Tenrikyo Europe Centre

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2018年8月月次祭神殿講話

ヨーロッパ出張所長夫人 長谷川真理子

2016年1月26日に、教祖130年祭が無事に執り行われ、その後、教内では後継者の育成を強く推し進めておられます。

昨年の8月より25次にわたり、教会本部主催の後継者講習会が行われました。それに伴い、ここヨーロッパ出張所でも後継者研修会を行いました。

内容は主に、講話が3つと、フランス語•英語•日本語の3言語•5グループに分かれてのグループワークを行いました。後日、受講者の方から「本当に人生が変わる講習会でした」 というメールをいただきました。準備等大変な面もありましたが、御本部の声に答え、開催させていただいて本当によかったと思いました。

この研修会の講話の中で心に残るお話がありましたので、紹介をさせていただきます。

ご承知のように、わたしたちのこの身体は、親神様からの借りものであり、心だけが自由に使える自分の所有物です。自由に使える心によって私たちは考え•行動しています。良い行いをしたり、反対のこともすることもあるでしょう。しかし、その心の使い方は全て魂に記録されていくのです。現在の自分の姿は、過去からの心遣いによってできた姿でもあるでしょう。このことを、いんねんと教えていただいています。

自分の魂の姿とは、自分の今の状況と環境、そして人間関係を見ればわかるはずです。魂は現在を越えて将来へと続き、今の姿は自分の将来へと受け継がれていくのです。自分の歴史は今の自分が書き換えていくことができるとも考えられるでしょう。

(中略)

いんねんに対して正面から向き合う時、必ず教祖が今の自分を導いて下さります。教祖はみなさんのそばにいて、見つめてくださっています。教祖を信じてついて行こうと、一歩自分の生きる歩みを進める態度を、誠の心と教えてくださっています。誠とは教祖へ向おうとする心のことをいいます。

ここでお話しくだされた『教祖へ向う誠の心』とは、どのようにして培われていくのかと考えた時、それは、教えを身近に感じること、親神様•教祖を身近に感じることではないかと思いました。

冒頭にも言いましたように、只今の旬は後継者の育成について強く言われております。しかし、信仰を次代へと伝えることの難しさに直面しているのが現状です。天理教の教えはずっと変わらずにあるものです。もし変わってしまったとするならば、信仰する私たちの心であるかと思います。わたしのことを振り返ってみましても、初代や二代がたくさんの苦労をしてくださったおかげで、今は何の不自由もないままに、結構にならせていただきました。逆に結構すぎて、そのありがたさを忘れることがあるぐらいです。今のわたしに足りない物は、感謝の心を持つということだと思います。

少し前に、友人が『感謝の反対は何だと思う?』とわたしに聞いてきました。みなさんはお分かりでしょうか。友人曰く、感謝の反対は『当たり前』だそうです。 当たり前だと思っていることを、感謝に変換できれば人生が豊かになる。まずは天然自然に感謝できること、そして自分の身体が自然に動くことに感謝すること。一番、あって当たり前なことに感謝できるようになれば、幸せのハードルが下がると教えてくれました。

人を育てるということにおいて、 育てる側•育つ側、双方の努力が必要であります。まずは育てる側ですが、ある教会長さんが、伝える側•年上の方でどんな人が魅力的かと、学生に尋ねたところ『信念を感じる人』と答えたそうです。『信念』とは、ただ自分の考えや思いを曲げないということではなく、教理をかたく信じること、そしてそれを終わりまで成し遂げることだと思います。人はよく『あの人にだけは言われたくない』とか『それをお前が言うなよ』とか言ったりします。そういう言葉を『あなたの言うことなら』と思ってもらえるような人になる努力が必要であるかと思います。

心の澄んだ人の言う事は聞こゆれども、心の澄まぬ人の言う事は聞こえぬ逸話編176 「心の澄んだ人」

という、教祖のお言葉があります。

4月に行われました第100回婦人会総会の席上で、真柱様は元の理についてふれられ、人間創造の時の泥海の中から人間を造られた親神様のお骨折りと親心ついて述べられており、またそのことから、人を導き育てる苦心こそが、ひながたをたどらせていただく喜びにつながるとお話しくだされました。

