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2015年6月月次祭神殿講話

篠田克典(ラ・セーヌ布教所長)

先日、日本の実業家、京セラやKDDIの創業者でもある稲盛和夫氏の講演会に行ってまいりました。この方は、2010年1月に、経営破綻した日本航空(JAL)を立て直すためにその会長就任を依頼され、2012年には会社更生法の適用から2年で見事に営業利益2000億円というV字回復を果たされた方です。

講演会でのお話の主な内容は、どのようにしてあの大企業の再建に成功したかということと、自身がどのようにして経営理念(ヒィロソフィーという言い方をされていました)を培うに至ったかということでした。

大変興味深いお話でした。詳しいことはここでは割愛いたしますが、要点をいくつか申し上げますと、まず、稲盛氏がおっしゃるに、「企業とは全社員の幸福のために存在する」という理念の元、「やりがいと誇りを持って生き生きと働けるようにする」ことで会社の経営状態が向上したということです。

JALが消滅してしまうと、日本の経済にも、JALやその関連会社の社員と家族の生活にも、さらには日本の交通の利便性にも大きな影響を与えてしまうということから、JALの再建は世の為人の為という大義名分があり、それを実現しようとすることが社内の意識を高める要因になったそうです。

次に会社幹部の意識改革を促したとのことですが、リーダー教育をし、リーダーとしてのあり方、経営の考え方を伝えようとしていたとき、ある会社幹部から、「そんな話はもう既に何度も聞いている」と言われたそうです。しかし稲盛氏は「あなた方は知識として知っていても身についていない、実践していない」と指摘し、自分自身がまず実践をし、ほかの人から尊敬される生き方、考え方をすることの大切さを説かれました。

稲盛氏はJALの会長職を無給で引き受けられました。最初は週に3日だけということで始めたとのことですが、忙しくなるにつれ週に4日、5日とだんだんJALの経営に費やす時間が増えたそうです。しかしそうして取り組んだことが社員の意識やモチベーションに影響を与えたとおっしゃていました。

私はそのお話をお道の教えに照らし合わせながら聞いておりましたが、なるほどと合点の行くことばかりでした。

お道の教えでは、人間は陽気ぐらしをするために創られたということですが、おさしづに「皆んな勇ましてこそ、真の陽気という。」とあります。自分だけ楽しくてもそれは薄っぺらなもので、周りを楽しませることで得る喜びの方が数倍大きな充実感が得られます。人は、自分の行いが他人を幸福にさせられると感じた時、大きな勇み心が沸くものです。JALの再建の原動力となった社員の意識改革はまさにその点を突いたものでした。

「勇み心に神宿る」というお言葉もありますが、人の幸福を願い、そこに生きがいを感じた時、人間は自らの持てる力を最大限に発揮できるといういい例であるように思いました。もちろん、このお言葉は第一義にはお道でいう「おにをいがけ・おたすけ」の姿勢についてのことでしょうが、一般社会でも普遍的に通じるものだと思います。

また、会社幹部の意識改革のお話にありましたが、知っているということと、やっているということは全然違うということも改めて自分の反省を促されるものでした。

私は物心ついた頃からお道のお話を聞いて育ちました。小学校から大学までおぢばの学校で教育を受けてまいりました上に、修養科や教会長検定講習も受講しましたので、天理教の教えの知識は十分身についていると思います。

しかし、それを日々実践しているか、信仰が十分身についているかと申しますと、必ずしも「十分」とは言い難く、大変申し訳ない気持ちになります。

神様のお言葉に、

「反対するも可愛い我が子、念ずる者は尚の事。なれど、念ずる者でも用いねば反対同様のもの。これまでほんの言葉言葉でさしづしてある。これはというようなものは、さしづがさしづやないと言う。世界の反対は言うまでやない。道の中の反対、道の中の反対は、肥をする処を流して了うようなもの」おさしづ 明治39年4月21日)

とあります。私も朝晩神様を拝み、おつとめをしておりますが、教えを実践せずに人に説くだけではもちろん人には伝わりませんし、挙げ句の果てには親神様に「反対同様のもの」と言われてしまいます。やはり行ってこそ意味のあるものです。

近頃は「働くよふぼく」というテーマがお道の中でビデオや記事によく取り上げられます。世間一般で仕事をしながら信仰しているよふぼくのことです。私もその一人です。

ちょうど1年ほど前に独立して自分の会社を立ち上げ、以来、webサイトの制作や業務システムの開発などを行っております。まだ社員は私一人だけですので、先ほどの稲盛氏のお話が重ねられる部分は大きくはありませんが、自分の働きによって周りをいかに喜ばせられるかということは常に自分の意識の中にあります。仕事をすればもちろん自分の利益になりますが、それによって相手がどのような利益が得られるかということも同時に考えることが、お互いに長くいい関係を続けるのに大切なことだと思っております。

教祖は「商売人はなあ、高う買うて、安う売るのやで。」とおっしゃったとお伝えいただいています。ほかよりも高く仕入れて問屋を喜ばせ、安く売って顧客を喜ばせ、自分は薄い利益に満足して通るのが商売の道だというのがこのお言葉の意味ですが、我さえ良くばという考え方をしていると一時は良くても長くは立ち行かなくなってしまいます。商売においても何においてもそうですが、利己主義ではなく、利他の心に基づいた心遣いや行いこそが現代も、そしてこれからの未来も人の心に響くものであり、自分も相手も幸せになれる元であるに違いありません。

それぞれの持ち場立場は違いますが、半年後に迫った教祖百三十年祭に向けて、自分のできることで更に一層周りを勇ませ、共に陽気ぐらしへの道を歩ませていただきたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。

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