Tenrikyo Europe Centre

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2016年2月月次祭神殿講話

内子・パリ布教所長 松川高明

去る1月26日親里おぢばにおきまして、教祖130年祭が寒さ厳しき中にも好天に恵まれ、勇み心一杯の中でつとめられました。当日は約20万人の参拝者が集い、四方の礼拝場はもとより、神苑一帯は大勢の人で埋め尽くされました。日本国外からも約30の国・地域から2,800名を超える人々が帰参され、ここヨーロッパからも大勢の方が帰参されました。

祭典の前日、25日にヨーロッパから帰参した教友が神殿に参集。一緒に御礼のおつとめをつとめた後、回廊拭きひのきしん、記念建物見学、かぐら面展示見学などを行いました。記念建物というのは、明治21(1888)当時のお屋敷の主な建物が保存されているものです。それは、次の四つになります。本教最初の神殿であるつとめ場所、教祖のお居間として使用されていた中南の門屋と御休息所、そして内蔵です。いずれも稿本教祖伝に出てくる重要な場所であります。

私はこれらの建物を見学しながら、教祖ご在世当時の様子を思い浮かべておりました。中でも教祖が現身を隠された場所であるご休息所では、明治20(1887)年陰暦正月26日の午後2時ごろ、つまり今から130年前に教祖が、この場所でかぐらづとめの音を聞きながら満足げに現身をお隠しになられたのだという、本教にとって最も重要な一場面を思い出さずにはいられませんでした。そして、命を賭しておつとめをつとめ終えたつとめ人衆たちは、教祖はきっとお元気になられるものとばかり思っていたのに、図らずもその御身をお隠しになられたことがすぐには理解できず、ご休息所の隣の内蔵の二階でようやく飯降本席からおふぎの伺いによって、教祖が御身をお隠しになられた真の理由を聞くわけであります。そういったもろもろの出来事が、これらの記念建物を見ているうちに頭に浮かび上がってきました。

そして、迎えた教祖130年祭。私は運よく前の方に座ることができましたので、かぐらづとめのお手をよく見ることができました。ご承知の方も多いと思いますが、おぢばでつとめられるかぐらづとめのお手は、第一節「あしきをはらうて、、、」の最後の「みこと」の部分のお手が違います。くにとこたちのみこと様はお月様の理、をもたりのみこと様はお日様の理、くにさづちのみこと様はつなぐ理、月よみのみこと様は突っ張る理、くもよみのみこと様は押し出す理、かしこねのみこと様は風の理、たいしよく天のみこと様は切る理、をふとのべのみこと様は引き出す理、いざなぎのみこと・いざなみのみこと様は夫婦の理を、というように男女五人ずつの十人のつとめ人衆が、親神様の十全の御守護を、それぞれ異なる手振りに表してつとめられるのであります。たいしよく天のみこと様だけは例外で、21偏のうちの最後の3偏だけ切る理のお手をなさいます。

私は東礼拝場の結界前に座ったので、西側のをふとのべのみこと様の引き出す理のお手がよく見えました。また、その両隣の風の理のかしこねのみこと様と突っ張る理の月よみのみこと様のお手も少し見ることができました。ちなみに、月よみのみこと様のお役は、昨年九月にヨーロッパに初めてお越しいただいた、真柱後継者であられる大亮様がおつとめになられていました。

かぐらづとめは、親神様が人間を宿し込まれた元の場所である「ぢば」に、その証拠として据えられたかんろ台を囲んでつとめられます。昨年の10月に据え換えられて真新しくなったかんろ台を囲んで、十人のつとめ人衆がそれぞれの道具衆の働きを表すかぐら面を付けて、立ったまま踊るのであります。つとめ人衆、鳴り物が地方の声に合わせて、一手一つに唱和し踊る姿を拝していると、この世の元始まりの元なる世界へといざなわれていくようで、それはそれは不思議な気持ちがしたのであります。正に天理教教典第三章「元の理」でお示しいただく、人間創造の話がよみがえってくるような気がいたしました。

ここで、教典第三章「元の理」の冒頭の部分を少し、引用させていただきます。

『この世の元初りは、どろ海であつた。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた。

そこで、どろ海中を見澄されると、沢山のどぢよの中に、うをとみとが混つている。夫婦の雛型にしようと、先ずこれを引き寄せ、その一すじ心なるを見澄ました上、最初に産みおろす子数の年限が経つつたなら、宿し込みのいんねんある元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせようと約束し、承知をさせて貰い受けられた。

