Tenrikyo Europe Centre

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2008年10月秋季大祭神殿講話

ヨーロッパ出張所長 永尾教昭

私は、他宗教あるいは信仰を持っていない人と話をする機会に、天理教の教義を、簡単に説明するならば、どのようになりますかと問われることがあります。

教祖のひながただけで50年、おふでさきが1711首、みかぐら歌が座りづとめだけで3種、ておどりが計13下り、さらにおさしづは約20年間の神の言葉ですので、膨大な量になります。すべてが天理教の教えであり、それらをひっくるめて短時間で説明するということは到底できることではありません。ただし、しっかりと言葉で説明できるように教義を学ぶことは、非常に大切なことであることは当然であります。

一方で、仮に完璧に天理教の教義を説明できても、その説明をする信仰者にまったく信仰的態度がない、あるいは信仰的な人生を送っていなければ、人は決して感銘をしないのです。従って、人はそういう人に導かれないでしょう。逆に、教義の説明は拙くても、その言動が真摯であれば、人はその人に惹かれていきます。

信仰を人に伝えるということは、本当に難しいものだと思います。例えば、ルノーの社員、あるいはパナソニックの社員が大変人格的に劣る人、不誠実な人であったとしても、多少、それで製品の売れ行きに影響はあるでしょうが、それぞれの製品の品質が良ければその製品は売れるでしょう。しかし、信仰というのは、言わば目に見えない商品を扱っているようなものです。いくら教理が素晴らしくても、伝える人の態度が不誠実ならば、人はこの教えを求めようとはしません。結局、信仰を伝えることができるかどうかは、その教義の内容あるいはその説明の巧拙よりも、むしろ信仰者の態度、言い換えれば信仰者の人間的魅力にあると言えると思います。

二代真柱様は「天理教とはどんな教えですかと聞かれたら、私を見てくださいと言えるような信仰者になれ」とおっしゃいました。自分の態度、生き方が完全に教義に添っている、自分を見てもらったら、天理教信仰が分かる、そんな立派な信仰者になることが、理想的であります。

ある信者さんから実際に聞いた話であります。その方は初代で天理教に入信されました。そして、自分が入信した頃を振り返って「当時、私は天理教の難しい教義はあまり知らなかったのです。しかし、あの会長さんの態度を見て、この教えは間違いないと思い、私はこの道に入信しようと決めたのです」と言われました。私も、その会長さんを存じ上げていましたが、本当にどこから見ても、尊敬に値する信仰者であられました。説明なしに、その誠実な態度だけで人を導けることができる、これが理想の信仰者といえると思います。

残念ながら、この逆のケースはよくあります。つまり、信仰を巧みに説明できても、「あなたの日常を見ていると信仰しようという気はなくなります」と言われることです。信仰を理解していても、実践していない、このような状態は厳に慎むべきでしょう。いくら教理を理解していても、いささかも実践していない人を、信仰者と呼ぶことはできません。

さて、強いて天理教信仰の神髄を一つ語れと言われたら、私は、毎日を勇んで通ること、あるいは毎日を陽気に通ることであると言えると思います。私たちの人生の中には、楽しい事柄だけではありません。むしろ、どちらかと言えば、悲しいこと、苦しいことの方が多いかも知れない。楽しい日々を陽気に通ることは、信仰者でなくてもできます。普通の人はすべてそうです。しかし、苦しい中を勇んで通る、あるいは勇んで通れるように努力する、これが天理教信仰の神髄だと思います。口で言うことはたやすいのですが、実現することはきわめて難しい。しかし、苦難の中でただ嘆き、悲しんでいるだけでは信仰とは言えないと思います。苦難の中で心を勇ませる、陽気になるように努力する、その道中は尊いもので、それが信仰だと言えるでしょう。

陽気な心、逆に陰気な心というのは、不思議なもので人に伝播します。陽気な人、勇んでいる人の近くにいると、自分自身も陽気になります。特に悩みを抱えているときなど、陽気な人のそばにいて、心が癒されるということはよくあります。逆に、結婚式などのおめでたい席でも、陰気な人の近くに座っていると、せっかくの場でもおっとうしい気分になります。陽気な勇んだ心で通ると言うことは、すなわち人に信仰を伝えることにもなるわけです。

