Tenrikyo Europe Centre

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2017年1月大祭神殿講話

ヨーロッパ出張所長 長谷川善久

さて、昨年、1月26日に教祖130年祭が執り行われ、全世界の信者が、三年間に亘り、取組んできた「おたすけ」を通した成人の報告を存命の教祖にさせて頂きました。

ヨーロッパ出張所の心定めは、最終的には、年祭当日までのおさづけのお取り次ぎ、13693回、又,2016年末までのおぢばへの帰参者数は415名を達成し,共に年祭に向けた神様とのお約束を果すことができました。見事に、ヨーロッパ教友全体としては、目標を達成することが出来たわけです。この事は大変大きな喜びであります。誠にありがとうございました。

しかし、一方で、みなさん、一人ひとりが、自分自身のつとめはどうであったかを、振返ることも忘れないで頂きたいと思います。数が多いから良い、少ないから悪いというのではありません。真柱様の旬の声を素直に受け止め,自分の事として、努力できたか、真実の努力に悔いは無いかを自分に問掛けて頂きたいのです。もし身惜しみの気持ちがあったとすれば、今からでも教祖に心からお詫び申し上げ、それから、今後も存命の教祖と共に歩ませて頂きたい旨、人助けの道具としてお使い頂きたいと頭を下げてお願いする気持ちが大切ではないかと思うのです。

このように願う子供の姿をいじらしく思い、より手助けしてやりたくなるのは、教祖も人間親子の関係と同じでありましょう。

又、皆様方におかれましては、昨年,ヨーロッパ出張所の御用の上に真実のひのきしんを尽くしてくださり、誠にありがとうございました。

例年同様、昨年も、214名の方々が、当出張所に宿泊下さり、ご参拝下さいました。

教えを求めて心を練り磨く場として、またひのきしんを通して結構なお徳を頂戴できる本部拠点として、本年も出張所は、2020年に迎える創立50周年に一人でも多くの方々にご参拝頂けるよう、その役割の更なる充実を図っていくつもりです。どうぞご支援の程、よろしくお願い致します。

私達は、本日、教祖がお隠れになられた日、陰暦明治20年1月26日(1987年1月26日)陽暦でいうところの2月18日に由来して勤められる1月の大祭をつとめさせて頂きました。

教祖は、世界中の子供を早く助けたいとの親心から、25年の定命を縮め姿を隠されましが、ようぼくおさづけを取次ぐところ、世界中のどの場所であっても、現在も変ることなく、お出掛けお働き下り、不思議な助けをお見せくださっています。

その上からも、この大祭をつとめさせて頂いた日にあたり、私達が心に留めていなくてはいけないことは、教祖のひながたを思い、その親心に報恩の心で日々、教祖にお仕えしている自分であるかを自問することではないでしょうか。

ところで、ご存じの通り、天理教は「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降つた。みきを神のやしろに貰い受けたい。」との親神からの言葉を受け、中山善兵衛様が、あらゆる人間思案を断切り、妻みき様を親神の社として差出した時点に立教の日を迎えます。

また、おふでさきの一号 3のお歌には

このたびハ神がをもていあらハれて
なにかいさいをといてきかする一 3

と書かれてあり、親神様は、中山みき様を神の社に貰い受け、その身体に入り込み、地上の神として、「世界一列をたすけるため」に、つまり、この世界を親神の意図していた状態に立替えるために、この世の中、全てのことを人々によく分かるように説明すると仰られたわけであります。

親神様の社であることについては、おふでさき

いまなるの月日のをもう事なるわ
くちわにんけん心月日一二 67

しかときけくちハ月日がみなかりて
心ハ月日みなかしている一二 68

とあり、教祖は、見た目は人間であるが、その心は親神であります。

しかし、その姿が人間と変わらぬが故に、話を聞く者はありませんでした。そんな困難の中でも教祖は、聞分けの無い子供を育てるように、人間の立場も考慮し説明を加えたり、又は親神の不思議な働きを自らの行いの通して人々に知らしたのです。

教祖は、人生の苦難にあえぐ私達に「たすかる」ための道筋を示すため、ご自身から進んで苦難の中も勇んで通られました。また親神様が教祖を社として、直々に地上に現れている証拠として、をびや許しを始めとした親神様の守護を数々人々に示されました。

