Tenrikyo Europe Centre

Loading ...

2020年3月月次祭神殿講話

小林弘典(ヨーロッパ出張所役員)

今日は一冊の本を皆さんにご紹介したいと思います。ご存じの方も多いと思いますが、「天理教教祖伝逸話篇」です。

私達の信仰の目的は心の成人です。その目標に近づくため、また私達が信仰を続け、信仰を深めていく上で大切なことは、親神様、教祖を身近に感じることです。それにはいろいろな方法があります。

まず、おつとめです。おつとめは、親神様の思召しにより、教祖がお教えくださったものです。地歌、手おどり鳴り物、全て教祖がお教えくださいました。ですから、その中には、親神様の深い思召しが込められています。教祖おつとめをお教えくださってから既に百年以上が経過していますが、今も地歌、手おどり鳴り物は、教祖がお教えくだされた通りつとめられています。

身上を通して、親神様のご守護を体感することもできるでしょう。身上の方におさづけを取り次いだり、あるいは、取り次いでもらったりする中で、共に人の助かりを祈り、ご守護をいただくことによって、親神様、教祖はより身近に感じられてきます。

そして、書物によっても親神様、教祖を身近に感じることができます。

まず、「おふでさき」です。おふでさき教祖自ら筆を執りお書きくださったものです。今、私達は製本されたものを手に取って拝読することができます。このおふでさきでは、親神様の思召しを直に読み取ることができます。ですから、天理教の原典の中で最も重要なものとして位置づけられています。

次に、おつとめおさづけおふでさき、それらを通して親神様の思召しを理解し、教祖をより身近に感じることができるように、編纂されたのが、天理教教典と天理教教祖傳です。

天理教教典には、親神様の教えが体系的に記されています。教典の前半は主に教理について、後半は信仰のあり方ついて書かれています。全部で十章からなり、教えを体系的に学ぶには最適の一冊です。

天理教教祖傳は、まず、教祖が神の社となられた経緯に始まり、その後、教祖の出生から幼少にかけて、そして、教えが広まっていく様が順に綴られています。よく「教祖の雛型」という表現を用いますが、その雛型を知る上では欠かせない一冊です。

そして、天理教教祖傳が発刊されてから二十年後に編纂されたのが、今日、ご紹介する「天理教教祖伝逸話篇」です。

この逸話篇は二百の逸話で構成されています。それらの逸話はおおよそ年代順に配列されていて、それぞれに題名がつけられています。また一つ一つの逸話は独立しているので、どこからでも読み始めることができます。さらに、一つの逸話は1ページ程度のものがほとんどで、大変読みやすくなっています。

逸話篇に掲載されている逸話は、教祖が周囲にいた方々に語ったお話や、病や身上を患い、教祖にお助けを求めに来られた方々に語られたお話が大部分を占めています。いずれもこの道の土台を築いてこられた方々ばかりです。

200ある逸話の中には、きっと今現在自分自身が置かれている状況に類似しているものがいくつかはあるはずです。また私達が持っている疑問に答えてくれるものもあるかもしれません。さらに、新たな気づきができる逸話もあると思います。

教祖がご在世の当時は「天理教教典」も「天理教教祖傳」もありませんでした。たすけを求めて教祖の元に足を運んだ人々は、教祖のお言葉が一番の頼りでした。ですから、教祖からいただいた言葉は一生の宝として胸に刻まれたことと想像します。

今、私達は教祖を目で見ることはできません。そのお言葉を耳で聞くこともできません。しかし、逸話篇の中にある教祖のお言葉を読ませていただくことはできます。こういったお言葉を何度も読ませていただき、日々の生活の中で思い返し、また諸々の場面で適用する、あるいは、その教えを実行することにより、きっと教祖をより身近に感じることができると思います。

今日は200ある逸話の中からよく知られてるもので、比較的短いものを3つ紹介させていただきます。

まず、1つ目です。これは、後に本席となられた飯降伊蔵先生の逸話です。人はつい自分の考えは正しいと思い込む傾向があります。そんなときに、はっと気づかせてくれる逸話です。