ここで、教祖のご生涯を見てみたいと思います。教祖は、実は、元々決して陽気な方ではありませんでした。そのことを証明する話は、たくさんあります。月日の社となられる以前のことですが、幼少の頃のことが別席話に出てまいります。

「他の子供達が面白おかしく遊んでいても、親御様のお側におられて、あまり遊びにお出ましにはなりませんでした」と書かれております。

教祖伝には、教祖のご結婚の頃の話として、「生来身体があまり丈夫でない処から、浄土に憧れ、かねて尼になりたいと思われていた」と書かれています。それでも、両親に諭されて、ようやく結婚する決心をなさいますが、結婚後も夜寝る前には、念仏を唱えさせてもらえることを条件にご承諾なさっております。

ちょっとご想像いただきたいのですが、当時教祖は13才、現在の年の数え方では12才です。現在では、小学校の最終学年ぐらいでしょう。普通であれば、見るもの聞くものが楽しくて仕方がないという年齢です。人生が毎日、希望に溢れ、光り輝いている年頃でしょう。そんな年齢である12才の女の子が、尼になることを望み、毎晩、仏壇の前で念仏を唱えるというのです。もちろん当時と現在では、社会の状況が著しく異なりますので、現在の12才の女の子と単純に比較できませんが、非常におとなしい方であったと言えるかも知れません。私は、尼になることや念仏を唱えることが暗いと申しているのではありません。12才の幼い子供がそういうことに憧れるということが、やはり普通の子供とは違い、極端に内気な子供であったということを物語っていると思うのです。

結婚後も実家に里帰りされるときには、着物こそ十代の女性らしく派手であっても、髪型は三十過ぎの女性がするような髪型であったので、村人達が陰口を言い合ったとも書かれております。このように教祖は、決して陽気な方ではなかったのです。陰気な方だったのです。

その教祖が、おつとめを作られ、そのおつとめの中で、

一れつにはやくたすけをいそぐから
せかいのこゝろもいさめかけ   (よろづよ8首)

と表現されています。世界の人々の心が勇んだら、助かるのだということです。

あるいは、

いつもたすけがせくからに
はやくやうきになりてこい   (4下り目5つ)

とも表現されています。陽気な心になったら、助かるのだとおっしゃっているのです。

おふでさきには、

いまゝでと心しいかりいれかへて
よふきつくめの心なるよう   (第11号53)

とあり、今までの心を入れ替えて、陽気な心になれとおっしゃっております。

普通の人から見たら、ちょっと異常とも思えるほど、おとなしく、陰気であった教祖が、助かるためには、陽気になりなさいと教えておられるのです。私は、教祖は月日の社となられ、人々に教えを垂れ、そしておつとめを作られる頃には、ご自身も陽気な人間となられていたのだと思います。なぜならば、自分が陽気でないのに、人に陽気になれとは言えないからです。

天理教のおつとめは、楽器を用い、歌を歌い、さらに踊りを踊ります。宗教の祈りの形としては、まれに見る陽気で賑やかなものだと言われます。私は、陽気な心になるためには、おつとめを勤めることが本当に適していると思います。おふでさきには、

「なにもかもよふきとゆふはみなつとめ」(第7号94)と教えられます。おつとめを勤めたら何もかも陽気になってくるのです。大きな声で歌い、踊り、楽器を演奏する。心というものは、得てして日常の色々な雑事で暗くなりがちです。おつとめをしても、その事態に変化はないかも知れませんが、おつとめは、それをしばし忘れさせてくれ、心が明るくなります。心が軽くなると言っても良いかも知れません。

忘れてはならないのは、特別に陰気であった教祖が、陽気なおつとめを作り、陽気ぐらしという教えを説かれたということです。何よりも、教祖ご自身がこのつとめで陽気になられたとおっしゃっています。教祖伝に「わしは、子供の時から、陰気なものやったで、人寄りの中へは一寸も出る気にはならなんだが、七十過ぎてから立って踊るようになりました」と述べておられる所以であります。教祖ご自身が、ご自身の人生を通して、おつとめで心が明るくなることを証明されているとも考えられます。まさに、私たちのひながたと言えましょう。

去る9月、パリやロンドンでは、筑波大学名誉教授の村上和雄先生をお招きして「陽気ぐらし講座」を開催しました。その講話の中で、村上先生はご自身の研究結果として、笑いが糖尿病などの治療に大変良い影響をもたらすことが分かったと述べておられました。科学的研究結果に基づいて、教祖の教えを正しいと証明するやり方は、必ずしもいつも肯定されるべきではありません。しかし、科学の発展もまた神の守護の賜でありますので、大いに考慮すべきことではあると思います。

