Tenrikyo Europe Centre

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2014年12月月次祭神殿講話

海外部ヨーロッパ・アフリカ課長 切貫元治

日々は、ヨーロッパにおける道の伸展の上に、わけても、ヨーロッパ出張所の活動の上に、それぞれのお立場でご尽力を賜り、誠にありがとうございます。

今年の9月、また、10月に発行されました「天理時報」において、「世界宗教者平和の祈りの集い」への参加や年祭活動への取り組み、「天理日仏文化協会」の活動紹介など、ヨーロッパの布教活動のことが続けて紹介され、教内においても、皆様方がご活躍されている様子が伝わっております。私自身何かさせて頂いたわけではありませんが、担当地域課長として、私も非常にうれしく思っております。特に、10月12日発行の時報では、布教推進会議で相談された「心定め」に向けて、管内の若い人たちが中心になって展開されている「布教キャラバン」や「パレット」などの活動が紹介されておりました。こういう活動を通して「ネーティブ世代」と呼ばれるヨーロッパで生まれ育った日本語を母国語としない若い世代を育てて行こうという取り組みは、非常に重要なことであり、これらの動きが充実していけば、将来楽しみであります。また、時報でも述べられておりましたが、この度の年祭活動の中で、ヨーロッパ各地の教友に「おたすけの意識」が浸透しつつあるということを聞かせて頂き、非常に有り難く思います。

このように、既に約1年後の立教179年1月26日、おぢばで執行される教祖130年祭に向けて、年祭活動を展開して下さっているわけでありますが、ここで、改めて、年祭活動の「仕上げの年」と言われる3年目の活動の展開について、皆様方の更なるご尽力をお願いする次第であります。

教会本部の動きと致しましては、先月と今月の2ヶ月間に、全直属教会に対して「本部巡教」が行われています。今回の「本部巡教」は、全教会長と直属教会の役員を対象として実施されておりまして、年祭活動三年目の「仕上げの年」を迎えるに当たり、各教会が定めた目標をあらためて確認し、現状を見つめ直して、最後の一年をどのようにつとめるかを明確にすることを目的としております。海外では、直属教会でもある五ヶ所の伝道庁に対して、「本部巡教」が行われておりますが、このヨーロッパ出張所においては、昨日、ヨーロッパ布教推進会議の委員の方々に、お時間を頂いて、少しお話をさせて頂きました。本日、ご参拝の皆様方にも、同じようなことをお願いさせて頂きたいと思います。

先ず申し上げておかなければならない点は、先程も年祭活動三年目の「仕上げの年」という言い方を致しましたが、教祖130年祭に向けての年祭活動は、立教179年、つまり、2016年1月26日を仕切りとしてつとめられるということです。皆様方もご承知の方が多いのではないかと思いますが、これまでの教祖110年祭や120年祭は、年祭が執り行われた年を「年祭の年」として、年間を通じて、年祭に関わる行事がつとめられてきました。しかし、この度の教祖130年祭に関しては、はっきりと、1月26日が正しく「年祭の日」であり、その日に向かって、それぞれ歩みを進めてさせて頂くということで打ち出して頂いており、「年祭の年」という意味合いの打ち出しは行われていないのであります。海外部のスタッフも含めて、年祭活動が、年祭後もその年の12月末まで続けられるような感覚で、まだまだ時間があるというように考えてしまいがちであります。

もちろん、海外からの帰参、わけてもヨーロッパのように遠方からの帰参ということになりますと、日数的にも経費の上でも、いろいろと難しい点があり、全員が1月26日の教祖130年祭に参拝するということはできないであろうと思います。そういうことで、やはり4月や7月に帰参して下さることで考えて頂いている方も多いのではないかと思います。ですから、所報で発表されているヨーロッパ出張所の「心定め」も、年祭が執り行われる年の12月末までを集計に含めることにしております。昨日のヨーロッパ布教推進会議では、教会長、布教所長の皆様方には、是非、1月の年祭に帰参をして下さるようお願いは致しましたが、皆様方の帰参という意味では、1月に限定するものではありません。

