Tenrikyo Europe Centre

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2024年3月月次祭神殿講話

林弘文(海外部ヨーロッパ・アフリカ課)

さて、今は三年千日の二年目に入っておりますが、松田理治海外部長は、三年千日一年目の初旬に、本部勤務者に向けて次のようなお話をされていました:

諭達では、「ひながたを目標(めどう)に教えを実践」ということを真柱様はお諭しくださっていますが、具体的にはどのような通り方が身近に考えられるでしょうか。教祖は今尚ご存命なれど、私たちはお姿を目にすることはできません。教祖から直接教え導かれた人も、今はおられません。よって、『稿本天理教教祖伝』や、『稿本天理教教祖伝逸話篇』を繙くことが肝心です(…)「ひながたを目標(めどう)に」と口で言うに留まらず、せっかく教祖伝や逸話篇を揃えてくださっているのですから、私たちの物事の考え方や行動の手本を、共々にしっかりと見出していきましょう。

三年千日を通る上で大切なこと、それは、このお話にあるように、教祖が私達に残してくださったお姿の描写を元に、教祖が私達に伝えたいこと、大切にしていることというのが何であったのかということを思案し、心に治め、日々の通り方に生かす。そういったことなのかなと、改めて考えさせていただいております。

『稿本天理教教祖伝』や『稿本天理教教祖伝逸話篇』において、皆さんはどのような場面が印象に残っておられるでしょうか。どのご逸話がお好きでしょうか。私は、特に逸話篇の147番目のお話『本当のたすかり』が心に残っています。ご存じの方も多いと思いますが、今一度読ませていただき、私なりに大切なポイントを紐解かせていただきたいと思います。

一四七 本当のたすかり

大和国倉橋村の山本与平妻いさ(註、当時四十才)は、明治十五年、ふしぎなたすけを頂いて、足腰がブキブキと音を立てて立ち上がり、年来の足の悩みをすっきり御守護頂いた。

が、そのあと手が少しふるえて、なかなかよくならない。少しのことではあったが、当人はこれを苦にしていた。それで、明治十七年夏、おぢばへ帰り、教祖にお目にかかって、そのふるえる手を出して、「お息をかけて頂きとうございます。」と、願った。すると、
教祖は、
「息をかけるは、いと易い事やが、あんたは、足を救けて頂いたのやから、手の少しふるえるぐらいは、何も差し支えはしない。すっきり救けてもらうよりは、少しぐらい残っている方が、前生のいんねんもよく悟れるし、いつまでも忘れなくて、それが本当のたすかりやで。人、皆、すっきり救かる事ばかり願うが、真実救かる理が大事やで。息をかける代わりに、この本を貸してやろ。これを写してもろて、たえず読むのやで。」

と、お諭し下されて、おふでさき十七号全冊をお貸し下された。

この時以来、手のふるえは、一寸も苦にならないようになった。そして生家の父に写してもらったおふでさきを、生涯、いつも読ませて頂いていた。そして、誰を見ても、熱心ににをいをかけさせて頂き、八十九才まで長生きさせて頂いた。(稿本天理教教祖伝逸話篇「147. 本当のたすかり」)

このご逸話でのポイントは三つあると思います。一つ目は、身上をご守護によってたすけていただき、そして今もなおご守護いただいていると気づくこと。二つ目は、本当のたすかりには、前生のいんねんをいつも忘れないでいられるような手だてを持つこと。そして三つ目は、教えを心に治め素直に実践することです。今回は、一つ目と三つ目のポイントに絞って、私の経験を交え皆様にお話をさせていただきたいと思います。

一つ目のポイントですが、教祖はまず、山本いさが、長年の悩みであった足の身上をたすけてもらったこと、そして身上を通してでも今もなおご守護頂いていると気づくことの大切さを仰っています。私たちは、たとえ大きな身上をたすけてもらっても、別の身上や事情が出てくればそちらが気になったり、また時間が経ったりしてもそうですが、ついたすけていただいた大きなご恩を忘れてしまいがちになります。おさしづ

神の自由して見せても、その時だけは覚えて居る。なれど、一日経つ、十日経つ、三十日経てば、ころっと忘れて了う。(明治31年5月9日)

とあり、また、

日が経てば、その場の心が弛んで来るから、何度の理に知らさにゃならん。(明治23年7月7日)

とあるように、忘れやすいからこそ、身上を通して、ご守護でたすかったこと、ご守護があるからこそ毎日元気に過ごすことができているということを、思い出させてくださっているのです。実際に山本いささんは、教祖に息をかけてもらうよう伺うまでは手の震えが気になっていました。しかし教祖のお諭しによって、たとえ治らなくても、「一寸も苦にならないように」なりました。手の震えは、身上ではなく、大きな身上を助けていただいたことを思い出す、一種のご守護になったと言えるのではないでしょうか。

私事になりますが、15歳の頃に僅かな汗にも反応してしまう蕁麻疹を発症しました。軽い運動やお風呂に入るだけでも全身が蕁麻疹になり、当初は痛みと痒みが我慢できないほどで「なぜ私だけ」と、自分自身を恨んでしまった時もありました。しかし、教会の方々のおさづけや治療のおかげで徐々に治まり、今では薬も必要のないほど軽症になりました。

