Tenrikyo Europe Centre

Loading ...

2020年7月月次祭神殿講話

ヨーロッパ出張所長夫人 長谷川真理子

2020年も早いもので半分が過ぎました。振り返ってみますと、年明けから世界中が、新型コロナウイルス一色の日々だったように思います。最初は、本当にそんなものが存在するのかと、疑っていたりもしていました。遠くで起きている出来事から、段々と近いものに感じるようになり、ここフランスでは3月半ばからは政府より外出禁止令が出て、いままでの生活が嘘のように、ウイルスに怯える毎日となりました。

教会本部も、3月の本部月次祭より参拝自粛の要請があり、婦人会本部からも、4月19日の開催予定をしておりました、創立110周年記念総会の中止の発表がございました。この記念総会にむけては、昨年は世界各地で会員決起の集いを行い、記念総会へ向けて盛り上がっていっているところでありました。

この自粛期間中、親神様の思惑は一体なんなのか、どのように思案をしたらよいのか、皆様もそれぞれに考えられたことだと思います。

婦人会長様は、 今回のこの節に際して『会員の皆様へ』と次のようなお言葉をくださいました。

おぢばに帰りたくても帰れない、おぢばの行事も開催されないということからは、各々の自主性を求めておられるのではないかと思いました。行事や講習会に参加して成人させていただくことができるのですが、それに頼るだけではなく、常日頃から自主的に教えを求めて育つ努力をすること、また育てる立場としては、日々に心をかけて育てることが大事だということを教えて下さっていると思います。

また、 内統領・宮森与一郎先生は『この大節に思うこと』として、次のようにお話し下されております。

おぢばでは、かんろだいづとめがつとめられます。それぞれ教会や布教所、家庭でも同じ気持ちでおつとめをすることが許されています。このおつとめに精一杯の優しさを込める。それが世のたすかりを願うことになる。私はこれがいま強調するべき大切なことだと思うのです。
(中略)
おさしづには『優しい』という語がよく出てきます。

人の心養うように、優しいなぁと言うは世界の台(明治33・5・16)

これは『優しいなぁと思ってもらうことが世界を救う台になる』ということを教えられていると思います。
(中略)

心一つというは優しい心もあれば、恐ろしい心もある(明治25・1・13)

と教えて下さいます。

同じことを見ても、同じ経験をしても、優しい心になれるのか、そうでない心を使うのか。これはそれぞれ人間の自由です。そう考えると、いま見せられている事態とは、どちらの方向へ努力していくのかを思案する機会とも受け取れるでしょう。優しい心を伝える努力を心がけてさえいれば、あとは神様が補ってくださるのだから心配いりません。『これしかできない』ではなく『これができる』と、今できることを素直に喜ぶ。これがお道の考え方だと思うのです。どんなことでもいいですから、自分にできることで優しい心を養い、勇み心を育んで、神様にしっかりとしがみついていけば、この大節にあっても、何も心配いらないと思います。

今から20年以上前に、女子青年をしていた時の話しです。

同じく青年をしていた人が、胃の調子が悪く何日か休むことがありました。良くなっては出てきて、また悪くなっては休むということを何度かくり返していました。病院にも行きましたが、原因がわからず、薬を処方してもらうだけでした。その姿はとても苦しそうで、それでも申し訳なさそうにしている彼を不憫に思っていました。その日も調子があまりよくはなかったのですが、無理をして出てきた彼に、上司であった方が『出たり入ったり目障りだ!ひっこんでろ!!』と、大きな声で怒鳴る姿を目撃しました。わたしは『 病人の彼に何でそんなことを言うのか、彼だって気にして無理をしているのになんて酷いことを言うのだろう』とその方に対して腹立たしく思っておりました。

『大丈夫?』と声を掛けたわたしに、彼は『ありがたい。僕が心置きなく休めるように強く言ってくださったんだ。親心やで。』と返しました。当時23歳同士だった私達ですが、 同じ年なのにこうも受け取り方が違うのかと 彼の言葉に驚いたことを、今でも覚えております。

同じ言葉を言われても、考え方で良くも悪くも受け取ることができます。嫌な事が起きてもポジティブに捉えたり、反対に喜べる事も更に上を望み、不足に思ったりもできるでしょう。先に挙げました宮森先生のお話しにありました『優しい心』が彼にはあったのだと思います。優しい心とは、この場合は相手を思いやる気持ちだったんだと思います。

自分の身に起こる小さな災難も、この教えを聞いている私達は『大難を小難』にしてくださったと、受け取ることができます。知っているといないとでは大きな違いであり、これは本当にありがたいことだと私自身は思っています。

新型コロナウイルス感染拡大の中、みなさんもいろいろなことを考え、思い浮かんだことがあるかと思います。辛いこと、残念に思ったこと、良くないこともたくさんあったかと思いますし、反対にたくさんの気付きもあったと思います。

おそらく一番感じられたことは、当たり前にできるというこは、決して当たり前ではないということではないでしょうか。

友だちに会えること、離れて住む家族に会えること、公園を散歩すること、電車に乗って買い物に行くこと、以前はどれもが当たり前にできていました。それがどれだけうれしい事なのか。したくても自分の力ではどうすることもできないことに気付かされました。今こうしてみなさんにお会いできること、一緒におつとめをつとめることができましたことも、本当にありがたくうれしく思えます。日々の暮らしの中で、感謝できることがたくさんあることにも気付きました。優しい心を持って、その心でおつとめをつとめること。親神様・教祖から日々いただいてる優しさを、しっかりとおつとめに込めることも教えていただきました。

きっと来年の4月には、婦人会創立110周年記念総会が無事に行われると信じております。また出張所創立50周年記念祭も一年延期となりました。

私自身、まだまだ心を尽くし切れていなかったんだと反省しております。もう一年猶予をいただきました。この節があったればこそと思えるように、更なる努力を重ね、親神様・教祖真柱様御夫妻にお喜びいただけるような記念祭を、みなさまと共に迎えたいと思っております。

ご清聴ありがとうございました。

アーカイブ