Tenrikyo Europe Centre

Loading ...

2006年10月大祭神殿講話

ヨーロッパ出張所長 永尾教昭

ご承知のように、今年1月26日、おぢばでは教祖百二十年祭がつとめられました。そして、今年一年は年祭の年として、真柱様はおぢばを賑やかに、とおっしゃっています。おぢばを賑やかにするということは、大勢の観光客を連れていこうということでは、もちろんありません。一人でも多くの信者が帰らせて貰い、同時に未信者の人をお連れしようということです。つまり「おぢばを賑やかにする」ということは、布教を活発に行うということに他なりません。

その真柱様の思いにお応えしようと、ここヨーロッパからも、大勢の信者がおぢばに帰っておられますし、また別席を運ばれた方も既に200人を越えております。それほど、教祖の年祭は天理教にとって大事な祭典です。

何故、教祖の年祭がそれほど重要なのか、ということを考えてみたいと思います。言うまでもなく、天理教の教祖の年祭は、一般に行われる故人を偲ぶ祭典ではありません。教祖一年祭は、神道の神官達が乱入してきて、途中で中止されております。従って、本教最初の年祭は、1892年に勤められた教祖5年祭という事になります。

教祖が御身を隠された後、教団の重大な決定や教義の裁定は、本席飯降伊藏さんの口から発せられる「おさしづによっておりました。無論、5年祭を勤めるに当たっても、おさしづを仰いでおられます。

それは

「なれど千年も二千年も通りたのやない。僅か五十年。五十年の間の道を、まあ五十年三十年通れと言えばいこまい。二十年も十年も通れと言うのやない。まあ十年の中の三つや。三日の間の道を通ればよいのや。僅か千日の道を通れと言うのや。千日の道が難しいのや。ひながたの道より道がないで」

というものでありました。要するに、年祭に至るまでの約千日、3年間、教祖のひながたを辿りなさい。3年間など3日間のようなものである。そうすれば、教祖のように50年通ったのと同様に受け取ってやろう。ひながたの道以外に道はないということであります。

こう考えると、教祖の年祭の意義は、教祖のひながたを辿ることにあると言うことが分かります。では、教祖のひながたを辿るとは、具体的にどのようにすればよいのでしょうか。ここで、今一度、教祖のひながたを振り返ってみたいと思います。

教祖は、41才で月日のやしろとなられます。最初にされたことは、家財道具、土地に至るまで、ほとんど売りに出され、それを貧しい人に施されます。元々非常に裕福であった中山家ですが、これで完全に零落します。そうなると、親戚、友人は離反していきました。時には、家族の中でさえも、教祖は孤立されます。

そういった生活が約20年続いた後、ようやく、信者が出来てくるようになる頃になると、それを妬む既存の宗教である仏教の僧侶や神道の神官などの攻撃を受けられます。それでも、この道は急速に延び広がり、日本中に大勢の信者が出来てきます。そうすると、この道の進展を危ぶんだ国家権力の介入を受けられて、18,9度、警察に呼び出され、監獄に留置されます。

私たち信者が、ひながたを通るということは、私たちの家財道具や家、土地など固有の財産を売り、そのお金を貧しい人に施そうと言うことでしょうか。そして、親戚、友人との縁を切り、孤立せよということでしょうか。私はそうではないと思います。なぜならば、教祖が、家財道具を施されたのは、一つの手段であって目的ではないからです。

私は、信仰者たる者、過度の贅沢はするべきではないと思います。しかし、普通の社会生活を送る上で、やはり家も家財道具も、それなりに必要でしょう。また私たちが、そういった物をすべて売り払い、そのお金を貧しい人に施すということが、本当にその人を助けることになるのかどうか、大いに疑問だと思います。加えて、仮に私が私の全財産を売り払ったとして、助けられる人は一体何人いるでしょうか。ぜいぜい一人か二人、それも永続的ではなく、わずかな期間、食べ物や着物を与えられるだけでしょう。それはそれで、大変重要なことではありますが、それがひながたを通るということではないでしょう。

