Tenrikyo Europe Centre

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2017年11月月次祭神殿講話

ヨーロッパ出張所役員 小林弘典

「元の理」は、ここにいらっしゃる方々はすでに何度も聞かれたことがあると思いますが、ご存じではない方がいらっしゃるかもしれないので、まず「元の理」とはどのようなものなかということを簡単に説明いたしたいと思います。

このお話は親神がいつ、どこで、どのようにして、そして、なぜこの世人間をお創りくださったかという話に始まり、どのようにして今日の人間に至ったかというところにまで及びます。また、単にこの世人間の創造について真実を明かされただけではなく、人間が陽気に暮らすのを見て共に楽しみたいという親神の思し召しが込められています。それを私達人間にお教えくださったのがおやさまです。

天理教教典の第三章の冒頭には、このように書かれています。

親神は、陽気ぐらしを急き込まれる上からおやさまをやしろとしてこの世の表に現れた、奇しきいんねんと、よふきづとめの理を、人々によく了解させようとて、元初りの真実を明かされた。天理教教典 第三章 元の理)

さらに付け加えれば、親神ぢば甘露台、天理王命、そして、おやさまの証拠となるのがこの「元の理」です。このお話は、おやさまがお聞かせくださったことをお傍にいた方々に書き取らせたものがいくつかございます。また、おやさま自ら筆を執ってお書きくださった「おふでさき」の中にも記されています。それらをまとめたものが、天理教教典の第三章に書かれています。既にご存知の方も、普段通してお読みになる機会は少ないのではないかと思いますので、今日は親神がこの世人間をおはじめになるところ、そして、どのような経過を経て今現在の人間に至ったか、さらに親神おやさまを社としてこの世にお現れになるところまでを、拝読させていただきたいと思います。

その前に、初めて聞かれる方のために一つだけお断りさせていただきたいと思います。このお話には冒頭から、ドジョウ、ウオ、ミ、シャチ、カメなどの水中生物や爬虫類が登場してきます。これらはおやさまが、お話を聞かれた当時の方々に分かりやすいように喩えを用いてお説きくだされたもので、親神が人間をおはじめになる際に、既に、今私たちが知っているドジョウ、ウオ、ミ、シャチ、カメなどがいたということではありませんので、その点をご承知の上、お聞きください。

この世の元初りは、どろ海であった。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた。

そこで、どろ海中を見澄まされると、沢山のどぢよの中に、うをとみとが混っている。夫婦の雛型にしようと、先ずこれを引き寄せ、その一すじ心なるを見澄ました上、最初に産みおろす子数の年限が経ったなら、宿し込みのいんねんある元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせようと約束し、承知をさせて貰い受けられた。

続いて、乾の方からしやちを、巽の方からかめを呼び寄せ、これ又、承知をさせて貰い受け、食べてその心味を試し、その性を見定めて、これ等を男一の道具、及び、骨つっぱりの道具、又、女一の道具、及び、皮つなぎの道具とし、夫々をうをとみとに仕込み、男女の雛型と定められた。いざなぎのみこと いざなみのみこととは、この男雛型・種、女雛型・苗代の理に授けられた神名であり、月よみのみこと くにさづちのみこととは、夫々、この道具の理に授けられた神名である。

更に、東の方からうなぎを、坤の方からかれいを、西の方からくろぐつなを、艮の方からふぐを、次々と引き寄せ、これにも又、承知をさせて貰い受け、食べてその心味を試された。そして夫々、飲み食い出入り、息吹き分け、引き出し、切る道具と定め、その理に、くもよみのみこと かしこねのみこと をふとのべのみこと たいしょく天のみこととの神名を授けられた。

かくて、雛型と道具が定り、いよいよここに、人間を創造されることとなった。

そこで先ず、親神は、どろ海中のどぢよを皆食べて、その心根を味い、これを人間のたねとされた。そして、月様は、いざなぎのみことの体内に日様は、いざなみのみことの体内に入り込んで、人間創造の守護を教え、三日三夜の間に九億九万九千九百九十九人の子数を、いざなみのみことの胎内に宿し込まれた。それから、いざなみのみことは、その場所に三年三月留り、やがて、七十五日かかって、子数のすべてを産みおろされた。

