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2021年10月大祭神殿講話

ボルドー教会長 ジャンポール・シュードル

今日は皆さんと一緒に全世界規模の新コロナウイルス出現による状況について思案してみたいと思います。

ウィルスというより、発生したパンデミックへ対抗するために政府が出した対策により、私達は、あらゆる習慣に甚大な変化をもたされ、奇妙な時間を過ごすこととなりました。今では、以前の状態に少し戻りつつあるようも見えますが、しかし感染防止行動は、まだ強要、あるいは推奨されています。ですから、私達は今日も神殿に集まってはいれども、いまだにマスクを着用しているのです。

このマスクについてですが、ひとつ疑問があります。顔にマスクを着けていて私達は本当に幸せなのでしょうか。

教祖が仰ったことを思い返して見ましょう。

月日には人間はじめかけたのは
陽気遊山がみたいゆえからおふでさき14号-25

「陽気遊山がみたいゆえから」とあります。

親神様は私達がマスクをしながら生活するのを見たかったのでしょうか。実際のところ、マスクをしながら、またマスク姿の人を見ながら私達はどのように感じているのでしょうか。このようなことで、本当に陽気遊山ができるのでしょうか。

人によって色々と意見はあるでしょうが、私が思うには、親神様は私達の顔に広がる満面の笑みを見たいとむしろ願っておられます。また親神様は今の私達の姿を見ながら、人間は親神様に全く信頼を置いていないと呟いているに違いないと思うのです。

私達が今いる状況は普通ではありません。コミュニケーションは、精彩に欠け、弱まっています。加えて、人々の会話やラジオやテレビといったメディアでは、フラストレーションや怒りに満ちた議論が聞えてくることも多々あります。

誰もがこの状況を制御する解決策を探しています。ですが、ある人々はワクチン促進派、別の人々は反対派。ワクチンパスポート導入についても同様です。

しかし、この件を通しての問題の所在は、ワクチン接種か否か、パスポート導入か否かの中で湧き立っている怒りにあると思います。

私、個人的にはワクチン接種は済ませており、マスクも着け、感染予防策を順守しています。ただ、これらは全て、社会道徳としてしているもので、自分の身体には微生なものの脅威に負けない力が親神様の素晴らしいご守護によって備わっていると確信しています。

いずれにせよ、多くの人々が制御の難しいウイルスの存在に怯えています。と同時にワクチンに恐怖心を抱く人々、またワクチンパスポートにより抑圧され、自由が略奪されていると感じ、それにより誰かから操作されているといった恐怖心を抱える人々もいます。

では、私たちは、このような状況を目の当たりにしながら、教えを元に、この期間から何を学ぶことができるのでしょうか。

神様は、この節を通して、私達を導き、清らかにすると教えられています。

なにゝてもやまいいたみハさらになし
神のせきこみてびきなるそや二号 7

せかいぢうとこがあしきやいたみしよ
神のみちをせてびきしらすに二号 22

なに事もみなこのとふりはちめかけ
せかいぢううの心すまする十号 80

この事を世界規模で考えると、あることに気がつきます。それはパンデミックによって引き起こされた問題は、その大半が金持ちで裕福な国の問題だということです。なぜなら貧しい国々にとっては、すでに数多くの往々にして甚大な被害をもたらしうる感染症に残念ながら慣れているからです。

感染症に加えて、飢餓や貧困も絶えず世界のどこかで猛威を振るっています。

このような国にとってみれば、このウイルスは、これまでの慣れ親しんだ生活に何か一つ加わっただけのもので、必要以上に多く懸念すべきものではないのです。

それとは逆に快適な生活を享受している西洋の国々では、生活環境の変化が人々を混乱に落とし込み、人々の不安が国を覆い尽くしています。パンデミックにより、恐怖心があらゆる所に実しやかにもたらされているのです。

世界の不均衡がよりさらけだされ、残念な気持ちになります。もはや良識など存在しないとの思いに駆られる者、人道性が持つ可能にかけた希望さえも見失った者もいます。ですから、パンデミックということで全ての人々に関係あることとは言え、それが持つメッセージは産業化の進んだ国々による配慮に欠けた生活スタイルに向けられたものだと思います。

