Tenrikyo Europe Centre

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2010年1月大祭神殿講話

ヨーロッパ出張所長 田中善教

おつとめと心の成人

皆様方には、日頃はお道の御用の上に何かとお骨折り下さり、また本日は一月の大祭に、寒い中、遠近を問わずご参拝下さり、誠に有り難うございます。

本日は、皆様方とともに勇んでおつとめを勤めることができ、大変嬉しく思っています。親神様おやさまにもお勇み頂けていることと思います。

本日は、一月の大祭にあたり、「おつとめと心の成人」について、お話をさせて頂きたいと思います。届きませんが、お時間をいただけますようお願い致します。

春季大祭のいわれ:お勤めの急き込み

一月の大祭の元一日は、明治20年1月26日です。先人達はその日、命捨ててもの覚悟で、教祖がお急き込みになるおつとめを勤められました。しかし、教祖はそのおつとめを聞きながら、静かに現身をおかくしになりました。

この当時、おつとめを勤めると警察が来て、教祖を監獄へと連れて行きました。これを思うと、なかなかおつとめを勤めることが出来ない現状にありました。

そこで、教祖は25年先の命を縮めて、このおつとめを急き込まれと聞かせて頂いています。

では、命を縮めてまで急き込まれた、このおつとめとはどういうものでしょう。

ここで言うおつとめは、おぢばを囲んで勤められる、かぐらづとめのことです。

かぐらづとめは10人のつとめ人衆が元のぢばを囲んで、泥海の中から人間世界をお創めになった親神様のお働きを、それぞれ手振りに現して勤めるおつとめであります。このつとめによって、元初まりのご守護を今に頂き、混沌たるこの世界が陽気ぐらしへと立て替わることを祈願するものです。

つとめこそ、たすけ一条の道の根本であり、つとめの実行なくして陽気ぐらしへのたすけ一条の道の成就はあり得ません。

このおつとめによって、「病まず、死なず、弱らない」というご守護、また、115歳定命を保ち、なお心次第によっては、いつまでも生きさせてやろうと言われます。また、人間の身上だけではなく、豊かな実り、平和の栄えの上に、親神様の恵を及ぼすつとめと言われます。

教祖は、慶応2年秋、つとめの地歌と手振りを教え始めました。それ以来、鳴り物を教え、神楽面などの道具も準備され、そして、おつとめを勤める場所、人間創造の元のぢばを示し、かんろだいを据えようとされました。

そして、教祖は、つとめ人衆を寄せることと、その心の掃除に力を注がれました。

国々所々のおつとめ:学びと心の成人

私たちが勤める月次祭や日々のおつとめは、このかぐらづとめの理を頂き、勤めています。

私は昨年、ボルドー教会やスペインのガリシア布教所に参拝させて頂きました。言葉の壁があるにも関わらず、私の心が躍るおつとめを勤められており、感動しました。

心の掃除、心の成人

おつとめを勤める為に、もう一つ大切なことがあります。それは、陽気な心、澄んだ心で、一手一つにそろえて勤めることです。おてふりや鳴り物の練習をすると共に、心を澄まし、おつとめを勤めるにふさわしい心の成人を目指したいと思っています。

心を澄ますには、まず、埃の心を遣わないことが考えられます。

ご存知の通り、私たちは教祖から埃を積まないようにと、八つの埃を教えて頂いています。

おしい、ほしい、憎い、可愛い、恨み、腹立ち、欲、高慢。そして、嘘と追従これ嫌いと教えて頂いています。

また、親神様、教祖の望まれる人間の心は、「人をたすける心」です。

ここで、私の若い頃の、つたない経験話をさせて頂き、「人をたすける心」について考えてみたいと思います。

アフリカでのおたすけ

1983年6月、私は家内と六ヶ月の息子を連れてアフリカのC共和国にある、天理教の出張所に赴任しました。赴任一年目は、堀内和蔵先生が所長としておられました。しかし、翌年1984年の夏、先生はおぢばに帰られ、私たち家族三人だけが残りました。

それは、教祖100年祭を二年後に控えたときでした。

その年の9月ににをいがけデーの連絡がおぢばよりありました。それを受け、私たち親子三人は、そろってはじめてにをいがけ・おたすけにださして貰いました。教会の周りの住宅街を歩いたのですが、最初はなかなか現地の人の家に入れませんでした。しかし、一歳半の息子がちょろちょろと勝手に家に入って行くので、それについて入って行ったのが、私たちのにをいがけの始まりでした。

しかし、その後は、おさづけを取り次がない日はないという日々でした。そして、特に家内は不思議なたすけをいくつも見せて頂きました。当時、海外部に週報(週の活動報告)を送っていましたが、そこに毎日、何人の方におさづけを取り次いだかを書くのが、楽しみでした。

翌年、はじめておさづけを取り次がない日がありました。それは、1985年4月18日でした。「今日はおさづけを取り次がなかったな。」と思って反省をしているとふと、あ、今日は教祖のご誕生日で、いつも以上に皆さんご守護を頂いているのかと勝手に思ったりしました。そんなことが思える程、一生懸命おさづけを取り次ぐ日々でした。

