Tenrikyo Europe Centre

Loading ...

2012年12月月次祭神殿講話

英国連絡所副代表 サイモン・パターソン

こんにちは。本日は、ここに集まった皆様と共に勇んで12月の月次祭を勤めさせていただきました。誠にありがとうございました。
本日は私が神殿講話を勤めさせていただきます。しばらくの間、お付き合いください。

10月26日、おぢばでは、秋季大祭が勤められました。2016年、立教179年に勤められる教祖130年祭へ向けての三年千日を前に、真柱様より諭達第3号をご発布いただきました。
教祖の年祭は、我々の成人とつとめの完成を急き込まれる上から教祖が現身を隠された1887年陰暦1月26日を記念するものであります。

教祖伝に、

明くれば二月十八日、陰暦正月二十六日である。(註一)恰も、従来から毎月、つとめをして来た日であるし、殊には、教祖のお身上に関して、つとめをお急込みになって居る。近郷近在からは多数の参拝人が詰めかけて居る。しかも、官憲の目は厳しく、一つ間違えば、お身上中の教祖をも拘引しかねまじい剣幕である。人々はこの板挟みの中に立って、思案に暮れた。

(中略)

しかし、これと立て合うて、陽気な鳴物の音を満足気に聞いて居られた教祖は、丁度、「だいくのにんもそろひきた」という十二下りの最後のお歌の了る頃、一寸変ったそぶりをなさったので、お側に居たひさが、お水ですか。と、伺うた処、微かに、
「ウ−ン」
と、仰せられた。そこで水を差上げた処、三口召し上った。つゞいて、おばあ様。と、お呼び申したが、もう何ともお返事がない。

(中略)

つとめを無事了えて、かんろだいの所から、意気揚々と引き揚げて来た一同は、これを聞いて、たゞ一声、「ワ−ッ」と悲壮な声を上げて泣いただけで、あとはシ−ンとなって了って、しわぶき一つする者も無かった。
教祖は、午後二時頃つとめの了ると共に、眠るが如く現身をおかくしになった。時に、御年九十歳。

これは今からほぼ126年前、1887年の出来事です。教祖は50年の半生を世界だすけに捧げ、ひながたを通して、私達に陽気ぐらし世界をお示し下されました。

おぢばでは、毎日午後2時になると「よろづよ八首」のメロディーが響き、私たちに教祖が現身をお隠しになったときの様子をイメージさせます。人々は突然立ち止まり、一斉におぢばの方向を向きます。一時の静けさの中、教祖の親心を思い出すのです。

さて、真柱様は諭達第3号の中で、教祖の、天理教の根本的な教えをお示しくださっております。

まず、おつとめを勤めることの重要性です。おふでさきには、

このつとめなにの事やとをもている
せかいをさめてたすけばかりを第四号93

はや/\と心そろをてしいかりと
つとめするならせかいをさまる第十四号92

とあります。

また、人間の生きる目的は陽気ぐらし世界の建設で、親神様は私たち全てにそれを望まれているということです。
おふでさきに、

せかいぢうみな一れつハすみきりて
よふきづくめにくらす事なら

月日にもたしか心がいさむなら
にんけんなるもみなをなし事

このよふのせかいの心いさむなら
月日にんけんをなじ事やで第七号 109~111

とある通りです。

そして、慎み深い生活を送る事です。欲を張らず、他人との軋轢を避けるのです。代わりに人とのつながりを強め、家族同士の絆を深めるのです。

さて、ここヨーロッパでお道のパイオニアである私たちようぼくには、今から述べるようなタイプの人に教えを伝えていくという課題が付け加えられています。

  • 日本に行ったことがなく、ソニー、ヤマハ、寿司以外は日本についてあまり知識を持たない人。
  • 「ビッグスリー」と呼ばれるユダヤ教、キリスト教、イスラム教を信仰する人や、全ての戦争はそれらの宗教の名の下に行われていると考え、それらを毛嫌いする人。後者は、世間で起こる様々な問題の責任を宗教に求めさえする。
  • 宗教と無縁の生活を送る人。代わりにサッカーチームやポップグループを崇拝したり、フェイスブックなどの仮想世界に時間を費やしたりする。
  • 東洋の宗教に興味を持っているが、例えば「新しい車が欲しい」と十分な回数唱えれば、それが手に入るなどということを信じてしまっている人。
  • 景気後退のせいで解雇され、全てを失い、社会から見捨てられた人。
  • うつ病に悩まされ、抜け出せずにいる人。

諭達第3号は、このように、きっと私たちが出会うであろう様々なタイプの人と、これから挙げるようなようぼくとしての責任を想起させます。

教えをしっかり身につける。
家族内で助け合い、調和を生み出す。
教会に足を運び、会長に協力する。
自身を批判的に振り返って、心を入れ替える。
出来る限り人に優しくする。

また、次に述べるようなおたすけをすることです。
身近な人に心を配る
問題を抱える人がいればその人のために祈る
その人に進んで声をかける
その人の悩みを聞く
その人に寄り添う
その人におさづけを取り次ぐ
その人が私たちと共に陽気ぐらしを目指すよう導く

天理教を信仰することで、私たちは友人、家族、同僚、地域社会、そしていわゆる社会に対して別の道を歩んでいることを表明しています。人種、肌の色、国籍に関わらず、全ての人の平穏・平和の上に成り立つ道です。我々はお互いのたすけあいと慎みによって生まれる調和の世界、陽気ぐらしを目指しているのです。

教祖は、人だすけこそが自らがたすかる道とお教えくださいました。これは天理教の教えで最も重要な教えのひとつです。我々は、ほかの人に自分のための祈りを求めるべきではなく、自身の幸運を祈るべきでもありません。それは自己中心的で、欲深いことです。それよりも人のたすかりを祈り、人の幸運を祈り、人の健康と幸せを祈り、出来るときはいつでもおさづけを取り次がせていただきましょう。

教祖130年祭に向けての三年千日が始まり、私たちは、真柱様からいただいたお言葉で勇ませていただき、諭達第3号を定期的に拝読させていただく心構えであります。

お世話をし、一生懸命祈った相手が回復したり、上手く問題を解決できたりしたら、きっと心が喜びと達成感で満ちることでしょう。御存命の教祖の教えを核に、平和な世界を目指すことは、陽気ぐらし世界へ我々を近づけてくれることでしょう。

前向きに、楽観的にそのような未来を楽しみにしていきましょう。

ご清聴ありがとうございました。

アーカイブ