Tenrikyo Europe Centre

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2007年7月月次祭神殿講話

ヨーロッパ出張所役員 田中善教

本日は、ヨーロッパ各地から遠近を問わず、ヨーロッパ出張所で、参拝に来られた皆様と一緒に、心をそろえ、勇んで月次祭を勤めさせて頂き、私自身も大変嬉しく思っております。

おふでさきに、

みなそろてはやくつとめをするならバ
そばがいさめバ神もいさむる

とあります。

このお勤めを通じ、日々の神様のご守護に感謝し、また、人々の、世界人類の平和を願う私たちの勇み心は、しっかり、神様に受け取って頂いているものと思います。そして、みかぐらうたを唱和しながら、一段と自分の心が勇んでくるのを私たちは実感しております。(皆様は如何でしたでしょうか。)

本日は、ご命を頂きましたので、神殿講話を勤めさせて頂きます。

2002年にアフリカのコンゴ共和国にありますコンゴブラザビル教会で教義講習会が開催されました。この時の経験を台として、私を育ててくれたこの国への感謝の気持ちを込めて、お話ししたいと思います。

コンゴ共和国は1990年代に内戦が起こりました。1998年には一応内戦は終結しましたが、2002年ごろはまだ不安定な社会情勢でした。そんな中、海外部とブラザビル教会が協力し、教会の復興が進められました。この教義講習会は、その一環として入信間もない信者さんの為に開催されたものでした。

では、つたない信仰体験ですが、しばらくお付き合い頂きたいと思います。

海外部にSさんという人がいます。ご存じの方もおられると思いますが、彼は、翻訳課でフランス語を担当しています。彼はあることで、海外部で一番なのです。ご存じでしょうか?ギターが海外部一上手い、奥さんが海外部一やさしい、などという意見もあるかも知れませんが…

(彼にはおもしろい経験があります)

2002年、私は本部員の高井猶久(なおひさ)先生、そしてこのSさんとコンゴ共和国にあるコンゴブラザビル教会が開催する第一回教義講習会の講師として、約1ヶ月の予定で赴任することになりました。

コンゴの講習会にはコンゴ人信者が十数名参加していました。午前中は教理勉強、午後は鳴り物学び、ひのきしん、にをいがけなどのプログラムでした。順調に進んでいた3日目、午前の講義が終わり、午後よりにをいがけ(ひのきしん)に出ようとブラザビル教会内にある宿舎にいると、どやどやと武装した軍人を伴って一人の執行官が入ってきました。彼によると、国がこの土地と建物を供託に押さえる、という判決が下りたとのことでした。それですぐにここから出て行くようにとのことでした。

こちらには全ての正式書類、もちろんオリジナルがそろっていました。また、当時のコンゴ人責任者に宛てた書簡のコピーなどもあり、コンゴ人弁護士が、どうしてこんなに書類がそろっているのかと驚くほどでした。

しかし、執行官が持ってきたのは確かに公式な裁判所の決定でしたから、神殿で参拝した後、教会から出ることになりました。コンゴ人信者の代表が、日々の神殿の掃除と、お供えの為に、一日2回だけ教会に入ることをお願いしましたが、聞き入れてもらえませんでした。

教祖であれば、この時、お茶の一杯でも執行官に出されていたでしょうが、そこまでの心配りをする余裕はありませんでした。

私たちは教会住み込みの8家族と、講習会受講者と伴に、教会の向かいにある、憩の家診療所で雨露を凌ぐ(生活する)ことになりました。この建物は1978年天理教がコンゴ政府に贈呈したものでした。

夜は、一番広い待合室にマットレスをひいて、雑魚寝となりました。枕がありませんでしたので、持って行った教祖伝参考資料などをタオルでくるみ枕としました。この時、教祖が下駄に帯を巻いて休まれたご苦労を思い出されました。朝夕のお勤めはもちろん、月次祭も、近くの布教所から鳴り物を運び、勤めました。教義講習会は昼、診療所の庭の木陰で、教祖伝講義だけを続けることができました。また、高井先生より「お世話になるのだから、庭の草を全部刈ってきれいしなさい。」と聞かせて頂き、信者が日中、代わる代わる草取りに精をだしました。

さて、追い出されて、毎日外から教会を眺めていると、何と大きく、立派な神殿なのか、なんと広い土地なのかと改めて感じました。普段は、当たり前と思い、なかなか気付かないものですね。こんな素晴らしいところを与えて頂いていたんだな、とあらためて、感謝の念がわいてきました。ずっと住んでいるときは、そんなことも思わなかったのですが、なくして初めて分かることも、やはりあるんですね。

この問題解決の為に裁判所にも働きかけをしましたが、らちがあきません。そんな時、コンゴ人信者がガボンの日本大使館に何かお願い出来ないかと私に言ってきました。さっそく、Sさんが日本大使館に連絡をすると、大使館の方から「日本人が家を追い出され、野宿同様の生活をしているが、それはどういうわけか確認する」書簡を、コンゴ政府に出してくれると約束してくれました。