しかし、三年千日の年祭活動という意味では、年祭後も更に12月まで時間があるということではなく、来年一年間を最後の年、つまり「仕上げの年」として、精一杯につとめて頂きたいということであります。ヨーロッパ出張所の「心定め」において、おさづけの取り次ぎ回数の達成期日は、立教179年1月26日になっておりますので、既に、皆様方も、そのつもりで取り組んで頂いていることとは思いますが、この点を、あらためてお願いをしておきたいと思います。

そして、その年祭活動の在り方ですが、今回の年祭活動は、既に皆様方もご承知の通り、全よふぼくが「おたすけの心」を養い、それを実践に移すことが成人の目標であります。今年10月12日発行の「天理時報」でも紹介されておりましたが、ヨーロッパ出張所管内でも、布教推進会議で練り合い、心定めをし、積極的なおさづけの取り次ぎにつとめておられるわけであります。

先ず、「おたすけの心」についてですが、改めて申し上げるまでもなく、自分さえ良ければそれで良い、或いは、今さえ良ければ良いというような自分を中心とした考え方ではなく、「人様にもたすかって頂きたい」「人様にも喜んで頂きたい」という、皆様方が「おさづけの理」を拝戴された元一日の日の心にならせて頂くことが肝心であります。おさづけは、いくら自分自身が身上になっても、自分自身には取り次げないのであります。「おさづけの理」を拝戴するために、九度の別席を運びますが、これは、繰り返し繰り返し同じ理のお話を聞かせて頂く中で、親神様の思召、つまり、人間がお互いにたすけあって暮らす「陽気ぐらし」世界の実現ということをしっかり心に納め、これまでの自分中心とした「ほこり」の心遣いを改め、「人をたすけさせて頂きたい」という心に生まれ更わらせて頂くのであります。そして、その生まれ更わった心に、「おさづけの理」をお渡し下されるのであります。「おさづけの理」を拝戴する際には、この「人をたすけさせて頂きたい」という心を生涯の心として通ることをお誓いして、その理を頂戴するわけです。しかし、人間の心と言うものは、変わり易いもので、日が経ちますと、そういうころを忘れてしまいがちです。この年祭活動の旬に、改めて、「おさづけの理」を拝戴した元一日の日の心、つまり「人様にたすかって頂きたい」という心を「日々常々の心」として通ることをお互いに誓わせて頂き、行動に移していく努力をさせて頂くわけであります。

「おたすけ」と言いますと、にをいがけや信者宅の訪問など、改めて、何か特別なことをするように感じられる方も多いと思います。確かに、特に三年千日の年祭活動の期間であれば、普段、なかなか出来ないことも、心を定めて、仕切って実践するということが求められるでしょう。本日お集まり頂いている信仰熱心な皆様方は、年祭に向かってお互いに心を定め、既に、日々、にをいがけ・おたすけに御尽力下さり、積極的に活動を進めておられるわけですが、中には、気持ちはあっても、にをいがけ・おたすけの為に動き回るというところまではできていないという方もおられるのではないかと思います。

そこで申し上げたいのは、もちろん、個別訪問を行い、にをいがけ・おたすけに回らせて頂くという積極的な活動も求められますが、一方で、このように改まった行動に限らず、日々、自分の周りにもできる「おたすけ」はたくさんあるということです。

このヨーロッパにおいても、この地に単身赴かれ、お道の布教を始められた方々も、家庭を持たれ、そしてお子様たちが成長され、中には、すでに世代交代をしていっておられるところもあるわけであります。つまり、時報で紹介されておりました「ネーティブ世代」と言われる方々です。そして、それらの方々により「にをい」がかかった方々、つまり、現地に住んでおられて、お道の話を聞き、入信された方々もおられます。それぞれ、信仰の代の重ね方は違いますが、お互いに、自分の周りにいる家族にも、お道の教えを伝え、お道の教理に基づいた考え方ができるよう導いていくことが大切であります。日本国内の信仰家庭においても、信仰の伝承が大きな課題となっておりますが、わけても、自分たちの子供にもしっかりと教えを伝えていくことは、最優先課題であると思います。日本のことわざに「親の背を見て子は育つ」という言葉がありますが、そうは言いましても、やはり、事分けて伝える、繰り返し導いて行くという努力はしなければならないと思います。「親の背を見て子は育つ」となれば、もちろん、普段から、親も手本ひながたとなれる通り方を意識しなければなりませんが、加えて、身上のお手入れを頂いた時、何か問題にぶつかった時には、事分けて、お道の教えを伝え、根気よく導いていくことがやはり大切であります。