さて、1985年早々から一人の女性のおたすけに掛かりました。この女性は、当時、教会の住み込み青年をしていたM君の妹で、Sさんと言いました。右頭部に腫瘍ができ、大きく腫れ上がっていました。

彼女は両親と教会の近くに住んでいました。そこへ、三日に一度、おたすけに通いました。

経験の浅い者が、ただ、一生懸命おたすけに通い、フランス語の分からない彼女に、通訳を介し、かしもの・かりものの話など教えを取り次いでいました。

しかし、目に見えたご守護は頂けませんでした。

数ヶ月後、手術を受けることになりました。手術予定日の夜、病院へ行くと、いつもと変わらないSさんがいました。断水で、その日は手術ができなかったそうです。

そして、その数日後に手術は行われました。病院へ行くと、それまで腫れ上がっていた右頭部が大きくへこんで、そして左半身不随となっていました。

日本では考えられないような手術と、その結果に、大変ショックを受けました。

『教祖百年祭までには必ずご守護を頂ける、頂きたい』そう思い、それからまた、病院に、退院後は自宅へと三日に一度通い続けました。

「何とかご守護頂きたい。」

その思いから、ひのきしんもしました。

教会の塀の周りに雑草が生えてきたので、手で草刈りをしました。草刈りをしながら、「そういえばここはよく、立ちション便をするところだな、、、」と気づき、こういう「汚いところ」をやらせて頂けば、ご守護が頂けるかな、、、などと思って勤めましたが、目に見えるご守護はありません。

またある時は、お兄さんのM君から、「妹は無料で病院に入っているが、病院は血液が必要で、献血できる人間を5名病院へ連れて行かなければならない」と相談があり、私も行くことにしました。

当時、エイズがはやりだした頃で、病院の衛生面を考えると、これは危険なことでした。家内は『そんなことを教祖は望んでいない。』と言い止めましたが、Sさんの為ならと思い、病院へ行きました。

そうすると、一回目は、「医者が帰ってしまい献血できない。」と言われ、中止。その数ヶ月後の二階目は、「電気が無いからできない。」といわれ帰ってきました。

結局その後は、献血の話はありませんでした。

今、これらのことを振り返ってみると、経験の浅いよふぼくが、相手があることを忘れ、一方的に、神様のお話をし、おさづけを取り付いでいたのではないでしょうか。

身上者のSさんのその時、その時の気持ちがどうであったかを察することもあまり出来ていなかったように思います。

私は何度も何度も、その家庭を訪問しましたが、家族の方には積極的にお道のお話を伝えていませんでした。生かされていることの喜びをこれらの人々と話し合うこともありませんでした。

何か病人さんの為に、させて頂こうと家族での話し合いを持つような事もしませんでした。病人さんが動けないなら、家族のどなたかに、参拝に来て頂けるよう強く誘うこともありませんでした。

身上をご守護頂くことのみに、心を奪われ、Sさんの幸せ、その家族の幸せについて、本当に考えていなかったかもしれません。

「助かりたい心から」、「人をたすける心」に変わる、これが人間のたすかりの姿だと私達は聞かせて頂いています。

結局、Sさんは目に見えるご守護は頂けませんでした。しかし、この間、思わぬところで、不思議なご守護を見せて頂きました。不十分なことでも、蒔いた種は必ずどこかで芽生えると確信をしました。

夫婦、親子のたすけあい

今年の元旦号の天理時報に真柱様のお言葉が載っています。

そこで真柱様は『家族のつながりの希薄化』を憂慮されて、親神様、教祖から夫婦、親子のあり方を教えて頂く我々が、まず、そのたすけあい家族の姿を周囲に映して行くことを望まれています。

そして、一れつ兄弟を教える天理教は、世界のたすけあいを目指しています。

環境問題、経済問題、核安全問題など、色んな話し合いが、世界レベルでされています。これらの問題の具体的な解決策について、私は良く分かりません。しかし、今こそ、根源的かつ普遍的な教祖の教えが必要とされているのではないでしょうか。

かしもの・かりものの教え

一れつ兄弟

この地上での陽気ぐらし実現に向かっての出直しの教え

人をたすけて、我が身たすかる、、、

これらが、世界規模の問題を考える基盤になったらどうでしょうか?

また、私たちが実践する「感謝・慎み・たすけあい」という生き方が、この世界規模の問題を解決する具体的な生き方ではないでしょうか。

奇跡の幸運に恵まれ、私たちは、教祖にお引き寄せ頂き、このお道に出会うことができました。この教えを実践し、一人でも多くの人に伝えたいと思います。

9月のおつとめ

本年9月5日、出張所の40周年記念祭を勤めます。この時、真柱様、奥様のお入り込みを頂きます。この素晴らしい、またとないこの機会を、欧州の人々のたすかりを、真柱様を芯に、皆様と共に、願いつとめる記念祭にしたいと考えています。

それまでにしっかりとおてふり・鳴り物の練習と共に、心の成人をすすめ、また、一人でも多くの方にお集まり頂き、共におつとめを勤めるご守護を頂けますよう、日々、皆様と一手一つに勤めたいと願っております。

本年、2010年が皆様にとりまして、親神様の不思議なご守護を日々身に感じることのできる素晴らしい一年となりますよう、祈りつつ、本日のお話を終えたいと思います。

ご清聴有り難うございました。

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