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2021年4月月次祭神殿講話

ラ・セーヌ布教所長 篠田克典

今月は教祖中山みき様がお生まれになった縁の月で、毎年この月の18日にはおぢばで毎年教祖御誕生祭が執り行われます。

教祖は、御年41歳で神の社にお定まりくだされてからは世界一列をたすけたいばかりのお心で、口で教えを説くだけでなく自ら実践され、50年のひながたをお残しくださいました。

教祖は「たすけ」の手段として「つとめ」と「さづけ」を教えてくださいました。このうち「さづけ」というのは身上の悩み、分かりやすくいうなら病気やけがをされている方の患部に取り次ぐことによって親神様の御守護をいただく、つまり治していただけるというものです。

つとめ」の方は先ほどこちらでも勤められました月々のおつとめもあれば、毎日の朝夕のおつとめ、さらには身上・事情の悩みの回復・解決を願ってつとめられるものもあります。

教祖はどんな難しい病でも心次第で皆たすけてやろうとおっしゃっています。

世界には天理教でなくても、神様或いは信仰などのお陰で病気やけがが治り、悩みが解決したという例は多くありますが、教祖の御教えがほかと大きく異なる点は、たすけの目的です。このお道のおたすけは、病気やけがそのものを治すことよりも、それを通して心の成人を促すというところを目的とします。つまり自分の身上や事情の悩みが解決しただけでは、まだ本当にたすかったとは言えないということになります。

世間では重いにしろ軽いにしろ病気が治れば、それはそれで「たすかった」ということになります。例えば大病を患った人が手術によって患部を取り除いてもらい、すっかり健康な体に戻ったとしたら、それは素晴らしいことです。しかし、それだけではこのお道で言う「真のたすかり」とは違います。

何にでも元となる原因があります。教祖の教えから介錯すればそれは今生または前々生からの心の使い方によるもので、心の向きが変わらない限り、人間は同じことを繰り返してしまいます。病気はある程度薬や治療で抑えられますが、病気の元となるのは心遣いであって、その人自身がどう変わるかによります。病気によっては医学的に「遺伝」という言葉で説明できるものもありますが、たとえそうであっても、元の親の教えを聞き、心を入れ替えることでそれさえ断ち切っていただけるのです。

お道で言う「真のたすかり」とは自分のいんねんを悟ることであり、たすけていただいたら今度は同じような悩みを持つ人をたすけたいと思える心になることです。

親神天理王命様は私達人間の親であり、教祖のお心は親神様のお心そのままです。

親の心というものは子供にはなかなかわからないこともあり、子供が未熟でいるうちはとうていわからないものです。例えば2〜3歳の子供が何か危ないものを口に入れようとしているのを親が見て、それを取り上げた場合、なぜ取り上げられたかがわからない子供は泣いて怒るかもしれません。また道で遊んでいる子供が、車が通って危ないからと抱きかかえて連れて来られた場合でも、楽しく遊んでいるのになぜ邪魔をするんだと怒るかもしれません。しかしこれはどちらも命の恩人である親に対して理解が及ばず逆恨みをしている姿であります。

世の中にはなぜ自分がこのような目に遭わなければならないのか、どうして幸せになれないのかと思うようなことがたくさんあり、それが解らないでいる場合がよくあると思います。それは今お話したようなことであり、全ては親神様が陽気ぐらしをさせようとお導きくだされているからで、人間にはなかなかそれがわからないから不足にしか思えないのです。

親神様は人間の実の親です。そして、どうすれば人間がたすかるかばかりを思案しているとおっしゃっています。その親の心を理解し、また、少しでも親の心に近づくことが私達人間の成人となります。

20年以上前のことですが、教祖御生誕200年の年の4月、おぢばで教会長検定講習を受けているときに私は誕生日を迎えました。その時、同じく講習を受けに来ていた友人に、「お母さんにお礼言った?」と聞かれました。初めはその意味が理解できなかったのですが、その友人が言いたかったのは、誕生日というのは自分を生んでくれた親に感謝する日だということでした。

誕生日と言えば、その本人のためのお祝いだとしか思っていませんでしたが、確かにその友人の言うとおり、自分を生んでくれた親がいなければ、今の自分は存在し得ないのです。当たり前のことですが、当時の私はそこまで考えたことがあったかどうかわかりません。しかし少なくとも誕生日に親にお礼を言うということはそれまで一度もしたことがありませんでした。

私はそのことにとても感銘を受けましたので、それ以来、誕生日がやってくるたび、メールや電話などでそうした気持ちを親に伝えるようにしていますが、子供達にも小さい頃に「誕生日は親にお礼を言う日なのだ」ということを教えましたところ、10歳を過ぎた今でも、毎年自分の誕生日には母親に「生んでくれてありがとう」と言ってくれています。家内もお礼を言われて嬉しそうにしています。

教祖は「親孝行するのに銭金要らん」とおっしゃったそうです。確かにその通り、大金をはたいてプレゼントしなくても、一言の言葉をかけたり、あんまをしたりすることで十分喜んでくれます。たとえ遠く離れていても、電話をかけたり、たまに元気な顔を見せたりするだけで満足してくれます。実際、自分も子供達に何かプレゼントを買ってもらったりするよりも、子供達が楽しそうにしている顔、元気な姿を見せてもらえることの方が嬉しいものです。

では、人間をお創りくだされた元の親である親神様はどうでしょうか。親神様は人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいと思いつかれこの人間・世界を創められたとお聞かせいただいています。この世を創められた元の親を知り、その教えに添って、互いにたすけあい毎日陽気な心で暮らすことが、私達人間の本来の生き方であり、そうすることで元の親もお喜びくださいます。

また、「親への孝行は神への孝行と受け取る」とのお言葉もありますように、身近なところでは、肉親への孝行をすることで親神様にもお喜びいただけます。

しかし何よりお喜びいただけるのは、人間の元の親を知らない人にそれを知らし、その人の心の向きを陽気ぐらしの方向へ向けることです。

親神様にお喜びいただくことによって、今度は自分にとってそれが神様の御守護がいただける元となります。周りを喜ばせることによって自分も喜ぶことができ、その輪を広げることで陽気ぐらしの輪が広がります。

世界中にコロナ禍が広がり始めて1年以上が経ちましたが、未だなかなか収束しそうにありません。このウイルスのために命を落とされた方の数も世界中で290万人以上に上ります。身近な人を亡くされた方も、現在病床で苦しんでいる方も多くいらっしゃって、また、そうした患者さん達を日夜世話どりされている医療関係の方々には本当に頭が下がる思いです。

人間の親である親神天理王命様は、決して私達を苦しませようとしているのではなく、この世情を通して私達一人ひとりに更なる成人を促されているはずです。人にはそれぞれに持ち場立場があります。特に外出や活動における制限のある昨今ですから、自分にできるところから、まずは家庭や職場などの身近なところから人を喜ばせることができるよう心がけたいと思います。

御清聴ありがとうございました。

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