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2011年6月月次祭神殿講話

教科育成部研修課長 永尾洋夫

【序文】
だだ今ご紹介いただきました永尾でございます。
これから、「天理教の家族観」というテーマで、夫婦や親子などの家族の治まりについてお話をさせていただきますので、おつきあい下さいますようお願いいたします。

真柱様お言葉】
真柱様は立教172年、今から2年前の春季大祭、婦人会総会、秋季大祭、いずれの際のお言葉も、家族団欒に関わる内容でお話しくださっています。いわば「家族」というテーマは、お道の中でもっとも大切なテーマの一つと言えます。
真柱様は、その理をご継承あそばされた際に、諭達第一号をお出し下されています。今から約13年前です。その諭達の中に、「人々は、我さえ良くば今さえ良くばの風潮に流れ、また、夫婦、親子の絆の弱まりは社会の基盤を揺るがしている。まさに今日ほど、世界が確かな拠り所を必要としている時はない。」と「夫婦、親子の絆の弱まり」を指摘され、「確かな拠り所」、すなわちこの道の教えの必要性を全教に対してお述べくださっています。家族団欒は、真柱様がご就任以来、ずっと大切だと思われていることなのです。
ここでまず、今申した真柱様の2年前のお言葉を振り返り勉強したいと思います。
春の大祭では、「親神様は、一れつの陽気ぐらしを見て共に楽しみたいと人間創造の目的をお明かしくださいましたが、陽気ぐらしとは、元のをやである親神様と、その子供である人間の、いわば家族の団欒であります。その究極の家族団欒を目指す私たちは、現実の生活においても、お道らしい家族団欒の姿を周囲に映していきたいものであります。」と、陽気ぐらしとは親である親神様と子供である人間の家族団欒であり、それに向かう私たち自身の家族団欒の大切さについてお教えくださっています。
また、同じ年の4月の婦人会総会では、「婦人会が陽気ぐらしの台となることを決めたことは、私が春の大祭で少しふれた家族団欒、教会の団欒をつくり出す台となることと相まって、社会全域に家庭団欒をつくり出すことであると指摘したいのであります。」とお話になりました。そして、「社会を構成する一番小さな集団である家庭の陽気ぐらし」を取り上げられ、その家庭の陽気ぐらしが、地域社会、市町村に及んでいくという内容のお話をしてくださいました。そして「その台は一軒一軒の婦人の陽気ぐらしによるといえるでしょう」と陽気ぐらしにおける、また家庭における婦人の役目の大切さについて言及されました。
そして、秋の大祭では、「家族団欒のためには、夫婦の和、一手一つが欠かせないと思います。その夫婦の理の重さを簡潔にお教えくだっているのが、「ちよとはなし」のお歌と手振りであります。」と夫婦について言及され、 さらに「夫婦は、天地抱き合わせの理を象るものであり、それは、元初まりの夫婦の雛型の一手一つの働きによって、元の子数が宿し込まれ、陽気ぐらし世界へ向けての第一歩が踏み出された理を受けるものであるとお教えくださっているのであります。」と夫婦の治まりが陽気ぐらしに向かう第一歩であると教えてくださっています。
また、「昨今は、この夫婦の絆の弱まりが家庭を壊し、子供を傷つけ、ひいては社会の基盤を揺るがしていると言われます。」と先ほど申しました諭達第一号の内容を再び用いられ、「夫婦の間柄の大切さを教えられているよふぼくが、今日の社会において果たすべき役割は極めて大きい。」と私たちの陽気ぐらしへ向かう役割の大きさを明示され、さらに、「お道の教えには、家族の問題への対処の手がかりになるものが、さまざまな形で含まれています。私たち自身の家族の治め向きに生かすだけでなく、身の周りにいる夫婦、あるいは親子の間の葛藤や悩みを抱かえる人たちに、教えの一端を伝え、たすけの手を差し伸べたい」と、教えに基づいて自分たち自身の家族を治めるだけでなく、その教えで他の家族に対してにをいがけおたすけをとその奮起をお促しくださっています。

