Tenrikyo Europe Centre

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2015年7月月次祭神殿講話

斎藤アイリス(ホノルル教会役員)

2012年に、第28回天理教ヨーロッパの集いの記念講話の依頼を受けた時、諭達第三号に絡めて話すよう聞かせていただいておりました。私は2013年の4月から6月にかけて修養科の一期講師をつとめさせていただきましたが、その時修養科の副主任をされていたキタヒデカズ先生がお話の中で、真柱様の諭達第三号の中には「たすけ」という言葉が22回出てくるとおっしゃっていました。私の日本語の読解力は、40年前に天理の日本語学校で勉強していた時に比べると落ちていますが、頑張って日本語の諭達第三号を読んでみますと、実際に「たすけ」という言葉は22回出ていました。私は22か所全てに赤ペンで下線を引いて、英語訳の方にも同じことをしました。「たすけ」という言葉は英語では、save, salvation, helping, (mutual) help, help (others to be saved), helping, (to save others), saving (others), そして reach out. などの表現に訳されていました。そうしてみて、なぜ「たすけ」という言葉を諭達第三号に絡める必要があるのかが分かりました。

私が初めて諭達第3号を拝読したときに、英語訳の5ページにある段落がふと私の目に飛び込んできました。その部分を引用いたします。

おたすけは周囲に心を配ることから始まる。身上・事情に苦しむ人、悩む人があれば、先ずは、その治まりを願い、進んで声を掛け、たすけの手を差し伸べよう。病む人には真実込めておさづけを取り次ぎ、悩める人の胸の内に耳を傾け、寄り添うとともに、をやの声を伝え、心の向きが変わるようにと導く。更には、共々に人だすけに向かうまでに丹精したい。

私は幼児教育の専門家で、観察することに関しては訓練を受けてきましたので、周囲の人々に心を配ることはとても簡単なことです。子供の身体的、認知的、社会的、そして感情的成長や発達を、注意深く観察したり記録したりする必要があるのです。また、子供たちの行動のありとあらゆる変化に気を配ってその原因を調べ、必要に応じて世話取りの仕方を調整する必要があります。ですので、周囲の人々に心を配っておたすけをしてほしいという真柱様のお言葉の最初の部分については、自分自身の成人の過程の中で出来るようになると思っています。

私の子供に聞いたら違うと言われるかも知れませんが、私は聞き上手な方だと思っています。これは前回にも皆さんにお見せしましたが、これは「聴く」という意味の漢字です(「聴」という漢字を書いた紙を見せる。)この漢字には“耳”“目”“心”という三つの漢字があります。言い換えますと、耳、目、そして心の全てを使って聞くことが大切だということです。真柱様は悩める人の胸の内に耳を傾けるよう我々に教えて下さっています。

私がもう少し努力すべきなのは、身上・事情で苦しんでいる人々におさづけを取り次ぐことだと思っています。私は毎日多くの方々のためにお祈りをしていますが、おさづけの取り次ぎをもっと頑張るべきだと思っています。私の息子のライリーとコナーが幼稚園に入園する前の頃に、私の両親と叔母がホノルル教会で二人の面倒を見てくれていました。二人が病気になったときにはいつも祖父母と大叔母がおさづけを取り次いでくれていました。ですが、二人が大きくなって病気になったときに私のところに来ると、私は「ビタミンCを摂りなさい」とか「薬を飲みなさい。」と口にしていました。すると二人は大きな声で、「お母さん、おたすけはしてくれないの?」と言うのです。子供に言われてはじめておさづけのことを考えるというのはとても恥ずかしいことでして、本来であればまず最初におさづけをするべきだと思うのです。人だすけを常に意識できる心を培ってもっと成人しないといけない、そのように気づいたのです。

2013年に(パリから)ハワイへ帰ったときに、休暇の間に友人のウィネッタ・ウォングさんに電話をかけました。彼女と私はホノルルのコミュニティカレッジのケイキ・ハウオリ子供センターで一緒に働いていました。彼女はそのセンターの先生で、私は幼稚園クラスの教室で社会人学生のインストラクターを勤めていました。彼女と私はお互いの考えていることが察し合える程の仲で、チームメイトとしてそれぐらい親しい間柄でした。