おふでさきの中に以下のような歌があります。

めへ/\にいまさいよくばよき事と
をもふ心ハみなちがうでな三号 33

このお歌が私達自身の内面に響くものがないでしょうか。

親神様は私達一人ひとりに対し訴えかけ、各自の認識の目覚め、納得、決心を待っておられます。このパンデミックが過ぎ去った後、それぞれが間違いなく様々に違った見解を持つことでしょう。しかしながら、今回の経験により、全員が、心の成人の道を進めることに違いはないと思います。

おふでさきを見てみましょう。

せかいぢうむねのうちよりこのそふぢ
神がほふけやしかとみでいよ三号 52

いちれつに神がそふちをするならば
心いさんてよふきつくめや三号 54

現在、人類が生き永らえてきた中での実体験を通して、少しずつある種の認知が自覚化されてきています。それは直感的なものではありますが、いわゆるウイルスを終焉に至らせるのは、私達自身の力だけにはよらず、むしろ、天の法則に任せることでなされるというものです。私達のように教祖の教えを知っている者にすれば、無限大の力を持つ不思議な御守護に完全にゆだねることで実現するというものです。

おふでさきに以下のようにあります。

みのうちのなやむ事をばしやんして
神にもたれる心しやんせ五号 10

神にもたれること、それは世界を意のままにしようとする欲望を止めることを意味し、対抗せず、ありのままをそのまま受け入れることです。

そうすることで、私たちは神のご守護のより深い理解と体感を得ることができ、ご守護と共にある生活が実現します。ご守護を好意的に受け入れ、そして守護に対する感謝を感じられるようになると、やがては自身とその周囲の人にも平和と治癒がもたらされるまでになります。

極々普段の生活、慎ましい生活の中にあっても親神様が、私達を支えてくださっているのを認識できれば、そのことがご守護の数々に心の繋がりをもたらします。

おふでさきに以下のようにあります。

このさきハせかへぢううハどこまでも
よふきづくめにみなしてかゝる十号103

たん/\とこのみちすじのよふたいハ
みなハが事とをもてしやんせ十号104

親神様は、我々の内面性の変化を唯一求められています。なぜなら私達には、神の大いなる計画や、また自分たちの都合に全ての物事を合わせるのに十分な知性などは持ち得ないからです。

次のみかぐら歌に歌われている通りです。

むりなねがひはしてくれな ひとすぢごころになりてこい

なんでもこれからひとすぢに かみにもたれてゆきまする

やむほどつらいことハない わしもこれからひのきしん3下目6-8

実際、問題の元は、私達の内面にあります。親神様に全幅の信頼を捧げ、身を委ねてみましょう。少し良く考えれば、コロナの存在とは、私達に悪からの脱却をさせるためであることが分りますし、人類全体がこれだけの動揺を与えられたのは初めてのことなのです。親神様は私達人類の内面性に何を求めておられるのでしょうか。

私のことを言えば、私はより心が成熟している確かな結果として、人生の全てを完全に愛すると決めています。親神様が私のために特別に用意してくれたこと、良いことも悪いことも、毎日、全てを受け入れています。他者の人たちとの間で、生活が巡りめぐるのを楽しく思いますし、誰かに手助けをすることに喜びを感じています。そんな日常の生活でより多くの感謝と満足感を見出しているのです。言わば、私自身の心に喜びを注ぎ込んでいるのです。

このことは次のおふでさきのお歌の中で言われています。

しやハせをよきよふにとてじうぶんに
みについてくるこれをたのしめ二号 42

このおふでさきのお歌は勇み心を与えてくれます。喜びの中でどうやって生活するのかを示しています。私たちは幸せになるべき存在ではなく、すでに全ては、そこに用意されています。どのような状況にあろうとも、すぐにでも喜べるに違いないのです。例えもし、人生でまだ幸せだと思うような事が起こっていないような場合であってもです。人生を謳歌しようという思いを練りあげ、そのなかに喜びを見出だす。その行為実践が、現実生活のなかに幸せを出現させるのです。

喜びの反対にある心の状態は、恨みつらみです。この心のは、他人や世界に対する不平や不満足な心から現れてきます。この心持ちの根源は、私たちは、皆、それぞれがばらばらで別物だという考えです。これが人を許すことを不可能し、人助けなど到底できないようにしてしまいます。

