Tenrikyo Europe Centre

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2012年10月大祭神殿講話

ヨーロッパ出張所長 長谷川善久

只今は、陽気にヨーロッパ出張所10月の大祭を奉仕者、参拝者一同、揃って陽気につとめ終えさせて頂きましたこと、大変うれしく思います。ありがとうございました。
これより少々お時間を頂きまして、神殿講話をつとめさせて頂きたいと思います。しばらくの間おつきあいいただきますようよろしくお願い申し上げます。

今年3月に私が出張所の所長になってから、早いもので7ヶ月が立ちました。これまでに毎月の月次祭をはじめ、5月のチャリティーバザー、7月の天理教の集い、セミナー、おぢばがえり、8月の教校学園高校の研修、パレット、9月の平和の祈り、陽気ぐらし講座などなど、全ての行事を無事開催させて頂く事ができました。これも全て、今日お集りいただいております皆様はじめ、ヨーロッパ各地の教友の方々のお力添えがあればこそと感謝しております。

そして、私が忘れてはならないと思っていることは、今日のこのような出張所の姿があるのも、出張所の元一日を担って下さった諸先輩先生方のお陰であるという事です。ヨーロッパにまだ天理教が何も無いない時から、真実の種を蒔いてくださった故に今の結構な姿があると思います。親があって子があるように、物事には全て始まりがあるのことを忘れないようにしたいものです。

皆様、ご存知の通り、先ほど終えましたおつとめは、今月26日におぢばでつとめられるかんろだいづとめの理を受けて勤められるお勤めです。ですから、この出張所でつとめた「おつとめ」もおぢばでつとめられる「おつとめ」も行う事の意義は同じといえます。
では、この大祭をつとめる意義とはなんでしょうか。それは、世界人類の平和を祈念することと同時に、我々信者が立教の元一日に思いを馳せることにあります。
信者ひとり一人が、この教えが何のために開かれたのかを深く問い直し、その目的に向かって新たなる一歩を踏みだす日とするよう教えて頂いております。

立教の元一日、目的と言われて直に思い浮かぶ言葉は、教典の最初に書かれてある以下の言葉です。

「われは元の神、実の神である、世界いちれつを救けるために天下った。みきを神の社に貰い受けたい。」

ここから、この教えが開かれた目的とは、「世界一れつをたすけるため」ということがはっきりと分かります。
なぜ、人間をたすけたいのかと言うと、親神が人間を想像したときの願い「人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたい」という思いを叶える為であります。

それまでの人間は、親神の親心あふれる守護を受けて文明を発達させ、繁栄・成長してきた一方で、自由な使い方をゆるされた「心の使い方」を誤り、争いを起こし、迷い苦しんできました。そこで、親神は、創造の時の思いとはかけ離れた人間の姿をみて哀れと思われ、旬刻限の到来とともに、教祖中山みき様を社として私たちの前にお現れになりました。

「世界いちれつを救ける」の「救け」とは、ただ単に物事がうまくいくようにするとか、お金が儲かるとか、病気がなおるということではありません。その人の生き方を転換させるたすけです。生き方を転換させるとは、言い換えれば、心遣いを改めさせるという事です。親神の教えの全ては、この一点を成し遂げる為にあるといえます。

親神は、そのために、見定めた人々を教祖様のもとへ引き寄せ、教祖の口を通して、彼らにその教えを伝え、悩む人々の心遣いを改めさすことができる人材として育ててきました。この教えを聞かせて頂いた人々の喜びは非常に大きなものであったと思います。

教祖の口を通してというとすごく昔の事のように思われる方もおられるかもしれませんが、わずか150年程前の事です。確かに、今、私たちは教祖様のお口から直接教えをお聞きする事はできませんが、しかしながら、私たちの信仰は、その流れの元をたどれば全てが必ず教祖一人に行き着きます。
つまり、それは別の言い方をすると、教祖様から、ある人に手渡されたプレゼントが色々な人の手を廻り回って、現在、私の手の中にあるのと同じ事だと思います。私は、そのプレゼントから、送り主の気持ち、温もりを感じ、心が喜びで満たされます。
皆さんはどのくらい、日々の中で、天理教の信仰生活というプレゼントから、教祖の温もりを感じ、心が喜びで満たされているでしょうか。

