いたします。このことからおわかりいただけるとおもいますが、天理教には人間の罪といったキリスト教的な概念は全くありません。この点も天理教の大きな特色だと思います。

 問5 どのように創造されたか。天理教の人間創造の話の特徴は、夫婦を創るための2つの道具、男と女の性をつくるための2つの道具、またその夫婦から生まれる人間の身体をつくるための4つの道具、合計8つの道具が親神によって選ばれる点です。また、この8つの道具が呼び寄せられた方角が教えられていることも、大変ユニークな点です。この道具の方角も大きな意味を持つことになります。

人間創造にはさらにあと2つの働きが必要でした。水気とぬくみです。これで人間を創造する10の道具や働きが揃うことになります。水気とぬくみの2つは道具とは考えられていません。親神の根本的な属性であり、親神ご自身であると教祖は教えられました。教祖からお話を聞いた人々は、今から150年以上前の、ほとんど教育を受けていない、読み書きも満足にできなかったであろうとおもわれる、草深い田舎の農家の人々でした。この人々に親神の人間創造の話を取り次ぎ、理解させることは至難の業であっただろうと思います。教祖は海や川の魚を例えに使って、聞く者に興味を持たせながら8つの道具の特徴を教えておられます。また、聞いてわかりやすいように、いろいろ工夫をこらして、何回も繰り返してお聞かせ下されたのです。

それでは、話を変えて、次に天理教の人間救済の道についてお話したいと思います。

教祖が教えられた根本の人間救済の道は一つだけです。それは、人間創造の元の地場でおこなわれる、つとめと呼ばれる特別な形式の祈りです。

つとめは、1部と2部に分かれています。最初が、人間創造の元の地場に人間創造の証拠として建てられてある,かんろ台を取り囲んで行う祈りで、それが終わると続いて、128のお歌に振り付けをして踊る、手おどりと呼ばれる祈りが行われます。

この2部形式の祈りで,どちらがより深い意義を持つかと言いますと、かんろ台を取り囲んで行う最初の祈りの方で、たすけづとめと呼ばれます。このたすけづとめが人間創造の原理をそっくりそのまま表現したものです。しかも、大変興味深いことは、このたすけづとめは、2重構造になっており、人間創造の原理に重ねられて、人間救済の祈りが行われるのです。正に、この点が天理教という宗教の大変大きな特徴となっています。

まず、たすけづとめの、どこに、人間創造の原理があるのか簡単に見てみたいと思います。

A まずこのたすけづとめの場所です。 

-人間元初まりの地場でのみ行われます。地場以外の場所で行うことは許されていません。

-人間元初まりの地場にお鎮まりになっている親神を中心に行われます。

-人間創造の証拠として建てられたかんろ台の回りを取り囲んで行われます。

B 次にこのたすけづとめの役割です。

-10の役割があり、男5人、女5人の10人でつとめられます。

-10の役割は、親神が人間創造の時使った8つの道具、すなわち夫婦が2つ、男女の性が2つ、人間の身体をつくるための道具が4つ、それに加えて親神ご自身の働きである水気、ぬくみの2つの働きを代表しています。

-10人はそれぞれの役割を表現する面をかぶります。

C 次にこの10人の配置です。

-夫婦の役割以外の8人は、かんろ台を中心に、それぞれが人間創造の時に呼び寄せられたり、関係した方角に配置され、互いに向かい合って立ちます。夫婦の役の人は横の方に2人だけで対面して立ちます。

以上のことからおわかりのように、たすけづとめの舞台は、まさしく太古の人間創造の舞台を原理的に復元したものになっているのです。

それでは次に、どのように人間救済の祈りが、その原理に重なり合っているかをご説明したいと思います。

A まず、たすけづとめの祈りの言葉です。

教祖は、3種類の祈りの言葉を教えられました。大切なことはこの祈りの言葉は朗読されるのではなく、教祖に教えられた9つの楽器が演奏する音色に合わせて、陽気な調子で歌われるということです。この9つの楽器も、人間の身体の9つの道具を表していると言われており、人間創造に何らかの関係があると思われます。