31. 天の定規

教祖は、ある日飯降伊蔵に、

「伊蔵さん、山から木を一本切って来て、真っ直ぐな柱を作ってみて下され。」と、仰せになった。

伊蔵は、早速、山から一本の木を切って来て、真っ直ぐな柱を一本作った。

すると、教祖は、

「伊蔵さん、一度定規にあててみて下され。」と、仰せられ、更に続いて、

「隙がありませんか。」

と、仰せられた。

伊蔵が定規にあててみると、果たして隙がある。

そこで、「隙があります。」

とお答えすると、教祖は、

「その通り、世界の人が皆、真っ直ぐやと思うている事でも、天の定規にあてたら、皆、狂いがありますのやで。」

と、教え下された。

次にご紹介する逸話は、現在大阪にある船場大教会の基を築かれた、梅谷四郎兵衛先生の逸話です。人から言われたことに腹が立ったときに、心を静めてくれる逸話です。

123. 「人がめどか」

教祖は、入信後間もない梅谷四郎兵衛に、

「やさしい心になりなされや。人を救けなされや。癖、性分を取りなされや。」

と、お諭し下された。

生来、四郎兵衛は気の短い方であった。

明治十六年、折から普請中の御休息所の壁塗りひのきしんをさせて頂いていたが、

「大阪の食い詰め左官が、大和三界まで仕事に来て。」

との陰口を聞いて、激しい憤りから、深夜、ひそかに荷物を取りまとめて、大阪へもどろうとした。足音をしのばせて、中南の門屋を出ようとした時、教祖の咳払いが聞こえた。

「あ、教祖が。」

と思ったとたんに足は止まり、腹立ちも消え去ってしまった。

翌朝、お屋敷の人々と共に、御飯を頂戴しているところへ、教祖がお出ましになり、

「四郎兵衛さん、人がめどか、神がめどか。神さんめどやで。」

と、仰せ下された。

3つ目の逸話は鴻田忠三郎先生です。教祖がご在世のころの信者は、ほとんどが農民であったと言われていますが、鴻田忠三郎先生は、その中ではかなり博学だった方の一人であったようです。仕事で新潟に住んでいたときに、周囲の人々にお道の教えを広められました。それが現在の新潟大教会の基となりました。

日々職場でも家庭でも、なぜ自分がこんなことをしなければならないのか、と不満に思うことがありませんか。そんなときに、心を勇ましてくれる逸話です。

144. 「天に届く理」

教祖は、明治十七年三月二十四日から四月五日まで奈良監獄署へ御苦労下された。鴻田忠三郎も十日間入牢拘禁された。その間、忠三郎は、獄吏から便所掃除を命ぜられた。忠三郎が掃除を終えて、教祖の御前にもどると、教祖は、

「鴻田はん、こんな所へ連れて来て、便所のようなむさい所の掃除をさされて、あんたは、どう思うたかえ。」

と、お尋ね下されたので、

「何をさせて頂いても、神様の御用向きを勤めさせて頂くと思えば、実に結構でございます。」

と申し上げると、教祖の仰せ下さるには、

「そうそう、どんな辛い事や嫌な事でも、結構と思うてすれば、天に届く理、神様受け取り下さる理は、結構に変えて下さる。なれども、えらい仕事、しんどい仕事を何んぼしても、ああ辛いなあ、ああ嫌やなあ、と、不足々々でしては、天に届く理は不足になるのやで。」

と、お諭し下された。

さて、天理教ヨーロッパ出張所は半年後の9月20日に創立50周年記念祭を執り行います。天理教を知ったばかりの方には、50周年と言われてもピンと来ない方もいらっしゃると思います。冒頭に申しましたように、私達の信仰の目的は心の成人です。50周年の祭典日にはヨーロッパ中から多くの人が集まることになるでしょう。信仰の長い方も短い方も、一人一人の心が成人により近づいたことをお互いが喜び合うためには、日々、親神様、教祖をより身近に感じることが不可欠です。

今日ご紹介しました、天理教教祖伝逸話篇は、既にお持ちの方もいらっしゃるでしょう。もう何度も読まれた方も多いと思います。一方、まだ一度も読んだことがない方や、全部は読んでいない方もいらっしゃるのではないでしょうか。

逸話篇はこの神殿の後ろの棚にもありますし、一階のサロンの本棚にもありますので、借りて読むこともできます。出張所で購入することもできます。

読む進めていくと、中には理解できない内容に出くわすことがあると思います。そういうときには、周囲の長年信仰を続けられている方に聞いてみるも、信仰を深める上では大切なことだと思います。

今日は、天理教教祖伝逸話篇をご紹介しながら、親神様、教祖を身近に感じるということについてお話をさせていただきました。冒頭にも申しましたが、その方法はいろいろな方法があります。ぜひその一つとしてご参考にしていただければ幸いに思います。

最後までご清聴くださり、ありがとうございました。

アーカイブ