真柱の理】
ところで、皆様にとって、真柱様とはどういう御方でしょうか。天理教教団のトップ、統率者。天理教で一番偉い人等々、いろんな返事が返ってきそうですが、私たち天理教を信仰する者にとっては、真柱様は存命の教祖と私たちを繋いでくださる理の要におられる御方であると申すことができます。おさづけを頂戴する時も、真柱様がご存命の教祖になり代わってお渡しくださいます。教会の様々な事情運びについても同様です。今私たちは、原典親神様・教祖の思召を求めることはできますが、直接教祖のお言葉を聞かせていただくことはできません。真柱様のお言葉は、いわば現在の道の信仰の指針をお示し下さる親神様からのお言葉だと私は受け取らせていただいています。

【教えを求める姿勢】
真柱様の家族に関するお言葉を聞かせていただき、その思召を心に治めた上で、続いて「天理教の家族観」について話を進めたいと思います。
これからの話は私自身の家族観をお伝えすることではありません。親神様の御教え、教祖のお言葉やご行動の中に、家族に関する思召を求めること、言い換えれば、原典やひながたに学ぶという謙虚な姿勢で話を進めたいと思います。それが、私たち信仰者には最も必要なことだと思います。

【信仰者と立教のご宣言】
 さて親神様が、私達人間にはじめてそのお言葉を聞かせてくださったのが、立教の時のお言葉です。

「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降った。みきを神のやしろに貰い受けたい。」

というお言葉でした。
ここで申し上げたい大切な点は、天理教が始まったその目的は「世界一れつたすけるため」ということです。言い換えれば、人間生活の究極の目的、私達人間が生きる目的は「陽気ぐらし」にあるということです。そのために人間をお創りになったということです。その目的に向かって歩むのが天理教の信仰者です。

【皆心は違う】
さて、私は、昭和36年、西暦1961年生まれの49才の中年男です。家族構成は、祖母、両親、妻、五男一女の六人の子供達と私、総勢11人家族で同居しています。大家族ですので、それぞれ自分勝手な心を遣っていたのでは無茶苦茶になります。やはりお互い心を遣いながら生活をしています。しかし、その中に教えというものが治まっていなければ、いかに心をお互いに遣っていても、治まる御守護がいただけません。

をやこでもふうへのなかもきよたいも
みなめへへに心ちがうで       五号―8

と、おふでさきにお歌いくださいます。
また、「おさしづには「親子兄弟同んなじ中といえども、皆一名一人の心の理を以て生れて居る。何ぼどうしようこうしようと言うた処が、心の理がある。何ぼ親子兄弟でも。(明治23年8月9日)」ともお教え下さいます。その皆銘々に心の違う家族がしっかり治まっていくのがこの道の教えなのであります。
おさしづに「皆夫婦と成るもいんねん、親子と成るもいんねん。どうでもこうでもいんねん無くして成らるものやない。夫婦親子と成り、その中よう聞き分けにゃならん (明治34年3月26日夜) 」とあります。親神様いんねんよせて家族として生活させておられるのです。どういういんねんかと申しますと陽気ぐらしをさせたいという人間創造の元のいんねんです。私たち一人一人が陽気ぐらしの心になるために、一番ふさわしい、一番必要な人を家族として配置しておられるということです。

【夫婦】
そして、家族の中でも、一番肝心なのが夫婦であります。
「このよのぢいとてんとをかたどりて ふうふをこしらへきたるでな これハこのよのはじめだし」とお歌いいただいていますように、この世のはじめだしは、夫婦です。陽気ぐらしをさせるためのはじめが、夫婦であるということです。陽気ぐらしの最小の単位が夫婦なんです。夫婦の陽気ぐらしができなければ、世界一列の陽気ぐらしは達成できません。
みかぐらうたに、夫婦について言われているお歌が二つあります。いずれも夫婦の治まり次第で、どんなご守護もいただけるといった内容です。