病気になり医者に行きますと、多くの医者がいうのは、ストレスをなくしなさいということです。ストレスが、多くの病気を引き起こす一因となっていることは、既に世界の常識と言っても良いでしょう。陽気な心には、ストレスは起こりません。

私自身の個人的な経験から見ても、長生きしておられる方、あるいは年齢を重ねても健康でおられる方は、朗らかな方が多いのです。人生の中で起こってくる様々なことにとらわれず、寛大な心で受け止めていく、そういう方が多いのです。

そもそも「陽気ぐらし」という言葉の意味を考えてみたいと思います。陽気ぐらしとは、天国のような、現世を離れてどこか別の場所にある暮らしではありません。現世で実現するべき暮らしです。さらに教祖が「よいもの食べたい、よいもの着たい、よい家に住みたい、とさえ思わなかったら、何不自由ない屋敷やで。これが、世界の長者屋敷やで」(逸話編78)とおっしゃっているように、物質的なレベルにおける豊かな暮らしのことでもありません。端的に言えば、客観的には何も変わらなくても、心は常に勇んで生きている毎日、それを陽気ぐらしというのだと思います。

では、人間はなぜ陽気になれないのでしょうか。それは、心配事があるからです。しかし世界中に心配事のない人はおりません。しかも、成長するに従い人間関係が広がり、それが広がれば広がるほど、心配は増えます。結婚したら、自分だけではなく配偶者の健康が気になります。子供ができたら、子供が事故に遭わないか、病気にならないか、学校の勉強に付いていけるか心配をします。その子供が結婚したら、相手が良い人か、結婚生活が順調に行ってくれるか、子供の配偶者の健康も心配になる。孫ができたら孫の将来まで、考えてしまいます。

お金を儲けて会社を経営できるようになった人は、自分の家族に加えて、従業員の生活の心配が出てきます。教会長は自分の家族だけではなく、教会に所属する信者さんのことも心配になります。こう考えれば心配が多いと言うことは、人間関係が豊かと言うことであり、言い換えれば幸せであると言うことかも知れません。天涯孤独なら心配事はほとんどないのです。

ただ、もしこれを減らすことができれば、それに超したことはありませんが、心配を完全に払拭することなど、絶対にできません。しかし、時に忘れることはできます。そのとき、心は勇みます。陽気になります。この陽気な心に神の守護が現れ、ものごとが良い方向に展開していくということは、私たち信仰者は、しばしば経験するところであります。

心を勇める、陽気になる、今一つの方法は、私はひのきしんの実践だと思います。数ヶ月前より、出張所は、毎土曜日の朝づとめ後、わずか15分ほどですが、駅前の清掃をしています。最近、この界隈も大きなビルが増えてきて、駅を乗降する人も増えて参りました。それとともに、路上にはタバコの吸い殻や、紙くずも増えてきています。それを掃除するのです。

土曜日というのは、あまり乗降客はおられません。ですので、私たちのひのきしんは、ほとんど分からないと思います。しかし、教祖は見ておられます。そして、私は、ひのきしんのあと、何とも気持ちが良いのです。

毎年5月のチャリティーバザーも、これもひのきしんです。いくら多く売れて売り上げが伸びても、私たちの報酬にはまったくなりません。しかし、大勢の人が来てくださるのを見て、私は本当に心が勇むのです。

給料をもらって働いているときは、誰でも早く終わりたいと思います。仕事がきついと、不平不満にまみれます。しかし、一銭の報酬ももらわずに働いているとき、つまりひのきしんをしているときは、疲れもほとんど苦になりません。

おつとめの勤修とひのきしんの実践、この二つは、私たちを心の憂いという、非常にやっかいな悪しきから解き放ってくれる大切な信仰的行為であろうと思います。ご守護を頂くには、まず心を勇ませる、陽気になる、このことが何よりも大事なことであろうと思います。

2010年9月5日の創立40周年に向けて、全ようぼく家庭に神様を祀らせてもらおうと呼びかけています。神様の前に立ち、毎日おつとめを勤める。心は本当に陽気になります。どうか、是非、実践していただきたいと思います。

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