Tenrikyo Europe Centre

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2010年3月月次祭神殿講話

ナゴヤ・パリ布教所長 津留田正昭

只今は結構に3月の月次祭を勤めさせていただきまして、誠に嬉しく存じます。ご指名を頂きましたので,しばらくの間おつきあいの程、よろしくお願いいたします。

このところ、ハイチやチリなど、世界の各地で、地震で数十万人の人が犠牲になり、またフランスでも2週間前の豪雨、強風の影響で50名以上の尊い命がなくなりました。犠牲者の方々に対し心からご冥福をお祈り申し上げ、一日も早い復興と安からな暮らしが戻ることを願ってやみません

さて、先日の一月の大祭で、真柱様は「私たちようぼくの果たすべき役割は誠に大きい」と奮起を促していただいております。

では、私たち、教祖の御教えを聞かせていただいている者は一体何をすべきなのか、どんな形でこの教えを実践して行けばいいのかと云う点について考えてみたいと思います。

教典の第9章『ようぼく』の一節に、私たちの通り方を教えていただいております。

「ようぼくの使命はたすけ一条にある。それは自ら励んで天の理をよく心におさめ、身を以て教えの実を示しつつ、一言の話を取り次ぐにおいがけに始まる。そして、更に進んでは、なんでもたすかって貰いたいとの一念から、真心をこめてさづけを取り次がせていただくところに、珍しいたすけの実が現れる。」

と、私の信仰者の通り方を教えていただいております。

まず、私たちがすべきこととは、教えを実行することから始まります。

では、教えを実行するとは、具体的に云うと、どんなことをすればいいのでしょうか。

教祖の教えは、私たちにこの世の元始まりを教えられ,親を教えられたことが、全ての基本になっています。私たち人間は皆親神の子であり、人間はお互い兄弟と教えて下さいました。兄弟だからこそ助け合い、支え合って生きて行かなければならないのです。しかしながら、現実はそうではありません。本当の親子、夫婦、家族の中でも争いが絶えないのが現実です。自分の権利を主張し、心を傷つけ合って生きてしまっているのが、世界の実情であると思うのです。

こうした世界で、助け合いを実行することが、私たちの役割じゃないのかなと思わせていただくのです。

そこで、教祖の教え,すなわち助け合いの教えを実行するための三つのポイントを考えてみました。

1 周りの出来事に心を開く
2 自分にできる範囲で、人に喜んでもらう
3 自分自身が喜ぶ

1  周りの出来事に心を開く

今年は年頭から世界各地で地震災害などが多く、その悲惨な状況をテレビでもよく目にします。これは私がテレビを見ているから、私の目に映り,私が感じるのですが、普段の生活の中では,何となく暮らしていると、結構周りの状況がみえていないことが多くあるように思うのです。また、見ていても心が閉じているから、心にまで伝わってこないこともあります。

昨年、東京へ行きまして、地下鉄の駅でこんな光景に出会いました。

非常に長い下り階段を、若い女性がベビーカーを持ち上げて,一歩ずつゆっくり降りておりました。その女性の周りには、多くの人が同じように階段を降りて行くのですが,誰一人として、ベビーカーを持っている女性を助けようとしないのです。この光景を目にした時は、かなりショックでしたが、後になって考えてみると、 周りの人々は、助けようとしないんじゃなくて、この光景が目に入っていないんじゃないかと思ったのです。見えていないのですから、何もできないのは、当然ですね。

このような状況は毎日至る所にありますね。それをまず見る、心を開くことが肝心です。

たすけあいの第一歩は、目を開けて現実を自分の心に移すことだと、思います。

2 自分にできる範囲で、困っている人に手を差し伸べる

心に映ったら次は、自分に何ができるかを考え、それをできるだけ実行に移すことです。しかし,何も大きな活動をするとかではなく,日常の些細なことから始めればいいと思うのです。

例えば、 先程の地下鉄の状況では、手伝ってあげるような小さなことでいいと思うのです。

本席飯降先生は、教祖から『朝起き,正直,働き』という三つの宝を頂かれました。そして、それを生涯守って、誠心誠意つとめられました。どんなことをされたのかと云いますと,飯降先生は,毎日教祖のお屋敷まで通って来られたんですが,その道中、壊れた橋の桁を修理したり,水たまりを掃除されたと、聞いております。決して大きなことではなく、自分のできる範囲で,身の回りの些細なこと、目についたこと、自分のできる範囲から、助け合いを実行することは決してそんなに難しいことではないと思います。

電車でお年寄りに席を譲る。落ちているゴミを拾う。悩んでいる人がいれば話を聞かせていただく。私たちには実に様々な多くのことができると思うのです。心の垣根を取り払い、人のためにどんなことからでも実行させていただきたいものでございます。

また、私たちが身上に苦しむ人を前に、ようぼくとしておさづけを取り次がせて頂くことが最もいいのですが、それができない状況も少なくありません。しかし、私たちが皆できることがあります。それは、真実の心で親神様に祈ることです。祈るとは、私たちの心でできることですから、誰にも遠慮などは必要ありません。さらには、教祖に教えていただいたおつとめにこの祈りを込めてつとめることが、私たちができることのひとつでもあります。

3 自分自身が喜ぶ

そして、私たちができることの三つ目のポイントは、私たち自身が喜び、勇んだ毎日を過ごすことで、その姿を世界に映していくことです。これは、何も難しいことではありませんが、決して容易なことでもないと思うのです。

私たちは日常の暮らしのなかで、色々な場面に直面して暮らしております。それは決して嬉しいことばかりではありませんね。

身上になった時に喜ぶのは、容易にできることではありませんし、不条理な場面に出くわすと、不足の心を持つのが当然です。

しかし、助け合いを実践するには,私たちの心が明るく、開いていなければなりません。

そこで、どうすればいいのかと云うと、こんな心の体操をしてはどうでしょうか。毎日寝る前に、一日を振り返る時間をつくって、そこで「今日はいい天気だった。でも上司に注意された。昼ご飯はおいしかった。でも帰りの電車で人が多くて座れなかったなあ。」と振り返って下さい。そして、その中から,喜べそうなものだけを拾い集めてみると,意外と一日のうちで、喜べることが幾つもあることに気がつきます。そこに心を置いて行くと、今日も良かったと心の方向が切り替っていきます。これを繰り返していると、いつしか、自然と喜び勇んだ毎日へと心がかわってくると思うのです。

こうして、明るく喜んだ人の心は、きっと周りの人の心に響いて、その人の心をも明るくしていきます。これも助け合いの姿であり、教祖の教えを実行してくひつとでとある思うのです。

以上、教えを実行する上で、私が思います大切なポイントを三つお話しいたしました。

1 自分の心を開いて,しっかり目をあけて見る
2 自分にできる範囲で、困っている人に手を差し伸べる
3 自分自身が喜ぶ

そして、さらに心においておきたいことは、私たちは、教祖の教えを毎日実行するという自覚をもつこと、自分自身に言い聞かせることです。この自覚を忘れないで日々を通っていれば,自ずと先程の三つのポイントに心が向いて行くと思っております。毎日の暮らしの中にこそ、私たちのすべきことがたくさんあり、そこで教えを実践することが大切であると思います。

今年は,ヨーロッパ出張所40周年を迎える大切な旬です。9月には真柱様をお迎えして、記念祭がつとめられますが、お互いに心を外に向けて、親神様が望まれる助け合いの世界実現への日々を通らせていただきたいと、心からお願いを申し上げまして,本日のお話を終わらせていただきます。

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