財産を手放すという行為によって、教祖が示されたのは、贅沢を排除することと同時に、富や名声、社会的地位が決して人間の本質的な価値ではないということを知らされたのだと思います。そういった付随的な物を排除することによって、社会の最下層の人たち、あるいは弱者と言われるような人たちでも、教祖の教えに付いてくることが出来たのであり、それが目的であったのです。逸話編に「表門構え玄関造りでは救けられん」とあります。人を助けるのは、財力ではないということを示されたのです。

さらに、贅沢を控えて、世の中には水も喉を越さないと苦しんでいる人がいる現実を決して忘れずに、今の情況を喜ながら、人生を通ろうということであろうと思います。もちろん、困っている人に対して、物質的な救済を完全に否定するものではありません。私たちも年に一度バザーを開催して、売り上げを救援活動に供しております。時には、そういったことも必要であろうと思います。もちろん、親戚、友人との交わりは大切にし、何も孤立する必要はありません。

教祖は、既存の宗教の攻撃を受けられました。私たちがひながたを辿るということは、これも必要なのでしょうか。私は、ここヨーロッパにあって、意識的にキリスト教やイスラム教、ユダヤ教などを信仰しておられる方とぶつかる必要はまったくないと思います。むしろ、人類の歴史の中で、宗教の違いが紛争の原因になっていることを謙虚に反省し、キリスト教やイスラム教など、他宗教の方達と手を携えて、平和な世界を作っていくべきなのです。

教祖が、既存の宗教から攻撃を受けられたことは確かに事実ですが、教祖自身はそれに対し、反攻をされてはいません。逆に、お言葉に「行く道すがら神前を通る時には、拝をするように」とおっしゃっています。逸話編には、「何の社、何の仏にても、その名を唱え、後にて天理王命と唱え」あるいは「産土の神に詣るは、恩に報ずるのである」とも述べられています。これは他の宗教、他の詣り所を敬えということでしょう。このように、既存の宗教を敬うことと、自分の信仰に誇りを持ち、それを一生懸命広めることは決して矛盾しないのです。

最後に警察など、国家権力の攻撃を受けられました。これも、教祖のひながたを辿るために、表面だけを見てそれを真似ようとするとなると、私たちも公的機関の攻撃を受けねばならないのかとなります。あるいは、監獄に留置されなければならないのかとなります。決してそうではありません。どこの国であろうとも、その国の法律を遵守し、善良な市民として生きるべきなのです。

教祖が、警察など公権力からの迫害、干渉を受けられたのは、主として、おつとめを勤められたからであります。当時の日本は、現在と違い、本当の意味で信教の自由はありませんでした。正確に言えば、まだそこまで法律が整備されていなかったということです。従って、つとめを勤めるためには多くの制約を受けました。当時の信者の方々が、仏教寺院の講社の一つであるように見せたり、神道の管轄下の教会であるように見せられたのも、それがためであります。しかし、教祖はそういったことを決してよしとされず、思召し通りのおつとめを、堂々と勤めよと命じられています。つまり、警察などの公権力と衝突するのが目的ではなく、つとめの重要性を知らしめられたのです。

かつての共産主義独裁国家ならともかく、現在のヨーロッパで、恐らくおつとめを勤めることによって、検挙されるというところはないと思われます。毎日つとめても、何ら問題はありません。現在は、そういった外的障害よりも、むしろ、わずらわしい、面倒くさいといった自分自身の気持ち、精神的なものがつとめ勤修の障害になっていることが多いと思います。1月26日に本部にて勤められた教祖百二十年祭の祭典後の講話の中で、真柱様は

「今では信仰することはもちろん、おつとめを勤めるについても、法律による制約や、あからさまな妨害はありません。しかし、どこまでも親神様の思召しに沿っていくという心定めが第一であることには、昔も今も変わりはありません。官憲の迫害干渉を恐れなければならない当時を思うと、比較にならないくらい結構な今日でありますが、道を通るうえで、今日には今日なりの葛藤があるだろうと思います。世間の習慣や義理との間で迷ったり、あるいは無理解や冷たい態度に心をいずませたりすることもあるでしょう。

