Tenrikyo Europe Centre

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2007年8月月次祭神殿講話

英国連絡所長 尾上貴行

只今は、ヨーロッパ出張所8月の月次祭を共々に陽気に勇んでつとめさせて頂きありがとうございました。ご指名を頂きましたので、祭典講話をつとめさせていただきます。

さて本日は、おつとめについて、特によろづよと十二下りのてをどりのお歌の意味について少し私なりに勉強させていただいたことをお話しさせて頂きたいと思います。

十二下りのてをどりと申しましたが、実は最近、一つ一つのお歌の意味はもちろんのこと、各下り毎の意味をもっと勉強しなければと思うことがありました。今年の3月の英国連絡所の月次祭でのことです。祭典が始まる前にある熱心な教友(男性)さんが「尾上さん、今日実は私の友人(男性)が参拝に来てくれるんですよ。天理教のことをまったく知らない方なので、いろいろとお話してください。」と大変うれしそうに伝えてくださいました。その日は、その方が祭典後感話をする予定にもなっていて、これは丁度よかったなあと思いながら「よかったですね。喜んでお話しさせて貰いますよ。」とお答えしました。

祭典の始まる直前、予定通りその教友さんの友人が到着され、簡単に挨拶だけするとすぐに祭典開始となりました。すわりづとめが始まった頃、ふと「この初めて来られた方に、祭典の流れとか、おつとめの大体の意味などをあの教友さんは説明されたかなあ。感話になるまで1時間半はあるなあ。それまでいてくださるかなあ。」と思いました。英国連絡所はおつとめをつとめる方の数がまだそれほど多くありませんので、ほとんどの方が2回か3回、つまりすわりづとめから十二下り目が終わるまで役にあたっていることが多く、私もその教友さんもその日は出ずっぱりの予定でした。その教友さんも気になるのか、おつとめをしながら時々その友人のほうを見ていました。そして後半の途中ぐらいでしょうか、ふと気がつくとその方の姿が見えません。トイレでも行かれたなあと思ったのですが、案の定といいますかお帰りになられたようで、十二下り目が終わったときにすこし探したのですが、おられませんでした。その教友さんの感話は大変すばらしく、この話を聞いていただきたかったなあと思ったのですが後の祭りでした。その教友さんも大変残念そうでした。その友人に事前にあまり祭典の詳しい説明はしていなかったとのことでした。

皆様の中にも同じような経験をされた方も多いと思います。このような場合どうすれば良いと思われますか? 事前に祭典の流れ、つまり「開扉、献饌、祭文奏上、すわりづとめ、よろづよ八首と十二下りのてをどりとあって、ここまでだいたい2時間ぐらいで、その後大体講話が20分前後、そして直会があります」ときちんと伝えておくことは大事だと思います。そしてその方の言語のみかぐらうたをお渡しすること。その日も英語のものをお渡ししていました。天理教のリーフレットを渡しておくのも一つでしょう。お役にあたっていない人に、ちょっと気に掛けていただくように伝えるのも一つだと思います。ヨーロッパ出張所でも、みかぐらうたの簡単な説明をしたリーフレットが常備してあり、とても良いなあと思っております。英国連絡所でも同様のものを作成したいと思っているところです。

ただし、これは私だけかもしれませんが、てをどりのお歌のひとつひとつはなんとなく理解しているように思いますが、各下りごとの大意と申しますか、ポイントであるとか、あるいは各下りの関連といったことをどれだけ理解しているかと自問したとき、私はかなり怪しいなあと思います。皆さんはいかがですか? このような理解は大切だと思いますし、既成のみかぐらうた翻訳本に加えて、ご参拝頂いている方々に見ていただけるような各下り毎の大意なりポイントが簡潔にまとめてあるものがあると良いなあと私は思います。教会や布教所、あるいは他の本部拠点ではすでにそういったものを準備されているところもあるかと思います。もしご存知であれば教えていただきたいと思います。他の機会にも同様のことを考えることがあり、これはもっともっと勉強させてもらわなければならないと思いました。そして少しばかり勉強したり考えたりしたことをこれからお話しさせていただこうと思っている次第です。

