Tenrikyo Europe Centre

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2011年2月月次祭神殿講話

英国連絡所長 尾上貴行

只今はヨーロッパ出張所立教174年2月の月次祭を共々に陽気に勇んでつとめさせて頂きました。ご参拝頂きありがとうございました。今回祭典講話のご命を頂きましたので、届きませんが精一杯つとめさせて頂きます。しばらくの間ご清聴お願いいたします。

昨年10月26日におぢばでつとめられた秋季大祭にて、真柱様は「ひのきしん」について触れられ、「もっと日常的にひのきしんを心がけたいのであります」とお話下さいました。本日は、この真柱様のお言葉をお互いにしっかり心に治めさせて頂けます様に、ひのきしんということについて共々に考えさせて頂きたいと思います。

ひのきしんとは
さて、ひのきしんということですが、皆さんの中でひのきしんという言葉を聞いたことがない方はおられますか。ほとんどの方はすでによくご存知だと思います。この言葉は「日の」と「寄進」という2つに分けられます。「寄進」とは元来「社寺などに金銭・物品を寄付すること」を意味するようですので、文字通りには「毎日寄進する」ということになるでしょうか。しかし天理教でいうひのきしんにはもっと深い意味があります。
天理教教典には

日々常々、何事につけ、親神の恵みを切に感じる時、感謝の喜びは、自らその態度や行ないにあらわれる。これをひのきしんと教えられる。(第8章道すがらp78)

とあります。
また真柱様は昨年10月の秋季大祭にて

世間一般の人が当たり前と思っている、日々頂いているご守護のありがたさを知り、たとえふしに出合っても、ただ苦しい、困ったと嘆くだけでなく、そこに親心からのお導きを悟り、ふしから芽を出すことのできる私たちお互いにとっては、毎日が喜びと感謝の日々なのであります。その感謝の心がおのずと行いに表れたのがひのきしんであります。

と教えて下さっています。
このように、ひのきしんの根底にあるのは親神様のご守護への感謝と言うことであり、大切なのは、日々私たちが頂いている一時もとまることのない親神の恵みをどれだけ感じているかどうか、どれくらい気がついているか、ということになると思います。しかし実際には、日々の生活において、ご守護をはっきり意識することは意外と難しいのではないでしょうか。

ご守護に気づくこと、感謝すること
真柱様はまた

この道を信仰していることのありがたさの一つは、この日々頂戴している大いなるご守護を知り、毎日を感謝して通れることであります。無事を喜ぶだけでなく、何も心配事がないのは、何もないからではなく、全きご守護に満ちた世界に生かされて生きていると知っていることであります。

と述べられています。
私たちは、創造主であり、守護主である親神様からこの身体をお借りして生きています。見たり、聞いたり、食べたり、話したり、歩いたりと身体を自由に動かせるのは親神様のご守護によります。先ほど祭典で唱和したみかぐらうたの中に「やむほどつらいことハないわしもこれからひのきしん」(3下り目8つ)とありますように、実際には病気になったりして初めて、自分の身体は自分のもののようであって実は自分のものではないと気づかされます。またこの世は神の懐住まい、あるいはこの世は神の身体とも教えていただきます。火、水、風をはじめとする親神様の十全のご守護によって、この世のありとあらゆるものは存在しています。更に、創造主である親神様からすると私たち人間は皆神の子供であり、世界中の人間は皆兄弟であります。私たちそれぞれの身体やこの世界が、絶妙なる調和を保っている神様のご守護の上に成り立ってることを十分に認識しながら、私たちお互いも兄弟として互いに助け合って生きていかなければなりません。
ですから、真柱様が述べられたように「何も心配事がないのは、何もないからではなく、全きご守護に満ちた世界に生かされて生きている」という意識をもち、またそのことに皆気づくことができるようになりたいものです。

慎みと助け合い、もったいない
この気づきの中で、感謝、慎み、助け合いの心が生まれてくるのだと思います。こういった心そして「もったいない」と感じることがひのきしんの実践へとつながっていきます。
世間一般でも、最近では環境問題やいわゆる「エコ」への関心が高まる一方です。「地球にやさしい」といったスローガンも聞かれます。節電、節水、衣食住への慎みなどは、大いに実践すべきことだと考えられます。
おやさまも、

「菜の葉一枚でも、粗末にせぬように。」 「すたりもの身につくで。いやしいのと違う。」(逸話篇112)