ふたりのこゝろををさめいよ
なにかのことをもあらはれる   四下り目二ッ

「夫婦の心を一つに結んで、誠真実に治めて通れよ。一切万事喜ばしい親神の守護が現れてくる。」ということであります。
また、

ふうふそろうてひのきしん
これがだいゝちものだねや     九下り目二ツ

「夫婦心を一手一つに揃えてひのきしんをする。これが第一の物種になる。」ということであります。ものだねとは、「一番必要な時に一番必要なものが何でも生えてくる種」のことです。すなわちどんなめずらしいご守護もちょうだいできる種のことです。天地の理を象って定められた夫婦は、陽気ぐらしの根本、基本であり、天の理であります。人生の幸福のすべては夫婦和合の上に授けられるといっても過言でないと思います。
ところが、そのことを頭で承知していながら、なかなか簡単に治まらないのが夫婦なんですよね。
私達夫婦は教祖百年祭の年、昭和61年、西暦1986年に結婚しました。結婚披露宴には、真柱様のお出ましを賜りました。真柱様お出ましの披露宴は、新郎新婦が真柱様の御前で、御礼と誓いのご挨拶を申し上げ、その後真柱様からお言葉をちょうだいして、すぐに乾杯で始まります。長い祝辞などは一切ありません。私は、そのとき戴いた真柱様のお言葉を指針に、今も夫婦としての歩みを進めています。そのとき戴いたお言葉の概要は、「お互いお道を通っている者同士であっても、違う家庭で生まれ、違う環境の中育ってきている。同じお道の者同士でも、考え方も違えば、感じ方も違う。その違った環境で育ってきた二人が夫婦になる。これから二人で通る道は良いときばかりではないと思う。だからこそ、今日教祖の御前でお誓い申し上げたことを生涯忘れずに通ることが大切である」といったものだったと思います。「結婚というめでたい時に、えらい厳しいお言葉やったなあ。他の人にはもっとやさしいお言葉なんだろうなあ。これは私に対する特別のお仕込みやなあ」と心を引き締めさせていただきました。しかし、その後いろんな披露宴に出席しますと、どのお出ましの披露宴でも同じ内容のお言葉を新郎新婦にお話しされていました。まさしく夫婦の心の治め向きの大切さをお教えくださったんだとありがたく思います。
好き同士で一緒になった夫婦ですが、そもそもは全くの他人です。男と女は、考え方も根本的に違います。そんな中を治めて通るには、自分の考えだけではかないません。そこにはやはり教えを求めるという姿勢が大切になってくるのです。
私たち夫婦は結婚して今年で25年になります。好き同士で一緒になりましたが、惚れた腫れただけでは結婚生活はできません。披露宴でいただいたお言葉のように、いろいろなことがありました。四世代同居家族で、しかも女が三世代いるわけですから、治まっていくのは並大抵じゃあありません。
じゃあどう治めていくのかと申しますと、それはこれから話しますいんねんの自覚とたんのうの心です。

【夫婦となるいんねんの自覚・たんのう
おふでさき

せんしよのいんねんよせてしうごふする
これハまつだいしかとをさまる     一号―74

とお歌いくださり、「おさしづには

夫婦の中と言うてある。夫婦皆いんねんを以て夫婦という。(明治24年11月21日)

といわれます。好き同士で一緒になったのかもしれませんが、そこには親神様が夫婦にしてくださったいんねんがあるのです。夫婦二人で陽気ぐらしをするいんねんです。
また、

これ夫婦いんねん見て暮らす、見て通るいんねん、よう聞き取れ/\。(明治24年3月22日)

ともあります。夫婦というものは、お互いにいんねん見て暮らし、いんねんを見て通るものです。そして

夫婦の中たんのう一つの理、互い/\とも言う。さあこれより一つしっかり治めるなら、いかなる事も皆んなこれ思うように事情成って来るという。(明治30年7月19日)

とありますように、このいんねんの自覚を持って、生涯変わらずに、互いにたんのうの心を治め、互いにたすけあいをして通る中に、どんな道も治まるのであります。
また、お道の夫婦は

夫婦の中の事情、世上という、世界という理が映ればどうもならん。(明治30年7月19日)