おつとめに関してはここにおられる方々のほとんどはすでによくご存知のことと思いますが、今一度てをどりのお歌の意味を噛み締める意味でお聞きいただければと思います。まだあまり天理教のおつとめに詳しくない方には、理解を深めていただく機会になれば幸いです。

皆さんご承知のように、ご本部で月々つとめられるおつとめは、かぐらづとめとてをどりの2つの部分から構成されています。かぐらづとめは、十人のつとめ人衆がぢば・かんろだいを囲んで元はじまりの人間世界創造の時の親神様のお働きを手振りに表してつとめます。てをどりはかぐらづとめに続いて、男女3名ずつによってつとめられます。いずれも、九つの鳴り物の調べにあわせてつとめられ、そのつとめのお歌がみかぐらうたであります。本年お出直しになられました深谷忠政先生の「みかぐらうた講義」では、「かぐらづとめは正に創造の不思議、生命の神秘ともいうべきものを象徴されたものであります。十二下りのてをどりはかぐらづとめに象徴される意味内容を具体的に説明されたものであります」と説明されています。全世界の各教会ではおぢばでつとめられるこのおつとめの理をうけて、月次祭ですわりづとめとてをどりがつとめられています。

ではまずよろづよ八首です。

「よろづよのせかい一れつみはらせど むねのわかりたものはない」ではじまり、

「一れつにはやくたすけをいそぐから せかいのこころもいさめかけ」でおわります。

てをどりのお歌の最初の部分です。おふでさきの最初の八首とほぼ同じお言葉で、お道の信仰の全体を最も端的に表し、これから世界いちれつのたすけにとりかかろうというお歌であるといえます。立教の宣言、神様の思召の偉大さ、たすけ一条の壮大なる理想が述べられ、お道のたすかる、たすけて頂く究極を教えていただいているように思われます。

一下り目 「一ッ 正月こゑのさづけは やれめづらしい」ではじまり

「十ド とりめがさだまりた」でおわります。

農事にたとえ、おさづけについてお教えくださっています。ひたすら神様におすがりして結構を願う信仰の境地が述べられています。当時の信者さんの大半は農業従事者であり、そういう人たちが毎日携わっている身近な仕事に託して、生活とその環境の関係から陽気ぐらしについて述べています。

二下り目 「とんとんと正月をどりはじめハ やれおもしろい」ではじまり

「十デ ところのをさまりや」でおわります。

おつとめについて述べられています。おつとめによって人をたすけるということ、その心の大切さを教えてくださっています。おつとめによる心のふしん、世界たすけのふしんを通じて陽気ぐらしは達成されるのであり、健康と平和といった人と人との関係から陽気ぐらしをお教え下さっています。また一下り目が個人の救済だとすれば、この下りは集団での救済といえます。

三下り目 「一ッ ひのもとしょやしきの つとめのばしょハよのもとや」ではじまり

「十ド このたびあらわれた じつのかみにはさうゐない」でおわります。

よろづたすけのためのつとめ場所について教えてくださっています。この下りではお道の教えの独自性が出ているといわれ、次の四下り目とともに扇を使うところがあり、親神様が特に注意を促している思召が感じられます。つとめ場所の重要性、おやさとのふしんへの伏せこみの大切さ、また親神様は元の神であり、実の神であると教えてくださっています。

四下り目 「一ッ ひとがなにごといはうとも かみがみているきをしずめ」ではじまり

「十ド このたびむねのうち すみきりましたがありがたい」でおわります。

お道を通らせていただく信仰者の心構えを教えてくださっています。心の成人、段々と成人していく信仰の過程を、まず夫婦なる二人の心を治め、おつとめをつとめ、陽気な心になることが大切とお諭し下さっています。陽気ぐらしへの心の治め方を教えてくださっています。

