Tenrikyo Europe Centre

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2012年7月月次祭神殿講話

理以通布教所長 加藤栄一

皆さん今日は、只今は出張所7月の月次祭を心一つに陽気に勤めさせて頂きました。ご指名を頂きましたので、只今から講話をつとめさせていただきます。
しばらくお付き合い下さいますようよろしくお願い申し上げます。

天理教とは何ですか? 皆さんと一緒にここで復習しておきたいと思います。天理教とは自然や宇宙の創造、育成、守護の働きに関する精神上の教えであります。これが天理王命の教えであると言っています。ある意味で天理教は精神的救済の道でありますが、それは実際に役に立つ特徴を持った道であります。

大和の国、庄屋敷村の武士の娘として生まれた中山みき様という方が神の啓示を受けられるというご経験により、1838年10月26日をもって天理の道をお説き始めになりました。その時以来、今日まで、みき様は教祖(きょうそ)として崇められ、畏敬の親としておやさまと敬称されていらっしゃいます。

この道の教えでは、宇宙の創造につながる神の働きをしばしば「元の理」と表現しています。人間はこの「元の理」を理解する事によって自然とうまく調和しながら、前向きの暮らしをする事が出来る事を学び、またより良い世界を建設する為に一歩一歩の努力をする事も学ぶ事ができます。この教えは、世界の人間が皆一列兄弟であるとも言います。このようにこの道の教えは、日本に限定されるものではありません。いかなる国であれ、またどのような文化的背景を持った人でもその恩恵に浴する事が出来ると言います。

さらに、天理教の教えは、いかなる宗教上の信仰を干渉するものではありません。実際に数多くの天理教の信仰者はクリスチャンであったり、他の宗教、例えば神道や仏教の信徒であったりもします。この道の教えは本来実用的であり、人間としての生き方に時間をかけて一歩ずつ改善しながらより良い方向へ向けてくれるものです。

今ひとつ、天理教の大切な教えというのは「かしものかりもの」についてであります。これは人間の身体と自然との関係について述べたものです。すなわち、人間は身体を自然から借りていること。それは自然が繋がっている神の働き、それを私どもは天理王命と称していますが、そこから身体を借りているという事であります。しかし、体は借りているものの私どもの心は自由に遣う事を許されています。その心をどのように遣っていったら良いのかと言えば、真実にして且つ深遠な意味を持つ「かしものかりもの」の働きを理解できるようであれば、その答えは得られると教えられます。

これが天理教紹介の概要です。お道の話を心よく聞いてくれる人の数はごく少ないですが、それでも外へ出て行って簡単な案内書を用意し、チャンスがあれば手渡しするように心掛けています。最近に至って、私は結果を求める必要はないと思うようになりました。要は体を遣わしてもらい、とにかく外まわりをすること。歩いているうちに何が起こるか分らない。楽しみを見つけるかも知れない。結果に囚われないで気楽にやっていく事が大事ではないかと思っています。

さて、ここからはおふでさきに出てまいります「かんろだい」について若干お話をさせて頂きたいと思います。
おふでさき第9号46のおうたに

これからだん々しかとゆてきかす
かんろだいのもようばかりを

とあります。
このおうたから第9号最後の64のおうたに至るまで、かんろだいについて述べています。
その中の中心となるおうたを、まず先に取り上げてみます。

いままでにいろ々はなしといたるハ
このだいすへるもよふばかりで48

これさいかしいかりすへてをいたなら
なにもこわみもあふなきもない49

このだいがでけたちしだいつとめする
どんな事でもかなハんでなし52

これをみよたしかに月日ぢきもつの
あたゑしいかりたしかわたする55

そのうゑ々ひらばちのせてをいたなら
それよりたしかぢきもつをやろ60

ぢきもつをたれにあたへる事ならば
このよはじめたをやにわたする61

天よりにあたへをもらうそのをやの
心をたれかしりたものなし62

月日よりたしかに心みさだめて
それよりハたすぢきもつの事63

月日にハこれをハたしてをいたなら
あとハをやより心したいに64

48では、今までに種々様々と説いてきたのは一日も早くこの台をぢばに据えたいための段取りからである。
49と52ではこのかんろだいさえ しっかりと元なるぢばに据えておいたなら、何の怖いことも危ないこともない。かんろだいが完成したならば、すぐにかんろだいづとめに取りかかる。そうすればどんな願いでも叶わないということはない。
55と60では、しっかり見ておくがよい。親神の言った通りに天から「ぢきもつ(食べもの)」をお前たちに与える時が来る。かんろだいが完成して、ようきづとめを勤めて願うならば、最上段の平鉢に天から必ず甘露を下される。これがぢきもつであり、天の与えである。

ぢきもつと平鉢につきましては、第8号の78、79、80のおうたにも詳しく出て来ますので、こちらの方も見ておきたいと思います。

このよふのにんけんはじめをやなるに
天のあたゑハあるときけども78

このはなしなにの事やら一寸しれん
月日ぢきもつやろとゆうのや79

このはなしどうゆうことであろうなら
かんろふだいにひらばちをのせ80

この世人間を創め出した親に天の与えがあるという事はかねて聞いているであろう。しかし、この話はどういうことであるのか、ちょっとには分からないであろうが、それは親神が天からのぢきもつを渡そうというのである。このぢきもつをどうして渡すかと言えば、かんろだいに平鉢を載せておいたなら、天からそこに天の与えであるぢきもつを授けるということです。

