Tenrikyo Europe Centre
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内子パリ布教所長 松川高明
皆様ご承知のように、今年年明け早々の1月1日に日本の石川県能登半島で大きな地震が起きました。マグニチュード7.6、最大震度7というのは、1995年に起きた阪神・淡路大震災よりも大きな規模だそうです。地震大国と言われる日本は活断層が全国各地に存在し、毎年大小のさまざまな地震が起きています。皆さんのご記憶に残っている近年の大きな地震としては、2011年に起きた東日本大震災、これはマグニチュード9.0を観測した超巨大地震でありました。大津波や火災、そして福島第1原子力発電所事故があり大きな被害が出ました。今なお復興の途上にあります。最大40メートルにも上る巨大な津波が発生し、あらゆるものが海に飲み込まれる映像は皆さんも一度は目にされたことでしょう。
今回の能登半島で起きた地震では、地震発生1分以内に4メートルの津波が陸地を駆け上がったそうです。今回の地震の特徴としては、地震によって地盤変動が起こり、能登半島の北岸の広い範囲で最大4メートルの地盤の隆起が確認されていることです。専門家は「4メートルもの隆起はめったにないことで数千年に1回の現象だ」と指摘しています。地面が地下から4メートルも持ち上げられるのですから、本当に自然の脅威を感じさせられます。東日本大震災との違いは、東日本大震災の被災の原因の大半は津波でありましたが、今回の能登半島の地震は能登半島の真下が震源地であり、非常に大きな揺れが直接町を襲ったということだそうです。
1月1日は日本ではお正月に当たり、家族や親せきが一堂に集います。そのみんなが集まった新年を祝う大切な日に大地震に見舞われたのです。この地震による住宅被害は2万数千棟に及び、200数十名の方が亡くなっています。各地で停電や断水もいまだに続いており、避難生活を余儀なくされている方も大勢いらっしゃいます。北国の雪が降り積もる厳しい寒さの中、余震におびえながら、先の見えない困難な生活を強いられている現地の方々のご苦労を思うと、本当に身につまされます。
私の天理大学時代の同級生の教会も神殿が倒壊し、大きな被害を受けました。幸いご家族の方は全員難を逃れたようですが、自宅も建物の損傷が激しくいまだに避難所生活を送っています。同級生の彼は石川県の教区長もしているので、被災した自分の教会や部内教会のことは後回しにし、石川県内全体の被害状況を把握し、全国各地から寄せられる支援物資の受け入れや整理など、多忙を極めているようです。そんな苦しい中を孤軍奮闘している彼を応援しようと、同級生の一人が声をかけ、それに賛同した友人知人などの支援グループができ、その数は今では70名以上にも上ります。とりあえず、応援資金としてみんなで募金に協力し、またその中から必要な支援物資なども現地に届けております。さらに、本部月次祭祭典後に特別に神殿に集まって、お願いづとめをさせていただくことを申し合わせ、早速先月の春季大祭後には25名ほどで一緒に早期復興のお願いをさせていただいたということです。諸事情でおぢばに帰参できない人はそれぞれの地で一緒にお願い勤めをさせていただきました。大学を卒業後40年間も交流が途絶えていた友人も多く、不思議なめぐり合わせで、こうして再び仲間が結集し心を通い合わせることができることは、やはりその中心にはおぢばがあるからだと大変有難く思わせていただきました。
この地震に対する天理教教内の救援活動の動きも早く、地震直後から各教区や大教会などからも個別に支援物資を届けたりしています。また天理教本部の災害救援隊の本部隊もこれまで数次にわたって現地に入り、救援活動に携わっています。
東日本大震災が起きた2011年には「絆」という言葉が日本中にあふれました。それまでは「家族」の絆という形で多用されていた言葉でしたが、この震災後は「地域」や「住民」との結びつき、過酷な状況の中にある人々への支援意識を象徴し、社会性を帯びた意味合いに変わったそうであります。
私は今回のふしで、神様が何を教えてくださっているのかと考えた時、ふと浮かんだ言葉があります。それは「たすけ合い」です。親神様がこの大きなふしを通して、私たちに一れつ兄弟としての自覚と互いたすけ合いの実践を促されているのではないかと強く感じました。
みかぐらうたに、
なにかよろづのたすけあい むねのうちよりしあんせよ四下り目 七ツ
とお教えいただきます。また、諭達第四号で真柱様は次のように仰せくださっています。
頻発する自然災害や疫病の世界的流行も、すべては私たちに心の入れ替えを促される子供可愛い親心の現れであり、てびきである。一れつ兄弟姉妹の自覚に基づき、人々が互いに立て合いたすけ合う、陽気ぐらしの生き方が今こそ求められている。
親神様は人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいとの思わくから、私たち人間を創造されました。教典では次のようにお教えいただきます。
陽気ぐらしは、他の人々と共に喜び、共に楽しむところに現れる。皆皆心勇めば、どんな理も見え、どんな花もさく。
皆んな勇ましてこそ、真の陽気という。めん/\楽しんで、後々の者苦しますようでは、ほんとの陽気とは言えん。(明治30・12・11)