と言われるように、世上世界の理が夫婦の中の事情に映った通り方をしていてはどうにもなりません。世界並みの考え方でいてはだめだと言うことです。世間の夫婦がどういう通り方をしていようと、世間でいくら離婚率が上昇しようとも、お道の夫婦は関係ありません。お道の夫婦は、お互いに親神様から夫婦にしていただいたいんねんを自覚し、たんのうの心で、神一条で通る大切さを教えてくださっているんですから。

陽気ぐらしと誠の心】
教典に見るいんねんの自覚とたんのう
さてここで、いんねんの自覚とたんのうという言葉が出てきましたが、このことは、夫婦の治め向きだけでなく、陽気ぐらしへ向かう、誠の心にとっても、一番大切なことです。ようぼくの究極の心は誠の心であります。その誠の心になるプロセスが教典に書かれています。
天理教教典の第六章から十章は、「信仰篇」と言われます。陽気ぐらしへ向かう心の成人の歩みが書かれてあります。第六章は「てびき」という章題です。入信ということですね。そして、第七章は「かしものかりもの」。ここには、教えの理を聴きわけて、かしものの理を胸に治め、心のほこりを払い、いんねんの自覚をする、ということが書かれています。次に、第八章「道すがら」。ここには、たんのう、前生いんねんのさんげ、そして誠の心について書かれていて、第九章「ようぼく」、第十章「陽気ぐらし」へと続いていくのです。すなわち、教典には、「たんのう」に必要なのは、「かしもの・かりものの理」を心に治め、八つのほこりを払い、前生のいんねんの自覚をする事が大切だと教えられています。「たんのう」は、我慢、忍耐ではありません。かしものかりもののありがたさを実感する、感謝・喜びの心がその前提になっているのです。
陽気ぐらしへの道は、かしもの・かりものの教えを心に治め、心のほこりを払う努力を怠らず、いんねんを自覚し、たんのうの心で通ることが大切です。夫婦、親子、家族の団欒も同じことなんです。
《おかきさげ》
さて、私たちがおさづけを拝戴する時に頂戴する『おかきさげ』に書かれている最大のテーマは「誠の心」です。
「さあへだんへの席返すべの席をして」のいわば序文からはじまるおかきさげですが、本論に入る一番最初は「それ人間という身の内というは、神のかしもの・かりもの、心一つが我がの理」というかしものかりものの教理からはじまります。そして、我がの理である心の中で、自由用のご守護を頂戴できる心が誠の心であるとつながっていきます。だから、かしものかりもののご教理は、私たちようぼくの究極の心、すなわち誠の心にとって一番大切なものです。
おさしづにも

人間というものは、身の内かりもの八つのほこり、この理を分かりさいすれば、何も彼も分かる。そこで、たんのうという理を諭してやれ。(明治21年7月4日)

と仰せいただき、おふでさきにも

めへ/\のみのうちよりのかりものを
しらずにいてハなにもわからん    三号137

と歌われるところです。

《逸話篇》
夫婦の話の最後に、逸話篇の教祖のお言葉を見ていきますと

「夫婦揃うて信心しなされや。」(92夫婦揃うて)

と二人揃っての信心をお促しくだされ、

「この道は、夫婦の心が台や。夫婦の心の真実見定めた。いかな大木も、どんな大石も、突き通すという真実、見定めた、さあ、一年経てば、打ち分け場所を許す程に。」(189夫婦の心)

と夫婦の心を治めて通れば、どんなご守護もくださるとお引き受け下されています。これまで、おふでさきやみかぐらうた、そしておさしづを通して話してきたことと同じことを仰せになっています。
次に、夫婦と申しますと

「子供を育てるが役、夫婦も言う。 (明治27年7月16日)」と教えていただきますように、子育ては大切な役目です。それではこれから、親子について見ていきたいと思います。

【親子】
いんねん
おさしづ

親子となるいんねん理、聞き分け。親子それはどうでも、一日々々深くなる。親子分かろまい。一日の日の処、将来さしづ、皆いんねんいんねん以て寄る。(明治32年4月27日)

