Tenrikyo Europe Centre

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2021年5月月次祭神殿講話

明和パリ布教の家担当夫人 小林久美子

本日は、まず私事で恐縮ですが、私と天理教との出会いについてお話したいと思います。

私が天理教を知ったのは今から約15年前です。実は主人に会うまで「天理教」という宗教を知りませんでした。私が生まれ育った家は、特定の信仰を持った家庭ではありませんでした。新年には神社にお参りに行き、夏休みや彼岸には祖先のあるお墓をお参りし、クリスマスを祝い、大晦日にはお寺に除夜の鐘を聞きに行く、そんな家庭でした。

フランスの方が聞くと驚くかもしれませんが、日本ではこういったことはむしろ普通であるとされています。むしろ特定の宗教を信仰していることの方が特別だと思っている人も多いのではないかと思います。私もそんな1人で、主人に出会うまで信仰というものについて、深く考えたことはありませんでした。

それが縁あって主人に会い、結婚、そして、フランスに住むことになりました。実は、私が初めて天理教の門をくぐったのは、日本ではなく、この天理教ヨーロッパ出張所でした。私は当時イギリスに留学していました。そして、1年間の留学生活の終わりに、ヨーロッパに来た思い出の1つにと、観光でパリに来ました。

主人とは、それより約8年ほど前に日本語教師の仕事を通じて知り合った仲で、フランスにいることも知っていました。せっかくパリに行くのだからということで、連絡を取ってみたところ、快くパリの案内を引き受けてくれました。そのとき、天理日仏文化協会、そして、天理教ヨーロッパ出張所を紹介してもらいました。まさか、その数年後に私がこの場でおつとめ着を着て、月次祭に出させていただくことになろうとは、当時は夢にも思っていませんでした。

主人とパリで再会した後、私は日本へ帰国し、新たな仕事のため韓国へ行きました。そんな中、パリで再会したことがきっかけで、その後も連絡を取り合い、結婚することになりました。フランスに渡る前に3カ月余りの期間がありました。私は、フランス語を習いに行こうかと思うと話しました。しかし、主人は私におぢばである修養科に入ることを勧めました。

主人が言うには「フランス語のことはフランスに来てからでも学ぶことはできる。自分も教えてあげることはできる。しかし、慣れない地での生活、また結婚生活の中で教えを学ぶことは容易なことではないし、時間もかかる。3カ月修養科に行けば、10年間で学べることを、3カ月に短縮できる。何も知らないと修養科では大変な思いをするかもしれないが、何も知らずにパリに来れば、もっと大変な思いをすることになるかもしれない。」とのことでした。まるで雲を掴むようなその説明を、私は理解できませんでしたが、そこまで言うならと修養科に入ることになりました。

修養科では、見ること、聞くこと、何もかも私が今まで見聞きしたことのないことばかりで驚きの連続でした。私はオーストラリア、イギリス、そして韓国と、いくつかの国で生活した経験がありますが、修養科での驚きと違和感は、海外生活で感じた驚きを上回るものでした。周囲はみんな日本人ですから、言葉の問題は全くありません。しかし、わからないことだらけなのです。

3カ月あればだいたいのことはわかるだろうと聞かされていましたが、当時は、結局何もかもがぼやけたままで不安のまま終えてしまったように感じていたように思います。そんな不安を抱えた中も乗り切れたのは、その修養科在籍中に長男を身籠ったことでした。お腹の長男の存在が支えとなりました。ただお腹の子との修養科生活にまわりの方々からは大変幸運なことだ、信仰が深まると言われましたが、当時の私はまだそれを感謝できるほど成人してはいませんでした。

そして、天理教だけでなく、フランス語も全くできない中でのフランス生活がはじまりました。フランスに来てからは、滞在許可書の手続きや、出産の準備などで、毎日のようにあちらこちらへと連れて行かれ、一体今何が起こっているのか、大丈夫なのか、問題があるのか、わからないことだらけで、今ではあの時の記憶がはっきりありません。

その中の救いがこの天理教ヨーロッパ出張所と、ここに集う人たちの温かさでした。お道では、「いちれつ兄弟」と言われます。私は出張所に来るとまるで自分の実家に帰ってきたような安堵感に包まれました。修養科に入ったときも同じでしたが、そこには家族も友人も知り合いもいません。昨日まで名前も顔も知らなかった人たちです。周囲がそういった方々ばかりだと、不安になるものですが、この出張所では安心と安らぎを感じることができました。

もちろん、当時はこのようなことを冷静に考える気持ちの余裕はありませんでした。けれど、今になって当時を振り返ると、この出張所のありがたさがしみじみと感じられます。特にこの出張所に集う女性の方々の中には、私と同じように日本から来られ、フランスで出産を経験された方も多く、まるで自分の家族のように温かく見守り、気を使ってくださいました。ですから、時には厳しく指導されることもありましたが、そんな言葉も素直に受け取ることができたように思えます。

私は、信仰や教えをそういった方々の温かさの中で感じることができたように思います。それはここに集う皆様方が長年の信仰をお持ちだからでしょう。そして、私自身、わからないながらも何とかおつとめひのきしんをさせていただいているからだと思います。ですから、そういった皆さん方の声やお心の中に、親神様のご守護を感じることができたのではないでしょうか。おやさまの逸話篇の中には「よう帰ってきたな」というおやさまの一言で、心が癒されたというお話がいくつかあります。人間の親として、かわいい子どもの帰りを待ち続ける親の声は、たとえ一言であっても人々の心を和ませることができるのでしょう。

私が来仏したのは2007年です。気がつけば、すでに14年の月日が流れました。その間、多くの方々からたくさんのお心遣いと、信仰の喜びを与えていただきました。思い返せば、今ここにいらっしゃる方々だけではなく、来仏当時の所長、永尾先生ご夫妻、その後、所長を引き継がれた田中先生ご夫妻、そして現在の長谷川先生ご夫妻、ヨーロッパの教友の皆様、ご本部、海外部の先生方、さらには、大教会の先生方、所属教会の方々など、数え上げればきりがありません。多くの方々の温かいお心と信仰に触れる中、いつしか私自身もここに来られる方に安堵してもらいたい、信仰の喜びを感じてもらいたいと思うようになりました。

信仰と言うと、固く重い感じがしますが、この道の教えは、「陽気ぐらし」。この世界は、親神様が神人和楽の陽気な世界を創られたいと思し召されたことによって、はじめられたと聞かせていただいています。このヨーロッパ出張所があるのも、ここに皆様方が集われるのも、また、インターネットを通じてご参拝くださっているのも、全てはこの親神様の思召しに一歩でも近づこうという思いがあってのことと思います。そういった方々一人一人の信仰によって、この出張所の陽気な雰囲気が造られていくものだと思います。

今年の9月には、天理教ヨーロッパ出張所創立51周年記念祭が行われます。これまで多くの方々から受けた温かいお心遣いと、信仰の喜びに感謝するとともに、私自身も一人でも多くの方にその喜びを与えられるようになりたいと思います。そして、この出張所がより多くの方に心の安らぎと信仰の喜びを感じていただけるところになることを願っています。

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