人を育てることは、共に自分も育つことであり、親の思い、親神様•教祖の思いを少しでもわからせていただくことでもあります。

天理教を通して、ここで出会った私たちは、いんねんあって寄せられた者同士です。またこのお道に引き寄せられた方々は、何かの種のようなものを神様からいただいているのだと思います。そこに誰かが火をつけることで信仰が始まっていくのではないでしょうか。先に教えを聞かせていただいた者として、私たちは、神様からその役目お願いされているのだと思います。

ここまでは、育てる側のお話をさせていただきましたが、反対に育つ側としての通り方についてお話をさせていただきます。よく見聞きしますのは、育成する側の言動を気にするあまり、自分のすべきことが見えなくなってしまうことです。一番は素直に聞く心が大事かと思います。それができない時でも、まずは自分がどういう人になりたいのか、そのためには何をしたらよいかを考え、行動に移すことです。人のことは簡単に言えますが、自分自身がやるとなると、なかなかできないものです。私自身も、通ってみてわかることがたくさんありました。相手の立場になって物事を考え、人の心の痛みのわかる人になることが大事です。また、かしもの•かりもの教理がありますように、身近な人たちも、親神様からのかりものです。自分が嫌だと思う相手でも、その人を通してしか見えないものがあり、その人を通してしか変われない自分があるのだと思います。そのこともしっかりと心に留めておく必要があります。

教祖のひながたをたどる上での角目として、二代真柱様は『ようぼくの三信条』というものをお示しくださいました。三信条とは「神一条の精神」「ひのきしんの態度」「一手一つの和」を言い、教祖の教えを信仰する者としての大切な心構えであると教えていただいております。

真柱様は、今回の後継者講習会第25次閉講におけるお言葉の中で、この三信条について次のように述べられております。

まず「神一条の精神」については、
神一条の精神というのは、何かをするにしても、教えを中心とした心の持ち方で考えていく習慣をつけるということでありましょう。教理の難しいところはわからなくても、日頃の暮らしの中で、折に触れ、事に当たって、親神様の思いはどこにあるのだろうか、教祖は何を教えてくださっているのだろうかなどと考えるうちに、少しずつ神一条の精神ということが身についてくると思うのであります。私たちが神一条の心を持って暮らすことで、陽気ぐらしの基盤が固まっていくと思うのであります。

次に「ひのきしんの態度」。ひのきしんは、一言で言えば、日々に頂く親神様のご恩に対する、私たちの感謝の心を表す行いであります。親神様への感謝の心で、どんなことにも喜びを持って、明るく勇んで取りかかるその姿は、時には周りに対するにおいがけともなるのであります。

そして「一手一つの和」。私たちが目指している陽気ぐらし世界への立て替えは、限られた人数で成し遂げられることではなく、何世代にもわたる大勢の人の協力が必要であることは言うまでもありません。どの土地に暮らす人も、また、どんな仕事に就いている人も、みんなが親神様の思し召し一つに心を寄せ合い、それぞれが持ち場•持ち場の務めを果たしていくとき、おのずと一手一つとなり、そこに大きな力が生まれ、一人では味わうことのできない喜びを感じることができるのであります。

教えて頂いたことに対して、いろいろな理由をつけて、できる•できないと決めるのではなく、やろうと心を決ること、何を聞いても見ても自分の心を曇らさずに明るく通る努力をすることが、陽気ぐらしへと続く道になっていくのだと思います。

おふでさき

しやんして心さためてついてこい
すゑハたのもしみちがあるぞや(五-24)

教祖お一人から始まったこのお道を、先人の方々は大変な時代背景の中をもお通りくだされり、どんな時も教祖のひながたを見失わずに懸命に歩んでくださいました。今、その信仰を受け継ぎ私たちが歩んでいきます。その信仰を次へと受け継ぐ役目をいただいております。お互いに、育てる努力•育つ努力をさせていただきたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。

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