とありますように、親子の関係も夫婦と同様、いんねんで結ばれた関係です。陽気ぐらしをするためのいんねんです。

《親の立場から見た子》
では、これからまず親子について、《親の立場から見た子》という視点で考えてみたいと思います。
〈をびや許し〉
親になるためには、妊娠・出産ということを経験します。そして妊娠6ヶ月目以後になりますとをびや許しを頂戴できます。そのときのお話に「をびや許しは、人間の誕生が親神様のご守護の賜物である証拠にお出し下されているのであります。ですから、をびや許しを頂戴すれば、お産について心配する必要はございません。決して案じ心を出したり、ご守護を疑ったりせずに、親神様にしっかりおもたれすることがとりわけ大切な心構えであります」とあります。それまでの心がどうであれ、人間誕生の親神様のご守護を心の底から信じることができれば、どんな方であっても安産のご守護が頂戴できるのが、をびや許しです。いわば、親になるのは親神様のご守護を信じることからはじまるということです。ここに、私は親としての最初の信仰の確立を感じます。また、をびや許しが道明となって、天理教が広がっていったことを思えば、信仰の一番大切な点は、親神様のご守護を信じることであると言えるでしょう。ここでも、親神様のご守護、すなわち、かしもの・かりものの教理の大切さを仰せいただいているのです。

〈子は与え〉
また、よく「子供を作る」という表現を聞きますが、何か引っかかるものはないですか。私たちの思いで勝手に子供を作ることなど到底できるはずがありません。新婚さんが「しばらくは、二人きりの生活を楽しみたいから子供を作らない」という表現を使うことがありますが、私は何か違和感を感じます。
「さあ/\小児いんねん/\、あたゑ/\という。(明治22年6月16日)」とお言葉にあるように、子供は親神様からの与えであります。親神様のご守護を戴いてはじめて子供が授かるのですから。
また、「さあ/\与えたる小児は、親々の親という。親々の親を与えたるという。(明治22年6月16日)」とありますように、「親々の親」、自分と深いいんねんのある子供をお与えいただくのだと思います。

〈子供かわいい、親神の心〉
さて、「自分の子供が可愛くない親はいません」。この表現は一昔前なら、皆「そうだそうだ」と一様に頷いたものです。しかし、現在はどうでしょう。実の子を殺害するという忌まわしい事件が少なくありません。
おふでさきに、

にんけんも一れつこともかハいかろ
神のさんねんこれをもてくれ   十三号―27

にんけんもこ共かわいであろをがな
それをふもてしやんしてくれ   十四号―34

とお歌いくださっているように、子供が可愛いという心がわからなければ、親神様の親心はわからないということです。ますます、親神様の心を世間の人々に伝える努力を積み重ねる必要性を感じます。
私のおさづけの取り次ぎで、一番こうのうをお見せくださるのは、我が子へのおさづけの取り次ぎだと感じています。それは、取り次ぐ私自身が、我が子のためならと、しっかりさんげと心定めがすぐできるからだと思います。

〈お守り〉
特に子供の病気、身上は、「さあさあ小人々々は十五才までは親の心通りの守護と聞かし、十五才以上は皆めん/\の心通りや。(明治21年8月30日(陰暦7月23日)夜) 」とありますように、15歳までは親の責任だと教えていただきます。
また、「小人の障り、親の心案じある故、映る事なり(明治20年6月6日)。」とあるように15歳まで、子供の病気は親の心が映った姿であります。
そして、その子供の病気は「小人十五才まで親の理で治まる。この理取り直し鮮やか。(明治28年3月12日)」とお言葉にあるように、親のさんげと心定めでたすけていただけるのです。
ところで、皆さんはお守りを頂戴されていますか。お守りをお渡しする時の、お取り次ぎの中心は、「心の守りは身の守り」ということです。かしものかりものの教理をしっかり心に治め、自由をお与えいただいている心を、思召にふさわしく使わせていただくところに、自分の身を守っていただくということです。ここでも、かしものかりものの教理がその根底をなしています。
そして、ご存命の教祖から頂戴するお守りには、子供のものと大人のものと二種類あります。
子供のお守りについては、
「子供十五才になるまでは、親の心違いを子供に現し、親の心をお仕込み下さるのでございます。従って、親が日々教えをよく守って通らせて頂くところに、その理が子供にうつって、子供の身に間違いのないよう結構に連れて通って頂けるのでございます。それ故に、十五才未満の子供の『おまもり』は、子供本人に代わって親が頂くことが許されているのでございます。」と教えていただきます。

