Tenrikyo Europe Centre

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2016年9月月次祭神殿講話

ヨーロッパ出張所役員 岩切耕一

親神様が人間世界にはじめて現れたのは、今から179年前の1838年10月24日の夜のことでした。教祖中山みき様のお口を通して、「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降った。みきを神のやしろに貰い受けたい。」と人間に告げられたのです。

中山家にとって、このお告げは簡単に受け入れられるものではなかったため、親戚一同が集まっていろいろ相談したのですが、親神様はがんとしてお聞き入れになりませんでした。仕方なく、夫である中山善兵衛様は親神様に「みきを差し上げます。」とお答えになりました。それが10月26日の朝のことでした。こうして中山みき様は「神のやしろ」にお定まりになり、天理教が始まったのです。

「神のやしろ」にお定りになった教祖は、この日から御身をお隠しになるまでの50年間、親神様の思し召しを人間に伝えられました。教祖は、その思し召しを口で話しただけでなく、直々筆に書き記され、日々の行為に表して伝えられました。現在、口で話された内容は「こうき本」として書き残されていますし、直々書き記されたものは「おふでさき」という本になっています。また、行ないに示された50年間の歩みは「ひながた」と呼ばれ、天理教信仰の目標となっています。教祖伝逸話篇に主な200の逸話が「ひながた」として紹介されています。

教祖が伝えられた親神様の思召しとは、親神様が人間をお創りになった時の思召しのことを意味しています。それは、教典第3章に書かれています。「この世の元はじまりは、どろ海であった。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた。」ということです。

教祖は、親神様の信仰は、自分を産んでくれた親に対する気持ちと同じ気持ちで信仰しなさいと教えられました。教祖が人間に教えられたのは、世界中の人間は親神様を共通の親とする兄弟姉妹であり、仲良く助け合いながら陽気ぐらしをするために生きているのだということでした。そして、50年という長い年月をかけて、どうしたら陽気ぐらしができるかを口で話し、筆に記され、行いに示して教えられたのです。

人間が陽気ぐらしをするために教祖が教えられた具体的な方法は、3つあります。それは、「おびや許し」と「たすけづとめ」と「さづけの理」です。教祖は50年のひながたの前半に「おびや許し」を人間に与えられました。そして後半に、よろづたすけの方法として「たすけづとめ」を教えられました。そして、御身をお隠しになった後、ご存命の教祖として、病気を癒すための「さづけの理」を広く一般にお渡しくださいました。天理教は、この3つの方法で、親神様の人間創造の思し召しを、この世に実現しようとする宗教です。

「おびや許し」と「たすけづとめ」と「さづけの理」がどんなものかについては、皆さんそれぞれに勉強されている事と思います。知らない方はどうぞ隣の方におたずねください。今日は、「たすけづとめ」と「さづけの理」を実行するために、教祖が人間に求められている心のあり方について簡単にお話をしたいと思います。

天理教は、陽気ぐらしをするために、物や金ではなく、人の心に最大の注意を払っています。天理教は、物や金があるから陽気ぐらしができるとは考えずに、どんな環境にいても、心ひとつで陽気ぐらしができると教えています。病気であっても健康であっても、陽気ぐらしができることに変りはありません。そして陽気ぐらしができる最も理想的な心を「誠真実の心」と教えられています。これが、教祖が私達一人一人に求められている心ということになります。

「誠真実の心」に関して、「信者の栞」にはこのように書かれています。「誠真実というは、ただ正直にさえして、自分だけ慎んでいればそれでよい、というわけのものではありません。誠の理を、日々に働かしていくという働きがなくては、真実とは申せません。そこでたすけ一条とも聞かせられます。互い立て合い、助け合いが第一で、少しでも人がよいよう、喜ぶよう、助かるように、心を働かしていかねばなりません。そこで八つのほこりも、わが心につけんばかりでなく、人にもこのほこりをつけさせぬようにしないといけません。まず己がほしいものならば、人もほしいにちがいない。人にほしいというほこりをつけさせまいと思えば、わがものも分けて、一つのものは半分わけても、ほしいのほこりをつけさせぬようにするのが、真実誠のはたらきです。」

では、どうしたらこのような「誠真実の心」になれるのでしょうか。天理教教典第8章には「たんのうの心が治まり、ひのきしんに身が勇んで、欲を忘れる時、ここに、親神の思召しにかなう誠真実があらわれる。」とあります。言い換えれば、「たんのう」して「ひのきしん」をして、また「たんのう」して「ひのきしん」をするということを、繰り返し繰り返ししていくうちに、知らないうちに「誠真実の心」ができてくるということになります。

たんのうの精神」とは、前生自分が犯した誤ちを深く省みる精神のことです。教祖は人間の体は親神様からの借り物で、亡くなる時お返しをして、再び新しい体をお借りしてこの世に生まれかわってくると教えられました。従って、人間には、前生、今生、来生があると考えられています。今生において悩みや苦しみが起こってきた時に、「たんのうの精神」によって前生自分が犯した誤ちを深く省みて、その中に親神様の救済のお心を読み取り、心を倒さずに、喜び勇んで明るく暮らそうと努力することができると教祖は教えられました。