この時、Sさんはひどくお腹をこわしていました。ガボンへ出発する前日、私が薬を買い、高井先生におさづけをとりついて頂いた後、薬をSさんに渡したました。

その後、S部員は高井先生と伴に、ガボンへと向かいました。ガボンの空港に着き、ホテルに入りました。この頃には病状も大変良くなっていたそうです。そのSさんの所に、大使館付きの医師が送られてきました。それで彼が飲んだ薬を見せると、「これはお腹の薬ではないですよ。」と一言。やはり「おさづけ」だったかと、Sさんは改めて、神様にお礼したそうです。

後日、Sさんは「田中さん、あれお腹の薬ではなかったですよ。」と攻めるのでなく、「お陰で神様の守護だと分かりました。」と言ってくれました。Sさんのような良い人ばかりに囲まれ、本当に有り難いのですが、私がなかなか成人出来ない理由が、ここにあるかもしれません。

追い出されて12日後、結局、高井先生、Sさんのガボン出発の日を迎えてしまいました。そして、出発されたその日の夕方、あの執行官が来て、教会の門が開くことになりました。

親神様は人間創造の時、次のような約束をされています。元の理の最初の部分を読ませて頂きます。

この世の元初りは、どろ海であつた。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた。

そこで、どろ海中を見澄されると、沢山のどぢよの中に、うをとみとが混つている。夫婦の雛形にしようと、先ずこれを引き寄せ、その一すじ心なるを見澄ました上、最初に産みおろす子数の年限が経つたなら、宿し込みのいんねんある元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせようと約束し、承知をさせて貰い受けられた。

最初に生みおろされた子数の年限とは、九億九万九千九百九十九年です。そして、ご存じの通り、この約束が実現されました。約十億年先の約束をする神にとって、10年という年限は、まさに瞬きをするほどの短いじかんかもしれません。

おふでさきでは、

みへてからといてかゝるハせかいなみ
みへんさきからといてをくそや  一18

だん/\とみゑん事をばゆてをいて
さきでみゑたらこれが神やで  四105

と教えられています。

(私は)コンゴでこのような出来事や、おさづけによる目に見えるご守護を良く目の当たりにしました。先回りのご守護を頂くことや、不思議なご守護を頂くことは、本当に有り難いことです。そして、このような経験を通じ、私たちは世界たすけを思う、目に見えない親神様の思いを、しっかりとつかみとる心をつくらせて頂いていると思います。

それは、助けてやろう、助けてやろうという「親心」を日々の出来事の中に、感じることではないかと思います。そして今、この時も、この場所でも、神様が助けてやろうとの思いが、まちがいなく働いています。

「なってくるのが天の理」と聞きます。嬉しこと、楽しいことはもちろん、苦しいこと悲しいことも、「たすけてやろう」という親心からでた結果です。

2002年、私たちは何故教会から追い出されたのでしょう?もちろん裁判所が出した判決の為ですが、信仰的に考えると、私も含め、コンゴの信者が教会に住むのにふさわしい人間なのかどうなのかを神様が試しておられたと思います。

そうであれば、教会から追い出された私たちのすることは、明白です。

そうではなく、原因が他の人にあるのであれば、これは少しやっかいです。この人が何をするか、この人はどんな力を持っているか?とあらぬ事を心配しなければ成りません。またこれは、憎いとか、恨みの埃にも繋がります。

次のようなおふでさきがあります。

なにもかもせへいゝバいにことわりて
それからかゝる月日しことを

とのよふな事もうらみにをもうなよ
みなめへ/\のみうらみである  六94-95

ひとをうらむな、わがみうらみや

教会の門が開き、まず、皆でお礼勤めを勤めることになりました。神殿の掃除をするもの、お供え物を買いに行くもの、皆、教会に戻れた喜びの心で、準備をし、お礼勤めを勤めました。ただ、コンゴ人責任者と私は、お礼のお勤めであると伴に、お詫びのお勤めであることを確認し、勤めをしました。

「みかぐらうた」に次のようなお歌があります。

六ッむごいことばをだしたるも
はやくたすけをいそぐから(みかぐらうた十下り目六ツ)

この診療所での生活は、肉体的にも精神的にも楽なものではありませんでした。

しかし、この出来事を通じ、教会生活のありがたさも分からせていただけたし、苦しい中に、たすけあいが生まれ、一手一つの心になれたような気がしました。そして、この経験がコンゴの道の将来に必ず役に立つと思っています。苦しいとき、悲しいとき「成ってくる理を楽しむ」ことは大変難しいことだと思います。しかし、そこに神の思いをつかみ取るのが信仰なのかも知れません。そして、その神の思う助かりとは、過去、現在、未来という年限を超えての助かりでもあります。

せんしょのいんねんよせてしうごふする
これハまつだいしかとをさまる  一74

このたすけいまばかりやとハおもうなよ
これまつたいのこふきなるぞや  二10

昨日行われたようぼくの集いで、私たちは所長はじめ、ニッケン上條さん、グロリァさんよりお話しを聞かせて頂き、また、色んな方と会って話をしました。これは陽気ぐらしに向かう私たちのために神様が全て準備して下さったものです。

皆さんはどれほどのお土産を、このヨーロッパ出張所で、神様から頂かれたでしょうか?私も沢山のお土産を頂きました。皆様も国々所々に沢山のお土産をお持ち帰り頂きたいと思います。

ご静聴有り難うございました。

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