まして、海外ともなれば、お道以外のものの考え方も、日本とは異なります。中には、日本より個々の人間の権利や思いを尊重する考え方もあるでしょう。言葉の問題もあるかもしれません。同じようなことを伝えても、言語が異なれば、微妙に意味合いが異なってくるでしょう。そういう意味で、海外におられる皆様方にとって、自分の子供たちにお道の教えを伝えていくということは、なかなか容易なことではないと思います。世界における他の地域のお道の伝道を見ておりましても、教会、布教所の子弟においても、一世から二世、二世から三世と、それぞれ、代を重ねる中で、それぞれの段階において信仰伝承の難しさがあり、毎年おぢばで夏に開催されている各国語の「おやさと練成会」なども、こういう問題を解決していく一つの方法として、多くの人々の真実と尽力で続けてこられました。

ですから、非常に身近なところからですが、自分の子供たちの丹精に尽力をするということも、これも立派な「おたすけ」であると思うのであります。親子と言えでも、その魂はそれぞれです。お互いに「いんねん」がありお引き寄せ頂いた家族だからこそ、お互いの姿を見つめ合って、成人をさせて頂くということは、非常に重要なことであると思うのであります。少し教理的に難しいかもしれませんが、お互いに「いんねん」があって家族となった者同士が、いろいろとお見せ頂くことを、自分の「いんねん」を鏡に映し出して頂いていると思い、お互いに「たんのう」しながら、心の成人をさせて頂くことが、お道を歩む者の本来あるべき姿であると思います。そういう歩み方の中で、家族の中に「陽気ぐらし」の姿をお見せ頂き、周りの人々にも、大変良い「にをいがけ」となるのであります。先ず、内々がなかなか治まらなければ、良い「にをい」を周りに伝えていくことは難しいと思います。諭達にもお説き下されておりますように、「天地抱き合わせの理を象る夫婦をはじめ、己が家族の在り方を正し、たすけ合いを実行して、足元から陽気ぐらしの輪を広げよう。」との言葉を胸に、家族の「おたすけ」から取り組んで頂ければと思います。

そして、家族の治まり、成人に取り組みながらも、もちろん、自分の子供や夫婦、親子の間だけではなく、職場やご近所の方々など、普段から付き合いのある方々に、少しずつでも、心を向けて、寄り添うと共に、機会があるごとにお道の教えを伝えさせて頂くことも大切であります。改まって、にをいがけ、おたすけに出なくても、周りの人々の言っていることに耳を傾け、そこに、「何かさせて頂けることがあるかどうか」、「お道の教えをどのように伝えさせて頂いたら良いか」と、そういう気持ちで接しさせて頂くことが、よふぼくとしての日々の通り方であると思います。こちらがそういう気持ちでおりますと、これまで気付かなかったようなことでも気付かせて頂いたり、親神様の不思議なお導きをお見せ頂いたりするようになるのであります。

おぢばから遠く離れたヨーロッパでは、なかなか、おぢばへ帰ることも容易ではありませんので、まだ、おさづけの理を拝戴しておられない人も当然たくさんおられると思います。諭達の中では、全よふぼくが「おたすけの心」を持ち、「おたすけの実践」を促されております。しかし、これは「おさづけの理」を拝戴した人達に限ったことではないと思います。「陽気ぐらし世界」建設のための用材としてのよふぼくは、まだ、おさづけの理は拝戴しておられない方も含まれていると思います。そういう方々は、しっかり「おつとめ」をつとめさせて頂いて、人様の「たすかり」を願うということをして頂きたいと思います。ヨーロッパとはまったく環境が異なりますが、コンゴブラザビル教会の皆様方も、なかなかおぢばがえりをすることができません。コンゴの皆さんには、とにかく「おつとめ」の理を心に納め、しっかりと「おつとめ」をつとめさせて頂くことで、おたすけ頂くようお願いをしております。ですから、この年祭活動において、おさづけの理を拝戴した「よふぼく」に限らず、お道に繋がらせて頂いているお互いが、皆、しっかりと「おたすけの心」を持ち、出来るところから、自分の家族も含め、身近なところから、日々「おたすけの実践」に取り組んでいくことが非常に大切であります。