-最初の祈りの言葉は、「あしきを払うてたすけたまえ天理王命」です。21回繰り返して歌われます。これは、人間が親神に対してたすけを願い祈るものです。

-2番目の言葉は、「ちょと話、神の言うこと聞いてくれ、悪しきのことは言わんでな、この世の地と天とを型どりて、夫婦をこしらえ来るでな、これはこの世のはじめだし」です。1回だけ歌われます。これは、親神から人間に対しての話しかけで、夫婦を創ることからはじめた人間創造の原理を教えられたものです。

-3番目の言葉は、「悪しきを払うてたすけ急き込む一列澄ましてかんろ台」です。7回繰り返して歌われて、また7回、また7回と3度計21回くりかえされます。ここには、親神による人間救済の道が教示されています。

おわかりのように、たすけづとめの3種類の言葉は、親神と人間の対話形式になっています。いわば、人間の21回の願いに対して、親神は、人間創造の原理を1回と、人間救済の道を21回説き聞かしておられるわけです。

B 次にたすけづとめの手振りです。

教祖は、この3種類の祈りの言葉に手振りを付け、歌としてだけでなく、踊りとしても教えられました。人間創造の時の10の役割に選ばれた方々が手を振ります。この手振りは、秘密にされているわけではありませんが、地場以外では行われませんから、一般には教えられていません。この手振りにも、人間創造の原理と人間救済の祈りを表現する手振りがあります。

このように、たすけづとめは、教祖に教えられた祈りの言葉を、楽器の音色に合わせて歌い聞かせ、踊って見せて、歌う者も、聞く者も、踊る者も、見る者も、自然に心が明るく勇んで、神人和楽のできる陽気ぐらしの心へとたて変わって行くように配慮されているのです。それで、教祖は、たすけづとめを、陽気づとめとも呼んでおられます。

以上、ざっと、人間創造の原理の上に人間救済の祈りが重なっている、たすけづとめの特徴について見てきたのですが、では、親神はなぜ、このような特異な構造を持つたすけづとめを、救済の道として、人間に教えられたのでしょうか。

それは、人間創造は、時間的には遠い過去の出来事であっても、親神の創造目的とお働きは今、この場に脈々とひき継がれ、生きているのだということを、人間に教えるためではないかと思います。今ここに、親神の子供として命が与えられ、その親に守られ安心して人生を楽しむことができる喜びを心に、人間としての主体性を持って、陽気ぐらしを生きることが大切なことではないでしょうか。

教祖は、「このつとめで命の切り替えするのや。大切なつとめやで」と教えられました。

おふでさきには

いままでも 今がこのよのはじまりと
ゆうてあれども なんのことやら    7-35

いままでは この世はじめたにんげんの
もとなることを だれもしろまい    16-1

このたびは このもとなるをしっかりと
どうぞせかいへ みなおしえたい    16-2

月日には 人間はじめかけたのは
陽気遊山が みたいゆえから      14-25

世界にはこの真実を知らんから
みなどこまでも いずむばかりで    14-26

とうたわれています。

また、続いて

これからの 親のたのみはこればかり
ほかなることは 何もいわんで     15-27

このことを 何をたのむと思うかな
つとめ一条の ことばかりやで     15-28

このつとめ これがこの世の始まりや
これさいかのた ことであるなら    15-29

とあります。

たすけづとめは、その意味合いから、元の地場からは動かせません。しかし、つとめは、今日、お許しをいただいて世界中で行われています。当然、形式はたすけづとめと少し異なりますが、楽器も祈りの言葉も同じです。

このヨーロッパの地でも、出張所を中心に各地でつとめがおこなわれていますが、もっともっと多くの国で、町で、家庭で、つとめをさせていただいて、親神様、教祖様にお喜び頂けるようになりたいものだと思います。

誰かに聞いた話ですが、「たすけづとめは大きなポンプのようなもので、山の頂上にある貯水池に、どんな病気でもたすかる、どんな事情でもたすかる水をじゃんじゃん溜めていて、ふもとにいるわたしたちは自分の家で水道の蛇口をひねるだけでいいのです」という話でした。

水道の蛇口をひねるか、ひねらないかが分かれ道ですが、その前に、できるだけ多くの人に、この水道の蛇口があることを知ってもらうことが先決ではないかと思います。日頃から心して、お互いしっかりお取り次ぎさせていただきたいと思います。

ご静聴ありがとうございました。

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