私達の身体上に起こる具体的な影響としては、この思いが、抗体システムを弱体化し、破壊的な作用を生じさせます。

今、このパンデミックの最中、知って頂きたいのは、心の喜びが身体の免疫力を自然と高め、逆に、喜びと反対の方向に向かうような心遣いは、免疫力を弱めるということです。

むなさきへきびしくつかへきたるなら
月日の心せきこみである十一号 1

どのよふなさハりついてもあんぢなよ
月日の心ゑらいをもわく十一号 3

いまゝでと心しいかりいれかへて
よふきつくめの心なるよふ十一号 53

今こそ、心を入れ替え、恐怖から逃れて喜びの世界でしっかりと生き抜く時です。心のエネルギーが変われば、人生も変わる。このエネルギーによって、私達の新しい人生が切開かれるのです。それこそが教祖が、我々に実現を求めておられることです。

私たちは、より良い世界、或いはウイルスの終焉に行き着くために戦う必要などありません。ただ天の法則に絶対なる信頼を置き、世界とは常に変化し、人生に留まり続けることなどあり得ないことへの理解が求められているのです。

西洋社会では、人生を平旦であるように願うことが問題です。全てのものに保険を欠け、どんなリスクも無い、病気もなく、いつも美しい世界、木々は絶えず緑色、もはやどんな時にでも変化がないように願うことです。しかし、現実の世界は、高低があり、緊張と拡張を繰り返し、元気な日もあれば、元気のない日もあり、晴れの日もあれば天気の悪い日もある。誕生と死があるわけです。

であるならば、人生の様々な起伏、波に対応し、その流れの中を生き抜いていくこと、その流れに乗りながら人生を歩むことが私達には必要なのです。それが生命の在り方に耳を傾け、親神とその御守護と共あるという真の意味だと思います。親神様は、人生に現われる問題、身上と事情を通して、私たちを導いても下さっています。我々の歩む道にちりばめられたあらゆる節は、親愛なる友人とも言えるもので、なぜなら、彼らは、いつでも私達に新しい成長の起点、再出発点をもたらせてくれるからです。

教祖は節から芽が出ると仰いました。人生においては、絶えず個人的な節と集団としての節がありますが、それらのどちらにおいても、毎回の出来事が成長を遂げるための好機です。

人間進化の歴史の中にも、特別で悲劇的とも言える瞬間、「時旬」があります。戦争や飢え、病気の蔓延など成長期と同じだけの危機が訪れています。

これらの全て、困難な時であっても個人、集団双方において、私達は親神様に救け、支え続けられています。

おふでさきにはこうあります。

いかほどにせつない事がありてもな
をやがふんばるしよちしていよ十五号 8

このはなしなんでこのよにくどいなら
たすけ一ぢようけやうのもと八号 48

私達が、現在辿っているこの特別な期間は、自覚、無自覚に関わらず、親神により陽気ぐらし世界へと導かれている道筋のほんの一節です。

教祖は、この新しい時間、新しい命が繋がり続く道のりを、陽気遊山で通るように求められました。この陽気遊山のお陰で、私達は数え切れないほどの体験を生き抜き、そしてこれからも生き続けてゆくのです。

様々な経験は、気持ち良いものもあれば、苦しみあるものもありますが、そのなかで我々の意識は、成長し、神に向かって進化していきます。進化とは言え、その歩みの道中では、望んだこともなければ、その先の想像さえ許さないような人生の大事もあり得ます。

しかんしながら、教祖は私達にどんな状況においても直ぐに幸せになることは可能であると仰りました。もし自分が幸せであることを選びさえすれば、コロナの有る無し、マスクやワクチン、ワクチンパスポートの有る無しに関わらず、それは可能なのです。

もし仮に皆さんがメディアやテレビなどの多くの外部的要因によって、心の状態が左右されているのであれば、実際のところは、私達の内部にある恐怖心によって操られていのだという自覚を持ちましょう。

せかいぢうどこの人でもをなぢ事
いつむばかりの心なれとも十四号 23

これからハ心しいかりいれかへて
よふきづくめの心なるよふ十四号 24

もし今のこの時期が、大きな変革をもたらすものだとするなら、この先数年には、何があるのか。

神様から私達に向け、おふでさきでは次のように語られていることを信じてまいたいと思います。

たん/\とどんなはなしをきいたとて
せかいたのしめ月日はたらき十三号 4

ご静聴ありがとうございました。

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