Tenrikyo Europe Centre

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2011年12月月次祭神殿講話

ナゴヤ・パリ布教所長 津留田正昭

ただいまは、ヨーロッパ出張所12月の月次祭を陽気につとめさせていただきましたこと、心からうれしく存じます。
届きませんが、ただ今から今月の講話をつとめさせていただきます。

先日の天理時報にこんな記事が出ておりました。来年はひのきしんデー提唱から80年で、それに向けてようぼく、信者に対して、この記念の年のひのきしんデーに多くの参加を促すべく実施要項が発表されておりました。そして、「感謝、慎み、たすけあい―教えを態度に表わそう」と来年のテーマが発表されておりました。
「感謝、慎み、たすけあい」とは、陽気暮らしへのキーワードとして、数年前より、天理教が社会へ向けて発信しているものですが、そこに、教えを態度に表わすという、一歩進んだ文章が加わって、これまで以上に行動することが明確に示されている内容になっております。私たちは、教祖から教えていただいたこのみ教えを、まずは心に感じ、納得し、そして今度はそれを身をもって日々の生活の中で実行していくことを目指しているわけであります。その一歩として、このように「ひのきしんデー」が提唱され、皆でその実行の一歩を歩むことを進めてくださっていると思うのです。この道は、教えを実行すること、ここが肝心な点であると思うのでございます。

この記事を目にしてすぐに私は、今年の夏に体験したひのきしん活動を思いだしました。
私が所属しております名古屋大教会では、今年の3月11日に起きました東日本大震災直後から、救援ひのきしん隊が結成され、今日に至るまで継続して、被災地でのひのきしん活動を展開しております。これまで多くの者が参加し、一日も早い復興を願って、特に宮城県の南三陸町での活動を中心に、多くの方が参加しております。
私も8月10日から14日まで参加させていただきました。私に取りましては初めての東北地方の訪問でした。宮城県内にあります部内教会から太平洋沿岸へ向けて約一時間ほど行くと、被害が大きかった南三陸町に着きます。この街に入ったとたん目にしたものは、それまでののどかな田園風景とはかけ離れた光景で、言葉では言い表せないショックが、ニュースなどでは何度となく見てきた数倍もの衝撃で、自分の目の前に突きつけられました。そして、沿岸まで足を延ばすと、そこには静かで、深い緑色の透んだ海が広がり、三陸の海の美しさに目を奪われると同時に、視界をちょっと陸側に移しますと、がれきで覆われた街の光景、この非日常の光景が、強烈なコントラストをもって眼前に広がっていました。
三日間のひのきしん活動のうち、初日には街の中心から少し離れた漁港で、牡蠣の養殖に使う筏の重石として使用する、土嚢作りに参加させていただきました。この作業は、復興へ向けこれからの漁師の方々の生活を支えていくための作業だと思うのですが、これが一袋、だいたい40キロぐらいの重さになり、とても楽な作業ではないのです。炎天下で、しかも腰に問題を抱えている私にはかなりのきつい作業でした。そして、やっと午前の作業が終了し、身体の泥などをぬぐい、一休みしておりますと、何やらワイワイとにぎやかな話し声が聞こえてきたので、その方向に目をやると、地元の漁師さんたちがその日に釣り上げてきた魚をさばいて刺身にして、参加していたボランティアの私たちに、振る舞っていたんです。その漁師さんたちはきっと今回の震災によって家族を失い、住むところを奪われ、さらに仕事をなくしておられる、まさに崖っぷちから突き落とさた心境だと思うのですが、その中でもこうして、手伝いに行かせていただいた私たちに喜んでもらおうと、自分たちの食料であるその魚を食べさせてくださった。私はその姿に深い感銘して、これこそが、たすけあいの姿だと感激をいたしました。
実際、救援ひのきしん隊と言いましてもそんなに大きな活動はできないんですが、何とか少しでも難儀している人たちのお役に立ちたい、壊滅的な被害を受けたきょうだい達のために何かさせていただきたいと言う気持ち、そして、それに対して、現地で被災された方々も、来てくれた人に対して、何らかの形で喜んでもらいたいという真実の心、この二つの気持ちがつながり合った姿だと感じたのです。これこそが教祖の望まれる互いたすけあいの世界なんだなあと深く心に感じさせていただきました。
このひのきしん活動を通して、私は大きな感動を得ました。そして、この感動はそこにいたからこそ得られたもので、やはり教えを行動に表わすことが大切なのだと、改めて感じ入ったのであります。

教典の第八章に、

人の難儀を見ては、じっとしておられず、人の苦しみをながめては、看過することが出来なくなる。自分に出来ることなら、何事でも喜んで行い、なんでも、たすかって貰いたいとの言行となる。そして、多くの人々に導きの手を与えるにをいがけとなり、人だすけとなる。それは、己の利害に偏らず、一れつ兄弟姉妹の真実に目覚め、互い立てあい扶けあいの念から、人の苦しみを我が苦しみとなし、我が身を忘れて、人に尽くすひたぶるの行為となってあらわれる。

このさきハせかいじゅうハ一れつに
よろづたがいにたすけするなら一二 93

月日にもその心をばうけとりて
どんなたすけをするとおもゑよ一二 94

と、このように人をたすける心について教えていただいております。
また、おさしづには、

たすけ一條の理を聞き分けるのが一つの理である。(中略)心一つの理によって、互いへの誠の心がたすけのこうのうの理である。 おさしづ明治21年8月9日)