しかし彼女が電話をとった時、私は驚きを隠せませんでした。彼女は以前のような話し方ではなく、「あ、あ、あ、う・・・」としか言うことができなくなっていたのです。彼女は私の質問に答えられないことにいらいら様子でした。しゃべれなくなってしまったのと聞くと、彼女は「うん。」と答えましたので、脳卒中になったのと尋ねると、彼女は「うん。」と答えました。彼女のうちに行っていいかと尋ねると、彼女は「だめ。」と返事をしましたので、休暇が終わった後に行こうかと聞くと「いいよ。」と答えました。ですから、私は休暇の後にまた電話をかけると伝えました。

そこからかいつまんで話しますと、彼女の家はエワという町にあるのですが、そこは私の家から往復で約65キロのところなのですが、この1年半にかけて何回か足を運びました。彼女のご主人が言うには、脳を刺激するために人と会って話したりすることが必要とのことでしたが、彼女とはよく45分から1時間ぐらい一緒におしゃべりをしていた仲でしたので、それを聞いてとても悲しくなりました。ですが、私が彼女のうちへ行ったときには休暇の時に比べて回復していまして、車いすをやめて歩行器を使って歩けるようになっていました。彼女は右半身の指を殆ど動かすことができなかったのですが、現在ではより広い範囲で動かすことができるようになり、足の筋肉も強くなり四脚づえを使えるまでに回復したのです。

彼女に初めておさづけを取り次いでもいいか尋ねた時、彼女は快く引き受けてくれまして、それから過去1年半の間彼女におさづけを取り次がせて頂いています。彼女は私がうちにきて、昼ごはんに連れていったりスーパーに買い物に行ったりするのをとても楽しみにしてくれています。私たちは昼ごはんを替わりばんこに支払ったりするのですが、こういった風にして外出するのを楽しんでくれている様子です。

彼女に初めておさづけを取り次いだ時、彼女は電話でお礼を言ってくれたのを覚えています。彼女は、「私のためにお祈りしてくれてありがとうね。」とはっきり言ったのです。彼女はたくさんの言葉を話せませんが、その時の言葉はとてもはっきりしていました。彼女はよく、額を叩いて「あぁー」という唸り声をあげて、ため息をつきながらまるで自分を落ち着かせるかのように「大丈夫、大丈夫。」言っていました。彼女は自分の言いたいことを私の手や太ももに文字で書き、私はそれを解読しようとしていました。そういった言葉は「プラカード」のようにはっきりとした言葉の時もありますが、あるときには言葉がもうそこまで出かかっているのに出てこない時もありました。私達はお互いに頑張ってコミュニケーションをとろうとして、よく笑ったりしていました。我慢強く相手の話に耳を傾けて理解しようとするのは、私にとって本当に素晴らしい勉強をさせていただく機会となりました。

私は来年2016年の7月に彼女をおぢばに誘いたいと考えています。彼女のご主人のギャリーさんは孫とペットの犬のお世話があるので一緒には行けないそうですが、彼女は行けるだろうとのことでした。しかし、彼女は飛行機が苦手なので行きたくないと言っています。私は無理矢理彼女をおぢばへ行かせるつもりはありません。ギャリーさんは彼女の健康状態で日本に行ってもよいかどうかを彼女の主治医に尋ねてくれると言って下さいました。私は月に一回エワの町に授業を教えにいっていますので、これからの一年間、月に1回彼女におさづけを取り次ぐのを続けていき、なんとか私と一緒におぢばがえりしてもらえるようになればいいなぁと思っています。

諭達第3号に、

陽気ぐらしは、何よりも親神様の子供である人間が、互いにたすけ合って暮らす世の在り様である。」

と書かれてあります。また、次に引用するみかぐらうたの二つの地歌は、よふきぐらしは心を澄ます生き方であるとお教え下されています。

よくにきりないどろみづや こころすみきれごくらくや(十下り目 四ツ)

