Tenrikyo Europe Centre

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2014年6月月次祭神殿講話

飾東巴里出張所長 角本もと子

この4月に、ヨーロッパ出張所で少年会お泊り会が行われました。

一日親から離れて過ごした子供達や、親と共に過ごした子供達もいました。子供達は、お姉ちゃん・お兄ちゃんの係員と楽しく過ごした事と思います。この少年会お泊り会の中で家では経験できない事も沢山学べたと思います。団体生活、おてふり鳴り物練習、ゲーム、パネルシアターと色々と行わせて頂き、親神様の御守護により、無事に勤めさせて頂く事が出来ました。誠に有難い事です。

子供というのは親の見ていないところで沢山の事を学び、吸収し、すくすくと育って行ってくれます。世間では親は子に色々な事を教え、教育をする義務があると言われていますが、子供は親が教える以前に、すでに生きる為、育つ為の方法を知っているのです。前真柱様、中山善衛様の書かれた「喜びの日々」という本には次のように書かれています。「たとえば、生まれた子供は、生まれたその瞬間から、泣き声を上げて息をすることを知っていますね。眠ることも、乳を飲むことも知っており、泣き声に変化をつけて自分の気持ちを現す事も出来るのです。」

私自身、子供をお与え頂いて、すぐに母乳を飲ませた事にすごく感動致しました。これらは子供の持って生まれた本能の働きであると言われますが、これは人間の力を超えた働きであり、これこそ親神様の御守護の現れだと思います。親の仕事はそれをお手伝いさせて頂く事でしょう。

また、前真柱様はこのように書かれています。「一人々々の子供には、それぞれ与わるべくして与わった性格と生活力があります。これは親や子供の希望に関係なく持って生まれたものですが、理由なくして与わったものでは決してありません。生命が親から子供に引き継がれたことで、子供の中には、親の姿や心までも引き継がれているのです。ですから子供の姿は、親の姿なんです。」

例えば、親が食べものの好き嫌いをしていたら、子供はその親の姿を見て、自分も同じように好き嫌いをして育つ場合があります。親がしているのだから、自分もしても良いだろうと自動的の判断して行って行くのです。こうして、その事に気づく親は、子供に教える立場であると同時に子供に教えられ、子供に育てられる立場であるという事を考えさせられるのです。

真柱様はまた次のように仰っています。「親と子の繋がりとは不思議なもので、そこには理屈抜きにして子供というものは無条件に親を信じ、教えなくても親と同じことを致しますね。」

子供が親を信じる力はすごいものだと思います。それが子供の生きる力に繋がり、親の日々の過ごし方、行い方が子供の信仰心に繋がって行くと思います。

学校などで何か事が起きた時に、子供は親に尋ねます。その時の親の答え方が大切だと思います。このような事を通してだんだんと、子供に信仰心が目覚めて来ます。だから、親はいつも親神様の方へ心を向けて、信仰的な答えを出す事が大切になります。子供に信仰を伝える事は特別な事ではなく、日常生活の中で小さい時からいつも親神様を感じてもらって、感謝の気持ちを持ってもらうことが大切です。

おふでさきに書かれておりますように、

にんけんも一れつこともかハいかろ
神のさんねんこれをもてくれ十三号―27

にんけんもこ共かわいであろをがな
それをふもてしやんしてくれ十四号―34

親であれば、子供は可愛いものです。しかし、子供が可愛いという親の心がわからなければ、親神様の親心はわからないということです。ますます、親神様の心を世界の人々にお伝えする努力を積み重ねる事が必要だと感じています。

ヨーロッパ出張所に繋がる子供達が一日も早く神様の御用の出来る育成会員に成長して行く事を親神様、教祖が楽しみにお待ちかね下さっておられる事と思います。

御清聴頂きありがとうございました。

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