Tenrikyo Europe Centre

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2010年8月月次祭神殿講話

ヨーロッパ出張所役員 篠田克典

出張所の設立40周年記念祭まであと1ヶ月となりました。この記念祭には真柱様御夫妻のお入り込みをいただき、つとめさせていただくことになっております。この慶びの旬をここで迎えさせていただけることを、皆様同様に、私もとても楽しみにしております。

さて、今「よろこび」という言葉を使いましたが、このお道を信心する上で、親神様の御守護をいただく上で、この「よろこび」というのは一つの大切なキーワードであるように思います。

親神様が何もないところからこの世と人間をお創りくだされたのは、人間というものをこしらえて、その陽気ぐらしをするのを見て、共に楽しみたいと思いつかれたからだとお聞かせいただいております。つまり私たちは陽気ぐらしをするためにこの世に置いていただいているのであります。毎日不平不満ばかり口にし、泣き暮らしていては、この世をお創りくだされた神様のお心に添わないのです。

しかし陽気ぐらしとは、自分だけが喜んでいればそれでいいのではありません。自分が喜ぶために人を泣かしたり困らせたりしては、それは真の陽気とは言えません。「おさしづにも、

皆んな勇ましてこそ、真の陽気という。めんめん楽しんで、後々の者苦しますようでは、ほんとの陽気とは言えん。

とあります。

この、真の陽気の心が、親神様の御守護をいただく大きな元になるのです。

だれにも経験のあることだと思いますが、自分が他人に対して何かしたことでその人が喜んでくれたら、自分も嬉しくなるということがあります。この時の嬉しさというものは、何ともすがすがしいものです。「人たすけたら我が身たすかる」とお教えいただいておりますが、その最も日常的に経験する一つの例でしょう。

近年、笑いと健康との関係について、あちこちで取りざたされています。人は喜んだりうれしかったりする時には笑顔になります。おもしろければ、声を出して笑います。このことが、健康の源であり、病気の治療にも有効らしいということが様々な実験で証明されているそうです。数年前のことですが、日本のある芸能事務所と食品会社とが共同で笑いの研究をし、笑いの効果にはストレスや疲労感軽減などの傾向があるとの結果を発表しています。笑いと病気の治癒に関する研究は世界的にも進化しているそうです。その一つの実験結果として、笑いは、癌と闘うナチュラルキラー細胞を活性化させるということが発表されています。吉本興業の実験では、漫才を見てその前後でナチュラルキラー細胞を調べたところ、ナチュラルキラー細胞の活性化が確認されたそうです。

このお道では、教祖御在世当時、つまり150年ほども前から、「病の元は心から」と教えていただいておりますが、科学がようやくそれを実証し始めたということでしょうか。

しかし、神様の御守護の世界は、実はもっと深く、計り知れないものです。
一つ、こんな逸話があります。

教祖御在世当時、桝井キクさんという農家のご婦人がおられました。この方は教祖伝逸話篇にも「えらい遠回りをして」というお話に登場する、ご主人の喘息をたすけてもらうために御利益があると聞いたところをあちこち尋ね回り、最後におやさまのうわさを聞き、お目通りされたというご婦人です。この桝井キクさんは、初めて教祖にお目にかかったとき、そのお言葉を聞いて、ほんに成る程、これこそ本当の親や、これこそ夫をたすけていただく本当の親だと、心から感じたそうです。そのキクさんの孫に当たる桝井孝四郎先生の著「おさしづ語り草」には次のように書かれています。

その次におやしきに詣った時に、この教祖に喜んで頂きたいという上から、百姓のことで珍しいものはないが、しかし心尽くしの団子を重箱に入れて、教祖の前にさし出した。そうすると、教祖はお喜びになって、その団子を一つつまんでおあがりになった。そしてその後で半分おあがりになって、後の半分を、私のおばあさんの口へ、さあ、おあがりと言って入れてくださった。・・・

教祖自ら半分お食べになった団子を、口の中へ入れて頂かれたおばあさんの喜びは、想像に余りあるのである。頂かれた団子を我が口に入れるのがもったいない、惜しい気持ちで頂かれたこの喜びが、何になって現れたか。自分の夫の身上、即ち喘息が、見事な御守護を頂くという形になって現れたのである。・・・

おばあさんが食べた団子が、自分じゃなくして主人の身上がたすかる。科学でも知恵でも力でもはかることはできないことが、御守護となって現れる。これは動かせない事実なんである。

まあ、考えてみましたら、元何もないところから人間と世界を創造された神様のなすことですから、神様にとってはいともたやすいことなのでしょう。
問題は私たち人間の心、受け取り方なのです。

この世界は親神様の御守護に満ちあふれています。しかも親神様には我が子である人間に与えたい気持ちでいっぱいなのです。天から雨が降り注ぐように御守護を降り注いでくださっても、それを受け取る手を出す、つまり受け取る心がなければ、当然御守護はいただけません。逆に言えば、心さえ作ればどんな御守護でもいただけるというのが天理の世界なのです。喜ぶ心、喜べる心を持つというのはその第一歩ではないでしょうか。

同じ状況にあっても、喜べる人とそうでない人がいます。楽しいこと、うれしいことなら、だれでも喜べます。うちの3歳の子でもそれくらいはできます。自分の好きな食べ物が出てきたら喜び、ほしかったおもちゃが手に入ったら喜びます。しかし、普通は喜べない状況でも、喜び勇んで通ることができれば、親神様はどんな御守護をくださるかわかりません。

子どもの話ついでですが、うちには3歳の息子ともうすぐ1歳になる娘とがいます。2人とも実に賑やかで、四六時中しゃべっているか泣き叫んでいるかで、それは食事中もお風呂に入っている時も同じです。私たち夫婦は子どもが起きている間中、ゆっくりくつろぐということがなかなかできません。大事な話をしていたり、テレビやラジオに耳を傾けているときでも、容赦なく子ども達は大きな声で話しかけてきたりやんちゃを言ったりしますから、毎日何度「静かにしなさい」と叫んでいるかわかりません。時にはおかげで思うように事が進まずいらいらすることもありますが、これも子供達が元気でいてくれるおかげ、自分の耳が聞こえるおかげと思い、喜びに変えるようにつとめています。事実、そうなのですから、喜べるところから喜ばなければ、せっかくの親神様の御守護を無にしてしまうことになりかねません。

こんなことはまったく些細なことですが、世の中には、もっと差し迫った状況の中で暮らしている方々が大勢いらっしゃいます。病気、貧困、家庭の事情などで喜べと言うのが酷なくらいの方がいらっしゃいます。
人間の本当の親である神様の存在、御守護の世界を知らずに、人生に絶望している人、同じ過ちを繰り返している人、笑うことを忘れてしまっている人、そんな人達を親神様は一日も早くたすけあげたいと願っていらっしゃるに違いありません。

このお道のお話を先に聞かせていただいた私たちは、身近にそういう人がいれば、一言声をかけて、話し相手になってあげられたら、親神様はどんなにかお喜びになるかわかりません。さらには、元の親、実の親である親神様の存在を知ってもらい、その人の心がたすかって喜びの心が持てるようになれば、今度はそれが自分の大きな喜びとなって返ってきます。

このヨーロッパ出張所の40周年には、ヨーロッパ各地から喜びの心が集い、また新たな喜びを持って皆がそれぞれの土地に帰っていけるような記念祭になればと思っております。

御静聴ありがとうございました。

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