心さいすきやかすんた事ならば
どんな事てもたのしみばかりおふでさき 第十四号 50)

重要なのは、心のもちようなのです。天理教教祖伝逸話編の123番のお話の中に以下の一節があります。

教祖は、入信後間もない梅谷四郎兵衞に、“やさしい心になりなされや。人を救けなされや。癖、性分を取りなされや。”と、お諭し下された。生来、四郎兵衞は気の短い方であった。」

その後、四郎兵衞さんは大阪に帰って左官として働き続けたそうですが、おたすけ人として神様の御用をさせていただくようになり、誰かが病気になったと聞きつければすぐにおたすけにかけつけたそうです。

次にご紹介するお話は、オザキエイジさんの書かれた「幸せを呼ぶ心」の引用ですが、そこでは高野友治先生の「ご存命の頃」という本について触れています。

梅谷四郎兵衛はかしもの・かりもの、人間の身体にある神様のご守護、そしていんねん等といった教理を伝えていました。湯のみに入れて水を神様にお供えし、病人に水を飲ませる前に東を向いて厳粛な態度で「なむてんりおうのみこと」と三度唱えるのです。四郎兵衛が祈ると、それがどんなに深刻な状況でも、だれがどんな病にかかっても親神様のご守護を頂けたそうである。2ヵ月も経たないうちに、四郎兵衛は60人以上の人が集まる講社を祀ったのである。

今申し上げたお話は、おたすけをする中で誠真実の心を持ち続けることについて触れられたお話かと思います。また、おふでさきでは次のように教えていただいています。

しんぢつにたすけいちぢよの心なら
なにゆハいでもしかとうけとる

くちさきのついしよはかりハいらんもの
しんの心にまことあるならおふでさき 第3号 38-39

どのよふな心もしかとみているで
月日このたびみなわけるでな

口さきのついしよばかりハいらんもの
心のまこと月日みているおふでさき 第11号 7-8

次のお話は、ハワイのカウアイ島にある天理教カパア教会のチャッド・ハマダさんからお聞きした話です。チャッドさんはナタリー・キニーちゃんという未熟児の女の子におさづけを取り次いでいたのですが、その子はチャッドさんの片手の手のひらに乗るぐらいの大きさだったそうです。チャッドさんがナタリーちゃんにおさづけを取り次ぎ始めたとき、看護師たちは彼のことを変な目で見ていました。つまり、彼が一体何をしているのだろうと不思議に思って、冷たい目で見ていたのです。チャッドさんが言うには、天理教の布教師は一回きりではなくて毎日お祈りをするからではないかとのことで、たとえばある別の宗教の方がチャッドさんの彼女のお母さんにお祈りをした時は、一回きりだったそうです。チャッドさんは毎日おさづけを取り次ぐことで、誠真実を見せることができると思っておられるそうです。チャッドさんはナタリーちゃんが両親と一緒にカウアイへ帰るのに十分な体力がつくまでの4ヵ月間、ナタリーちゃんに毎日おさづけを取り次いだそうです。

私はかつてエイデン・ポマイカイ・カワダという未熟児におさづけを取り次いだことがありますが、私も看護師さんたちからこの人は一体何をしに来ているのだろうという感じで、いぶかしげな表情で見られた経験があります。私は2、3週間ほぼ毎日彼女の元へ通いました。そんなある日、私のことを不思議に思っていた看護師さんが私にエイデンを抱かせてくれました。エイデンはとても小さく体重も約1.3キログラム程しかありませんでした。私の息子のライリーとコナーの出産時の体重はそれぞれ3.7キロと4.3キロぐらいでしたので、そう考えるとエイデンの身体がどれだけ小さく感じられたかが想像できるかと思います。彼は体重が約1.8キロになってから自宅へ帰ることができました。

私は去年の7月にカウアイ島であった結婚式場でエイデンに会いましたが、元気な2歳児になっていました。彼は同世代の子供たちと比べると若干背が低いですが、結婚式の会場内を走り回って楽しんでいました。