五下り目「一ッ ひろいせかいのうちなれバ たすけるところがままあらう」ではじまり

「どうでもしんじんするならバ かうをむすぼやないかいな」でおわります。

お道のたすけについて、そのたすけの原点であるおぢばについて教えてくださっています。このぢばは、人間創造の元の一点であり、その証拠にをびやゆるし、ほうそまもりをいただけるのであり、元のぢばであるから、身上事情について不思議なたすけをすると述べておられます。また集団で信仰することも教えてくださっています。

六下り目 「一ッ ひとのこころといふものハ うたがひぶかいものなるぞ」ではじまり

「十ド このたびみえました あふぎのうかがいこれふしぎ」でおわります。

信心について述べられています。人間の心は疑い深いものであり、このほこりの心がたすからないいんねんを積んでしまうのであって、この道を信仰することによって、心の入れ替えを行い、たすけていただくのである、と教えてくださっています。信仰の喜びを味わった後でも、人というものは疑い迷い、行きつ戻りつするものであり、そういった道中を通っての成人の過程を表して下さっています。

七下り目「一ッ ひとことはなしハひのきしん にほいばかりをかけておく」ではじまり

「このたびいちれつに ようこそたねをまきにきた

 たねをまいたるそのかたハ こえをおかずにつくりとり」でおわります。

信仰実践のあり方について、田地と種まきを例にとって教えてくださっています。にをいがけ、信仰のあり方、道の子の丹精、修理声、つくし、はこびなどを通じてたすかる道を教えてくださっています。わが身が助かりたいという心から、人とたすけさせてもらう心に立て替える大切さを述べておられます。

八下り目 「一ッ ひろいせかいやくになかに いしもたちきもないかいな」ではじまり

「十ド このたびいちれつに すみきりましたがむねのうち」でおわります。

この道の進め方をふしんに喩えて教えてくださっています。一手一つに澄み切った心に進められる不思議なふしんを台として、ふしんの用材を求め集めることの大切を述べられています。七下り目に述べられたつくし、はこびという基礎工事の上に立てられるふしんともいえます。

九下り目 「一ッ ひろいせかいをうちまわり 一せん二せんでたすけゆく」ではじまり

「とてもかみなをよびだせば はやくこもとへたづねでよ」でおわります。

ふしんのために結集したよふぼくの働き、布教者としてたどる信仰的成人の歩み、にをいがけ・おたすけという使命をお説きくださっています。お道の信仰は、心の持ち方一つでたすけていただくことができるのあり、人間の心と親神様のお心がぴったり合わせることの大切さをお述べくださっています。

十下り目「一ッ ひとのこころといふものハ ちよとにわからんものなるぞ」ではじまり

「十ド このたびあらわれた やまいのもとハこころから」でおわります。

心の入れ替え、いんねんについて教えてくださっており、にをいがけ・おたすけに奔走するよふぼくが伝えるべき教理の内容について教えてくださっています。身上は神のかしもの・かりものであって、心一つがわがの理であり、その心どおりで身上のたすかる道をお説きくだされ、病の元はなんであるかをお説き下されています。

十一下り目 「一ッ ひのもとしよやしきの かみのやかたのぢばさだめ」ではじまり

「十ド ことしハこえおかず じふぶんものをつくりとり

 やれたのもしやありがたや」でおわります。

ひのきしんについて、陽気ぐらし世界の中心となるべきおやさとの建設にいそしむ道の子の姿にたとえて教えてくださっています。お道の精神が行いになって表れるのがひのきしんであり、心の成人は形にも表れるべきものであるとお教えくださっています。

十二下り目 「一ッ いちにだいくのうかがひに なにかのこともまかせおく」ではじまり

「十ド このたびいちれつに だいくのにんもそろひきた」でおわります。

現実のつとめ場所の建設を台として、ふしんにたとえて道の成人、道の伸びていく姿、世界の立替をお教え下さっています。形のふしん、心のふしんの完成すなわち陽気ぐらし世界への建築の道を述べておられます。てをどりの最後の下りで、みかぐらうたの総締めくくりであり、永尾隆徳本部員は「みちのとも」に掲載された「みかぐらうたの心」で、「この下りのおてふりでは、前へ出した足は引きません。おつとめの最終の場にあって、誠に不退転の姿を表していると言えましょう。」と述べられています。