医者によると、私の患った蕁麻疹は、通常思春期の頃にだけ現れる身上らしいのですが、ストレスがかかる場面で汗が出る時には、今も尚少し症状が出ます。そして決まって、大切な通訳の場面で症状が出るので、そのたびにこのご逸話が思い浮かびます。その時は、まるで教祖に「ご守護でたすかっているという気持ちをこれからも忘れなされや。今度は、通訳を通して人をたすけなされや」と、こう話しかけられているようで、勇んだ気持ちになります。もし心に天理教の教えがなければ、軽症であるとはいえ、「普通は完治するはずの病気なのに、なぜ未だに出てくるのだろう」とか「なぜこんな大事な通訳の場面で身体に現れてくるのだろう」と思って、イライラして、そのストレスでますます症状が悪化していたかもしれません。

教えがあるからこそ、今ではこの蕁麻疹が感謝の対象になりました。

さて、ご逸話の三つ目のポイントとして、教祖は教えを心に治めることをお促しになっています。そして教祖の言葉通り、山本いさは素直におふでさきを生涯いつも読んで、熱心ににをいがけに出かけています。「真実たすかる理が大事やで」と教祖が仰っておふでさきを渡されたのですから、その意味合いが深く理解してもらえるよう、お渡しになったと分かります。お道の教えは自分だけがたすかることが目標ではなく、「人をたすけて我が身たすかる」の教えです。天理教教典には、教えが心に治まってくる、その状態について:

この篤い親心に、そのまま添いたいと念ずるにつけ、人の難儀を見ては、じつとしておられず、人の苦しみをながめては、看過すことが出来なくなる。自分に出来ることなら、何事でも喜んで行い、なんでも、たすかつて貰いたいとの言行となる、そして、多くの人々に導きの手を与えるにをいがけとなり、人だすけとなる。(天理教教典「第八章 道すがら」)

とあります。教えが心にしっかりと治まることで、教えを実践に移そうと、心が自然と動かされるのだと思います。

フランス留学中に、ある布教師の方々とにをいがけに出歩かせていただいたことがあります。その時の私は全くの無知な若者でした。人に声をかけたもののどのように教えをお伝えすれば良いかわからず、お恥ずかしながら全くにをいがけにならなかったのです。それどころか、無神論者の方に「目に見えないものの話は一切信じない」と言われて一刀両断されたことさえもあります。その経験から、「にをいがけ・おたすけをするには、どのように話させて頂いたら良かったのだろうか」と、考える機会をいただきました。

教祖伝逸話篇100「人を救けるのやで」で

あんたの救かったことを、人さんに真剣に話さして頂くのやで。

教祖が言われているように、自分自身がたすかった話を人に真剣にさせていただくことがにをいがけの基本になることを、留学での経験を通してようやく分かってきました。この「真剣に」とはどういう意味合いがあるのでしょうか。真剣にという姿勢をイメージしてみてください。「話し手がご守護でたすかった、そして今もなおたすかっているということを実感している」ということが前提であるからこそ、そのような態度で初めて話ができるのだと私は思います。

教祖のお言葉に

在るといへばある、ないといへばない。ねがふこゝろの誠から、見えるりやくが神の姿やで(『正文遺韻』(「神様の有無に就いて」 p138))

とありますので、話し手がご守護を信じ切っているからこそ日常で様々なご守護に気づくことができるのであり、にをいがけでは心からご守護でたすかったと実感している話ができます。にをいがけではそのようにして、話し相手に、「りやく」としてにをいがかかるのではないかと思わせていただきます。

にをいがけの話になると、コンゴブラザビル教会長のギィさんを思い出します。彼は入信前、白内障を患い、テレビや書物をほとんど見たり読んだりすることができない状態だったのですが、友人の家で教祖伝を見つけ、興味本位で読み始め、その時から不思議と白内障の症状がなくなるご守護を頂き入信しました。そんな彼がにをいがけを熱心に行い、今ではにをいがかかった沢山の信者さんがいます。そして、ギィ会長は昨年教会長任命のお許しを受けるまでの半年間おぢばに滞在していた際には、信仰の話をする機会がある度にその話をしていました。

彼がもし「ご守護とかではなく、たまたま教祖伝を読んだ時に目が良くなっただけ」、そう思ってしまえばお道に繋がらなかったと思います。現代は科学や情報技術の発展で分かることが増え、神様のご守護等の目に見えない、解明されていないものを信じてもらいにくい時代です。しかしギィ会長のように、むしろそういった時代だからこそ、心からたすかったと実感した話を、にをいがけとして人に話すことで、にをいがかかっていくのではないかと思わせていただきました。

以上、年祭活動2年目で思案するところをお話させていただきました。終わりにあたり、これからも一人のようぼくとして、ご守護を感じる心を育みながら教えの実践に励み、皆さんと一緒に三年千日を通らせていただきたいと思います。ご清聴、ありがとうございました。

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