親神にもたれ、教祖を慕い、教の理を省みつつ、互に心を合せ扶け合うて、陽気に生活すならば、ここに、たのもしい道が現れて、その喜びは世界にひろまつて行く。親神は、これを望ませられる。
さて、世界に目を向けると、昨年も世界のあらゆる国、地域で大規模な地震、気候変動の影響による深刻な干ばつや熱波、洪水、暴風雨などの自然災害が相次いで発生しました。また、世界には様々な理由により各地で戦争、内戦、紛争が起こっており、その影では、多くの子どもたちが犠牲になっています。中でも今からちょうど2年前に始まったロシアとウクライナの戦争は現在も続いており、終わりの見えない状況であります。さらに昨年の10月に始まったパレスチナ・ガザ地区での武力衝突の激化などで、多くの一般市民が犠牲になるなど、本当に悲惨な状況が続いています。一れつ兄弟姉妹とお教えいただく我々がなぜこのように争わなければならないのでしょうか。
1932年に理論物理学者であるアルベルト・アインシュタインと心理学者であるジークムント・フロイトとが交わした往復書簡というものが残っています。これは当時ジュネーブに本部のあった世界連盟の要請で二人が「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?」というテーマで、それぞれの意見を述べた書簡であります。
アインシュタインは、国家間の戦争を無くすためには、権力のある国際機関の設立が必要だと考えます。しかしそれを実現できるとは到底思えずに、結局「人間には本能的な欲求が潜んでいる。憎悪に駆られ、相手を絶滅させようという欲求がある」などと苦悩します。これに対してフロイトは、人々に対話や連帯を促す「感情の絆」を創出することや、争いを嫌悪する価値観を生む「文化の力」を強めることなどを、戦争を防ぐ方策として挙げます。つまり文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩み出すことができると、説いているのであります。文化力なんかで戦争が制御できるのかと思う人も多いでしょう。
21世紀に入って生命科学が進歩し、人間とチンパンジーのDNAの差などが検証されはじめ、本質的には人間とチンパンジーのDNAの差はわずか1点数パーセントしかないということが分かってきているそうです。さらに動物行動学というのが出て来て、人間だけが必ずしも動物の中で優れているのではない、個別の能力で言えば、人間よりはるかに高い能力を持った動物がいくらでもいるということが検証されてきています。
例えば、ある動物学者が言うには人間と動物の決定的な差は何かというと、「共感力」だそうです。つまり他者に対する思いとか、相互に対して理解を深めようとする基盤、相手に対して心を動かし共感する力。私たちは、この共感を生む素地としての文化力の大切さを改めて考えてみる必要があるのかもしれません。
では、「文化力」とはいったい何を意味しているのでしょうか。素晴らしい音楽を聞いたり、様々な芸術文化に触れたり、あるいは宗教の教えに触れたりする瞬間に、私たち人間は何かを考えます。その考える力の中から想像力が生まれ、他者に対する心の動きや、自分ひとりだけで世の中が動いているのではないことに気付き始めます。この考える力、思考する力、そしてそのきっかけとしての文化力。この文化力に触れることで、自分自身の視界が広げられ、物事が相対的に見えるようになります。要するに自分だけが選ばれたもので、自分を実現していくことが自分の価値なんだという考え方から、他者には他者の思いがあり、夢があり、希望があることがわかるようになります。そうすると、調整とか調和だとか、妥協だとか、さまざまな思考回路を働かせながら、争いというものをできるだけ抑えていかなければならないという考え方が生まれてくるのではないでしょうか。つまりフロイトが言う文化力とは、この共感する力を生み出す源となっており、大きな結びつきがあるということがよくわかります。
教典には次のようにお示しいただいております。
世界は、平和を求めて止まない。しかし、真の平和世界は、ただ人間相互が争わぬだけで、全うされるものではない。よしや、それは争のない姿であつても、光溢れる平和の訪れではない。真の平和世界は、親神の理によつてのみ築かれる。この親神の道が、人々の胸に正しく治められ、すべてが、己が利欲を忘れ、温かい親神の守護の下、互扶けの真実の働きにつとめ合い、親神の待ち望まれる陽気づくめの世界になる時、この世ながらの限りない生気溢れる楽土が全うされる。
かくて、我も人も共に和し、一手一つの心に、楽しみづくめの陽気ぐらしの世界が守護頂ける。それは、親神の望まれる真の平和世界であり、これぞ、この道の目標である。道の子は、存命のまま導かれる教祖に抱かれ、ひたすら、世界人類の平和と幸福を祈念しつつ、たすけの道に弥進む。
このみちハどふゆう事にをもうかな
このよをさめるしんぢつのみち六 4
真の平和世界は、親神の理によつてのみ築かれるのです。私たちはご存命の教祖に導かれるままに、世界人類の平和と幸福を祈りながら、他者に共感する力を鍛え、お互いにたすけ合いの精神をもって、この2年目に入った年祭活動に更に心勇んで努めさせていただきましょう。
ご清聴、ありがとうございました。