Tenrikyo Europe Centre
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ボルドー教会長 ジャンポール・シュードル
現在、大きな不安感が世間を襲っています。自然環境をとってみても、動植物のおかれている状況は懸念の一つですし、国家間の富の不均衡は大きな緊迫を生み出しています。私達が感じている社会の脆弱性と安全性の欠如といった住み心地の悪さは、これらの事が関わっているとも言えます。
政治の世界でも、自然環境、移民、また社会制度といった問題が大半を占めています。演説の大半は、地球温暖化、大気汚染、水質汚染、森林伐採、動物の種絶滅などについてで、悲観的で警戒感を煽るものとなっています。
このように、地球の将来が暗くしか語られないため、多くの人々が不安と悲観にくれています。
大方の人々は、これらの問題に対し無力感を覚えており、解決策をあまり知ろうともしません。結果として、自分自身の在り方を問う代わりに、他者に責任をなすりつけているのです。
それでは、お道の信仰を持つ私たちが取るべき教えに沿った態度とは、どのようなものなのでしょうか。
教祖のお言葉を見てみましょう。
矛盾しているようですが、教祖は、今後、全ての準備が整い、自然との調和の中で人間が陽気、平和に暮せる時代の到来を告げられています。
教祖が人類にお教え下さったのは、まさにこの事であったのです。と同時に、私たちが親神様が望まれたような世界を作り上げるための「説明書」を残して下さりました。
月日の社である教祖が、1887年1月26日に姿を隠される時まで、人間のために50年をかけた伝道の始まりが、1838年10月26日であって、彼女は、これら二つの日付は、人間の一つの進歩過程の終わりであり、同時に始まりだと教えられています。
世界創造から九億九万九千九百九十九年の年月を費やした最初の過程は、その時代の人間が、頭脳の智慧を用いて、人体と住んでいる物理的な世界を完全認識した過程です。その次の過程は、今、私達の前に開かれていますが、それは人間性のあらゆる面、とりわけ精神性に重きをおいた人間完成の道へと繋がっていくものです。また同時に地球全体を甘露台世界へと導くものであり、言わば、全ての物、無機物、植物、動物、そして人間のすべてが喜びに満ち満ち溢れる道であることを意味します。
教祖がおつとめを優先的に教えられたのは、人類の新しい進化過程を前進させるためにでありました。それは以下の御筆先に言われているとおりです。
このよふをはじめてからにないつとめ
またはじめかけたしかおさめる(六、8)
来るべき時の到来、1838年10月26日と1887年1月26日の間に、歴史上初めて、親神様の教えが伝えられた目的は、新しい進化過程に必要な要素を人間に与えるが為でありました。
おふでさきで教祖は次のように書かれています。
だん/\とふてにしらしてあるほどに
はやく心にさとりとるよふ(四、72)
同様に、
よろつよのせかい一れつみはらせど
むねのハかりたものハないから(一、1)そのはづやといてきかした事ハない
なにもしらんがむりでないぞや(一、2)このたびハ神がをもていあらわれて
なにかいさいをといてきかする(一、3)
教祖が現身を隠してから133年しか経ておらず、人間進化の100億年に比べると大変短いものです。ですから、この教えを聞いた者の数が、本当に僅かでしかないのも当然です。
この新しい進化過程に参画し、自然に優しく、喜びに満ちた生活を開始するためには、絶対に外すことのできない教祖の教えがありますが、なんだと思われますか?