たんのうの精神」に関して次のような逸話があります。

147本当のたすかり

「大和国倉橋村の山本与平妻いさは、1882年、ふしぎなたすけを頂いて、足腰がブキブキと音を立てて立ち上がり、年来の足の悩みをすっきり御守護頂いた。が、そのあと手が少しふるえて、なかなかよくならない。少しのことではあったが、当人はこれを苦にしていた。それで、1884年夏、おぢばへ帰り、教祖にお目にかかって、そのふるえる手を出して、「お息をかけて頂きとうございます。」と、願った。すると、教祖は、「息をかけるは、いと易い事やが、あんたは、足を救けて頂いたのやから、手の少しふるえるぐらいは、何も差し支えはしない。すっきり救けてもらうよりは、少しぐらい残っている方が、前生のいんねんもよく悟れるし、いつまでも忘れなくて、それが本当のたすかりやで。人、皆、すっきり救かる事ばかり願うが、真実救かる理が大事やで。」

それから、「ひのきしんの精神」とは、親神様の守護を感じた時、そのご守護に対する喜びや感謝の気持ちを態度や行いに表す精神のことです。そこには自己中心的な慾はありませんから、見返りを求めずに、ただ人のために尽くす行為があるだけです。「ひのきしんの精神」は「ボランティアの精神」とは異なります。「ひのきしん」は親神様の守護に対する喜びや感謝の行為ですから、だれに頼まれたからするというものではなく、一人ででも、いつでもどこでもできます。一度やったら終わりというものではありません。病気になって初めて健康のありがたさに気がつきますから、病気の人が「ひのきしん」に励む姿はよく見られますし、「ひのきしん」のおかげで健康が回復したという話をよく耳にします。

ひのきしん」に関して次のような逸話が残っています。

逸話編144

教祖は、1884年3月24日から4月5日まで奈良監獄署へ御苦労下された。鴻田忠三郎も10日間入牢拘禁された。その間、忠三郎は、獄吏から便所掃除を命ぜられた。忠三郎が掃除を終えて、教祖の御前にもどると、教祖は、「鴻田はん、こんな所へ連れて来て、便所のようなむさい所の掃除をさされて、あんたは、どう思うたかえ。」と、お尋ね下されたので、「何をさせて頂いても、神様の御用向きを勤めさせて頂くと思えば、実に結構でございます。」と申し上げると、教祖の仰せ下さるには、「そうそう、どんな辛い事や嫌な事でも、結構と思うてすれば、天に届く理、神様受け取り下さる理は、結構に変えて下さる。なれども、えらい仕事、しんどい仕事を何んぼしても、ああ辛いなあ、ああ嫌やなあ、と、不足々々でしては、天に届く理は不足になるのやで。」と、お諭し下された。」

たんのうの精神」と「ひのきしんの精神」によって、人間の心/精神には、親神様の思召しにかなう「誠真実の心」が現れてくると教祖は教えられました。これが陽気ぐらしの心/精神です。世界中の人間が陽気ぐらしの心/精神になった時には、人間は115歳を定命に、病まず、死なず、弱らずに生き続けることができると教えられています。

おさしづに、このようなお言葉があります。

「精神一つの理によって、一人万人に向かう。神は心に乗りて働く。心さえしっかりすれば、神が自由自在に心に乗りて働く程に。」(明治31年10月2日)

ここでいう「心」は「誠真実の心」のことだと思います。親神様は、人間の「誠真実の心」に対して自由自在のご守護をするという意味だと思います。反対に、「誠真実の心」でなければ親神様のご守護がいただけないという意味にもなるのではないかと思います。

教祖伝逸話篇には、力試しの逸話が多くありますが、これは、人間の「誠真実の心」と「親神様のご守護」の関係をお示しになった逸話ではないかと思います。逸話篇174を読んでみたいと思います。

「もと大和小泉藩でお馬廻役をしていて、柔術や剣道にも相当腕に覚えのあった仲野秀信が、ある日おぢばへ帰って、教祖にお目にかかった時のこと、教祖は、「仲野はん、あんたは世界で力強やといわれていなさるが、一つこの手を放してごらん。」と、仰せになって、仲野の両方の手首をお握りになった。仲野は、仰せられるままに、最初は少しずつ力を入れて、握られている自分の手を引いてみたが、なかなか離れない。それで、今度は本気になって、満身の力を両の手にこめて、気合い諸共ヤッと引き離そうとした。しかし、ご高齢の教祖は、神色自若として、ビクともなさらない。まだ壮年の仲野は、今は、顔を真っ赤にして、何とかして引き離そうと、力限り、何度も、ヤッ、ヤッと試みたが、教祖は、依然としてニコニコなさっているだけで、何の甲斐もない。それのみか、驚いた事には、仲野が、力を入れて引っ張れば引っ張る程、だんだん自分の手首が堅く握りしめられて、ついには手首がちぎれるような痛さをさえ覚えて来た。さすがの仲野も、ついに耐えきれなくなって、「どうも恐れ入りました。お放し願います。」と言って、お放し下さるよう願った。すると教祖は、「何も、謝らいでもよい。そっちで力をゆるめたら、神も力をゆるめる。そっちで力を入れたら、神も力を入れるのやで。この事は、今だけの事やないほどに。」と、仰せになって、静かに手をお放しになった。

教祖130年祭を迎えるに際して、真柱様は、諭達第三号の中で、「おたすけは周囲に心を配ることから始まる。身上、事情に苦しむ人、悩む人があれば、先ずは、その治まりを願い、進んで声を掛け、たすけの手を差し伸べよう。」とおっしゃいました。この逸話編にあるように、一人一人が誠真実の心を強く働かせれば、親神様は倍の力でご守護を返してくださるに違いありません。130年祭は終わりましたが、私たちの歩む道に変りはありません。しっかりと人だすけに励んで、ご存命の教祖にお喜びいただきたいものと存じます。

ご清聴ありがとうございました。

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