Tenrikyo Europe Centre
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中田晃(海外部ヨーロッパ・アフリカ課長)
さて、ご承知のように、私たちは現在、教祖130年祭へ向かって、三年千日の年祭活動の中にいます。今回の年祭活動のキーワードと申しましょうか、中心は、真柱様がこの年祭へ向けてご発布下された諭達第三号の中でお示し下されているように、「おたすけ」であります。この諭達の中で、真柱様は、私たちに、おたすけの大切さを示され、その実行、実践を望まれ、促されておられるのです。
この10年ごとに訪れる教祖の年祭、そしてその年祭に向かう三年千日の活動は、「できる者だけがしたらよい」というものではありません。このお道につながる私、そしてここにいる皆さん方が動き、それぞれが今いるところから一歩でも、たとえそれが小さな一歩でも、前へ進み、成人させていただくことが大切であります。
その手だすけとでも言いましょうか、二年前の年祭活動一年目には、教会本部から各直属教会へ本部巡教が行われ、続いてその直属から、皆さん方が所属されている教会も含め、それぞれの全部内教会へ一斉巡教が実施されました。そして、昨年、全ようぼくにおたすけの実践を促す目的で、世界中でようぼくの集いが開催されたわけです。
しかし、色々な立場にいる私たちお互いであります。ですから、おたすけと言いましても、その形は様々ではないでしょうか。ここにいる皆さんの中には、それこそ、神名流しや路傍講演、また個別訪問のような布教活動が得意で、楽しくて仕方がない、と言う人もおられれば、「いやいや、私にはそんな布教活動は無理。おたすけは教会長や布教所長がするもの」と考えている方もおられるかもしれません。
しかし、おたすけは、何も形の決まったものがあるわけではありません。ひのきしん同様、その形は千差万別です。
教祖は、たすかって喜んでおぢばがえりをした人たちが、「どうすれば、このご恩返しができますか」という問いに、「人をたすけなさい」と仰られました。つまり、私たちがたすかるために、親神様は、私たちができるたすけを必ず用意して下さっている、ということであります。そのおたすけを、教祖が私たち一人一人に用意してくださっている「おたすけ」を見落とさないためにも、それこそ、真柱様が諭達第三号にお示しくだされているように、「周囲に心を配る」ことが大切になるでしょう。
昔、一年間日本の大阪といところで布教していたことがあります。
毎日、朝から夕方まで、一日中個別訪問をするのですが、誰も相手にしてくれません。毎日人に断られ続けていると、自分自身の存在価値を否定されているようで、気持ちも段々と落ち込んでいくものです。そんな時、ある先生から、「先ずは1万軒の戸別訪問を目指すように」、と言われました。その先生曰く、「1万軒訪問すれば、話を聞いてくれる方が、一人は現れる」とのことでした。一日100件以上回れば、3ヶ月くらいで達成する数です。しかし、一日100件という数が以外にも難しいのです。先ほども申しましたが、訪問すれど、誰も話を聞いてくれない。聞いてくれないどころか、「こっちは忙しいのに、若い者が、仕事もせずに、昼日中から、何をしている」というような目で見られ、いやな顔をされる。あるいは、罵詈雑言を浴びせられることもありました。
それでも、なんとか数ヶ月かかって、しっかり数えていたわけではありませんが、恐らく1万軒くらいの訪問になった頃でしょう。丁度7月25日だったと思います。翌月の本部月次祭には、何とか、帰参者をお連れしたいと思い、戸別訪問をしておりましたが、やはり、その日も誰も話を聞いてくれません。日も暮れてきて、そろそろ帰ろうかと思っていたところ、路地の奥にある古い2階建てのアパートが、ふっと目に留まりました。その中の1軒に見覚えがありました。そこは、布教をはじめた当初に訪問したことのあるお宅でした。その時は年配の女性が出てこられ、こちらが「天理教のものですが、」と言いかけるやいなや、「天理教なんかいらん、いらん」と、きつく断られた、いやな思い出の扉でした。普段なら、あきらめて、帰っているところでしたが、その時は何故か、今日はこの一軒を最後に回って帰ろうと心が決まったのでした。恐る恐る、ドアをノックすると、やはり年配の女性が出てこられました。やはり断られるかなと思いながらも、「天理教のものですが、」と言いかけましたが、今回は断る様子もなく、話を聞いてくれたのです。後で話を聞くと、私が以前、訪問したときには、たまたま遊びに来ていてた、その方の妹さんが、私の応対に出られたのだそうです。少し話をしてから、意を決して、「明日、一緒に天理へ行きませんか?」と誘ってみました。すると、その方は、「実は昨日階段でつまづいて、両膝を打ち付けてしまって、そこが痛くて歩けない」と仰いました。そこで、おさづけの取り次ぎを申し出ると、快く承諾して下さいました。