さて、では、親が代わって子供に頂戴したお守りは、その子供が大きくなり15歳以上になれば、どうすればよいのでしょう。お取り次ぎの話に、
「子供が十五才になったならば、確かとお話を説き聞かして、将来心得違いのないよう、通り違いのないよう、殊に心の守りは身の守りということを呉々も教え込んでやって頂きたいのでございます。
そうすれば、子供の時頂戴なされました「おまもり」は、十五才になったからといって大人のものと取り替える必要はないのでありまして、生涯の「おまもり」として肌身につけさせて頂くのでございます。」と教えられています。15歳までの子供には、年齢が小さいということもあり、また、親が代わって頂戴するということですから、「心の守りは身の守り」ということは子供本人に伝わっていません。そして、子供が15歳になれば、今度は親ではなく、自分自身の心が大切になってくるのですから、しっかり子供に「心の守りは身の守り」ということ教えることが、大切になってくるわけです。
私の子供たちは長男から五男まで、皆15歳になりますと風呂や別室に呼んで、二人きりで話をしました。「これまでは、お父さんお母さんの心がお前の身体を守ってもらう元やった。だから、お前のために、一生懸命親神様の思いに応えようと努力してきた。しかし、もうお前は15歳や。今度はお前の心が一番大切になってくるんやで。これからもお父さんお母さんは変わりなくお前のために頑張るけど、今度は、親神様は、お前の心を一番にご覧になるんやで。」と話をしてきました。そして、その時に併せて、永尾の家のいんねんの話もしています。
私はこれを「子育てモードの切り替え」と思ってます。子供扱いから、大人扱いに変えることになるからです。子供可愛い親の心は同じなんですが、子供自身の信仰の確立がはじまる時期だから、少し遠くで身守るといった感じでしょうか。

〈縦の伝道〉
こういう子育てモードの切り替えは、その時に初めてお道の話をしていたのでは、スムースな切り替えはできません。今申したような話が、子供たちに理解できる素地がなければならないからです。
おさしづ

もう道というは、小さい時から心写さにゃならん。そこえ/\年取れてからどうもならん。世上へ心写し世上からどう渡りたら、この道付き難くい。(明治33年11月16日)

とありますように、小さい時から、このお道の話を伝える、教える必要があると思います。そして、伝えるだけでなく、実際に親が一緒に教えの実践をするということが大事です。伝えるだけでは知識で終わってしまいます。それが実際に行動することによって知恵に変わるからです。小さな子供に、リンゴのことを絵に描いて教えるとします。しかし、そのリンゴは子供たちにとっては、絵でしかありません。ところが、子供を連れてりんご園に行って、リンゴ狩りをすると、子供は本物のリンゴを知ることができます。この経験は絶対に忘れません。親が本物の信仰者になることが大事だと、これは私自身に言い聞かせています。

〈育てる責任〉
ところが、子供を育てさせていただく中に、いろいろなことが起こって参ります。親の思うとおりに育つとは限りません。悪いことをする子供に対して、よく「親の顔が見たい」などという表現を使うことがあります。
おさしづに、

親子の理、いんねん理聞き分け、善い子持つも悪い子持つもいんねん。これ聞き分けにゃならん。(明治34年3月11日)

とか

・・・子供、親の育てようにある。良い花咲かす、咲かさん。良い花咲けば楽しむ。めん/\一名一人の心に掛かり来たる。(明治34年11月17日)

というお言葉があります。

私自身、耳が痛いお言葉ですが、親は子供を育てる上に大きな責任があります。子供は親の育てようによって良い子にも悪い子にもなるのですから。
おさしづ

大きい心を持って通れば大きい成る、小さい心を持って通れば小そうなる。親が怒って子供はどうして育つ。皆、をやの代りをするのや。満足さして連れて通るが親の役や。 (明治21年7月7日)