続いて、乾の方からしやちを、巽の方からかめを呼び寄せ、これ又、承知をさせて貰い受け、食べてその心味を試し、その性を見定めて、これ等を男一の道具、 及び、骨つっぱりの道具、又、女一の道具、及び、皮つなぎの道具とし、夫々をうをとみとに仕込み、男、女の雛型と定められた。いざなぎのみこと いざなみのみこととは、この男雛型・種、女雛型・苗代の理に授けられた神名であり、月よみのみこと くにさづちのみこととは、夫々、この道具の理に授けられた神名である。

更に、東の方からうなぎを、坤の方からかれいを、西の方からくろぐつなを、艮の方からふぐを、次々と引き寄せ、これにもまた、承知をさせて貰い受け、食べてその心味を試された。

そして夫々、飲み食い出入り、息吹き分け、引き出し、切る道具と定め、その理に、くもよみのみこと かしこねのみこと をふとのべのみこと たいしよく天のみこととの神名を授けられた。

かくて、雛型と道具が定り、いよいよここに人間を創造されることとなつた。』

このように、元の理のお話の中で、親神様が人間創造を思いつかれた目的と、その過程を端的にお示しくださっているのであります。教祖は、かぐらづとめによって、親神様の人間創造の不思議な働きを今に表し、ほこりにまみれた私たちの心を、人間創造の時と同じ無垢な心に生まれかわらせてくださるのだとお教えくださいます。

私は祭典前日にかぐら面の展示を見学していたので、祭典中はそのかぐら面を思い浮かべながら、また、それぞれの道具衆の働きをかみしめながら、人間創造時の様子がこのかぐらづとめによって再現されているのだなと強く感じ入っていました。正にかぐらづとめを拝するということは、私たちの元を知ることにつながり、また元の親、実の親とお聞かせいただく親神天理王命様の十全の御守護を深く味わわせていただく絶好の機会となるのであります。

ここヨーロッパ出張所では、今から三年前に、この教祖130年祭に向かう三年千日活動の基本方針を打ち出し、また四つの具体的な成人目標を挙げて、これまで年祭活動に取り組んでまいりました。

ここに、今一度、それを振り返ってみたいと思います。

まず、基本方針は、「仕切っての成人-ひとだすけの実行-」です。

そして、成人目標は次の四つであります。

一つは、おつとめをつとめよう-おてふり鳴り物の練習-です。
二つは、身近なひとだすけを実行しよう-小さな事でもすぐに声をかける-です。
三つは、おさづけを取り次ごう-十全の守護、八つのを伝える—です。
四つは、子供に信仰の喜びを伝えよう-家庭内で信仰の話を増やす-です。

また、これらの四つの成人目標に加えて、教祖130年祭までに、1万3千回のおさづけのお取り次ぎと、今年の終わりまでに修養目的でおぢばがえりをする人を350名お与えいただく、という達成目標を掲げました。おかげさまで今日現在、どちらも達成目標数を超えているとのことであります。

私たちはこれまでそれぞれの立場で、この年祭活動を勇んでつとめてきたと思います。真柱様は教祖130年祭の祭文の中で、年祭を成人の節目として歩んだ三年千日を、恙無くお連れ通り頂いたことに御礼を申され、「ここに改めて、教祖の道具衆たる自覚と喜びを高め、年祭を目指して励み培った力を生かして、たすけ一条の更なる前進をお誓い申し上げます。」と奏上なさいました。

また、祭典に続く真柱様のお言葉の中で、真柱様は年祭後の歩み方について、次のようにお話しくださいました。「何にも増して道の将来を担う人材を育成する必要性を強く感じる。三年千日の中で蒔いた種が、実を伴うよう努めるとともに、これからの活動の中で、長い目で人を育てる取り組みを始め、陽気ぐらし世界実現への着実な歩みを勇んで踏み出していただきたい。」と強くお求めになりました。言うまでもなく、10年ごとにつとめられる教祖の年祭は決してゴールではありません。次に迎える教祖140年祭に向けて、より具体的な方針をご明示いただいたと、私は真柱様のお言葉を拝聴しながら、強く感じました。「道の将来を担う人材を育成する」ということは、それは即ち、教祖の手足となっておたすけのできる人材を育成すること、そしてよふぼくの丹精にほかならないと思います。

私たちは今、次なる塚である教祖140年祭に向けて、新たなる一歩を踏み出したところであります。持ち場立場はそれぞれ異なりますが、同じ目標に向かって、お互いに励まし合いながら、これからも精一杯勇んでつとめさせていただきましょう。

ご清聴、ありがとうございました。

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