Tenrikyo Europe Centre

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2011年8月月次祭神殿講話

飾東巴里出張所長夫人 角本もと子

本日は陽気に8月の月次祭を勤めさせて頂き誠にありがとうございます。親神様のご守護を頂き、私たちは日々本当に、 結構にお連れ通り頂いていると感じます。

わたくし事ですが、私は草花が好きです。花を見ているといつも心を癒されます。そして、花を見るたびに親神様が花を作って下さった事に感謝し、親神様が私たちに喜びを与える為に花を作って下さったのだと思います。
最近、家の近くを歩いているとき、ある家の木を見て驚きました。一本の木の幹から、沢山の枝葉が出ており、こんなにも多くの枝があったのかとあらためて立ち止り、知らぬ間に、大きく成長していることに驚きました。天理教では、木の根は親であると喩えられます。幹、そしてさらに枝葉は子や孫と喩えられます。
私たち子供は、根である親から、栄養を頂き、成長しています。言い換えれば、幹が太くなり、枝葉が栄えるためには、『根』に肥やしを置くことが大切です。それはとりもなおさず、『親』に喜んで頂くことではないかと思います。

今から三十五年前、夫と結婚したばかりの私は、私の大好きな草花に溢れるフランスに来ました。それから現在に至るまでに、成人のいたらない私は、多くの方々に沢山の心配をかけ、お世話になってきた事と思います。特に『親』には、本当に苦労、心配をかけたと思います。

さて、皆さんご存知の通り、私たち夫婦は、約10年間、子供を授かりませんでした。ある年、私たちの教えの『親』である、紺谷久則先生が、「子供が授かるように、おさづけを取り次いであげよう。その為に、心定めをしなさい。その心定めとは、教服を着て、リュクサンブルグ公園へ行き、てをどりを勤め、にをいがけをしなさい。」と仰って下さりました。
正直な所、あのような教服を着て町を歩くことに躊躇いを感じました。しかし、「これで授けて頂ける。」と紺谷先生を信じる心が私たちにありました。それで、私たち夫婦が、その心を定めると、紺谷会長様は、私のお腹におさづけを取り次いで下さいました。
先生はまた、私たち二人にスイス旅行に行くように手配をして下さいました。そして、しばらくすると懐妊していることが分かりました。ここにいるよしのは、たぶんスイスで宿し込まれた子です。
私たちは、こうして、理と情の両面で親心を頂き、素直な心で親の言葉を受けることで、子供を授けて頂き、親となることができました。
苦しいとき、辛いとき、思い切って親の声を聞き、一度素直に実践することが、たすかりへの近道と、そのとき感じました。

さて、その後、よしのがおぢばの学校で勉強をすることになり、私たち親子は、離ればなれで生活をすることになりました。これはよしのが中学生のとき、前会長様から、「高校を卒業したら専修科へ」と聞かせて頂き、そのお言葉を受けてのことでした。私たち夫婦にとっては、本当に辛いことでしたが、親の思いを受けさせて頂きました。

2005年、よしのはおぢばへと出発し、2007年には、紺谷久則先生が出直されました。本当につらい出来事でした。そして翌年、私たち夫婦に大きな節が訪れました。私は2008年の3月に脳血栓で入院し、主人は2008年の5月に脳の手術を受けました。
本当に苦しい時でした。しかし、この時、思いました。よしのがおぢばへ引き寄せて頂き、今、成人の道を歩んでいるのに、私たち夫婦はどうであったでしょう。私たちも成人をさせて頂かなければ、とこの苦しみのときに、心が定まりました。
私たち夫婦は、共に頭に身上を頂きました。私たちの頭の身上は、「高慢」の現れではないかと思います。神様にとって、使いにくいようぼく夫婦であったのではないかと思います。
この身上は、今まで以上に、夫婦の心が一つになるようにとの親神様からのお手入れだと思っています。また、大難は小難にとおつれ通り頂いていることも分かり、健康の喜びも再確認できました。本当に辛い身上の日々でしたが、信仰のお陰で、前向きに、成人の道を進む心になることができました。本当に信仰のお陰と思います。
また、新しい教えの親、紺谷清春会長様は、昨年、私たちがおぢばに帰れるよう、親心をかけて下さいました。人類のふるさと、おぢばは本当にありがたい所です。