とあります。私は子供に信仰を伝えているつもりでありましたが、満足を与えていなかったんだなあとつくづく反省したことがございました。「をやの代わり」即ち親神様、教祖の代わりをすると言うことは、その御守護の有り難さを親心の暖かさを伝えることだと思います。「満足」とは、信仰の満足感を子供に伝えることであると思います。

〈ご守護の世界を伝える〉
また、「真実の理を見た限り、親のあと子が伝う。心無き者どうしようと言うて成るものやない。元々の理を伝わにゃならん。(明治26年6月21日)」とあります。親が子供に信仰を伝えるには、本物の信仰者でなければなりません。子供に親神様のご守護、教祖の親心を実感させるだけの信仰信念が必要だと思います。
教祖のひながたは、前半の20数年間は、貧に落ちきられ、貧のどん底をお通りくださいました。そんな中、どうして秀司様、こかん様が教祖とともに歩むことができたのか。いくら教祖がお母様であっても、大変なことです。
逸話篇(3内蔵)の中に

教祖は、天保九年十月二十六日、月日のやしろとお定まり下されて後、親神様の思召しのまにまに内蔵にこもられる日が多かったが、この年、秀司の足、またまた激しく痛み、戸板に乗って動作する程になった時、御みずからその足に息をかけ紙を貼って置かれたところ、十日程で平癒した。
内蔵にこもられる事は、その後もなお続き、およそ三年間にわたった、という。

とありますように、秀司様は親神様ご守護の世界を体感しておられた、教祖は、お母様であるけれども、神のやしろにおわすんだということを実感されていたということです。
〈縦の伝道の重要性・逸話篇〉
逸話篇には、他にも、親子のことについていろいろと出てきます。その中にも
「男の子は、父親付きで(57)」では、10歳の子供の病気で、母親やおばあさんがその子を連れてお詣りしても御守護いただけなかったが、「男の子は、父親付きで」との教祖のお言葉に従い、父親が連れてお詣りしたところ全快した逸話や、
「父母に連れられて(117) 」では、

梅谷四郎兵衞先生が、当時五、六才の子供の梅次郎さんを連れて、お屋敷へ帰らせて頂いたところ、梅次郎さんは、赤衣を召された教祖にお目にかかって、当時煙草屋の看板に描いていた姫達摩を思い出したものか、「達摩はん、達摩はん。」と言った。それに恐縮した四郎兵衞先生は、次にお屋敷へ帰らせて頂く時、梅次郎さんを同伴しなかったところ、教祖は、「梅次郎さんは、どうしました。道切れるで。」と、仰せられた。  このお言葉を頂いてから、梅次郎は、毎度、父母に連れられて、心楽しくお屋敷へ帰らせて頂いた

という逸話。
また「一代より二代(90)」では、

神様はなあ、『親にいんねんつけて、子の出て来るのを、神が待ち受けている。』と、仰っしゃりますねで。それで、一代より二代、二代より三代と理が深くなるねで。理が深くなって、末代の理になるのやで。

というように、教祖が、親から子へ信仰が伝わるように丹精されているひながたがあります。縦の伝道の大切さがひしひしと伝わってくる逸話です。
さて、子供に信仰を伝えるためには、いつも親神様・教祖とともにある生活が一番です。婦人会、青年会、少年会の三会が長年提唱しています「家族ぐるみで教会へ参拝しましょう」という活動はそのためにあるのだと思います。ここヨーロッパでは、出張所に家族みんなで参拝されることが大切だと思います。しかし、出張所に頻繁に、また毎日参拝することがかなわない場合が多いと思いますので、自宅に神実様を祀らせていただき、朝に夕に毎日子供と一緒に親神様に祈る生活を送る、そして月一回講社祭りをつとめさせていただく。そういう家庭は、子供にもしっかり信仰が伝わりますし、家庭に陽気ぐらしが実現していくのだと信じます。

《子からみた親・親孝心》
さて、ここまでは、「親から見た子」という視点で話をしてきましたが、今度は、「子から見た親」という視点で話を進めます。
おさしづには

めん/\の親の心に背けば、幽冥の神を背き/\て、まる背きとなってあるのやで。(明治21年9月18日)