しかし、もっと問題なのは、そうした外的な要因よりも、むしろ自分自身の心からくるものではないでしょうか。利害や体面、さらには都合、勝手などなど、神一条の道から逸れる誘因はいくらでもあるのであります」とおっしゃっています。

毎日、おつとめを勤めさせて頂くことは、ひながたの一部分を通るということです。勇んだ明るい心でおつとめを勤めると言うよりも、おつとめを毎日勤めれることによって、心が勇みます。手を覚えておられない方は出来ませんが、十二下りを踊ってみて下さい。本当に心が勇んできます。十二下りが出来なければ座り勤めだけでもよろしい。それも出来なければ、本を見ながらお歌を唱えても良いと思います。

さらに教祖は、警察に拘引されるときも、いそいそと出掛けられ、留置場にいても担当の警察官にねぎらいの言葉を掛けておられます。この態度から私たちが学ぶべき事は、警察に留置されるということではなく、いついかなるところにあっても、心を勇ませる。加えて、自分に反対する者に対しても、いたわりの心を持つということでしょう。

私たちはともすると、教祖のひながたを歩もうと言い、その事歴の表面だけを真似しなければいけないように取ることがあります。そうではありません。ひながたを辿ると言うことは、すなわち教祖の心に習わせていただくということであります。教祖伝のうわべではなく、一つ一つの記述の中に潜んでいる教祖の精神を捉えるべきなのです。

贅沢をしない。言い換えれば、慎みの心を忘れないということです。富や財産、社会的地位といったものが人間の本質ではないことを認識し、貧しい人、障害を持った人、老人、そういった弱者の救済を忘れないこと。これは、ひのきしんの実践であり、おさづけの取り次ぎでしょう。

また、おつとめの重要性を片時も忘れることなく、このつとめで身上や事情を助けて頂けるという信念を持って、出来るならば毎日勤めること。さらには、いついかなるところにあっても、勇んだ心を持ち、自分と意見を異にする人に対しても、いたわりの心を持つこと。これは、たんのうの心を持つということです。そういった態度で、日々を通るということが、すなわち、ひながたの道を辿るということであろうと思います。

もちろん、これは簡単なことではありません。極めて、難しいと言っても良いでしょう。ただ今、皆さんに語っている私も、ひながたを辿るどころか、反省、後悔の毎日です。しかし、ひながたの道を辿るための方法、特別なテクニックなどはありません。一度にすべて成し遂げようと思わずに、何か一つでも、心がけて実行することと、同時に継続させることが大事でしょう。一生続けよと言われるとなかなか、難しいですから、「おさしづにあるように3年間に絞るのです。例えば毎日ひのきしんを3年間継続するということが、重要です。

世界には、数えられないほど多くの問題があります。私は、どの問題も、究極的な原因はすべて人間の心にあると思います。環境問題などは、一見、心とは関係ないように思えますが、やはり慎みを欠いた結果とも言えるでしょう。ということは、世界平和、私たちの信仰で言えば陽気ぐらしの世界を実現するには、一人一人の心を直していくより他にないのではないでしょうか。

私たち天理教信仰者には、教祖のひながたという立派な教科書があります。さきほど拝読した「おさしづには、

「難しいことは言わん。難しいことをせいとも、紋型なきことをせいと言わん。皆一つ一つのひながたの道がある。ひながたの道を通れんというような事ではどうもならん。…世界の道は千筋、神の道は一条。…ひながたの道を通らねばひながた要らん。ひながたなおせばどうもなろうまい」

とあります。世界中には千筋もの生き方があるが、天理教信仰者が目指すべき生き方はおやさまのひながた、ただ一つとおっしゃっています。この人生の教科書を片時も心から離さず、一歩一歩、歩ませて頂きたいものです。

ご静聴ありがとうございました。

アーカイブ