ここにいらっしゃる方で、お子様やお孫さんがいらっしゃる方はご理解頂けると思いますが、親というものは常に無条件で子供が幸せになるようにと願っています。まだの方でも、現在までに感じられた親の愛情はそのようなものであると感じるのではないでしょうか。

私達には、生みの親がいます、教えの親がいます。そして、何より私たち人間を創造された「親」、今も私たちに限りないご守護を下さる「親」がいます。その親の願いは、子供である私たちの幸せに生きることです。その親なる神の名前を天理王命様と申し上げます。
親神様は紋型ないところから人間世界を御創造下さり、久遠(とわ)にかわることなく万物に生命を授け、私達に現在の時間と場所を与えられる元の神、実の神様です。
おふでさき

このよふのにんけんはじめもとの神
たれもしりたるものハあるまい         三 15

どろうみのなかよりしゆごふをしへかけ
それがだんだんさかんなるぞや         三 16

とあります。
親神様は人間世界の根元です。この世界を創られたばかりでなく、この世の有りとあらゆるものを悉く守護下さいます。さらにその守護の程は、眼に身に心にありありと感じる事が出来ます。まさしく元の神、実の神様です。

天理教教典では、親神様を「天にては月日と現れ、さやけくも温かい光をもって余す隈なく一れつにこの世を照らす」と教えられます。
親神様が一番お望みになる事は、全ての人が陽気ぐらしをする事です。その姿を見て親神様は楽しみたいと考えられました。
陽気ぐらし世界実現に向かっての信仰生活の第一歩であり、いつも心掛けるべき事は、人をたすける心を養い、そして、心の埃を日々払い心を澄ます事です。「優しい心になりなされや、癖性分をとりなされや、ひとをたすけなされや。」と教祖は仰っておられます。
しかし、人間は、なかなか埃を払う生き方、癖性分をとる生き方ができないものです。そんな時、親神様は、身上や事情を通じ、私たちを導いて下さいます。まさに、身上事情は道の華と言われるゆえんです。

私は、子供のない辛さ、身上の苦しみ、そのお陰で、教えの「親」の声を素直に聞き、埃を払う道に進めたと思っています。身上や事情などの、人生の「ふし」を通し、心の埃を払う道をすすむとき、それまで人間の目で見えなかったものが、心の目で見えるようになってきます。
それは、かりものの世界で生かされている自分を知ることが出来、また「たすけてやろう」という親の思いにあふれたこの世界を感じることができました。
日々成人の歩みを進める現実の世界の奥に、より根源的な世界というものがあると思います。「かしもの・かりもの」の世界であり、「人をたすけて我が身たすかる」世界が見えてきます。
こうして、私たちは、親である「根」に肥を置くことができると私は思います。

今月のヨーロッパ出張所に前真柱様がお入り込み下さいますが、今から24年前にもお入り込み下さいました。その時私達夫婦にやっと授かった生後六ヶ月頃の娘を前真柱様に抱いて頂いた感激は今でも忘れられません。
あの時の自分と今の自分を比べれば、昔の自分の方が物の考え方が素直だったと思います。年をとるほど、様々な経験をし、知恵もついてきます。そうなると、素直に親の声を聞けない自分がそこにいます。純粋でなくなって来ています。しかし、このような今、素直に親の声を聞く努力をするとき、24年前の自分とは違った、さらに一歩成長した、素直な心を持つことができると思います。

7月には、甥の尾種正雄が、大教会長様の親心で、パリに派遣されて来ました。よしの、そして正雄がフランスに来た今、心を合わせて頑張って行きたいと思います。また、大教会長様や今まで支えて下さった皆様方に、この場をかりて、心よりお礼を申し上げます。

御清聴頂きありがとうございます。

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