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2005年11月月次祭神殿講話

本荏モンルージュ布教所長夫人 遠藤久美子

本日は、皆様と共に、11月の月次祭を勤めさせていただくことができ、ありがたいこととと喜ばせていただいております。神殿講話をするようにとのことでございますので、しばらく皆様のお時間を頂戴し、お話をさせていただきます。

教祖120年祭を目前にしたこの時期、今日までの反省と、年祭云々にかかわらず、これから生きていく道中において、今一度、私自身の心のうちに、しっかりと刻ませていただきたいと考えたことを、言葉は足らないかと思いますが、お話させていただきたいと思います。

この5月、私の父が、80歳で出直しをいたしました。父は、ガンで、4年前に、大腸の一部と胃の全部を摘出する手術を受けておりました。その後、抗がん剤の治療もしばらくうけていたのですが、薬が合わず、たいへんつらい思いをしたようで、「日常生活に支障をきたすような治療は、もう受けたくない。それよりは、どれだけお与えいただいたかわからないこの寿命を、自分のやりたいことを精一杯して出直したい。」との意思で、治療をやめてしまいました。治療をやめた後も、健康だったときと変らず、体が動く限り、教会の御用、おつとめも欠かすことはありませんでした。しかしながら、最終的には、リンパ節、及び肺にガンが転移してしまったのでした。病院には入院せず、自宅でもある教会で、母と弟夫婦に看取られての出直しでした。

私の父、そして、父を看病する実家の家族が、どのように父の出直しを迎えたのか。私はこちらに住んでおりますから、そのあたりのことは、家族の話を聞かないとわかりません。知らせを聞き、すぐに日本へ帰りましたが、実家に到着しました時には、すでに、父はお棺の中に納められておりました。

今、父の後を継ぎ、教会長を勤めさせていただいております私の弟が、父の出直し前の父の様子を、所属しております大教会の神殿講話でお話させていただいたもの、大教会の月報を読み、「そうだったのか」と、あらためて、子供として、またこの道を信ずる者として、今一度、心におさめさせていただきたいとおもうところがございましたので、恥ずかしながら、弟の話の、ほんの一部ですが抜粋して、まずは、読ませていただきたいと思います。この話の中では、立場上、父のことを「前会長」と言っております。

〈以下、抜粋文〉
寝込んで1ヶ月少しでしたが、その間、いろいろな方々とも最後の別れをさせていただくことができました。寝込んでいる時間をお与えいただいたから、いろんな方に、「有難う」という最後の別れを言うことができました。
また寝込んでいるときでも、意識がしっかりしていましたので、オムツを替えて貰う側、前会長の立場にたってみると、これは非常に辛いことだったと思うのです。しかし、それでもオムツを替えさせてもらった後、「有難う」と一言、言ってくれました。また食事も、横になったまま、口元に食べ物を運んで、口の中に入れさせてもらうのですが、食べ終わった後も、「有難う」と言ってくれました。
息が絶え絶えになって、水くらいしか喉を通らない。その水を口に含ませても、絶え絶えの息の中で、「有難う」と言ってくれました。
ある時は、手を合わせていました。「なぜ手を合わせているのかな」と思ったら、「おしっこが出るから有難いんや」と言って手を合わせる。「便が出るから有難い」と言って、手を合わせている。
その姿を見ると、前会長は、「どんな苦しい時でも、『有難う』という感謝の心、『有難い』という喜びの心が持てるのだよ」ということを、身を持って私たちに示してくれたのではないかと思うのです。最期に最後の仕込みを自分の身を通してしてくれたのだと思うのです。そう考えた時に、前会長は、最後まで信仰者であったと思うのです。

以上でございます。

肺にもガンが見つかり、お医者さんから、あと2ヶ月との宣告を受けたことを聞き、私も会社に特別お願いをして、4月に、1週間でしたが、実家に帰らせていただきました。その時には、もう完全に動ける状態ではなくなっていました。父のことは、母や弟夫婦が、ちゃんと看てくれていましたから、帰っても、私には何もすることがありませんでした。ただ、父の側に座って父の寝顔を見ているだけでした。そんなある時、父が、「お母ちゃんを呼んできてくれるか」というので、母を呼びに行きました。便意をもよおしたようだったのですが、母から、部屋を出るようにといわれ、私は、部屋をでました。しばらくしますと、父の部屋から、「有難うございます。有難うございます。」と、父の声が聞こえてきます。その声は、何と表現したらよいのかわかりませんが、その声だけを聞いている私までもが、自然に神様に手を合わせたくなる、神聖な儀式に立ち会っているような気持ちになる……そんな声でした。
健康な私には、おしっこや大便の排泄はあたりまえの自然現象。
お腹一杯に美味しい食事をいただいた時などは、「ありがとうございます」というお礼の気持ちも出てきますが、それを排泄するときには、そのことは、もう忘れてしまっています。

「生きていれば、あたりまえ」と、常は意識することのない飲食い出入りのご守護。
「生きているから、あたりまえ」と言いたくなりますが、「心臓が動いている。」「呼吸をしている。」…私自身が、決して、意識して動かしているのではありません。

毎日、朝晩のおつとめをいたします。
朝づとめには、「今日も、大難を小難にお連れ通りいただきますよう。」と、お願いをいたします。
夕づとめには、「今日も、無難にお連れ通りいただき、ありがとうございます。」とお礼を申し上げます。
朝に「お願い」をし、夜に、それがかなったから「お礼」を言う。
自分の身に、災難が降りかかってこないことを願い、災難が降りかかってこなかったことを喜ぶ。
病気にならないことを願い、病気になっていないことを喜ぶ。
これらのことは、生活していれば、願って当然のことかもしれませんが、そこには、何かが欠けておりました。

教典第七章に、

この世に生まれさせて頂き、日々結構に生活しているのも、天地抱き合わせの、親神の温かい懐で、絶えず育まれているからである。即ち、銘々が、日々何の不自由もなく、身上をつかわせて頂けるのも、親神が、温み・水気をはじめ、総てに亙って、篤い守護を下さればこそで、いかに己が力や知恵を頼んでいても、一旦、身上のさわりとなれば、発熱に苦しみ、悪寒に悩み、又、畳一枚が己が住む世界となって、手足一つさえ自由かなわぬようにもなる。ここをよく思案すれば、身上は親神のかしものである、という理が、自と胸に治まる。

めへめへのみのうちよりのかりものを
しらずにいてハなにもわからん     三 137

一旦、身上のさわりとなれば、発熱に苦しみ、悪寒に悩み、又、畳一枚が己が住む世界となって、手足一つさえ自由かなわぬようにもなる。

父は、全くそのとおりの状態にあったのですが、それでも、「苦しい」とは言わず、親神様のして下さるご守護に感謝し、喜び、お礼を申し上げていました。また、世話をしてくれる家族にも、家族のしてくれることに感謝し、喜び、お礼を言っていました。

日々感謝の心と喜びの心。
「どんな苦しい時でも、『有難う』という感謝の心、『有難い』という喜びの心が持てるのだ。」
言葉にすれば、簡単に思えることですが、生活している中には、いろいろなことが起ります。そんな中で、この言葉は、私の宝として、おさめていこうと思っております。

ご静聴、ありがとうございました。

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