Tenrikyo Europe Centre

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2019年8月月次祭神殿講話

ヨーロッパ出張所長夫人 長谷川真理子

みなさま既にご承知の事と思いますが、来年2020年、天理教婦人会は創立110周年という節目の年を迎えます。

4月19日には、ご本部に於きまして、天理教婦人会創立110周年記念総会を執り行うはこびとなっております。

その総会に先立ちまして、世界各地で婦人会員決起のつどいを開催し、ヨーロッパでも、6月7日にオランダにて、翌8日には出張所におきまして、つどいを開催させていただきました。

みなさまのお力をお借りしまして、無事につとめさせていただくことができました。ありがとうございました。

4月におぢばに一時帰国させていただき、婦人会総会に参加させていただきました。みなさまもすでにご承知の通り、只今は真柱様はご身上のため療養中でございます。当然のことながら、今年の総会にはご臨席いただくことは叶いませんでした。そのことは、前々からわかっていたことではありますが、当日、婦人会長様をはじめ、来賓の先生方をお迎えした中に、真柱様の御姿が見られなかった現実は、本当に寂しい気持ちになるできごとでありました。

そして、それまで当然のようにご臨席いただき、お言葉をいただいていたことは当たり前ではないことを感じる瞬間でもありました。

今回の総会の席上で、婦人会長様は、

陽気ぐらしの実現はわたしたちが心のほこりを払い、人をたすける誠真実のこころになることによってもたらせる

とお話くださいました。

また、こころのほこりを払う具体的な方法として、次のようにもお話し下さいました。

私たち自身の心を澄ますには、教えの実行によって心のほこりを払い、胸の掃除を常に心がけ、人をたすける心を持つこと、何からでも人をたすける行いを実行することが大切です。中でも一番重要なことは、つとめさづけです。

( 中略 )

このおつとめを心を込めて真剣に勤め、人のたすかりを願っておさづけを取り次ぐことによって、心のほこりを払わせて頂けると思うのでございます。また、人をたすける行いは、おさづけの理を戴いていなくても、年齢に関係なく誰もが日常の中でできることです。人をたすける行いは、自分のことよりも人のことを思っています。自分さえ良ければ、今さえ良ければという自己中心的な考えが消えている状態だと思います。それは親神様に喜んで頂ける姿でありますから、「人たすけてわがみたすかる」というお言葉が、身にしみて分からせて頂けるのでございます。

ある日の夕方、出張所の神殿掃除をしていた時のことです。掃除を終え、いつものようにお灯明を置き、ちゃんと真ん中に置いているかどうか、位置の確認をしておりました。いつもですと2、3回直せばその位置が決まるのですが、その日は何度やっても決まりません。なんでだろうと思いふと足元を見ると、自分自身がきちんと真ん中に立っていないということに気付きました。

また、以前、夜にこの神殿で十二下りのおてふりをしていた時のことです。目を閉じて闇雲におてふりをしておりました。終わった時に目を開けると、立っている位置や向きが、神様とは全然違うところを向いておりました。

このできごとは、『必死に前を向いてはいるが、自分の思いだけで、芯がずれているのではないか。教えを元に物事を考えているだろうか。自分の気持ちだけが先走り、教えを自分に合わせようとしてはいないか。また、神様の思いとは違った方向を向いてはいないか。今一度しっかり考えるように。』と神様からおっしゃっていただいたように思えました。

一人よがりにならぬよう、堪えず自分の足元を見つめ直し、しっかり神様の思いに心を合わせることが肝心であると、教えていただいたできごとでした。

天理教婦人会が掲げる成人目標は、「ひながたをたどり 陽気ぐらしの台となりましょう」であります。

この成人目標について、今回の総会の中で、内統領•宮森与一郎先生は、以下のおさしづを引用され、婦人会のめざすところをお話しくださいました。

明治33年5月16日のおさしづ

「人の心養うように、優しいなぁと言うは世界の台。」

とあります。

世界には小さい世界から大きな世界まであると思います。一番小さい世界が夫婦二人の世界でありましょう。親子の世界、家族の世界、隣近所、親戚、町、国、地球全体まで、それぞれの世界があると言えます。

どの関係の世界であっても「優しいなぁというは世界の台」であります。優しいなぁというは陽気ぐらしの台であります。

どこまでも教祖の「ひながたをたどり」そして、それぞれの関係の中で「陽気ぐらしの台となる」ことが婦人会の目指すところであると思うのであります。

お話の中にもありました、ひながたをたどるとはどのようなことをするのか。

『わたしたちは教祖ではないし、大それたことはできない』と思うかもしれません。わたし自身もそのように思うことがあります。

わたしくごとですが、4月の一時帰国の際に、古くからの友人に再会することができました。わたしは、その友人の身上を通して、それまでの自分から、こころを変えてもらった経験がありました。

私の家の信仰は私たちで三代目になり、生まれた時から天理教で、それまでは、親の言われるままに通っていたように思います。ですが、友人の身上から、自分が自分の意志でこの道を歩んでいこうと決心したように思います。親から教えてもらう信仰から、自分の信仰へ変わった時だと思います。その出来事は、いわばわたしの信仰の元一日です。そのことを、今一度おぢばで感じさせていただいたことは、自分の元を思い返すようにと、神様から言って頂いているように思いました。

友人が身上を助けていただき、神様を感じ、また人のために祈ることで、何よりもたすけていただいたのは、わたし自身の心であったことを感じた経験でもあります。

みなさんも、それぞれにたすけていただいた日や、信仰を決意した元一日があると思います。ひながたをたどるというと、とてもできそうにないことだと感じる方もおられるかもしれませんが、自分が信仰を決意した、その時の思いやその時の心定めを忘れることなく、たすけていただいた喜びを、人をたすける喜びへ変えていき、日々を過ごしていくことは、わたしたちにもできることではないでしょうか。

4月26日の本部月次祭に参拝させていただいた時に、かぐらづとめの前に真柱様が参拝にお出ましになられました。

ゆっくりと歩みを進める御姿に、神殿内は静かな歓声が起こり、静かな拍手が沸き起こっておりました。

遠くから御姿を拝見でき、感動・感激の一言でした。

親にふしを見せていただき、子どもであるわたしたちはいま、何をするべきであるか。節目の総会を前に、そして来年9月20日に迎えるヨーロッパ出張所50周年に向い、ひとりひとりがまずは、おつとめを真剣につとめること、人をたすけるこころになること、ようぼくであれば、おさづけを取り次ぐこと。

そのことが、神様が喜んでくださる行いであり、ひいては自分自身がたすけていただける道なのだと感じさせていただきました。

来年の婦人会総会には、一人でも多くおぢばに帰らせていただきたいということと、またそれ以上に、この大きな2つの節目に、それぞれの心の成人をお誓いされますことをお願いし、本日の講話とさせていただきます。

ご清聴ありがとうございました。

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