それは、心は人間が自ら所有しているという教えです。教えによると、心の力は無限であり、全てを変えうる力、身体のみならず、外界に対してもその力は発揮されます。
私たちも、その周りに現れるすべてのものが、心に由来するものなのです。
では、心から、一体、何が生まれるというのでしょうか。それは感情です。
おふでさきの中で、
一れつハみなめへ/\のむねしたい
月日みハけているとをもゑよ(五、97)これきいてみな一れつわしやんせよ
なにかよろつハこころしだいや(四、118)しやんせよハかいとしよりよハきでも
心しだいにかなうぢうよふ(四、132)
人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの。たった一つの心より、どんな理も日々出る。どんな理も受け取る中に、自由自在という理を聞き分け。(おさしづ、1889年2月14日)
それまで人間は、この教えを知りませんでしたし、そしてまだ今日も多くの人々が知りません。
実際、私たちに関しても、その教えを耳にしたところで、本当にその教えは分かっていないものです。大抵の場合、悪い心遣いから離れずにいるからです。
今日、世界にある苦悩の大部分は、このことを知らないが故にあります。教祖は、この世界はまさに人間の心から出る感情に応じた発展でできていると詳しく説いているのです。そもそも、今、70億人がいる訳ですから、その影響力は多大なものがあります。
実際、私達が「考える」ことよりも、私たちの「感じる全て」が重要なのです。つまり感情です。心から湧いてくる感情、しかし、その心も大抵の場合は、脳を使って思想し、策を巡らせ、自然とは切り離された存在だと思い込むあまり、ほこりで汚れています。
今の時代、ほこりを生じる感情とは、おしい、ほしい、にくい、かわい、うらみ、はらだち、よく、こうまんであり、これらは世の中に大きく広がり、君臨しています。その一方で、陽気と感謝、慎みのような感情はマイノリティーと言えます。こうしてみると、今の世の中の状態が、この感情の表れであることが容易に理解できます。
昨今、科学的見解が、教祖が教えられた感情と心についての説と重なり合ってくるのは興味深いところです。おやさまが、おふでさきの中で記したように、教えの具体的な確証が次第に発表されつつあるのです。
そのおふでさきには、
いまゝでにふでにつけたることハりが
さあみゑてきた心いさむで(十二、44)はや/\とみへるはなしであるほどに
これがたしかなしよこなるぞや(三、 26)
例えば、ある実験によると、心の中に感情が表出した時、脳から放出するエネルギーに較べ、さらに強いエネルギーが心から生まれます。そのエネルギーは体内に留まらず、外部にも影響を及ぼすのです。その影響力を計測したところ、数キロ先にも及ぶことがあるそうです。
つまり、私たちは絶えず、他人や、環境との相互作用の中で生活しているのです。ほんの些細な感情であっても、人々の間では、海の波のように互いに限りなく打寄せ合っているのです。
また、別のある実験では、感情は人体のDNAに影響があることを証明しました。DNAとは、つまりこの私たちの身体、脳、個性における特徴的構造の大部分を生み出し、また人格にも働いているという微細な分子です。
その発見というのは、陽気、感謝、同情のようにポジティブな感情にあるとき、DNAは、活発な動きを示し、ゆったりとしているということでした。
反対に、怒りや憎しみ、嫉妬、欲求不満などの時には、DNAは緊張しているのです。
実際、遺伝子に変化をもたらした全実験に共通した要因は、ただ単純に様々な思いを強く感じるということだったのです。
感情を強く感じさせることでDNAは、免疫システム、ホルモンレベル、耐老化ホルモンを変化させました。それはDNAがその自らの在り方を変化させたとも言えるでしょう。
このような話を聞くと、大きな喜びと共に、教祖のお働きが自覚できます。教祖は、いつも私達をお導き下され、残した全ての事について、完全なる理解が得られるようにしてくださっているのです。
おふでさきには、心から湧き出るものには、2種類あり、自然に対して、善悪の影響を持ち得ると書かれています。
その二つとは、陽気な感情か、あるいは心のほこりをもたらす感情かです。それが次のお歌です。
だんヘとせかいの心いさむなら
りうけもろともみないさみでる(十、82)りうけいのいつむ心ハきのとくや
いづまんよふとはやくいさめよ(一、13)だんへと心いさんでくるならば
せかいよのなかところはんじよ(一、9)
ですがどのようにしてその心を、私たちを陽気ぐらしへと向かわせるようなものへと変化させれば良いのでしょうか。教祖はおふでさきの中でこのようにおっしゃっています。
この心どふしてなるとおもうかな
月日たいない入りこんだなら(十一、54)にちへにひとり心がいさむなり
よふきづくめの心なるよふ(十一、55)
このように私たちに明示下されております。「月日たいない入りいんだなら。」
このおふでさきの「入り込んだなら」という部分は注目に値します。いったい何が月日が体内に入り込むのを妨げているのでしょうか?
