Tenrikyo Europe Centre

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2011年4月月次祭神殿講話

ヨーロッパ出張所長 田中善教

ただ今、皆様とともに、心勇んで、立教174年ヨーロッパ出張所4月の月次祭をともに勤めることができ、大変ありがたく思っています。ありがとうございます。

東日本大震災により、多くの人の命が失われ、多くの町が破壊的な打撃を受けました。被災地には、私の想像を絶する苦しみ、辛さがあることと思います。心より哀悼の意を捧げるとともに、被災者の方々、関係者の方々に心からお見舞い申し上げます。
震災後、多くの方々から、安否の確認、また励ましの言葉を沢山頂きました。そして、欧州各地でチャリティーコンサートなど、具体的な支援の動きも多く見られます。日本人の一人として、ここにおられる皆様方、そして欧州の方々に心より御礼を申しあげます。
ヨーロッパ出張所でも、お願いつとめを勤める他、3月26日、27日には、婦人会が中心となって、募金を行いました。教外の方にもお手伝い頂きました。
「節」を生きるとき、親神様の子供である私達人間の心にある「たすけあいの心」が更に育つことを改めて実感しています。

 

とはいえ、陽気ぐらしを望まれる親神様のこの世界で、なぜこのような悲惨な出来事が起こるのでしょうか。今一度、教えの元にたちかえり、この未曾有の大震災にこめられた親の思いをしっかりつかみ取りたいと思います。届きませんがおつきあい頂けますようお願いいたします。

「成ってくるのが天の理」

1838年10月、教祖、中山みき様の口を通じ、人間とこの世界を創られました親神天理王命の思し召しが初めて、人類に明かされました。これが私たちの信じる天理教の始まりです。親神の思し召しとは、人間が互いにたすけあって、この地上で陽気に暮らすのを見て、神も共に楽しみたいというものです。
この世でおこる全てのことは、この陽気ぐらし実現という目標に向かって、全てのことが動いています。「天の理」とは、このための神の働きの原則です。
親神は、この陽気ぐらしを人間主体に実現できるよう、私たち人間に心の自由をあたえ、この素晴らしい体を貸し、そして、蒔いた種が、旬を迎えると一粒万倍となって実る世界を創りました。(今もこの体とこの世界の中で十全のご守護をしてくださっています。)そしてまた、私たちが陽気ぐらし実現に向かえるよう、私たちの心の成人に最適の環境を一人ひとりに準備してくださっています。
こうして人間は、神より心通りの守護を頂き、生まれ変わりを重ね、心の成人をすすめ、陽気ぐらし実現に一歩一歩と近づいています。私たち人間の成人を望まれる親神様は、時間を超え、空間を超えて、 私たちを導いて下さっておられます。

「成ってくるのが天の理」というお言葉があります。これが私たちの信じるお道の神髄ではないかと思います。

人間にとって、良いと思われることも、悪いと思われることも、全ては、親神が私たちを陽気ぐらしへと導くためのものであると信じ、そこから親神様の思いを悟り、神人和楽の陽気ぐらし建設に進むこと、これが天理教の信心といえます。

震災、神の残念

本年3月11日、私たちは信じられない光景を目にしました。地震とそれに続く恐ろしいほどの津波。今回の巨大地震に圧倒的な自然の力をかいま見ました。また、原発の問題は、この震災が、一地域だけのことでないこと、また今のこの時だけの問題でないことを私たちに教えてくれます。
この震災にあたり発表された、上田表統領のメッセージに次のような一文がありました。

おふでさき」には、天災は神の残念、立腹の現れだと仰せになっていますが、それは被災した人々にというより、世のありように対する警告と考えられます。難に遭わなかった者も”わが事”と受けとめ、思案し、心の向きを正すとともに、進んでたすけの手を差し伸べることが求められていると思います。

現在、天理教信者も様々な救援活動に携わっています。息き長く救援、復旧、復興のための活動を展開し、私たちもそれを支援してゆきたいと思っています。
一方で、この震災を通じて、世のありように警告をされていることについて考えてみたいと思います。