ヨーロッパ出張所として発表されている「心定め」は、管内のそれぞれの方々の「心定め」を取りまとめたものでありますが、それぞれに心を定めて頂いた目標に向けて、三年千日の年祭活動「仕上げの年」を迎えるにあたり、皆様方の更なるご尽力をお願いし、この度の諭達においてお促し下されている「おたすけの心」を持つこと、そして、その実践について、「をや」の思いに沿わせて頂けるよう、お互いに頑張らせて頂くことを誓わせて頂きたく、本日はお話し申し上げました。

今年10月26日に教会本部で執り行われました秋季大祭の祭典講話において、真柱様は、

諭達第三号の発布以来、事あるごとに、すべてのよふぼくがおたすけに取り組もう、おたすけを心がけようと呼びかけてきました。初めにも申しましたように、この教えは世界一れつをたすけるために開かれたのであり、これが立教の本旨であります。(中略)

おたすけは何よりも親神様の思召に適う何よりのご恩報じの行いであります。また、おたすけをすることは、

わかるよふむねのうちよりしやんせよ
人たすけたらわがみたすかる三号47

とありますように、人のためにしているだけではなく、自分が真にたすかる道であり、我が事であります。私たちの身近にも、身上や事情を抱えていて、おたすけを必要としている人がいるかもしれません。おたすけにはさまざまな形があります。その心さえあれば、おたすけは誰にでもできるのであります。この旬に、一人ひとりのよふぼくが、自分にできる、自分だからできるおたすけに努めていただきたいと思います。

と仰せになっておられます。

また、秋季大祭の祭文においても、

三年千日と仕切って取り組んでいる年祭活動も、仕上げの年を迎えるに当たり、来る十一月より十二月下旬にかけて、本部巡教を実施させて頂きます。

教会長を先頭に、よふぼくがごぞって心定めの完遂に向けて、なんとしてもの決意をもって臨み、年祭活動の眼目であるおたすけの実動のさらなる推進を目指して、一手一つにつとめきらせていただく覚悟でございます。

と全教信者を代表して、年祭活動「仕上げの一年」を迎えるにあたっての決意を奏上して下さっています。

この度の三年千日の年祭活動を振り返りますと、先ず、本部巡教の実施により、各直属教会の会長様や役員に対して、諭達の精神の徹底が行われました。そして、その後、「全教会一斉巡教」が行われ、各教会にも思いが伝えられました。年祭活動二年目には、地域を対象とした「ようぼくの集い」が各地で開催され、具体的な実践を促してこられました。ここにおられます皆様方にも受講をして頂きました。そして、続いて7月に開催されました「ヨーロッパ教友の集い」において、さらに、「ようぼくの集い」の振り返りを行い、お互いに意識を高めて頂きました。この最後の一年は、とにかく「実践」の時期であります。これまで「出遅れていた」と感じる人も中にはおられるかもしれませんが、間に合わないということではなく、まさしくこれからが「本番」であるという気持ちで、身近なところからでも、お互い共々に、とにかく「おたすけ」を行動に移し、立教179年1月26日の教祖130年祭を目指して、最後までご尽力を頂きたく思います。

そして、それが年祭の旬に限った特別な活動として終わるのではなく、年祭が終わった後も、ヨーロッパの布教の上に意義があるように、つまり、「おたすけの心」の定着、家庭における信仰伝承と「陽気ぐらし」家庭の構築、そして、「ネーティブ世代」の活性化等に繋がって行くよう、今後も勇んで活動にお励み下さいますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

ご清聴頂き、誠にありがとうございました。

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