と教えて下さっています。また、

「働くというのは、はたはたの者を楽にするから、はたらくと言うのや」(逸話篇197)

と、他の人のために働き、助け合うことを教えて下さっています。
ただここで少し私たちが注意しなければならないと思うことは、やはり懐住まいへの気づきということです。「地球に優しい」だけですますのではなく、もっと進んで私たち生きとし生けるものは全て、天地抱き合わせの親神様の懐で生かされており、さらに衣食住はじめ生活の全てを親神様のふところから頂戴して生きている、ということに気づくことが大切なのではないでしょうか。
つまり経済的に無駄だから節水・節電する、環境に良くないから廃棄ガスを規制する、ということから更に進んで、すべては親神様のお与えだから大切にする、無駄なく生かすんだという意識をもたせてもらうことが大切ではないでしょうか。これがお道を信仰するものの慎みの心、「もったいない」の精神ではないでしょうか。

ひのきしんの実践
歴史的に見ると、ひのきしんは1864年のつとめ場所ふしんに始まると言われています。大工の飯降伊蔵さんは奥さんを教祖に救けて頂き大変な喜びでお礼にお社でも作らせて頂きたいと申し出ます。教祖は「小さなものでもたてかけ」とつとめ場所をふしんするように言われました。
みかぐらうたに、

やしきハかみのでんぢやでまいたるたねハみなはへる(7下り目8つ)

みれバせかいがだんだんともつこになうてひのきしん(11下り目3つ)

とありますように、人間創造の元なる屋敷・ぢば親神の田地であり、ここに蒔いた種はみな生えてくるので、ぢばへ伏せ込みたいと多くの人が様々な活動に汗を流しています。ひのきしんは本来、おぢばへの伏せ込みを第一義とするようですが、その理を受ける教会への伏せ込みや、より広義には親神様のお喜びくださる行いすべてを指しているといわれます。
では次にここでひのきしんはどのように行われているか振り返り、私達が実際に日々どのようなひのきしんをすることが出来るかを考える一助にしたいと思います。皆さんになじみのあるひのきしんは何でしょうか?いろいろあると思います。全教一斉ひのきしんデーなどはその一つではないでしょうか。全教一斉ひのきしんデーが毎年4月頃に世界各地で開催されています。多くの方がご承知のように、地域社会でのひのきしんも様々な形で実践されています。
個々人で1人でもできるものとしては、献血や慰問などが上げられるでしょうか。またもっと簡単なことですが挨拶なども立派なひのきしんになるのではないでしょうか。みかぐらうたに

ひとことはなしハひのきしんにほいばかりをかけておく 7下り目1つ

と教えていただきます。
身上で入院しなければならなくなったある信者さんが、「私は手足は不自由ですが、口は達者です。耳も聞こえて目も見え、三度の食事も美味しいし、それを思ったらありがたいなあ、喜ばなければと。人間、悪いところだけ言うけれど、良いことがたくさんある。それの見逃しているなあと思い返しています。」と、見舞いに来た家族や親戚に伝えています、という話を聞いたことがあります。これも大きなひのきしんです。
また専門的な知識や技術が必要になりますが、車椅子介助、老人介護や点字・朗読などのひのきしんもあります。おぢばでは1980年から「ひのきしんスクール」という講習会が開催されていて、老人介護や精神的な身上の方にどう接するかなどについての専門的なコースがあります。昨年30周年を迎えました。私たちがおぢばにかえってこの講習会に参加するのは難しいでしょう。しかしフランスでも同様の講習会やセミナーは行われていると思いますので、その気になれば社会問題に貢献できる知識や技術を身につけることができるのではないでしょうか。
ひのきしんはもっと大勢で集団としても行われています。万博、エキスポやマラソンなどの一般の行事やイベントでのひのきしんも行われていますし、災害時の救援活動なども世界各地で実践されているのもお聞きになったことがあるのではないでしょうか。
天理教内でも様々なひのきしんがあげられます。日本の教会では、月次祭でのひのきしんは大変馴染みのあるものではないでしょうか。
おさしづ

「月次祭楽しんで来るは、道の土台である土台である。」(明治33年10月16日)

「明日は月次祭と言えば、宵の日より皆勇んで働かにゃならん。」(明治31年5月17日)