そしてこのぢきもつについては、さらに詳しく次のように説明しています。
このぢきもつというのは、食物(たべもの)の事で、この世の親である教祖に親神がお与えになる長寿薬であります。それをかんろだにに平鉢を載せて受けなさい。そして、このぢきもつは、この世を創られた教祖に渡しておけば、それから後のことは、教祖から心まかせに人間に渡してやるのが良いということです。

次におふでさき第17号の10と11、14と15のおうたをご覧下さい。

このたいがみなそろいさいしたならば
どんな事をがかなハんでなし10

それまでにせかいぢううをどこまでも
むねのそうぢをせねばならんで11

いままでハとんな心でいたるとも
いちやのまにも心いれかゑ14/span>

しんぢつに心すきやかいれかゑば
それも月日がすぐにうけとる15

10と11では、このかんろだい親神の教え通り建て上がったならば、親神の望まれる自由自在の陽気づくめの世界が来るのであるから、それまでに、どこまでも世界中の人の心を掃除せねばならない。
そして、14と15では、今まで親神の心に沿わないどんな心遣いをしていても、一度その非を悟ったならば、一夜の間にも真実の心をすっきり入れ替えるようにしなさい。そうしたならば、親神は、この事をも真に受け取って自由自在の守護をしようと言われています。

さて、ここでかんろだい建設の歴史を振り返ってみたいと思います。
明治14年、1881年から石造りのかんろだい建設に着手して二段まで出来ましたが、翌年明治15年、1882年には警官によって没収されてしまいました。明治21年になって板張りで二段まで作り、これでぢばの場所を示していましたが、昭和9年、1934年10月に今の神殿南礼拝場の竣工に際して木造ひながたかんろだいが建設されたとあります。
やがては、世界一列の人々の心が澄んだならば、石造りのかんろだいが建設されると教えて頂いております。従いまして、現在私どもが、おぢば帰りをして拝見できるかんろだいは木造であって、それを礼拝の目標、信仰の拠り所としているわけであります。

さて、次にここで申し上げる事は私個人の考えでありますので、そのようにお聞き取り下さい。これまででお分りの通り、私どもの先達は現在のかんろだいを設立するのに木を材質として選択しました。木造の平鉢を加えた木造かんろだいの一体化建築を考えられたこともあったのかどうかと思います。木造のかんろだいは、仮のものである事は分かっています。しかし、もし仮の平鉢に溜まったかんろ(甘露)が教祖から戴けるとしたなら、教祖とその道具衆である私どもの絆は、何と強固なものになったであろうかとも思います。私は木造かんろだい建設時に木造平鉢が同時に作り上げられなかったことを残念に思っています。平鉢というものは、石造りかんろだいが建設されて初めて載るものでありましょう。多分、これが正しい答えであろうと思います。ですから、現在の木造かんろだいから、甘露が私どもに与えられることはありません。それは平鉢が載っていないからです。従って、信仰形体というものは、これから何年もの間ずっと現在のままで個々独立の形で進行していくものと考えます。

さて、今年の前半が終わりました。世界の動きは激変し、一層グローバル化が進展して、一国単位で自国の方針を決定するのは殆ど不可能となりました。金融や財政面では、特にヨーロッパの危機がクローズアップされています。世界的に宗教離れが進行する中で天理教も例外ではなく、教勢の低迷からなかなか浮上しない現実に直面しています。海外の布教活動は、ご本部の予算縮小の影響を受け、新しく見直しの時期に入りました。それには、発想の転換を求められ、かつ臨機応変な対応が必要となります。

さて、皆さん、私の結びの言葉を拙いですが、フランス語でお伝えしたいと思います。私の気持ちを受け取って下さいますようお願い致します。

来る2016年には教祖130年祭を迎えます。その三年千日前となる今年の秋の大祭には、そのお打ち出しがあります。この旬に私は、一人のようぼくとして具体的な形で「尽くし運び」を実行したいという気持ちを持っています。しかし、そうした考えを広め強めるには、ようぼくが誠真実のようぼくを目指して心を入れ替え、一手一つの和を作って、この動きを組織的レベルにまで持ち上げていかねばなりません。それが出来れば、現今の教勢悪化にブレーキを掛ける一助になるのではと思っています。この点につきまして、真柱様におかれましては、誠に僭越ではございますが、来るお打ち出しの旬には私どもに対し、アイデアは実行に移すようにとの強力なメッセージを与えて下さいますよう切にお願い申し上げる次第です。

最後にイギリスに住む私どもは、ヨーロッパ出張所との交流を今まで以上に密にして知恵をお絞り出し、多くの課題に真正面から取り組んでいく必要があると考えています。困難な時こそ、飛躍へのスプリングボードであることを銘記し、着実に一歩ずつ歩みたいと念願しております。

今後とも皆様のご支援とご協力を心からお願い申し上げまして、私の話を終わりたいと思います。ご清聴ありがとうございました。

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