Tenrikyo Europe Centre

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2016年1月大祭神殿講話

ヨーロッパ出張所長 長谷川善久

はじめに昨年中は、ヨーロッパ出張所の御用の上に真実のひのきしんを尽くしてくださり、誠にありがとうございました。厚く御礼もうしあげます。2015年の行事を思い返しますと、まずは何と言っても青年会長、真柱継承者であられます大亮様にヨーロッパにお越し頂けたことが挙げられます。教祖の年祭を目前に控えた9月という時期に、ヨーロッパ青年会結成30周年にご臨席頂き、そのご挨拶の中でご自身のにおいがけ体験での不安な気持ち、その先に見えた御守護の世界などをありのままにお話くださりました。この話を聞き、多くの方が大亮様と共に更なる努力を積ましてもらおうという気持ちを固めたのではないかと思います。滞在中は、全ての行事で皆に親しくお声をお掛けくださり、おぢばからの勇みの種をお蒔き下さいました。

実際、10日間にも渡るヨーロッパでのご滞在が、無事つとめさせて頂けたのも、親神様、教祖の御守護は言うまでも無く、出張所役員はじめ、遠近を問わずヨーロッパ中から高額の費用を出してまでお集まり下さいました方々の真実、また、ここまで出張所を立派にしてくださいましたご本部、直属教会の先輩先生方のお陰であると心より感謝の念を抱きました。

また7月のヨーロッパセミナーも大変充実したものでありました。

ヨーロッパセミナー修了者が教人資格講習会への受講資格をご本部より頂けることを目標に掲げ、期間を3週間に延ばし、プログラムもアメリカやハワイを参考に大幅な変更を加えて再スタートしてから2年目の年でありました。受講生数、講義内容、生活全般の全てに於いて大変満足できるものであったと思います。在欧教友が教えを求めて心を練り磨くたすけ一条の拠点として、またひのきしんを通して心を繋ぐ拠点として、真柱様からお教え頂いた出張所の役割を僅かながらでも一歩前進させて頂けた年であったと思わしていただきました。

勿論、この二つ以外にも婦人会、青年会も対象を分けた活動を沢山展開して下さいました。そのどれもが存命の教祖にお導き頂き、結構につとめさせて頂けた立教178年であったと思います。ありがとうございました。

今、「存命の教祖にお導き頂き」と申しましたが、今日お集まりの皆様方は、教祖はそのお姿こそ見えませんが、今も私達を親心でお導き下さっていることは、お分かりであろうと思います。

その教祖がお姿をお隠しになられた日、明治20年1月26日(1887年1月26日)に由来して勤められるのが、先程つとめた1月の大祭です。

この大祭の意義は、教祖がお姿をもって人々をお導き下さった「ひながた」の最後の日々を我々が、もう一度思い起し、その親心に改めて感謝を捧げることにあります。教祖は、世界たすけを進めるうえから、25年の定命を縮め我々子供を救うために姿を隠し、広くおさづけの理をお渡しくださるようになりました。その教祖の親心に対する感謝の念は、はたして今の自分は教祖のご期待に応えているだろうかという問掛けに繋がると思います。

教祖が我々につとめるよう急き込まれたこと、それが「おつとめ」でありました。このようなおつとめですから、勤めるときには、親神様からお貸し頂いている身体を始めとして、家族、人間関係、食べるもの、住むところ、社会的立場など全てのものに感謝する念を心に浮び上らせ、真剣な気持ちでおつとめを勤めることが大切です。

さて、来る今月26日にはいよいよ教祖130年祭がおぢばで執り行われます。この年祭活動は「おたすけ」を軸につとめるということでありましたが、年祭まであと17日と迫った今日、みなさんは、どのくらい実行できたとお考えになられるでしょうか。

この三年間、精一杯努力できたという方もあれば、そこまででもないという方もおられるかと思います。満足された三年千日活動ができたという方には、心よりお労いを申し上げます。しかし、残念ながら自分自身でそこまで満足いくような三年間でなかったという方には、是非とも心の内を見つめ「なぜできなかったのか」を一度はゆっくり考える時間を持って頂きたいと思います。

