Tenrikyo Europe Centre

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2011年11月月次祭神殿講話

ヨーロッパ出張所役員 長谷川善久

先ほどは、11月の月次祭を皆様と無事勤めさせて頂き大変うれしく思います。
本日は、私が講話を勤める役割を賜りましたので、今しばらくおつきあいのほどよろしくお願い致します。

さて、御命を頂きましてから、ずっと何についてお話をさせて頂こうか考えました結果、現在、出張所で毎日曜日の朝勤め、夕勤めに拝読させていただいております「おかきさげ」についてお話をさせて頂く事にしました。

すでにご存知の通り、私は、7月から長く勤めておりましたシャトレにあります文化協会からこのヨーロッパ出張所勤務となりました。もちろんその時から「おかきさげ」は出張所で拝読させておりました。しかし、今回の部署変更がありましてから、以前に増して、この教えを端的明快に教えて下さっている「おかきさげ」が妙に気になりまして、今回のテーマとしました。

「おかきさげ」は、新しく用木になった方に後席と言われる席上で渡される神様のお言葉を印刷した書き物です。出張所ではこれをコンピューターで打ち直し、この様にコーティングして拝読時に使用しております。

すでにおさづけの理を拝戴した方ならご存知だと思いますが、 大体、「おかきさげ」はこのような袋に大切に保管され、個人宅にある神棚に置かれていることもよくあります。
「おかきさげ」が用木になったその日に渡されるのは、教祖の道具として人生の再出発とも言える日、その時の心にしっかりと教えを治めさせて頂くためです。拝読をしている教会も珍しくなく、また全文を丸暗記している信者の方も少なくありません。

「おかきさげ」は1890年7月にまとめられ、おさしづによってご了承をいただいた物です。それ以前におさづけを頂いた人々は、それぞれ個別におさしづを伺い、頂かれていました。しかし、たいていの人が同じようなおさしづであったことから、それらをまとめあげ、共通のおさしづとして後席で頂くようになりました。
それでは、簡単ではありますが、読んでいきたいと思います。

『さあ/\だん/\の席返す/\の席をして、さあ一日の日というは生涯の心一つの理を以て一つ席とす。席に順序一つの理は、よく聞き分け。席に順序一つの理は、生涯の理を諭す。生涯の理を諭すには、よく聞き分け。』

さあ、さあと神からの語りかけで、おさづけを頂いた日の決意ある心に生涯守るべき教えを伝えるというところから始まります。
このおさづけを頂いた日について、正直に申し上げますと、私ははっきり思い出す事ができません。18歳の時でありましたが、当時の若かった私にはおさづけを頂く事の重要さなど分かりませんでした。今があるのも、後になってから少しずつ親神様の導きにより、教えにも興味を持つようになったからです。勿論、言うまでもなく、おさづけを頂いた時の心を持ち続けるのに超した事はありませんが、そうでなくても、信仰を歩み出すのに遅すぎるということはありません。それが明日であっても多分一年後であっても良いのではないかと思います。

『難しい事は一つも言わん。どうせこうせこれは言わん、これは言えん。言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかという。』

親神様から、我々に目に見えるようにはっきりとした命令のようなものは出しません。我々のほうから思案を通して親神様の思し召しを悟るのです。
そして、我々がその思し召しに誠真実の心で答えるなら、親神様はそのことを受け取って下さいます。親神が求めるのは、形式でも見せかけの形でもありません。唯一受け取って頂けるのは、我々の誠実な心です。

「それ人間という身の内というのは、神のかしもの・かりもの、心一つが我がの理。」

そのためには、まず「身上かしもの・かりものの理」と心の自由をゆるされているということを知る必要があります。

「心の理というは、日々という常という、日々常にどういう事情どういう理、幾重事情どんな理、どんな理でも日々に皆受け取る。受け取る中に、ただ一つ自由という一つの理。自由という理は何処にあるとは思うなよ。ただめん/\精神一つの理にある。」

心の使いようについては、一番大切なのは日頃の心遣いだと教えられ、また良い心遣いも悪い心遣いも神はそのまま受け取ると言われています。

「日々という常という、日々常に誠一つという。誠の心と言えば、一寸には弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い。誠一つが天の理。」