と、誠真実の心で人だすけの実践をさせていただいたら、その心を神様が受け取ってくださるのだと教えていただいております。
「感謝、慎み、たすけあい―教えを態度に表わそう」これは、私たちの生活の指針として、どんな状況であっても忘れてはならない、信仰者としての基本的な態度として心に刻んでおくべき大切なものであると思うわけであります。

話は変わりますが、先日、11月末にベルギーのナミュールという町に住むようぼく宅の講社祭りに出かけました。そして、丁度1年前、昨年の11月に出会った家族と再会し、1年前には悲しみのどん底にいた家族が、親神様のすばらしい御守護をいただいて、今では幸せいっぱいに暮らしている姿を見て、私は改めて、おさづけおつとめの素晴らしさを感じさせていただきました。その話を少しさせていただきます。
昨年11月19日、ベルギー在住ようぼく宅に講社祭のため訪問した際、友人であるAさん夫妻に初めて会わせていただきました。その時の両親の話は、息子さんの身上についての相談でした。
10月23日、17才の長男が突然暴れ始め、癲癇性(てんかん)の発作を約5分間起こしました。その後、すぐに病院を尋ね、検査をしたが、特に発症する原因も見つけられませんでした。その後、短い発作が何回か起こり、ついに入院することになりました。しかしながら、発作は収まらず、発作の原因も見つけられませんでした。
そして、11月初め、ベルギー最大の大学病院に緊急入院することとなり、ヘリコプターで搬送されました。入院以来、大学病院では数名の教授を初め、治療チームを作って、検査を続けましたが、一向に発作が収まらない為、人工的に昏睡状態にし、発作を押さえるという処置がとられることとなりました。

私たちが両親にあったのは、こうした一連の流れの後、昏睡状態という状況下でした。両親は、何とか助けてほしいと、必死に願い出られてきました。そして、この時の家族の状況は、息子の身上に加え、父親は、つとめていたパン屋が倒産し職を失い、また母親も家族の遺産問題で大きな悩みを抱えており、まさに暗闇の毎日を過ごしていたようです。

この話を聞き、翌日すぐにブリュッセル市へ向かい、おさづけをお取り次ぎさせていただくべく、行かせていただきましたが、集中治療室の時間制限が厳しく、その日のお取り次ぎは残念ながら叶いませんでした。
パリへ帰って、翌日から布教所で毎日朝9時からお願いづとめをさせていただきました。私たちだけでなく、布教所につながるようぼくも加わってつとめさせていただきました。そして、翌週の日曜日に、会議で時間が取れない私に代わり、家内にブリュッセルへおさづけのお取り次ぎのため、出向いてもらいました、やっと一週間後に直接おさづけを取り次がせていただくことができました。もちろん昏睡状態ですから、本人とは全く話すこともできませんでした。

一方、大学病院では、対処法が見つからないままで、あちこちの医療機関に照会し、こうした症例がこれまでにないかどうか調べておりました所、12月末に、アメリカで前例が一件だけ見つかりました。そして、担当医師がすぐアメリカへ赴いて、発作を押さえ、しかもできるだけ自然に覚醒させる方法を協議して、ベルギーへ帰ってきました。発症から約2ヶ月が経ち、また毎日のお願いづとめをつとめはじめてから、一ヶ月半が経って、一筋の光が見えてきたのです。
しかしながら、通常、昏睡状態をこれだけ長く続けるのは、身体の機能、特に脳の機能には壊滅的な影響を与えるというのが、医学では常識です。ですから医師にとっても、この覚醒のための治療は、大きな賭けでもあったと思います。
そして、1月中旬、覚醒が試みられ、予定通り一週間目に目覚ました。当初、医師からは、もし目覚めても、長い昏睡状態を続けていたので、言語、記憶、知覚障害は避けられないので、覚悟するようにとの話でした。しかしながら、目覚めてすぐ、『パパ、ママ』と両親の顔を見ながら言葉を発しました。その後、いくぶん異常な行動があったものの、徐々に正常になり、食欲もあり、少しずつ歩けるという奇跡的な回復という御守護をお見せいただきました。医師達も口々に『これは奇跡だ。学会に報告したいので、了承してほしい』とのことでした。現代医学の世界でも、こんな回復を見せるというのは、考えられないほどのことだったそうです。
そして2月、ブリュッセルの大学病院を退院し、自宅近くの病院でリハビリを始めるため、帰宅の許可を得た日、私たちは講社祭に行かせていただきました。ようぼく宅で、彼の顔を見た時、彼の口から、「いつもお祈りをしてくれてありがとう。そして、ブリュッセルの病院で、お祈りしてくれたことを覚えています。」と、話してくれました。まさに、おさづけおつとめのお陰と、家族共々に親神様教祖に御礼をさせていただきました。
その後、4月には息子さんの18才の誕生日を迎え、快気祝い、そして、成人を迎える誕生日を皆でお祝いをさせていただきました。今年の9月からは、1年遅れて学校にも復帰するという御守護を頂いております。さらには、失業していた父親が、念願の自分のパン屋を開業し、夫婦で店を営み始め、この息子さんも、学校が終ったら店でお手伝いをしていると、話してくれました。本当に1年で素晴らしいご守護いただいてくれました。
このように、1年前はどん底の気持ちで私たちにあった家族が、教祖に出会って1年たった今、幸せな生活を取り戻して平穏な毎日を過ごしております。
親神様のお働きは、こんなにも鮮やかなものなのかと、改めて深く感じております。

早いもので、今年も残す所20日余りとなりました。今年1年を振り返りながら、また来年も、教祖の教えを態度に、そして行動に表す年としてつとめさせていただきたいと思っております。
ご清聴ありがとうございました。

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