明らかに、それはエゴと結びついているありふれた一般的な思考なのです。
この自然世界から切り離された存在だと考えている自己だともいえます。
元初まりから発展を続けてきた長い年月において、人類は、生延びるため、このような思考とともに歩んできました。そして、自己を自分以外の世界と隔たりある存在だと考えるようになり、それ故、時の経過と共に、物体としての肉体と自己を完全に一体化していったのです。
ですので、人間は周りの人よりもより強く、より豊かに、より博識になるため、すべてのエネルギーを費やし、また時間と力を使って私腹を肥やし、その身を守ろうとしてきました。それはしばしば周りの犠牲に負うものでもありました。
これが、なぜ人間同士で争い、自然との衝突があるのかという確かな理由の説明となります。
教祖は、私たちに今後は心の目を使うことを望まれました。つまりそれは、「心を持って、よく考える」ということです。
私たちが、理解しやすいよう、教祖は頭を使う一般的な思考と心で考えることには違いがあるということを教えてくださいました。
以下のおふでさきには
いまゝでわ一れつハみなにんけんの
心ばかりてしやんしたれど(八、94)いまゝでハなにをゆうてもをもふても
みなにんけんの心はかりで(六、99)いまゝでハなにかよろづがハからいで
みなにんけんの心ばかりで(三、80)いまゝでハなによの事もせかいなみ
これからわかるむねのうちより(三、43)
教祖は、このなかで、将来的に世界中に定着するであろう考え方の大きな変革を告げられています。この変化は世界平和実現のためには必要不可欠なことです。
今後、心の内の理解を持って、エゴをより少なくし、心のインスピレーションを増やすことで、少しずつ恐れや頭を使った策から離れ、心の誠実さを増していくのです。
そのために、教祖は、以下のように教えを説きながら強く諭すことをお辞めにならず、意志を行動で示し、変わる決意をするよう望まれました。
いまゝでハとんな心でいたるとも
いちやのまにも心いれかゑ
そしてまた
これからハ心しいかりいれかえて
よふきづくめの心なるよふ
そのために誰でも、どこでも、いつでも、またどんな状況であっても直ぐにできることは先に引用した以下のおふでさきの一首に立ち戻ることです。
個人的な事情で、気持ちのすぐれないある日、このお歌を読む機会に恵まれたことがありました。すぐさま自分の心を変えようという気になり、何度か「月日様、体内へお入り込み下さい、南無天理王命、月日様、体内へお入り込み下さい、南無天理王命」と繰り返しました。
何度か唱えたのち、心の中に軽やかな感覚と共に安らぎが深く広がるのを感じました。
私たちの日常において、日々困惑したり、ストレスを抱えたり、心的に疲れたり、落ち込んだりすることがあります。
それは、エゴと結び付いている思考が、あらゆる場所を塞ぎきって、日々の暮らしを、心の内面を通して理解できなくなっているからです。
そのような時には、「月日様、体内へ入り込み下さい」と心の中で唱えるのです。そして特に、その入り込みを心に強く感じてください。
神なる言葉「南無天理王命」と一緒に唱えることで、心は陽気に満たされます。エゴと結びついた思考が、心の目で見る考え方に置き換わるからです。
今、私たちは新たな進化過程の始まりにいます。これから、この新しい心持ちが意識を神の存在へと開かせることで、自然の素晴とともに、喜びの人生をようやく送り始めると教祖は仰っておられるのです。
教祖は良い心の使い方は人間と世界に不思議な影響を持つと教えられました。そのような素晴らしい予言はおふでさきの中で見つけられます。
しんぢつの神のざんねんはれたなら
せかいの心みないさみでる(四、35)そのゝちハやまずしなすによハはらすに
心したいにいつまでもいよ(四、37)またさきハねんけんたちた事ならば
としをよるめハさらにないぞや(四、38)だんへと心いさんてくるならバ
せかいよのなかところはんじよ(一、9)
まずは、地球環境や宇宙にとっても、心の陽気は大切な事だという自覚が必要です。
心が陽気で満たされことで、エネルギーが高まり、大地の活力がみなぎる。反対に心が埃で埋もれると大地は干からびる。
人が良く言うことに、「満足し、愉快で感謝に浸れるときは、大抵の場合、何でもできる時や、目標にたどり着いた時、また自分が健康である時などでしょうね。」というものがあります。
それはつまり、陽気な心や感謝の念を持つためには、まず人生のポジティブな体験がなければいけないと言っているわけです。
しかし、実際に私達がしなくてはいけないことは全くの反対で、まず喜びを感じることや心に感謝の念を持つこと、そうすれば、人生はポジティブな方向へと変化していくのです。
私たちがこの新しい心の状態へと真にたどり着くため、教祖はおつとめをお教えくださいました。おつとめによって心は、その埃から真に浄化され、陽気さは私たちやその周りをも晴れやかにするからです。
みなそろてはやくつとめをするならバ
そばがいさめバ神もいさむる(一、11)りうけいがいさみでるよとをもうなら
かぐらつとめやておどりをせよ(一、44)このみちをはやくおしへるこのつとめ
せかい一れつ心すまする(七、99)
我々のように、教祖と共にこのように生きる人の数が増えていけば、一手一つでつとめる限り、より一層、世界への良い効果が目に見えて感じてもらえるようになります。
複数の心が、一つの感情を作り成すため、一つに重なりあったならば、その効果は大きなものとなり、世界を変えうるものとなるのです。以下のおふでさきが言わんとしていることです。
はやへと心そろをてしいかりと
つとめするならせかいをさまる(十四、92)
結局のところ、環境、社会、人間関係の全ての問題と人類は戦っている途中ですが、その解決策は、間違いなく心の状態変化と神の思し召しの理解にあるのです。
私たちが求めていることは、世の中のより多くの人々にこの教えを知ってもらうことであり、実践してもらうことです。
そのために教祖は次の御言葉をお残し下さったのです。
これからハ心しいかりいれかへて
神にもたれてよふきつとめを(十三、10)
ご静聴ありがとうございました。