最初に産みおろされたものは、一様に五分であったが、五分五分と成人して、九十九年経って三寸になった時、皆出直してしまい父親なるいざなぎのみことも、身を隠された。しかし、一度教えられた守護により、いざなみのみことは、更に元の子数を宿し込み、十月経って、これを産みおろされたが、このものも、五分から生れ、九十九年経って三寸五分まで成人して、皆出直した。そこで又、三度目の宿し込みをなされたが、このものも、五分から生れ、九十九年経って四寸まで成人した。その時、母親なるいざなみのみことは、「これまでに成人すれば、いずれ五尺の人間になるであろう」と仰せられ、にっこり笑うて身を隠された。そして、子等も、その後を慕うて残らず出直してしもうた。

その後、人間は、虫、鳥、畜類などと、八千八度の生れ更りを経て、又もや皆出直し、最後に、雌猿が一匹だけ残った。この胎に男五人女五人の十人ずつの人間が宿り、五分から生れ、五分五分と成人して八寸になった時、親神の守護によって、どろ海の中に高低が出来かけ、一尺八寸に成人した時、海山も天地も日月も、漸く区別出来るようにかたまりかけてきた。そして、人間は、一尺八寸から三尺になるまでは、一胎に男一人女一人の二人ずつ生れ、三尺に成人した時、ものを言い始め、一胎に一人ずつ生れるようになった。次いで、五尺になった時、海山も天地も世界も皆出来て、人間は陸上の生活をするようになった。

この間、九億九万年は水中の住居、六千年は智慧の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込みと仰せられる。
天理教教典 第三章 元の理)

以上です。

天理教の教えは、全てこの「元の理」に基づいています。もし「元の理」がなくなってしまえば、天理教の存在意義がなくなってしまうばかりではなく、人類は永久にこの世人間の元がわからないままになってしまいます。このお話を読む際は納得できるかできないか、あるいは信じられるか信じられないかということではなく、納得できるように努める態度が大切ではないかと思います。また、理解できないことを無理に理解しようとせず、理解できないことは先の楽しみとして取っておこうというぐらいの寛大な心で読み進めることも必要ではないかと思います。元の理の理解や解釈は、信仰の年限や経験に応じて、少しずつ得られていくものであり、自分自身の信仰と合わせて、次世代に受け継いでいかなければならないと思います。

「元の理」の収められている天理教教典は出張所の神殿にも置かれていますし、1階のサロンにもございます。また、事務所で購入していただくこともできますので、ご自分の手に取って読まれる機会を持っていただければ幸いに存じます。

本日は、「元の理」を通読することに重点をおいてお話しさせていただきました。お話の中の一つ一つの事柄について深く思案するという読み方もあると思いますが、また別の機会に譲りたいと思います。さらに理解を深めたいという方は、出張所の日曜学びやセミナーなどの機会も是非ご利用いただきたいと思います。

この神殿、ちょうど私の頭の上には「よろづよ八首」が掲げられています。この八首のお歌は世界中のほとんどの天理教の教会に掲げられています。そして、親神の「元の理」への思いが込められているお歌であると思いますので、最後に拝読させていただき、本日のお話を終えさせていただきたいと思います。

よろづよのせかい一れつみはらせど
むねのわかりたものはない

そのはずやといてきかしたことハない
しらぬがむりでハないわいな

このたびはかみがおもてへあらわれて
なにかいさいをときゝかす

このところやまとのぢばのかみがたと
いうていれどももとしらぬ

このもとをくはしくきいた事ならバ
いかなものでもこいしなる

きゝたくバたづねくるならいうてきかす
よろづいさいのもとなるを

かみがでゝなにかいさいをとくならバ
せかい一れついさむなり

一れつにはやくたすけをいそぐから
せかいのこゝろもいさめかけ

お疲れのところ最後までご清聴くださり、ありがとうございました。

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