今、ここにおられる皆さんや日本をはじめとして世界中に大勢おられる信者の方々は、最初の動機はどうあれ、皆、神様によって、お道に引き寄せられた方々だと思います。

おふでさきに、

一寸はなし神の心の急き込みは
よふぼくよせるよふばかりを3号128

よふぼくも一寸のことではないほどに
をふくよふきがほしい事から3号130

と書かれてある通りです。

その思いは、世界一れつをたすけたい上から教祖の道具として使うことにあります。
陽気ぐらし世界建設のために神様が多く欲しいと言われるよふぼくとは、おぢばで聞かせて頂く 別席 の話を9回聞くうちに、人をたすけさせてもらいたいという心を持つにいた」り、おさづけの理を頂かれた方です。
おさづけの理とは、親神様から教祖を通して頂く、身上に障りを頂いて苦しんでいる人に親神様の御守護を頂けるように取り次がせて頂くものです。

二代真柱様はようぼく教祖の関係について次のようにお諭し下されています。
「皆さんは、教祖の道具衆なのであります。教祖の心に入り込んで頂いて、教祖おつとめ、世界一列に陽気ぐらしを味わって頂くにをいがけの道具となり、陽気ふしんの用材となって、持ち場、持ち場を固めて頂きたいのであります。」さらに、「皆さんはおさづけを取り次がして頂く。それによって陽気ぐらしの理を教祖の思し召しを未だ道を知らない人に伝える事ができる。皆さんは人をたすけさせて頂く、というよりも、教祖に代わって理(その人がたすかる道筋)を取り次がせていただくのである。教祖に代わって理を取り次がして頂く事。すなわち、教祖の道具衆なのであります。」とお教え下されました。

ようぼくとは、日頃から教祖とともにあり、教祖になり代わって人々に親神様の思し召しを伝える役割を与えられていると言えます。
勿論、親神様の教えを伝える事はようぼくでなければ、出来ない事ではありません。まだおさづけを頂かれてない人も、積極的に取り組み教祖に喜んで頂くことが肝心です。

そして、親神様の思し召される「たすけ」つまり、私たちが人生の上で直面する様々な問題がおこる原因となる心遣いを改め、生き方を転換してもらえるよう努力致しましょう。

事実、みなさんの中にも『信仰を始めて心遣いを改めることが出来た』『生き方の転換をした』という方もおられるでしょうし、また『身上が治った、事情が治まったので神様に感謝しているが、特に心の使い方に気を付けている訳ではない』という人もおられるかと思います。

この心の使い方、生き方を転換するということは難しいものです。特に年を取っていれば、取っているほど、難しいことだと思います。誰もがみな癖性分というものがあり、これには、現世だけのものでなく、前世何代かにわたる心の癖性分が影響を及ぼしているからだと、私は考えています。

このこびりついたような心の使い方を切り替えるためにもつとめるのが「おつとめ」であります。おつとめを真剣につとめ、心の切り替えを願う事によって、神様が心の癖を取り除いて下さるのです。
どんな些細な事であっても、人間の力だけで出来ている事は何もありません。神様の御守護を頂く事により成り立っています。

さて、2016年には、おぢば教祖130年祭がつとめられます。この年祭は、私たち信仰者にとってまたとない「旬」だと言われています。
旬とは、普段頂戴している神様の御守護、親神様の救いの働きが最も盛んな時期のことで、この時に、我々がそれにふさわしい努力を重ねれば、無理だと思うようなことでも、不思議な御守護も頂けるとお教えいただいております。

この「旬」について、おさしづには以下ように説明されています。

旬が来る。旬と見たら運ばねばならんで。(明治23年7月22日)

旬ならば、ならんと思えることでも成ってくる。どんな反対があっても成る。(明治34年4月16日)

しかしながら、そのような旬が旬として働くのは、勿論私たちの心の持ちよう一つであります。

心一つの理を以て、ひとつの旬という。(明治22年10月4日)

というおさしづがある通りです。

年祭は、それを目標に全教が一手一つになって年祭活動に取り組み、そしてその成果や成人した姿を御存命の教祖にご覧頂き、お喜び頂こうという節目であるとお教えいただいております。
教会長・布教所長であろうが、一人の信者であろうが、信仰理解の度合いに関係なく、とにかく親神様に心をつなぎ、思し召しに添う心を定め、実行に移した暁には、旬にのった大きな御守護を与えて頂けるのです。この年祭を大きな節目・旬と捉え、これまでの先輩方も、事実、大きな信仰的決意を表明し、御守護を頂かれてきました。

今月26日に真柱様より御発布くださる諭達の精神をしっかりと受け、今、このヨーロッパの天理教を担う我々も、何の為に信仰しているのか、何をすべきかをいつも心に置きながら、心を引き締めて2016年の年祭活動をつとめさせて頂きたいと思います。
そうする中で、必ずや私たちの子供たち、孫たちまでも続くような大きな御守護をこの旬に頂けると確信しております。
ご清聴ありがとうございました。

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