チャッドさんは私にもう一つ素晴らしいお話をして下さいました。彼の友人にはアダム君という15, 16歳くらいの息子さんがいますが、モトクロスバイクを運転している時に事故に遭い、ヘルメットを装着していないまま壁に顔面を強打してしまいました。アダム君が生死の狭間をさまよっていた時、チャドさんの父親であるハマダノブナオ先生が、チャドさんに家族ぐるみの友人としてアダム君のために特別にお願いづとめをしてほしいと言われました。アダム君の父親、お兄さん、そしてアダム君の母親であるエロウィーズさんは、友人や親戚に電話をかけてカパア教会に来てもらうよう言いました。教会の半分以上が未信者の方々で埋めつくされ、皆さんは見よう見まねで一生懸命十二下りを踊っていました。

こちらが私の頭の大きさ(自分の頭の大きさに切った楕円形の紙を見せる)で、こちらが事故の後のアダム君の頭の大きさ(バスケットボールくらいの大きさ紙を見せる)になります。チャドさんのお姉さんがMRI(磁気共鳴映像法)の技師をしているのですが、頭にチューブが1つか2つぐらいつながっている時点で重症なのに、アダム君の場合はチューブが5つか6つぐらいつながっているので、彼女はいくらおさづけをしても時間の無駄だろうと思っていました。

アダム君は奇跡的に回復したのですが、そのとき母親のエローズさんは、チャドさんのおかげで息子が助かりましたと仰いましたが、チャドさんは「いいえ、わたしではありませんよ。私は単なる入れ物にすぎませんので、皆様の真実のおかげですよ。」と仰いました。

それでは私の講話をしめくくる前に、私が2年前に皆様にお話しした話を(もう一度)お伝えしたいと思います。もし日本語が読める方は、天理教教会本部が発行している「はっぴすと」という雑誌の2012年10月、11月、12月号をご覧いただければ、今からお話しする実際にあった話について読んでいただけるかと思います。

修養科では修養科生が別席を運ぶ時間がありますが、すでにおさづけの理を拝戴されている方々は、ひのきしんをしたり、天理教関係のビデオを見たり、講話を聞いたりします。修養科生3名と私は三濱靖和先生のお話を聞いたのですが、そこでは親神様にもたれきったご経験をお聞かせくださり、とても素晴らしい経験をさせて頂きました。

三濱先生の三番目の娘さんが憩いの家で生まれたとき、娘さんが口から血を吐き、一度産声を上げたかと思うと、その後ピクリとも動かなくなってしまうという光景を目の当たりにしたそうです。お医者さんは別の病院の集中治療室(ICU)に彼女を移動させたかった様子でしたが、娘さんがピクリと動かない状態だったので先方の病院に断られたそうです。

その間、看護師さんは三濱先生におさづけを取り次ぐように勧められ、先生はその場でおさづけを取り次ぎました。すると、娘さんの両手・両脚が動き出し始めましたので、娘さんを違う病院へ移動させることが出来ました。数時間かけて全身の診断を終えた後、お医者さんは治療には二つの選択肢があるとおっしゃいましたが、これまで三濱先生の娘さんと同じような状態の赤ん坊が今までに生き延びた前例がなく、たとえ一命を取りとめたとしても、植物人間か認知障害になってしまうだろうから、どちらの選択肢もとるつもりはないと仰いました。そしてお医者さんは三濱田先生が娘さんに会いたいかどうか尋ねました。

三濱先生は自分の娘さんを見たとき、恐ろしくなったそうです。娘さんの身体の静脈にはチューブが刺され、そのチューブとモニターで全身が覆われていたからです。すると、三濱先生は叫んで、「先生、私は天理教の布教師です。娘のためにお祈りをしてもよろしいでしょうか。」とお願いをされました。お医者さんは快く承諾してくれましたので、三濱先生は娘さんにおさづけを取り次ぎました。それから三濱先生と先生の奥様は、毎晩ご本部の神殿に行ってお願いづとめをされました。