今がこの世のはじまり

親神様の目に、人間世界はどのように映るのでしょうか。おふでさきを開いてみました。第7号に以下のおうたがありました。

月日にハたん/\みへるみちすぢに
こわきあふなきみちがあるので

月日よりそのみちはやくしらそふと
をもてしんバいしているとこそ

にんけんのわが子をもうもをなぢ事
こわきあふなきみちをあんぢる

それしらすみな一れハめへ/\に
みなうゝかりとくらしいるなり

           おふでさき 七号7-10

どのよふな高い山でも水がつく
たにそこやとてあふなけわない

           おふでさき 七号13

多くの人々は元の親の思いを知らず「うっかりと」暮らしています。元の親を知っている私たちでさえ、どれだけ親神様、教祖の思いにそって生きているか、反省の多い日々です。このように生きる人類の先に、親神様は「こわきあふなきみち」が見えているのでしょう。これは、今回の恐ろしいような地震、津波、そして原発事故からくる今の現実よりも、更に怖き危なき道です。
このおうたを引用したのは、「恐怖心」から人を導く為ではありません。このお歌から、どのような中にも、今回の悲惨な状態の中にも、親神様の私達人間を思うお気持ちを掴みとりたいからです。お道をしらない人にも知って頂きたいからです。

おふでさきは、この後、よふ木ほしい、めまつをまつわゆハん、まつだいつゝききれめなきよふ、みなめへ/\のうちのはなしや、と続き、そして

いまゝでも今がこのよのはじまりと
ゆうてあれどもなんの事やら

           おふでさき 七号35

と続きました。
教祖が月日のやしろとなられて、人間創造の元を聞かせて下されて以来、私達は今「このよのはじまり」を生きているということでしょうか。本当に大切な時を生きていることになります。

では、この大切な時を「うっかり」と暮らさないために、私たちはどのように生きたら良いのでしょうか。
それはなにより、「なぜ人間はこの地上で生きているのか。」ということを知ることから始まります。すなわち親神様の人間創造の目的と、この世界と人間の身体にあふれる親神様の十全のご守護の素晴らしさを知ることです。
今回の震災で、圧倒的な自然の力を私たちは、垣間見ました。そして私たちは普段、神の身体とお聞かせいただいている、この大いなる自然に抱かれて生きています。
その神が、この世界と私たちの身体の中で十全の守護をしてくださるのは、私たちが、この地上でたすけあって、豊かに陽気に暮らすためです。そして、神もそれを見て共に楽しみたいと願っています。そのことを知らず、または知っていても、私たち人間は「我が身思案」で生きているのではないでしょうか。これが「うっかり」暮らしている私たちの現実ではないでしょうか。

それしらすみなにんけんの心とて
わがみしやんをばかりをもふて

           おふでさき 八号13

私たちに望まれているのは、教祖のお言葉を日々の生活に生かして行くことです。それは、自然と調和した生き方であり、競争ではなく共存の世界をつくりあげていく元になります。

教祖伝逸話篇には、教祖の宝のようなお言葉がたくさんあります。いくつかを読ませて頂きたいと思います。

「物は大切にしなされや。生かして使いなされや。すべてが、神様からのお与えものやで。」(逸話篇138)

「商売人はなあ、高う買うて、安う売るのやで。」(逸話篇165)

「やさしい心になりなされや。人を救けなされや。癖、性分を取りなされや。」(逸話篇123)

「世界は、この葡萄のようになあ、皆、丸い心で、つながり合うて行くのやで。この道は、先永う楽しんで通る道や程に。」(逸話篇135)

この震災で多くの魂が、親神様の懐に帰って行きました。そして、いつの日か、この魂が新しい身体を借りて、この地上に生まれかわってきます。その時の地球が、素晴らしい世界となっているよう、今を生きる私達は、心に希望を持って、苦労はいとわず、たすけてやろうという親に凭れきって「節から芽が出る」ご守護を頂けるよう、教祖のお言葉を一つひとつ実践しようではありませんか。

ご清聴ありがとうございました。

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