Tenrikyo Europe Centre

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2022年8月月次祭神殿講話

ヨーロッパ出張所役員 岩切耕一

親神様が人間世界にはじめて現れたのは、今から185年前の1838年10月24日のことでした。親神様は、教祖中山みき様のお口を通して、「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降った。みきを神のやしろに貰い受けたい。」と告げられたのです。

中山家にとって、このお告げは簡単に受け入れられるものではなかったため、親戚一同が集まっていろいろ相談し、お断りしたのですが、親神様はがんとしてお聞き入れになりませんでした。仕方なく、夫である中山善兵衛様は親神様に「みきを差し上げます。」とお答えになりました。こうして中山みき様は「神のやしろ」にお定まりになり、1838年10月26日天理教が始まったのです。

「神のやしろ」にお定りになった教祖は、この日から御身をお隠しになるまでの50年間、親神様の思召しを人間に伝えられました。教祖は、その思し召しを口でお話しになっただけでなく、直々筆に書き記され、また日々の行いを通して伝えられました。現在、口で話された内容は「こうき本」として書き残されていますし、直々書き記されたものは「おふでさき」という本になっています。また、行ないに示された50年間の歩みは「ひながた」と呼ばれ、天理教信仰の目標となっています。教祖伝逸話篇には主な200の逸話が「ひながた」として紹介されています。

教祖が伝えられた親神様の思召しとは、親神様が人間をお創りになった目的や方法を意味しています。それは、教典第3章に書かれています。「この世の元はじまりは、どろ海であった。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた。」ということです。

すなわち教祖が人間に教えられたのは、世界中の人間は親神様を共通の親とする兄弟姉妹であり、仲良く助け合いながら陽気ぐらしをするために生きているのだということでした。

教祖は50年のひながたの前半に「おびや許し」を人間に与えられました。そして後半に、よろづたすけの方法として「たすけづとめ」を教えられました。そして、御身をお隠しになった後、ご存命の教祖として、病気を癒すための「さづけの理」を広く一般にお渡しくださいました。天理教は、この3つの方法で、親神様の人間創造の目的である陽気ぐらしを、この世に実現しようとする宗教です。

天理教は、物や金があるから陽気ぐらしができるとは考えずに、どんな環境にいても、心ひとつで陽気ぐらしができると教えています。病気であっても健康であっても、陽気ぐらしができることに変りはありません。教祖陽気ぐらしができる最も理想的な心を「誠真実の心」と教えられています。世界中の人間が「誠真実の心」になった時には、人間は115歳を定命に、病まず、死なず、弱らずに生き続けることができると教えられています。

では、どうしたらこのような「誠真実の心」になれるのでしょうか。天理教教典第8章には「たんのうの心が治まり、ひのきしんに身が勇んで、欲を忘れる時、ここに、親神の思召しにかなう誠真実があらわれる。」とあります。

このことは、昨年9月のヨーロッパ出張所創立51周年記念祭の真柱様のメッセージの中にも述べられています。

私たちが道を通る上に心掛けることは、「たんのうとひのきしん」ではないかと思うのです。たんのうという言葉の意味は、これで十分に足りている、という意味ですから、もしも自分の心に不足があれば、たんのうはできないと思うのです。日常にどんな事が起こっても、自分の考え方の根本を親神様の元の思召に置き、教祖はどのように諭されていたかということを思い出して、不足を治め、喜びに替えていく努力を積み重ねていくうちに、少しずつたんのうの心が養われていくのではないかと思うのです。

「たんのうの精神」に関しては次のような教祖のご逸話があります。

142 狭いのが楽しみ

深谷源次郎が、なんでもどうでもこの結構な教えを広めさせて頂かねば、と、ますます勇んであちらこちらとにをいがけにおたすけにと歩かせて頂いていた頃の話。当時、源次郎は、もう着物はない、炭はない、親神様のお働きを見せて頂かねば、その日食べるものもない、という中を、心を倒しもせずに運ばせていただいていると、親様はいつも『狭いのが楽しみやで。小さいからというて不足にしてはいかん。小さいものから理が積もって大きいなるのや。松の木でも、小さい時があるのやで。小さいのを楽しんでくれ。末で大きい芽が吹くで。』と、仰せ下された。

また真柱様は、同じメッセージの中で次のようにお話になりました。

ひのきしんは、信仰の喜びを日々の行いに現すことで、その行いの基本となるところは、親神様への感謝の思いであります。親神様から頂戴する御守護の数々に対する感謝の気持ちがその人の心の中にあるかどうかということが、ひのきしんをする上に一番大切な点であります。親神様のお恵みを身に感じ、守られている実感を味わう時、自ずと親神様への感謝が沸き上がり、それが行いの姿に現れてくるのであります。だからひのきしんには決まった形はなく、様々であります。そして親神様は、こうした私たちの姿勢を真実としてお受け取りくださり、それぞれに徳を授けて下さるのであります。

ひのきしん」に関して次のような教祖のご逸話が残っています。

144 天に届く理

教祖は、1884年3月24日から4月5日まで奈良監獄署へ御苦労下された。鴻田忠三郎も10日間入牢拘禁された。その間、忠三郎は、獄吏から便所掃除を命ぜられた。忠三郎が掃除を終えて、教祖の御前にもどると、教祖は、「鴻田はん、こんな所へ連れて来て、便所のようなむさい所の掃除をさされて、あんたは、どう思うたかえ。」と、お尋ね下されたので、「何をさせて頂いても、神様の御用向きを勤めさせて頂くと思えば、実に結構でございます。」と申し上げると、教祖の仰せ下さるには、「そうそう、どんな辛い事や嫌な事でも、結構と思うてすれば、天に届く理、神様受け取り下さる理は、結構に変えて下さる。なれども、えらい仕事、しんどい仕事を何んぼしても、ああ辛いなあ、ああ嫌やなあ、と、不足々々でしては、天に届く理は不足になるのやで。」と、お諭し下された。

このように「誠真実の心」は、「たんのうとひのきしん」によって得る事ができると教えられますが、お分かりのように、そのすべての元になるのが、親神様に対する感謝の心です。教祖は、食べ物がない貧のどん底をお通りになっていた頃、次のようなご逸話をお残しになっておられます。

末女のこかん様が、お母さん、もうお米はありません、と、言うと、教祖は、『世界には、枕元に食べ物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さんと言うて苦しんでいる人もある。そのことを思えば、わしらは結構や、水を飲めば水の味がする、親神様は結構にお与え下されてある。』と諭された。

ご承知の方も多いと思いますが、ご本部では4年後の2026年に教祖140年祭が勤められます。生きている喜びや親神様のお与えに心から感謝して、しっかりと人だすけに励み、ご存命の教祖にお喜びいただきたいものと存じます。

ご清聴ありがとうございました。

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