ここで、神は一番大切なのは誠の心を持つ事だと言われます。漢字で書きますと誠とはこのように書きます。
また親神は人間が持ちがちな誠の心に対する過小評価いついては全面的に否定されています。それどころか、「誠より堅き長きものは無い。誠一つが天の理。」とまで仰っているのです。
では、そもそも誠とはどのような意味なのでしょうか。辞書を見てみますと、いつわり、嘘のないこととありますが、しかし、加えて、この漢字の成り立ちからその元の意味を見てみましょう。この漢字は意味の違う二つの部分からなっています。みなさんから向かって右の部分は言葉を表します。また左の部分はというと、これは仕上げること、やり遂げる事、固めることを表す物です。このことからまた補足的な意味が付け加えられると思います。 つまり、「誠の心」とは、自らが言ったことを決意を持って成し遂げる心と言えるのでは、ないでしょうか。
江戸時代の終わり頃、明治維新において活躍した知識人の一人、吉田松陰という人がいます。この人は、誠の心について3つの意味を見いだしていました。
それは、
一、心に思うことを実行に移すこと
二、その一事に集中すること
三、事が成就(じょうじゅ)するまで持続することです。
フランス語に訳された言葉にこのような意味が含まれているかは、分かりませんが、ここで、親神様が我々に求められている誠にも、偽りのないことに加えて、これら3つの事も含まれているような気がしてなりません。

おかきさげ本文にもどります。

「天の理なれば、直ぐと受け取る直ぐと返すが一つの理。よく聞き分け。
又一つ、一名一人の心に誠一つの理があれば、内々十分睦まじいという一つの理が治まるという。それ世界成程という、成程の者、成程の人というは、常に誠一つの理で自由という。よく聞き取れ。」

日頃から誠の心で生活する中には、親神がどのような御守護も下さり、そして、そんな我々が本当に幸せに暮らす姿を見て、人々は私たちの言っていた教えが本当だと納得するのです。

「又一つ、これまで運ぶという、尽くすという。運ぶ尽くす中に、互い扶け合いという。互い扶け合いというは、これは諭す理。人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かるという。よく聞き取れ。」

また、互いに扶け合う努力をする中に、親神のお働きがあり、自分自身にも大難は小難、小難は無難として頂ける道があると教えられています。

「又一つ、第一の理を諭そう。第一には、所々に手本雛形。
諭す事情の理の台には、日々という、日々には家業という、これが第一。又一つ、内々互い/\孝心の道、これが第一。二つ一つが天の理と諭し置こう」

用木として心に治めるべき大事な教えの一つは、いつどんなときでも、とりわけ職場において誠の心を持って生活することです。
ときどき聞くような話で「教会では教えに恥じる事なく振る舞えるのですが、いざ家庭や職場となると、天理教の教えなど全く知らないかのように別人になってしまうんです。」というのがありますが、様々な障害はあるかとは思いますが、親神が求められるように、どこにあっても人々の模範となるように努めたいものです。
またもう一つは親へ尽くす、また子供へ尽くすという気持ちが第一だと教えられます。どこにあっても人々の手本となり、親孝行、子供孝行を行う事が、しっかりと心せねばならぬ事2つの教えと言われています。

「さあ、これより先永く変わらん事情に」

最後にこれらの事を将来わすれることなく、守るようにという言葉で終わりです。

もう一度、要点だけまとめますと、おかきさげは天理教信者の心すべき基本となる考えを教えてくださっているもので、「かしもの、かりもの」を理解すること、人々の模範となるべく、職場においても誠の心を尽くす事、また親子相互に孝行し合う事を教えの大切な要点として解かれているものです。

以上ですが、ぜひ時間がある時にでもご自宅で読んで頂けたらと思います。
その場合、一度だけでなく、深い意味がよく心に染み渡るように何度でも繰り返し読むように勧められています。

最後に拝読についてのおさしづを引用して、お話を終わらせて頂きます。

「九度はこんで満席、かきさげより一つの事はいらん、かきさげだけよくこれを一度の処二度、二度の処三度、三度の処四度、五度六度までかやせば心によくおさまる (明治三三・十・七)」

ご清聴ありがとうございました。

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