教祖の年祭を迎える私達が、心に置いておくべき事は、この三年間の成人の姿を教祖にご報告申し上げることが一つ。またこの日を契機に更なる成人の道をこれからも進めることを教祖にお誓いするのが、もう一つの重要な角目であります。

年祭は成人の一里塚とお示し頂くように最終到着点ではありません。そうではなく、信仰生活の中での、成人の進み具合をチェックするポイントです。成人の歩みは一生続けていくものですから、例え今回の年祭活動のできばえがあまり良くなくても、まだ歩むべき道が目の前には、続いていることに変りありません。

すべての用木、信者がどのような形であれ「おたすけ」をさせて頂こうという申合せのなか活動が展開されましたが、なぜ「おたすけ」だったのでしょうか。

それは、天理教の精神は教祖の全人類をたすけ上げたいという親心を抜きにしては語ることが出来ないからだと思うのです。その親心があるがために、教祖はひながたを通して、たすけ一条の道をつけられたのです。

このたすけ一条の道について、3代真柱様は次の5つを教えてくださっております。

たすけ一条の道とは、

  1. 自分の心を澄み切らせて陽気づくめに治める道
  2. 人々と互いに助け合いながら立て合って歩いて行くところの道。
  3. おつとめによって親神様に勇んで頂いては、よろづたすけの上に珍しい御守護を頂く道。
  4. 親神様の思し召しを次々と伝え広める道
  5. 親神様に凭れて教えを実行するとき必ずや御守護頂ける道

つまり、天理教が教える喜び溢れる生活を享受するための方法とは、自分の心を教祖の親心とし「ひながた」を歩むことなのです。

おさしづの刻限御話に

「さあ/\一寸話仕掛けるで/\。まあ、あちらもこちらも取り混ぜ/\て、一つの理を諭そう。もう/\急がしい/\。日々が急がしい/\。何でも彼でも、一つ見れば一つの理がある。聞けば一つの理がある。二つの理の道理の理を、治めてくれねばならん。難しい事は言わん。難しい事をせいとも、紋型無き事をせいと言わん。

皆一つ/\のひながたの道がある。ひながたの道を通れんというような事ではどうもならん。あちらへ廻り、日々の処、三十日と言えば、五十日向うの守護をして居る事を知らん。これ分からんような事ではどうもならん。ひながたの道通れんような事ではどうもならん。長い事を通れと言えば、出けんが一つの理。世界道というは、どんな道あるやら分からん。」M22.11.7

とあります。

しかし、実際「おたすけ」を始めると様々な困難に打ちひしがれることがあります。それゆえどうしても多くの方々は、尻込みして教祖の世界に飛込む事ができません。ひとりぼっちで、みち無き道を歩んでいるような気持ちになってくるのです。

しかしながら、おさしづの中に

むずかしい道はをやが皆通りたで。をやの理思えば、通るに陽気遊びの理を思え。明治21年10月12日

というものがあるのをご存じでしょうか。

困難の道だと思えども、実は、教祖がすでにお通り下され、私達が乗り越えられないようなものは、全てそこから取除いて下さっている。子供である私達は、そのような道をただ陽気に心勇んで通れば良いと仰って下さっています。我々の通る道は、すべて教祖ひながたの理を頂いてこそのたすける道、たすかる道なのです。

それ故にむしろ、苦労に出会うようなことがあったあらば、「ああこれで、教祖の御苦労をほんの少しでも自分も味合せて頂けた、ありがたい」「教祖は喜んで下さっている」と自分に言い聞かせるぐらいになりたいものですし、「教祖の御苦労を少しでも味合せて頂きたいと」という気持ちで勤めるなかに大きな御守護が頂けるのだと思います。

皆様方には、どうか年祭までの残りの日々を懸命におつとめ頂き、また年祭の当日には、年祭後も我々信者、ようぼくの人生に真の価値を与えてくれる「ひとだすけ」の道を歩み続けることを教祖に申し上げて頂きたいと思います。

また最後になりますが、年祭当日におぢばに帰ることの出来ない方もヨーロッパ出張所では朝10時より年祭の遥拝式をつとめますので、どうかできるだけ都合をつけてご参拝頂きますようお願い申し上げまして、私の神殿講話を終らせて頂きます。

ご静聴ありがとうございました。

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