おさづけの取り次ぎが終わり、親神様、教祖にお礼の参拝をしようとしたとき、その方が、突然、「あれ、痛くない。足を曲げられる」と叫んだのです。鮮やかなご守護でした。二人で、手を取り合って喜びました。
しかし、喜びの余り、改めて翌日のおぢば帰りをお誘いするのを、すっかり忘れてしまったのです。
そこで、翌日も訪問すると、何と、両膝が再び痛み出しているではありませんか。そこで、昨日、両膝をご守護いただいたにもかかわらず、本日の本部月次祭にお誘いするのを忘れてしまったことを、その方にお詫びしました。そして、もう一度おさづけを取り次がせていただきたい、と申し出ました。するとその方は、それも快く承諾してくださいました。そして、再び、おさづけを取り次がせていただくと、また、鮮やかなご守護をいただいたのです。そこで、本部の月次祭とはいきませんが、自宅の月次祭なら来ていただけるのではないかと思い、誘ってみました。すると、その方は、本当に素直な方で、これも快く承諾して下さり、参拝して下さいました。それから暫く、両膝の痛みも治まっていましたので、私も、他のところを戸別訪問するなどして、その方のお宅には暫く訪れていませんでした。すると、その方の方から電話がありました。また膝が痛み出したので、たすけてほしいとのことでした。早速訪問しました。今度は、おさづけを取り次ぐ前に、これまでの経緯を振り返りました。
もともとの訪問は、おぢばがえりに誘うことでありました。そこで、おさづけを取り次がせていただく前に、心定めの説明をし、その月の内に、おぢばがえりをし、別席を運ぶ心定めをして頂きたいとお願いしました。すると、これも快く承諾され、早速おさづけを取り次ぐと、これまた、鮮やかに、その場でご守護いただきました。それから、この方は毎月かかさず、おぢばがえりをされ、別席を運び、ようぼくとなられたのであります。
これはその後日談なのですが、最初に訪問したときに、私の訪問をきつく断られた、この方の妹さんですが、後日身上になられました。そこで、姉であるこの方は、おさづけでたすかった話をされ、私にたすけを求めるよう、何度もその妹さんを説得されたのです。そして、ついに、その説得に応じられるようになり、私は、この妹さんのお宅にもおたすけに通うようになりました。これもその方の素直なところで、自分がたすかった喜びを、その話を、妹さんではありますが、素直に人に話をされたのです。このたすかった喜びを人に伝えることも、立派なにをいがけになるのです。
さて、この妹さんも、おぢばへかえる日が決まりました。そのことで、私の心に安心感から気の緩みが出たのかもしれません。おぢばへかえる数日前に、身上が悪化して緊急入院となり、おぢばがえりの計画も白紙となってしまいました。入院されてからも、私は、何度も病院へ通いましたが、私の真実が足りませんでした。そのまま数ヶ月後には出直されてしまいました。そのことをその方のお姉さんに謝ると、「妹は最後まであなたに感謝していましたよ」と言ってくださいました。
何のことかと思い訊きますと、実は、妹さんが入院された直後、大阪で大きな地震が起こりました。その日の早朝、ゴミ拾いのひのきしんをしていましたが、大きな揺れが襲ってきて、立っているのもままならない状態でした。
私のいたところは震源地から少し離れた所でしたが、それでも、近所の家屋の壁が落ちたり、水道管が破裂して水が漏れたり、といった有様でありました。その時は、「大きな地震だったなあ」と思っただけでした。朝食を済ませ、午前のにをいがけに出発するときになって、テレビのニュースで、次から次へと災害の報告が飛び込んできて、被害の大きさを知りました。これは大変なことになったと思い、私がいたところから、さらに震源地に近い病院に入院されていたその妹さんのことが気になりました。しかし、電話もつながりません。ニュースを見ると、公共交通機関もすべて止まってしまっていました。距離もどのくらいあるのか分かりませんでしたが、お金もありませんので、とりあえず、家を出て、その病院がある西の方角を目指し歩くことにしました。西へ西へと向かう道中、つまり震源地へと近づくに連れて、倒壊している家屋が目立ってきました。途中、迷うところもありましたが、なんとか妹さんが入院している病院へたどり着きました。時間を見ると、歩き始めてから2時間が経っていました。あとで調べてわかったのですが、約9キロの道のりでありました。その病院は耐震に十分に対応しているようで、目だった損傷はありませんでした。病室で妹さんの顔を見て、漸くホッとしました。その妹さんは、私が歩いて病院まで行ったことを、最後まで、感謝して下さっていたというのです。
私は、ただ無我夢中でした。妹さんの顔を見て、安心して、その病院を出て、初めて、これからまた歩いて家まで帰らなければならないことに気付いたくらいです。
しかし、妹さんの心には、そのように届いていたようでした。
「おかきさげ」にも、
「日々常に誠一つという。誠の心と言えば、一寸には弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い。誠一つが天の理。天の理なれば、直ぐと受け取る直ぐと返すが一つの理。」
