Tenrikyo Europe Centre

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2022年4月月次祭神殿講話

明和パリ布教の家担当 小林弘典

皆さんは、「どうすれば天理教の信者になれますか」と聞かれたらどのように答えられますか。あるいは、「あなたは天理教の信者ですか」と尋ねられたら、どうお答えになりますか。

本日は数年前にあったある方とやり取りをお話しさせていただきながら、共に考えさせてもらいたいと思います。

その方は以前私達の家の近所に住んでいた日本人女性です。お子さんが二人いました。上は女の子、下は男の子です。上の子は、私の長男と同じ年ということもあり、家族ぐるみで親しく付き合っていました。そのうち、出張所で行われる少年会の行事や、チャリティーバザーのお手伝いなどにも加わってくれるようにもなりました。

私のうちには親神様をお祀りしています。お社には毎日お供え物をしておつとめをしております。そして、月に一度、第一日曜日には講社祭りを行っています。講社祭りは、通常私達夫婦と子どもたちでつとめるのですが、時々、友人や知人が来てくださることもあります。

ある日、家内が彼女にも声をかけたところ、二人のお子さんを連れて来てくれました。子ども達も拍子木やちゃんぽんなどの鳴り物を持って、共におつとめの地歌を唱和しながら、大変和やかに講社祭をつとめさせていただきました。

それからは、ときどき親子で来られ、私達家族と共に講社祭りをつとめさせてくださるようになりました。

普段、講社祭りは午前11時頃から始めます。ですから、だれかをお誘いする際は11時頃来てくださいと言っています。それまでに、私達夫婦はお社を祀ってある部屋の掃除をしたり、お供え物をしたりして、準備を整えています。

ある月の講社祭りの日でした。その日も、彼女は講社祭りに来てくれることになっていました。ところが、その日は開始予定時間よりかなり早く二人のお子さんを連れていらっしゃいました。私は、まだ準備ができていないので戸惑いました。

すると、彼女は言いました。

「今日は奉仕活動をさせてもらおうと思って来ました。」

彼女をよく見ると、何か入った袋を持っています。中には、お手洗いや浴室を掃除するための道具と洗剤が入っていました。そして、二人のお子さんといっしょに、我が家のお手洗いと浴室の掃除をさせてもらいたいと言うのです。

私は、びっくりして、しばらく呆然としてしまいました。

ひのきしん」という言葉は皆さんもよくご存知だと思います。しかし、私も家内も、彼女に講社祭りの日に我が家で「ひのきしん」をしてくださいと言った記憶はありません。ましてや、我が家のお手洗いや浴室の掃除などをしてくださいなどとお願いするはずがありません。彼女は、「ひのきしん」という言葉ではなく、「奉仕活動」という言葉を使いました。

皆さんは、自宅に招いた友人からお手洗いや浴室の掃除を申し出られたらどうなさいますか。よほどのことがない限りお断りするのではないでしょうか。

確かに我が家には親神様をお祀りしてありますが、出張所のような多くの人がより集う施設ではありません。いわゆる、普通のアパートです。しかし、普通のアパートとはいえ、天理教の拠点の一つです。そして、そこには日本の教会から託された親神様のお社をお祀りし、私はそれをお預かりしています。

彼女は「奉仕活動」という言葉を用いましたが、お道の教えではこれは立派な「ひのきしん」と言えるのではないかと思いました。ですから、お断りするわけにはいかないと思いました。私達は、内心若干のためらいはありましたが、「ありがとうございます」と彼女の申し出を快く受け取りました。

彼女は申し出通り私達が講社祭の準備をしている間、お子さんといっしょにお手洗いと浴室を掃除してくれました。お手洗いと浴室は見違えるようにきれいになりました。ということは、お手洗いも浴室もそんなにきれいではなかったことになります。そんなことを考えると、少し恥ずかしい気持ちもしましたが、何よりも彼女の意志と行動力に感心させられました。

その日の講社祭りは、いつものように行われました。

我が家の講社祭りの後には、いつも直会をします。直会では、お供えしたパンや野菜などを使って、サンドイッチを食べるということになっています。その日もいつものようサンドイッチを食べ、食後のデザートも済ませました。すると、突然彼女が私に聞きました。

「どうすれば天理教の信者になれますか。」

私は、平素からお道の教えについて聞かれたら、何でもきちんと答えられるように自分なりに勉強をしているつもりでいました。ところが、この質問に対する答えは準備できていませんでした。ですので、一瞬黙り込んでしました。しかし、このまま黙っているわけにもいきません。そこで、何か言わなければと、口を開きました。

