Tenrikyo Europe Centre

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2008年7月月次祭神殿講話

ナゴヤ・パリ布教所長 津留田正昭

ここに「天理教パリ出張所20年史」という本があります。皆様の良くご存知の本ですね。ここの最後に年表がありまして、そのいちばん始めの記述は何年かといいますと、1910年となっております。これは船場大教会がロンドンへ3名の布教師を派遣した年でございます。この年から数えますと、2010年というと丁度100年目にあたる訳でございます。2010年というのは、ここ出張所の40周年と同時にもう一つ大きな意味を持つ年という事になります。

続いて、1951年、54年、60年、61年と二代真柱様が欧米諸国を御巡教になられ、ここパリにもお立ち寄り下されております。

そして1964年鎌田親彦先生が、続いて1965年に田中健三先生がそれぞれいちれつ会より留学生として派遣されました。このお二方が天理教教会本部の御命を受けられ,布教を目的として来欧された第一号です。

その後,教会本部の拠点設置の決定を受け,拠点候補物件の調査が始められ、1969年アントニー市に家屋を購入されました。この家屋はアントニー駅から徒歩で約20分のところに今もあります。そして、同年には初めてのヨーロッパようぼくの集いが開催されております。会場はパリ市内のホテルと記録されております。昨日は白木原先生を講師にお迎えして、ヨーロッパようぼくの集いが開催されましたが、今回のようぼくの集いで、24回目数え、来年で40年を迎えるわけであります。

ここまでが出張所を設立するまでの経緯ですが、ここに至までには、先程申し上げた二代真柱様の度重なるヨーロッパへのご巡教、さらには65年には前真柱様が、66年には二代真柱様がコンゴのブラザビル教会奉告祭の途次パリへお越しくださっておりますが、こういう頻繁なご来欧から顧みますと、このフランスのパリという地に布教拠点を設置するという大きな思いを感ぜずにはいられないのです。

年表に戻ります。1969年に家屋を購入,翌年1970年にパリ出張所としてヨーロッパで初めての布教拠点が設置されました。初代所長に西村勝嘉先生が就任され、開所式は7月22日で、参拝者は4名と記録されています。こうしていよいよ本格的なヨーロッパ布教を推進していく場所が出来上がった訳であります。今月は7月ですから、38年が経った事になります。

これ以降の詳しいヨーロッパ布教の内容はこの本を読んでいただくことにしまして、つづいては、これまで行われてきました記念祭を中心に振り返ってみたいと思います。

まず10周年記念祭は、1980年3月9日に執り行われております。この記念祭が行われましたのは、先程お話した出張所ではありません。1976年、設立から6年後にこの現在地に移転し、その4年後に10周年記念祭が行われております。記念祭には55名が参拝し、その後に記念パーティーには、ようぼく信者はじめ、文化協会の会員など150名が出席して盛大に執り行われております。

この設立からの10年間には、天理日仏文化協会を設立、つづいて日本語学校が開設されました。さらにはヨーロッパ管内に、直属布教拠点が3箇所誕生しております。いわゆる最初の10年間はヨーロッパでの布教拠点の確立と始動の時代であったといえるのではないでしょうか。

引き続き、20周年記念祭はどういう記念祭であったか言いますと、何といいましても、この神殿建物の建築であります。出張所はこの現在地に移転しましたが、まだ、当初はきちんとおつとめが勤められる広さがなかったのです。さらに、ヨーロッパ青年会が結成され、ようぼくの集いへの参加者が増加し、おぢばがえり団参の実施で多くのようぼくが誕生するなど、これまでの建物では到底収容できなくなってまいりました。

そこで、出張所開設20周年を機に神殿建築をという在欧ようぼく信者の悲願の声をおぢばに届け、教会本部の親心をいただいて竣工したのが現在の神殿です。

新しくできあがったばかりの神殿で、1990年9月9日、初めて真柱様ご夫妻そろってご臨席をいただいて、20周年記念祭、並びに神殿落成奉告祭が執り行われました。

この時、出張所で初めて教祖から教えて頂いたとおりの形でおつとめが勤めさせて頂くことができたのであります。まさに、感激いっぱいの記念祭でありました。この記念祭の参加者は330名と記録されており、いかに多くの人がこの神殿を待ちこがれていたかを知ることができます。