さらに、教祖は、

このよふハりいでせめたるせかいなり
なにかよろづを歌のりでせめ一 21

せめるとててざしするでハないほどに
くちでもゆハんふでさきのせめ一 22

なにもかもちがハん事ハよけれども
ちがいあるなら歌でしらする一 23

だん/\とふてにしらしてあるほどに
はやく心にさとりとるよふ四 72

とあるように、後々も私達が繰返し繰返し思案できるようにと、御筆先を残されました。そして、親しみ、覚え易いようにと、また多くの比喩を用いて教理を説かれました。

このさきハみちにたとへてはなしする
どこの事ともさらにゆハんで一 46

やまさかやいばらぐろふもがけみちも
つるぎのなかもとふりぬけたら一 47

まだみへるひのなかもありふちなかも
それをこしたらほそいみちあり一 48

と、たすかる道筋を、山坂や、茨の道などにたとえて、例え困難な時があろうとも、親神にもたれて通り切るならば、段々、道は開けて、細道となり、遂には、大きく立派な道に出られると、将来に向けて自分がたすかっていく姿が楽しみになるような説明をなされました。又、我が身勝手の心遣いを、埃にたとえて、親神への祈りを帚として、心得違いのほこりを、絶えず掃除することや、心を水にたとえ、私利私欲の無い心が、清水の如く澄んだ心が、親神の思召が分かるために必要な心だと教えられました。

そして、親神については、そのお働きがより分かりやすいようにと、人々の教理理解の深さに合わせて、呼名を三通りに変えられました。

初めは、神と呼び、日本では誰もが知っている拝んで願いを叶える神の概念に対して、

たすけでもをかみきとふでいくてなし
うかがいたてゝいくでなけれど三 45

おふでさきに記されたように、これまでのようなありきたりの拝んで願いを叶える神ではなく、この世、人間を造り、昔も今も変わりなく、人間の身体の働きや生活環境を守護している真実の神であると教えらました。

次いでは、月日と呼び、天空に見える月日こそ親神の姿だと、世界中を温みと潤い、夜、昼となく万物を育てる働きを目に示して教え、一層の親しみを感じられるように導かれたのです。因みに教祖が、赤衣を召されたのも、月日のやしろににおわす真実を、眼に示して納得させようとの思召からでありました。

それから後は、をやという言葉で親神を表し、

にち/\にをやのしやんというものわ
たすけるもよふばかりをもてる一四 35

と仰せられました。

親神は、神、月日と仰ぐばかりでなく、喜びも悲しみもそのままに打ち明け、すがることの出来る親であると教えられたのです。つまり言い換えれば、こうして地上の親神様である教祖こそ、私達、人類共通の親であることを示されました。

しかしながら、世間の天理教に対する反対も激しく、教祖の仰るとおりにすることをためらうこともありました。これを教祖はもどかしく思い、ざんねん、りっぷくなどの厳しい言葉を使われたものの、その反面では、おふでさき

こらほどにさねんつもりてあるけれど
心しだいにみなたすけるで一五 16

いかほどにさねんつもりてあるとても
ふんばりきりてはたらきをする一五 17

などと、温かい親心を述べて、常に、子供達の心の成人の上に、心を配られたのであります。

そして、教祖は、親神天理王命の神名を、末代かわらぬぢばに名付け、存命のまま元のやしきに留まり、私達、子供をたすけるため、尽きぬ親心を注いで下さっています。

私達は、教祖によつて、初めて親神を拝し、親神の思召を知りました。まさに教祖こそ、地上の親神様であり、我たちの親であるのです。

以上の通り、本日は、教祖について、教典第一章からお話をさせて頂きました。教祖について、改めて良くお分かり頂けたことと思います。

昨年の秋季大祭真柱様は、かしもの・かりもの、八つのほこり、ひのきしんといった身近で基本的な教えについてのお話しをして下さり、その理由を 「あらためて日常生活における道の信仰者としてのあり方を再確認するため」と述べられ、そして、「お道の者らしい常日ごろの言葉づかいや行動は、自らの毎日を陽気にするだけでなく、周囲の人々に対しても、たくまずして道のにをいを掛けることにもなるでしょう。

また土地所の陽気ぐらしの手本としての教会が地域の人に親しまれ、信頼されることにもつながると思うのであります。何よりも、そうしたお道らしい空気の中で、教会子弟、よふぼく信者の子弟の心に、しっかりとした信仰心が芽生え、根付いていくと思うのであります。」と教理の実践と後継者の育成の繋がりについてご指摘下さいました。

また、昨年の青年会総会のお言葉の中では、「稿本教祖伝を読ませてもらうと、そこにはなってくることに対する信仰的な受け止め方の手本が書かれている。その記述から、心を立直して前に進む勇気を与えていただく。」とも述べられています。

今、教祖年祭を終えて、私達にとっても、新しい一里塚、出張所50周年に向けて、おさづけの取り次ぎが出来るようぼくを丹精し育て、ヨーロッパの道を次の世代へと間違えなく伝えることは重要な課題であることには違いありません。

今後は、ヨーロッパに於きましても、教理の研鑽、実践から繋がる後継者の育成の雰囲気づくりをを目指していきたいとおもいます。どうか皆様方の同意と積極的なご協力、お力添えをお願いしまして、私の講話を終らせて頂きます。ご静聴ありがとうございました。

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