Tenrikyo Europe Centre

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2015年2月月次祭神殿講話

ヨーロッパ出張所役員 岩切耕一

さて、皆様ご承知の通り、先月の7日、パリで起きたテロ事件は17人の死者を出し、世界中に大きな波紋を広げました。まず犠牲になられた方々のご家族に対し、改めて心からのお悔やみを申し上げたいと思います。この問題は、表現の自由を掲げる新聞社と偶像を禁止するイスラム教の信仰の対立が原因であると言われています。ローマ法王フランシスコ法王は、先月16日、「人の信仰に関わる場合、表現の自由には限度がある」とコメントされました。しかしよく考えてみますと、この問題の根は、表現の自由に制限があるとかないとかというより、もっと深いところにあるのではないかと思われます。

言論や表現の自由は、多くの人が血を流して獲得した権利だと言われています。また、フランス共和国の象徴とも言える「自由、平等、博愛」というスローガンは、フランス革命とナポレオン戦争による500万人近い人命と引き換えに実現されたものです。「欧米では、自由は戦わずしては手に入らず、しかも戦い続けなければ失ってしまうと考えられている」と、日本の学校で習いました。自由を得るために戦い、一旦手に入れたら、次はそれを守るために戦うのであれば、いつ戦うことをやめるのだろうと思ったことを覚えています。

「人間の歴史は戦争の歴史である」という言葉を聞いた事があります。この言葉に間違いはないようです。なぜなら今日現在も世界中いたるところで人間同士が争い、殺し合っているからです。シリア、イラク、イスラエル、アフガニスタン、ウクライナ、中国、アフリカなど数え上げたら切りがありません。問題の原因は、政治、経済、人種、民族、国家、宗教、思想などです。つまり、人間が関わるあらゆる面で人間は自分の権利や主張を押し通し、お互いに対立し、覇権を争い、殺し合いを続けています。まことに嘆かわしい有様だと言わざるを得ません。

皆さんは、このような人間同士が殺し合う原因はどこにあるとお考えになりますか。その原因は、相手の事を受け入れずに自分の権利や主張だけを押し通し、相手を屈服させ、自分の欲しい物を手に入れようとする、欲まみれの自己中心的な人間の考えにあるのではないでしょうか。個人的な問題であれ、国家間の問題であれ、宗教や思想間の問題であれ、すべては人間の心が生み出すものではないかと思います。皆さん方も同じように考えておられるのではないでしょうか。しかし、本当の問題は、誰もがそのことをわかっていながら誰も解決できないでいるという点にあるのではないかと思います。

天理教教祖中山みき様、おやさまは、親神様が人間を創造された時の約束によって、今から178年前の1838年10月26日、41歳の時、神のやしろにお定まりになりました。その後50年の長きにわたって親神様の思し召しを人間に伝えられました。この間、近隣の人々、僧侶、神官達の反対攻撃、続いて国家権力の迫害を受けながらも常に心明るく陽気にお通りになり、人間の生きるべき陽気ぐらしの手本を残されました。それだけでなく、世界中の人間を救けあげたいとの思召しから「陽気づとめ」を教えられ、1887年1月26日、90歳で御身をお隠しになりました。

神のやしろであられた教祖が人間についてどのように考えておられたかは、教祖が残された次のお歌に端的に示されています。

よろづよにせかいのところみハたせど
あしきのものハさらにないぞや1-52

一れつにあしきとゆうてないけれど
一寸のほこりがついたゆへなり1-53

教祖は、人間に誰一人悪人はいないと言われます。ただ心に「ほこり」が一寸ついているだけだと指摘されています。人間の心遣いの中で、親神様のお心に沿わない心遣いのことを「ほこり」に喩えられたのです。具体的には「おしい、ほしい、にくい、かわい、うらみ、はらだち、よく、こうまん」という8つの心遣いを挙げられました。この「ほこりの心遣い」は、日々に知らず知らずに使うささいな心遣いですが、これが積もり重なると、その人の癖や性格となって、結局、自ら苦しまなければならなくなると教えられています。そのため親神様は折に触れ人間に心の入れ替えを促されますが、その手引きを放置していますと仕舞いには、病気の元になったり、戦争や自然災害を引き起こす原因になったりすると戒められているのです。