とありますが、神殿掃除、鳴り物の調弦、外回りの掃除、部屋の整理などの諸準備が月次祭前後のひのきしんとして行われています。また車で他の教友の方々の送迎を進んで行っている方などもおられます。
ヨーロッパには現在教会はフランスのボルドーに1箇所しかありませんが、同様のひのきしんは、各布教所、講社、また出張所の月次祭でも行われていますし、もっと積極的に行わせて頂きたいと思います。
このようにひのきしんは本当に多種多様な形で実践されています。天理教の教えの実践の一つの核として、私たちももっともっとひのきしんに励まなければなりません。これが私たちが頂いている親神様のご守護への報恩であり、また信仰を深め、成人し、より幸せな人生を送る種となります。

日々実践する
真柱様は、昨年の秋季大祭講話にて

ひのきしんの行いの形はさまざまであり、親神様への感謝の念から発する行為は、ことごとくひのきしんと申せます。親神様のご守護が一瞬たりとも途切れることがないことを思うと、私たちの感謝とひのきしんも、日々常のものでなければならないのであります。

更に

私たちは、まだまだ十分にご守護をご守護として感じ、味わえていないのではないかと思うのであります。ご守護にお応えできていないのではないかと感じるのであります。その点からも、もっと日常的にひのきしんを心がけたいのであります。たとえささやかなことであっても、常日ごろからひのきしんに努めるなかに、おのずと勇み心が湧き、お道の人らしい、良きにをいが身についてくるのだと思います。

と述べられました。やはり十二分に、親神様のご守護を感じ、感謝すること、そして日々にその感謝を行動に表すことが大切なのだと思います。
みかぐらうたに

ふうふそろうてひのきしんこれがだいいちものだねや(11下り目2つ)

よくをわすれてひのきしんこれがだいいちこえとなる(11下り目4つ)

とあります。天理教の原典はおふでさき、みかぐらうた、「おさしづと3つありますが、「ひのきしん」の語が見られるのはみかぐらうたのみで、おふでさきや「おさしづにはありません。みかぐらうたは、皆が心をそろえ、唱和し、演奏し、かりものの身体をつかって、人間創造の元の理に込められた親の心を直感的に感じるものであると考えるならば、ひのきしんというのは、理屈ではなく、行動を起こし、他の人と心を合わせて、欲を忘れて実践してみて、その意義がわかるものであり、私たちの成人の糧となるものではないでしょうか。

ふせこみ
更に、「やしきハかみのでんぢやでまいたるたねハみなはへる(7下り目8つ)」と教えていただきます様に、ひのきしんは真実の種を蒔くまたとない機会になります。
私がまだ高校生のころ、東京にある所属教会にしばしば参拝していました。参拝にいくときには必ず、私の母になにかひのきしんをさせてもらいなさいといわれていました。大抵はトイレ掃除をさせてもらったのですが、母はトイレ掃除をすることによって、心のほこりを払う大切さを理解させたかったのと、また他人があまりやりたがらないことも進んでできる人になってもらいたいと考えていたのだと思います。そしてひのきしんを実践することを学ばせたかったのだと思います。
今から約10年ぐらい前のことになりますが、私と家内はある事情を抱えていました。どうしたら解決するかさっぱりわかりませんでした。どうしたらいいか練り合いを重ねた後、教会本部の神殿のトイレ掃除をさせていただく心定めをしました。その事情を治めて頂くためというよりかは、まず感謝の心を養わせてもらえるようにと始めました。私たちは毎日時間をみつけ、2人そろって神殿のトイレ掃除をさせてもらいました。不思議なことに、数ヶ月後、私たちが抱えていた事情は完全に解決しました。
私たちの日々における親神様のご守護に感謝し、その喜びを行動に表すとき、神様は心の真実を受けとって更なるご守護を下さるのだと思います。
ひのきしんはいつでも、どこでも、誰にでもできる信仰実践です。道路掃除、災害救援、人に親切にすること、暖かい言葉をかけることなどなど。できる事から毎日の実践を心がけたいものです。
ひのきしんの姿を見て、ひのきしんを知って、やがてひのきしんが人々の身についたとき、そこには陽気ぐらしとお教えくださる明るい助け合いの暮らしが生まれると教えられます。すでに良く知っている言葉であり教えだと思いますが、今一度その意義を確認し、真柱様が述べられたように、日常的なひのきしんをお互いに心がけさせていただきましょう。

ご清聴ありがとうございました。

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