とか

親というものはどれだけ鈍な者でも、親がありて子や。子は何ぼ賢うても親を立てるは一つの理や。(明治22年10月14日(陰暦9月20日))

と親孝心を説いてくださっています。
そして、

親と成り子と成るは、いんねん事情から成りたもの。親を孝行せず、親という理忘れ、親に不孝すれば、今度の世は何になるとも分かり難ない/\。(明治40年4月9日(陰暦2月27日)午前1時)

とあるように、子供にとっては、親の理をしっかり受けることが大切です。親子のいんねん、親とはどういうものであるか、親がどれだけ心尽くして子供を育てているかを聞き分けることが大切です。この聞き分けができれば、親に孝心を尽くすことができるのです。
また、親の方も立ててもらって当たり前ではありません。
おさしづに、

始めた事情治めた事情、同じ理治まる/\。事情は十分治まりてある。掛かり/\役々一つ事情、何でも親という理戴くなら、いつも同じ晴天と諭し置こう。(明治28年10月24日)

とあります。
私は、このおさしづの「始めた事情治めた事情、同じ理治まる/\。」という意味がなかなかつかめませんでした。ある時ふと浮かんだのが
「始めた理と治まりた理と、理は一つである。明治29年2月29日(陰暦正月16日)夕方」という「おさしづでした。始めた理とは立教の元一日の親の思い、治まりた理とは教祖年祭の元一日の親の思い、この思いは、子供可愛い一条の親心で同じなんだということです。親の立場のものが、この子供可愛い一条の親心を忘れずに、自分自身が親すなわち、親神様、教祖、理の親に孝行を尽くすことが肝心です。そしてその上で、子供に対しては、子供可愛い一条の親心で通ることが、子供にとっては、親という理戴き、いつも晴天の心で通ることができるのです。

〈逸話篇〉
逸話篇には、「子供が親のために(16)」と題して、桝井伊三郎先生の話があります。
親のために、教祖に「救からん」といわれる中、親を思う一筋に、三度もおぢばに運ばれた話です。その真実が、「救からんものを、なんでもと言うて、子供が、親のために運ぶ心、これ真実やがな。真実なら神が受け取る。」と教祖がお受け取りになったんです。このひながたのように、自分も親のために尽くすようにならないといけないなあと思いますし、親としては子供にそこまで運んでもらえる親になりたいなあと思います。

〈おかきさげ〉
最後に、おかきさげの話をしたいと思います。
おさづけの理拝戴の時に頂戴する「おかきさげ」に、30歳までの若い人だけに、次のようなお言葉があります。

又一つ、第一の理を諭そう。第一には、所々に手本雛形。諭す事情の理の台には、日々という、日々には家業という、これが第一。又一つ、内々互いく孝心の道、これが第一。二つ一つが天の理と諭し置こう。

これは、若い人に対して、家業第一と親孝心を特に諭されている部分です。家業とは、現在の職業という意味合いと少し違い、家の生業という意味だと思います。昔は、代々親から子へそして孫へと、家業を継いでいくものでした。子供としてその家業を第一に考え、精を出して勤めることは、即ち親孝心となるということだと思います。だから、家業第一と親孝心が二つ一つになるんではないでしょうか。その姿が、国々所々の手本雛型となり、にをいがけになるという意味だと思います。そう考えると、用木がいろんな職業に就いていても、それが親孝心につながらないといけないのです。「世上から見ては、あれでこそ成程の人や、成程の者やなあという心を持って、神一条の道を運ぶなら、何彼の処鮮やかと守護しよう。」と教えて頂きます。「成程の人」を目指して、人間創造の目的である陽気ぐらしの心で働くことが大切なんです。私達が信仰しているこのお道は、陽気ぐらしへの道であります。私達の信仰の目的は陽気ぐらしなんです。道専務であろうが、社会で働いていようが、関係ありません。日常生活における家族の治まりを心がけ、それを世の人々に映していくべく、かしものかりものの教えを心に治め、日々報恩感謝の日々を共々に送らせていただきましょう。

ご静聴ありがとうございました。

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