初日の夕づとめ後、三濱先生は本部詰所でおふでさきの第15号8のお歌を読まれました。

いかほどにせつない事がありてもな
をやがふんばるしよちしていよおふでさき 第15号・8

翌朝、三濱先生は教祖殿当番で結界内に座っておられました。その日の教祖殿まなびは九下り目と十下り目でした。三濱先生はおてふりをしてる間、九下り目の2ツのお歌を聴いてこれまでにないぐらい心が落ち着かれたそうです。

ふじゆうなきやうにしてやらう
かみのこころにもたれつけみかぐらうた 九下り目・2

朝づとめ後、三濱先生は教祖殿の御守所でおふでさきを読まれたのですが、すると驚いたことに、その前の晩と同じ第15号の8のお歌のページを開かれたのです。

いかほどにせつない事がありてもな
をやがふんばるしよちしていよおふでさき 第15号・8

三濱先生はたった数時間の間に同じおふでさきのお歌を偶然読まれたことに驚きました。このお歌を二回目に読んだ時、まるで教祖が三濱先生に直接お話をしているかのような感覚を抱かれたそうです。

そして数日後、教祖殿で娘さんのためにお祈りをしていた時にもっと驚くようなことが起こりました。なんと三濱先生は、教祖が話しかけてくる声を聞いたそうです。それは「今まで一度も珍しいたすけを見たことがないというから、今からそれをお見せしましょう。」というお言葉でした。もっとも、それは三濱先生ご自身の考えや願望から生まれた声だったと言う方も多くいらっしゃることでしょうが、教祖の声は教祖の社から聞こえてきたので、そうではなかったということです。そしてなんと、娘さんは奇跡的に回復したのです。

娘さんが退院するとき、その病院のお医者さんと看護師さんが拍手喝采し、「日本の奇跡の赤ちゃん」と叫びました。それは、日本では同じ症状で生き延びた赤ちゃんは三濱先生の娘さん以外だれもいなかったからです。現在、娘さんは元気な5歳児ですが、一般的な子供と同じようなことができる女の子に成長しています。2年前に、このお話をここで話させて頂いてよいかどうかを三濱先生にお電話でお尋ねした時、その娘さんは三濱先生に「どうして英語で話してるの?」と聞いていました。三濱先生がおっしゃるには、娘さんは彼女と同じ年の子よりも早く話し始めているそうです。三濱先生は、教祖からお見せいただいたご守護を周囲の人たちに伝えるよう私達にお願いしてお話を締めくくられました。

私は、このメッセージは真柱様が我々よふぼくに決意をもって周囲の人々に伝えてほしいと思っておられることだと思っております。教祖130年祭へ向かう「三年千日」も残すところあと半年ほどになりました。教祖は、私達が一手一つの心で共々に人だすけに励み人様を成人に導く姿を見て、きっとお喜びになるのではないでしょうか。世界をよふきぐらし世界に立て替えるよう勇んで勇気を持って、教祖のひながたをたどらせていただきましょう。

最後にもう一つだけ付け加えさせて下さい。たとえ、おさづけの理を頂いていていなくても、いつでもどこでも誰にでも心をこめてお祈りすることができるのです。心定めをして座りづとめや十二下りのてをどりをつとめることもできますし、こういったおつとめはたすけづとめとも呼ばれることがあります。たとえ私がハワイから遠く離れた場所でおさづけを取り次ぐことができなくても、私の友人であるウィネッタ・ウォングさんや、動脈に8つの医療機器を指している私の別れた夫や、ニューヨークのスタテン島に住んでいてパーキンソン病を患っている私の義理の兄のことを思って祈ることができるのです。親神様・教祖おさづけのあるなしに関わらず、人のためにお祈りをする姿を見て、それぞれの誠真実を受け取って下さることと思います。

ご静聴いただきありがとうございました。また、今回の天理教ヨーロッパ出張所でのヨーロッパセミナーの講師に呼んで頂いたことにあらためて厚く御礼申し上げます。

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