とあります。妹さんの身上のたすけについては、まだ私自身の真実が足らず、ご守護をいただくことはできませんでしたが、姉であるその方が、このときのことを、常に、話されることを思えば、この誠真実を尽くすほど、堅く、長いものはないと、実感しないわけにはいかないのであります。
もし、あの時、この方のアパートを素通りしていたら、もしあの時、以前にきつく断られたいやな思い出が勝って、訪問をやめていたら、恐らくその方に会うこともなく、その方の両膝の痛みがどうなっていたかもわかりません。
また、もしお姉さんが、妹の身上のたすかりを願わなければ、どうなっていたでしょう。妹さんはお道を知らずに出直していたのかもしれません。
もしかしたら、これら一連のことは、すべて、その妹さんの、あのきつい断りがあったからこそ、そこから始まったのではないでしょうか。
大阪でありますから、姉であるその方のアパート前には、大きな天理教の教会があります。周囲にも、たくさんの教会があります。恐らく、何度となく、色々な布教師が、そこを回られたことでしょう。その中にあって、私は、たった1年しかいない布教活動の中で、その方にめぐり合い、妹さんとも知りあえたのです。このたすけは、まさに、親神様が、私に用意してくださった「たすけ」でありました。
さて、おぢばでは、先日、この教祖130年祭に向けて、大きな出来事がありました。ご存じの方も多いと思いますが、10月24日におぢばに据えられている、かんろだいの据え替えが執り行われました。
今回のかんろだいの据え替えに関しましては、真柱様は、10月26日の大祭の神殿講話で、
先の据え替えから15年になりますが、年月と共に傷みが目立つようになり、教祖の年祭をつとめるに際して、これを新しくしたいという気持ちから決めたことであります。」と述べられ、更に、「新しいかんろだいが据えられた機会に、改めてかんろだいの意味を確認したいと思うのであります。」と続けられ、かんろだいの意味をおふでさきを中心とした原点を紐解きながら諄々とお諭しくださいました。
そして、「今回の据え替えも、先程お話ししたように、損傷が目立つようになったというのが動機の一つでありますが、その時が来たから据え替えるというだけでなく、かんろだいを巡る史実と道の節目の立て合いを思うにつけても、こうした時は、自らの信仰姿勢を振り返り、汚れや傷はないかと点検をする。更にはぢばに、親神様、教祖に対する心の向きを見つめ直す機会になると思うのであります。そして、かんろだいが名実ともに完成する陽気ぐらし世界への実現に向けて、心新たに歩みを進めることが、今回の据え替えを意義あるものにすると思うのであります。改めて、かんろだいの意味に思いをいたし、ぢばに真っ直ぐに心を向け、その理一つである、親神様、教祖にご満足いただける心の普請につとめたいと思うのであります。」と、かんろだいの据え替えに関して、私たちの通り方をお示し下さいました。
私たちの信仰は、心の普請、成人していく道であります。成人とは、人間が生まれ成長していく段階を示すものです。人間は生まれてから、少しずつ成長していき、その間に身体も大きくなっていきそれと共に知識も増やしていきます。生まれたての赤ちゃんや乳幼児、また幼児期の子供は、多くのことを一人ではできません。お母さんに甘え、お父さんを頼りに成長していきます。親もそんな子供を愛しく思い、世話を焼きます。親に甘えている間は、子供は色々な要求もします。中には、親を困らせることもしばしばあるものです。それが、段々と成長するにつれて、子供は親の思いを理解していき、自分が親となる準備をしていきます。そうなってくると子供は、自分の要求をするよりも、親のありがたみを知り、親に迷惑をかけないよう、それどころか親を労り、親に喜んでもらえるよう孝行をするようになります。親が祖父母を労り、孝行する姿を見たその子供は、自然に自分の親に孝行を尽くしていくものです。
信仰の成人を振り返りますと、これと同じことが言えるのではないでしょうか。2、3年の信仰したばかりの人は、未だなにも分からず、中には無理を言って理の親を困らせることがしばしばあります。しかし、それを乗り越え、根気よく丹精していくと、その信仰も深まり、段々と成人していき、後には教会になくてはならないようぼくと成人していくものです。
自分自身の信仰を振り返り、果たして、年限に応じた信仰をしているのかを確認し、親に求める信仰ではなく、親に喜んでもらえる成人した信仰を心がけたいものです。
さあ、教祖130年祭は、もうすぐそこに迫っています。しかし、皆さんの「おたすけ」を必要としている方は、まだ周囲に大勢います。周囲に心を配り、教祖が私たち一人一人に託してくださっている「おたすけ」を見落とさないよう、この年祭活動の最後まで、しっかりつとめさせていただきましょう。そして、教祖130年祭当日、来年の1月26日には、教祖にお慶びいただける姿を、共々にお見せしようではありませんか。
ご清聴ありがとうございました。