教祖は「よくの心」を特に戒められています。心の「よく」を「泥」に喩えたり、「人間の心」を「水」に喩えたりしてお話しになりました。親神様の思し召しを汲み取れないのは、濁り水のように心が濁っているからで、「よく」を離れて、自己中心的な心遣いをなくすれば、心は清水のように澄んで、親神様の思し召しがみな映るようになると教えられました。「よく」は親神様が人間に与えられたものですから、「よく」のない人はいないわけですが、自己中心的な行き過ぎた「よく」の心遣いは、親神様のお心に反していると教えられます。教祖が教えられた手おどりの中には「よく」という言葉が何度もでてきます。

よくのないものなけれども かみのまへにハよくはないみかぐらうた5下り目-4

よくのこころをうちわすれ とくとこころをさだめかけみかぐらうた8下り目-4

みればせかいのこころには よくがまじりてあるほどにみかぐらうた9下り目-3

よくがあるならやめてくれ かみの受け取りでけんからみかぐらうた9下り目-4

よくにきりないどろみずや こころすみきれごくらくやみかぐらうた10下り目-4

よくをわすれてひのきしん これがだいいちこえとなるみかぐらうた11下り目-4

教祖が神のやしろになられて約40年後の1877年のことです。日本で士族による武力反乱である西南戦争が勃発しました。戦死者は7ヶ月間で 13.000人を超し、明治初期に起った一連の士族反乱のうち最大規模で日本最後の内戦だと言われています。この戦争に関して、教祖は次のような一連の歌を書き残されています。

せかいぢういちれつわみなきよたいや
たにんとゆうわさらにないぞや13-43

このもとをしりたるものハないのでな
それが月日のざねんばかりや13-44

「月日」というのは親神様のことを指しています。

高山にくらしているもたにそこに
くらしているもをなしたまひい13-45

「高山」というのは、世俗の権力を持った社会的身分の高い人達の事です。この戦争を引き起こした権力者達を指しています。

それよりもたん/\つかうどふぐわな
みな月日よりかしものなるぞ13-46

それしらすみなにんけんの心でわ
なんどたかびくあるとをもふて13-47

月日にハこのしんぢつをせかいぢうへ
どふぞしいかりしよちさしたい13-48

これさいかたしかにしよちしたならば
むほんのねへわきれてしまうに13-49

月日よりしんぢつをもう高山の
たゝかいさいかをさめたるなら13-50

このもよふどふしたならばをさまろふ
よふきづとめにでたる事なら13-51

教祖は、人間とこの世界をお創りになった親神様を共通の親として、世界中の人間は兄弟姉妹であり、人間一人一人の魂に貴賎の差はなく、男も女も平等であることを教えられています。この教えは、天皇を中心とした国造りを進めていた当時の日本政府の政策とは相容れないものでしたので、教祖とその教えの信仰者は長い間迫害を受けてきたのです。教祖は、そもそも人間が使っている体は、親神様から貸し与えられているものであると教えられています。体が自分のものだと思い違いをしているところに、人間の争いの元があるのだと指摘されたのです。

人間の体は親神様からの借り物であるというこの教えは、もう一つ別の大変重要な意味を含んでいます。それは「体」に対する「心」に関する教えです。「心」は自分のものであり、それぞれが自由に使うことができるものであると教えられているのです。そこから「心」は「人間」そのものであるという考えが出てきます。また「人間」は「自由」であるという考え方が可能になってきます。人間がいつの時代にも争い好み、今日においても変りがないのは、自分のものとして許されている「心の自由」を履き違えているからではないかと思います。

我が子である人間が一向に争いをやめないことを心配される親神様のお心の内を、教祖は次のようなお歌で示しておられます。

どのよふなものも一れつハかこなり
月日の心しんばいをみよ6-119

このよふハ一れつハみな月日なり
にんけんハみな月日かしもの6-120

せかいぢうこのしんぢつをしりたなら
ごふきごふよくだすものわない6-121

教祖は、親神様がなぜ人間を創られたのか、その理由をはっきりと教えられました。それは、人間が互いに助け合って「陽気ぐらし」をする様を見て、親神様も共に楽しみたいということからでした。そのことは次のお歌に簡潔に示されています。人間が人間同士の争いを止めない最も大きな原因は、この人間創造の目的を知らないからであると教えられているのです。