10周年以降20周年までに、教会が一カ所誕生、ほかに布教拠点がヨーロッパ5か国10箇所に増え、同時にようぼくの数も飛躍的に伸びております。

こうして、真新しい神殿をいただいた20周年の記念祭は、ヨーロッパ布教の飛躍へと結びついていきました。

そして、2000年9月には、30周年記念祭がとりおこなわれました。この記念祭では、これまで、出張所の神殿には親神様のみお祀りさせていただいていたのですが、この記念祭を機に、親神様、教祖をお祀りさせて頂きたいと、教会本部に願い出て、お許しをいただいたのです。そして、30周年記念祭の前日、現真柱様のお手で、親神様、教祖のお目標様が揃って、祀られました。

特に、教祖をお祀りさせて頂けましたことは、一歩でも教祖のお側にという信仰者としての心の支えとして非常に大きな意味を持っており、簡単におぢばには帰れないヨーロッパの教信者にとっては感動的な瞬間でありました。

同年、2000年には、念願の英国連絡所が開設されております。

20周年から30周年までの間に、7カ所の布教拠点が5カ国に設置されております。

 

このように開設から30年、すなわち1970年から2000年までを簡単に振り返ってみますと、ヨーロッパでの道の広がりは、まさしくこの出張所の記念祭をバネにして、伸び広がってきたといえるのではないでしょうか。そこには、陽気ぐらし講座の活発化,さらにはヨーロッパセミナーの開催などが布教活動の主軸として作用しているという証でもあります。

さてこれから、40周年記念祭というあたらしい旬を頂いている今、どのような活動が展開されているかといいますと、まず今年の8月に若者の集いが行われます。16才から40才までの若い信仰者を対象にして、次世代の信仰者のための話し合いが行われます。そして、40周年の年を目指してヨーロッパ婦人会を設立しようという新たな動きであります。さらにもう一つの柱は、全ようぼく家庭に、神実様をお祀りさせていただこうという動きであります。

このことにつきまして、少しお話しさせていただきます。

お社の中身は神実様と申しまして、それぞれの教会を通しておぢばよりご下付いただくもので、一律に出張所から声をかけさせていただく事はできません。しかしながら、自宅にお社をお祀りし、毎日おつとめを勤めさせていただくという事は、日々の親神様のお働きへの感謝と心のほこりを取り払うという、二つの意味において、信仰者としての最も基本的な行為であると思うのです。家庭に社を祀り,家族揃ってお勤めを勤めることは、教祖が最もお喜びくださる姿ではないでしょうか。そして、それが家庭が治まる元となり、そこが出発点となって、強いては世界が治まっていくという道に直結していくと確信するのです。このように家庭の治まりが陽気ぐらしの原点であり、このお社を祀るという意味だと悟らせていただくのです。

感謝とほこりを払うという、この最もお道の信仰者としての基本が、この毎日のおつとめには込められているのです。

日々の親神様への感謝ということは『十全の守護』の働きを改めて認識し、そしてそのお働きに感謝をすることで、もう一方のほこりを払うということは正しく『八つのほこり』の教理を身に収めさせていただいて、自らの心遣いを反省し、ほこりをはらうことでございます。

最初の『十全の守護』。教祖は親神様のお働きをわかりやすく、十に分けて、それぞれに名前を付けてお教えくださいました。これは申すまでもなく決して十の神様があると言うことではありません。

内容は、天にてのお姿、そして、人間の体内のこと、そして世界全体での守護を整理して教えてくださっております。いわばこの世の全てを貫いている法則をお説きくださっています。そして、私達が病気になったり、色々な問題にぶつかったとき、この十全の守護に照らし合わせ、思案する手がかりとさせていただくものです。

たとえば、目に身上が起きたとします。目はくにとこたちのみこと様のお働きで、教典には

くにとこたちのみこと天にては月。人間身のうち眼うるおい、世界では水の守護の理とお教え下されております。

そして、眼は物を見る働きですから、周りの人を見て不足していないだろうか。そして、水の守護という観点から、水は物をきれいにする道具ですが、逆に人の心を汚すような言葉遣いや行動をしていないか、と反省するわけです。こうして反省し自分の心をふり返って、思い当たるところを変えていく努力をするわけです。そして、改めたならばまた、水のご守護をいただいて、元通りの眼の働きをいただけるようになってくる訳です。