これは私の個人的な見解であり、公式なものではないことを、最初にお断りしておきます。

実は、天理教には「信者」という明確な定義はありません。「私は今日から天理教の信者になります」といった誓約書や儀式のようなものはありません。ですから、あなたが「私は天理教の信者だ」と言えば、あなたは信者と言えるということになります。一方、あなたが「私は天理教の信者ではない」と言えば、あなたは信者ではないということになります。

しかし、いくらあなたが私は天理教の信者だと主張しても、周囲がそれを認めるかどうかは別です。例えば、教えを何も知らない、おつとめもしない、ひのきしんもしない、お供えもしない、教会へ参拝にも来ない、こういった方が、「私は天理教の信者だ」と言っても、周囲はその人を信者として認めないでしょう。

一方で、「私は天理教の信者ではない」と言っても、教えを学び、おつとめをつとめ、ひのきしんもし、お供えもし、教会へ足を運んでいれば、周囲はその人のことを天理教の信者だと思うでしょう。

今日、あなたはお子さんを連れて、我が家の講社祭に来ました。そして、私達といっしょにおつとめをつとめました。また、講社祭の前には、我が家のお手洗いや浴室を掃除してくれました。天理教ではこういった行為を「ひのきしん」と言います。神前にはお供えもなさいました。私から見れば、今日のあなたの行動は模範的な天理教の信者です。

もし、どなたか第三者が今日のあなたの行為を見ていたとすればどうでしょう。間違いなく、あなたのことを天理教の信者だと思うでしょう。

あなたが天理教の信者になりたければ、今すぐにでもなることはできます。そして、辞めたければ、翌日辞めることもできます。つまり、あなた次第ということになります。

また、天理教の信者と言っても、いろいろな解釈があります。もし、あなたが私に対して「あなたは天理教の信者ですか」と質問すれば、私は恐らく躊躇なく「はい、そうです」と答えるでしょう。なぜなら、我が家には親神様のお社をお祀りし、毎朝おつとめをつとめ、月に一度は講社祭りを行っているからです。さらに、月に一度は出張所の月次祭でもおつとめをつとめています。ヨーロッパ主張所では役員という肩書もあり、セミナーでは講師もつとめさせていただいています。どこからどう見ても天理教の信者ですよね。

しかし、もし、天理教の偉い先生から「あなたは天理教の信者ですか」と尋ねられたらどうでしょうか。自信を持って「はい、そうです」と答えられないかもしれません。なぜなら、この質問は、表向きは確かに天理教の信者のようではあるが、はたして日々教えに沿った生き方ができていますかという意味だからです。

たとえ、鳴り物手おどりができなくても、教えを学び、その一つを忠実に生活の中で実行できれば、それだけでも天理教の信者だということもできると思います。天理教では、どれだけ親神様の思召しに沿えるかということが大切なのです。

私は、話しているうちにだんだん変な気持ちになってきました。

最初、彼女の質問に答えているつもりだったのですが、親神様、あるいはおやさまが私の口を通して私自身に言っているように思えてきたからです。そして、私はそれ以上話せなくなってしまいました。

すると、今度は彼女話し始めました。

私の祖母は熱心に仏教を信心していました。祖母の熱心に信仰する姿は、今でも私の記憶に鮮明に残っています。私自身は信仰ということについては、これまで真剣に考えたこともなかったし、特に何もしてきませんでした。しかし、今、信仰されている方々が身近に見ていて、信仰は大切だと思えるようになりました。そして、自分も何かしなければと思ったのです。

その当時、彼女は大きな人生の大きな岐路に立たされていました。自分自身、また、家族やお子さん方の今後の人生について、真剣に悩んでいたように思います。人間思案のみによらず、積極的な信仰的な行動により自ら答えを求めていく、その行為に私は改めて感心させられました。同時に彼女のおばあさんの信仰も、彼女のそのような行動に大きく影響を与えているのではないかと思われました。

人一人の信仰の影響力は、決してその人だけに留まるものではありません。私達一人一人の信仰は時間と空間を超えて伝達していくものだと思います。私は彼女とのやりとりを通して、改めて、信仰の大切さと、信仰するとはどういうことなのかということについて考えさせられました。

皆さん方も、それぞれのお立場で日々お考えのこととは思いますが、今日のお話がそういった際のご参考になれば幸いに存じます。

たった今、皆さん方と共に月次祭をつとめさせてきました。ともに唱和した「みかぐらうた」の中には、親神様の教えが詰まっています。たとえ些細なことであっても、生活中で実行していこうと努力することで、自らの信仰の価値も高まるのではないでしょうか。

来月はこの出張所でチャリティーバザーの開催が予定されています。この天理教ヨーロッパ出張所の月次祭、各種行事を通して、お互いの信仰を深めて合っていけることを願いつつ、本日の講話を終えさせていただきたいと思います。

ご清聴、ありがとうございました。

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