以上が、よろづよ八首と十二下りのてをどりのお歌の概略であると考えられます。後ろにいくにしたがって、ご利益信心とも見えるものから、段々と本格的な信仰へと移っていっているようにも思われます。

まず神の存在を教え、「せかいのこころをいさめかけ」これから世界たすけにかかるという前置きで始まります。人は「肥」のさづけと「をどり」のつとめによってまずお道のご守護に浴し、信仰の喜びを味わいます。そして「つとめのばしよ」である人間創造のもとなるぢば親神様の存在をしります。お道の信仰そして陽気ぐらしへの出発点は「ふたりのこころををさめ」ることであり、その中に「をびやほうそ」などの不思議なたすけをいただくことができ、引き寄せれた人々が集まってきます。ただし人の心と言うものは変わりやすく「うたがひぶかいもの」で、ゆるがぬ信仰心を持つことはむずかしいものです。そこで信仰実践の具体的な方法として、「でんぢ」であるおぢばへの種まきを教えて頂きます。種をまくことに専念するうちに、陽気ぐらし世界建設の用材であるよふぼくとなり、世界中から様々な働きをする用材「いし」や「たちき」が集められていきます。よふぼくの使命はにをいがけ・おたすけであり、「一せん二せん」とお話を取り次ぎ世界だすけのために奔走します。その際に伝えるべき基本的な教えが、かしもの・かりもののご教理であり、「病のもとは心から」であることを互いに悟りあいます。いんねんを悟り、たんのうの心を治め、「もっこになうて」ひのきしんにいそしむ日々の中に、必要な「だいくのにんもそろひ」いよいよ陽気ぐらし世界建設のためのふしんがはじまります。

ただし、これはいくつかの書物を参考にし私自身の考えも付け加えての解釈ですので、これが正しい解釈であるとお受け取りにならないように、あくまでもこういった解釈もあるのかなあというふうにお受け取りいただきたいと思います。また悟り違いがある場合はあとで教えていただけると幸いです。

こうして、一つ一つのお歌の意味はもちろんのこと、各下り事に教えていただいている親神様の思召、そしてよろづよ八首に始まり、一下り目から十二下り目まで流れる親心をしっかりと噛み締めながら、おつとめさせていただけるように努力させて頂きたいと思う次第です。またそういった理解を自分自身が深めることで初めて参拝に来ていただいた方にも、わかりやすくお話しさせていただくことができるのではないかと思っております。

先月7日にここヨーロッパ出張所で「ようぼくの集い」が開催され、永尾所長が講話の中で「2010年は、ヨーロッパ伝道開始100年、ヨーロッパ出張所開設40周年、英国連絡所開設10周年という年にあたり、この喜びの旬に何か記念の行事を行う予定である」とのお話をしてくださいました。詳細はこれからご発表いただくわけですが、その核になるのはやはりおつとめであると思います。教祖が定命を25年縮めて現身をお隠しになってまで、その完成をお急き込みくだされたおつとめであります。教祖がお教え下されたよろづたすけの手段であります。たすかるための確かなる手立てであります。3年後の記念すべき年には、ヨーロッパの教信者が寄り集い、心を一つにして、親神様、教祖に本当にお喜びいただけるようなおつとめをつとめさせて頂きたいと思います。そのためにも更におつとめに込められた親心をしっかりと思案させていただき、みかぐらうたにより一層親しませていただいて、日々、月々心をこめておつとめをつとめさせて頂きたいと思います。

まだまだ若輩者の私がおつとめ、そしてみかぐらうたに関して申し上げますのもおこがましいかぎりではございましたが、最近私が勉強させていただいたこと、心に思っていることを皆様にお聞きいただき、これからの私自身の歩みの糧とさせていただきたいと思い、この場をおかりしてお話させて頂いた次第でございます。これからもご指導ご鞭撻の程、何卒宜しくお願いいたします。

ご清聴ありがとうございました。

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