月日にわにんけんはじめかけたのわ
よふきゆさんがみたいゆへから14-25

せかいにハこのしんぢつをしらんから
みなどこまでもいつむはかりで14-26

このことから、教祖が教える人間の救済とは、人間が「陽気ぐらし」できるようになる事を意味しています。「陽気ぐらし」は、今ここで自分が互い助け合いを実行することから始まります。そしてその輪を身近なところからだんだん広げて行く事が求められています。また一方で、全人類の究極の目的としての「陽気ぐらし」があります。天理教の信仰者は、その二つを視野に入れて日々を通っているのです。陽気ぐらしに向かって日々を通るために教祖が教えられた信仰的実践が「つとめ」と「さづけ」と呼ばれるものです。

天理教本部でつとめられる「つとめ」は、人間創造の元のぢばでつとめられ「陽気づとめ」と呼ばれています。人間の戦いを治めるための方法は、この「陽気づとめ」に世界中の人間が心を合わせる事であると教えられました。それは「陽気づとめ」が人間を創造したときの親神様のお働きを、今日の世界に再現するものだからです。一方「さづけ」は、親神の働きを人間の病気の体に取り次ぐものです。どんな病気でもたすかると教えられています。人間同士の助け合いを実践する方法ですから、自分に取り次ぐのではなく、他人にしか取り次ぐ事ができません。余談ですが、祭典終了後この場で、さづけの取次ぎがありますので、ご希望の方はどうぞお受け下さい。

教祖に対する明治政府の警察権力による迫害は、教祖が77歳の時から始まりました。特に85歳から89歳までの5年間、十数回にわたり警察署に留置されたり、監獄署に収監されたりしました。今から数えて129年前の、ちょうど今月2月18日のことになりますが、この年は30年来の厳しい寒さに見舞われました。その中、89歳の教祖は、風が吹き抜ける警察署の冷たい板の間に座らせられ、道行く人々の目に晒されて12日間留置されました。こんな中でも、教祖は「連れにくるのも親神なら、呼びにくるのも親神や、ふしからおおきいなる」と回りの人々を励まされ、常に明るい陽気なお心で過ごされたのです。教祖は、拘引に来る警察官は自分の敵だとは一度も言われませんでした。逆に、皆かわいい我が子という態度で接せられたのです。

教祖の教えに対する明治政府の迫害は、教祖が90歳で御身を隠された後も続きました。教祖が御身をお隠しになった約10年後のこと、内務大臣の名前で天理教撲滅を指令した秘密訓令が全国の警察に通達されました。この時、本席・飯降伊蔵を通して親神様の思召しを伺ったところ、次のような「おさしづ(1896年、明治29年4月21日)」が下りました。

「反対する者も可愛い我が子、念ずる者は尚の事。(中略)いかんと言えば、はいと言え。ならんと言えば、はいと言え。どんな事も見ている程に」

親神様の思し召しに対する人間の無理解に対して、教祖は、「ざんねん」とか「りっぷく」という言葉を歌に詠まれていますが、どんな状況にあっても一貫して変わらないのは、人間を我が子として慈しむ親の心です。このことを私たちはしっかり心に刻んでおかなければなりません。

教祖の教えを信仰する人は、親神様の思召しにお応えできるよう、教祖が残して下さった「ひながた」を目標に毎日を過ごしています。そのような信仰者にとって、自分と意見が異なる人を敵だとして排除したり、神様の名の元に人を殺したりすることは考えられませんし、あり得ない事です。この教えの信仰者は、反対に「ひとをたすける」ことを常に求められているのです。人間が創られた目的である「陽気ぐらし」を実現し、親神様と共に楽しむ世界を創るためには、それしか方法がないからです。このようなお歌があります。

月日にわどのよなものもわが子なり
かわいばかりでみてハいれども12-88

いまゝでハせかいぢううハ一れつに
めゑ/\しやんをしてわいれども12-89

なさけないとのよにしやんしたとても
人をたすける心ないので12-90

これからハ月日たのみや一れつわ
心しいかりいれかゑてくれ12-91

教祖の教えを世界中に一日も早く伝えること、世界から戦争をなくすために、今わたしたちにできる事はこの事以外にないように思います。教祖130年祭が、来年1月26日に天理教本部で執り行われます。今からでも遅くはないと思います。このまたとない旬を逃さず、お互いに心を入れ替えて、できるところから、困っている人、苦しんでいる人のおたすけに励ませていただきましょう。少しずつでもヨーロッパに陽気ぐらしが広がっていけば、それをご覧になって、親神様も教祖もご安心くださり、お喜びくださるに違いないと思います。

ご清聴ありがとうございました。

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