このように、1つの身上を通して、親神様のお働きを再認識するために、この十全の守護をお教え頂いておるわけでございます。ですから、神様への感謝を表すにはこのお働きを十分に学ぶことが、大切な訳です。

そして、もうひとつは『八つのほこり』です。朝夕のおつとめではまず『あしきをはろうて・・・』と唱えます。これは、自分の心の悪、即ちほこりを払いますと神様にお誓いするものです。そのほこりの詳しい内容が、『八つのほこり』です。

ようぼくの栞からの引用です。

一にをしいとは、心の働き、身の働きを惜しみ、嫌なことを人にさせて自分は楽をしたいという心。

二にほしいとは、心も尽くさず、実も動かずして金銭を欲しがり、分を忘れて良きものを着たがり、良きものを食べたがり、欲しがる心はほこり

三ににくいとは、自分のためを思うて言うてくれる人を憎み、身内同士の憎み合い、さらには人の陰口を言うて誹り、その場で出来た罪を憎まず、人を憎むなどはほこりであります。

四にかわいとは、わが身さえよければ人はどうでもよい、わが子の愛に引かされ、気ままにさせおくのはよろしくありません。わが身わが子がかわいければ、人の身、人の子も可愛いがらねばなりません。

五にうらみとは、人を恨み、わが望みを妨げたとて人を恨み、誰がどう言うたとて人を恨み、意趣にもち、銘々知恵、力の足らんことや、徳のないことを思わずして人を恨むのはほこりであります。

六にはらだちとは、腹の立つのは気ままからであります。心が澄まぬからであります。人が悪いことを言うたとて腹を立て、誰がどうしたとて腹を立て、これからは腹を立てず、理を立てるようにするがよろしい。

七によくとは、人より多く身に付けたい、何が何でも取れるだけ取りたい、不当な儲けを得ようという心。人の物を盗み、取り込み、何によらず人の物をただわが身に付けるのは強欲。

八にこうまんとは、力も無いのに自惚れ、高ぶり、富や地位をかさに着て、人を見下し、踏みつけ、己は偉い、己は賢いと思うて人を侮り、人の欠点を探す、また、知らぬ事を知り顔して通す、これがこうまんのほこりであります。

これは、どんな人にでも一つや二つは、思い当たるところがあるものです。心にほこりが一杯に積もっている状態では、神様のお働きが十分にいただけないのです。

この教えは、拝み祈祷の教えではありません。即ち願い通りの守護でなく、心通りの守護と教えてくださっております。

おさしづに、

人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの。たった一つの心より、どんな理も日々出る。   M22.2.14

とあります。自分に起こることは全て、自分の心の現れであります。

ですから少しでもいい人生を願う私達は、自分の心を払う行為がなければなりません。そして、親神様の思召しに沿う心に入れ替わることによって、いわゆる運命が切り替わっていくと教えて頂いております。

おふでさきには

ほこりさいすきやかはろた事ならば
あとハめずらしたすけするぞや   3-98

とはっきりと教えて頂いております。そして、おつとめをつとめ、ほこりを払うことを神様にお誓いし、自分自身にも誓うことを、まず第一に始めなければならないと思案させて頂くのです。

ここのお社にも、鏡がありますが、これは、私は自分の心を写すための鏡だと思っております。神様の前に座り、そして、心を静めて自分の心を振りかえることができる時が朝夕のおつとめであります。

家庭の治まりの基本は、やはり家族が揃って毎日、朝夕、日々のご守護に感謝し,ほこりを払う努力をするところから始まる。そして、親神様はその姿をご覧になって、一層のお働きをくださるのです。まだ、家庭にお社をお祀り頂いていない方は、是非ともこの機会に教会の方とご相談頂きまして、お祀りいただけるようにお考え頂きたいと思います。

この40周年という旬に、一軒でも多くの家庭に神様をお祀りしていただきたいとお願いを申し上げます。

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