Tenrikyo Europe Centre

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2005年6月月次祭神殿講話

天理教ヨーロッパ出張所長夫人 永尾真理子

最近、諭達第2号を拝読させて頂くたびに、心に響く真柱様のお言葉があります。

『世の中がめまぐるしく移り変わる中で、人々の価値観は揺らぎ、心の絆が失われゆく今日、なおさらに世相に流されることなく、教祖のひながたを目標として、変わることなき誠の道を踏み行い、世に映してゆかねばならない。』

この部分が特に、これからの21世紀を生きる私達に、天理教の信仰者の一人として、実行しなければならない、かどめであると思います。

このお言葉を拝読しながら、時代は違いましてもこのお言葉通りに通りきった祖父の事を、この頃、事あるごとに思い出しては、感謝の気持ちで一杯になります。

私が現在こうしていられますのも、両親はもとより、祖父母、特に母方の祖父の尊さのおかげであると思います。
そう思う様になりましたのは、昨年、ご縁があってある御婦人をおたすけさせて頂いた事がきっかけとなりました。
この御婦人が、天理教である私と会って話を聞いてみようと思われた土台には、この方のおばあ様が一人で細々と信仰されていた姿を覚えているからだと話して下さいました。
おばあ様の信仰が、御家族の不和を治めようと必死でおられた事が二人して分からせて頂き、この御婦人はおばあ様に改めて感謝しておられました。

この方はふとしたきっかけからある日、実の母親から心ない一言を投げかけられ、心を閉ざされてしまったそうで、傷ついた心を癒すことが未だに出来ずに苦しんでいらっしゃいました。
お話するうちに、深い親神様の人間創造への思惑と、おばあ様の一途に家族の治まりを願われていた親心を知り、心が解放されたとおっしゃって下さり、その日を限りに不眠症を御守護頂かれました。

その方と長い間お話して、この方の側におられたおばあ様のお心を思い巡らしていくうちに、祖父の私の母を想う親心と、孫の私を育て導いてくれた慈しみの心に、いつも支えられていたのだと気が付いたのです。

祖父はいつも陰ながら、嫁いでからの母をしっかり支え続けていたと思える事が、いくつも思い浮かぶのです。
人生の選択に差し迫った時、必ず不思議と祖父が現れたと両親から聞かせてもらったのは、つい先日の事です。

「身上・事情は道の華」と聞かせてもらっていますが、私の子供の頃、我が家もその渦中にありました。
私が最も鮮明に覚えているのは、ある朝、母の様子がいつになく悲しげで、側で見守っていた私もどうしたらいいか分からず、途方に暮れてしまい、思わず外に飛び出そうとした瞬間、家のすぐ近くに、思いがけずも、祖父の姿が目に入ってきたのです。
この驚きは口では言い現せられません。
当時、まだ家には電話もひけない状態でしたのに、祖父は、天理からか東京からか一人で訪ねてきてくれたのです。

この時程、突然の祖父の訪問が母にとって、どんなにか心慰められた事かと思います。子供心に、神様のお導きと思い、私は祖父に心から感謝すると同時に、親子の絆の強さに、これが誠の親の姿だと思ったのを覚えています。

祖父は、授かった我が子を育て上げる事に使命を感じ、また信念を持っていたのだと思います。
娘が嫁いでからも、嫁ぎ先の治まりを願い、信仰面で母をしっかりと導いていたのだと思います。

祖父には、教祖のお言葉がしっかり胸に治まっていたのだと思います。
まだ若かった母に、嫁ぐ前に伝えられなかった事を、行いをもって教えてくれたものと思います。
それ以上に私が感じている事は、祖父の態度は、我が子だけに限らず、全ての人々が親神様からお預かりしている大切な子供であるという、かっこたる信念があったのだと思います。

だん/\とこどものしゆせまちかねる
神のをもわくこればかりなり     四-65

この視野に立つと、我が子も人の子も区別する事なく、全て神様の思惑があってこの世に生まれ出され、その人生の終わりまでしっかり生きられる様に導くという事の大切さを悟り、更には神様の道具衆としてお使い頂けるような用木に育て上げる事が、先に生まれた者のつとめと思っていたのだと思うのです。

またある日の事、祖父は私一人だけを連れ、京都の市電に乗せてくれたことがありました。初めて見る街並みに、食い入る様に眺めていたのを覚えています。
そして、今でも目に浮かぶ光景は、どこかのデパートの屋上から下をじっと、何十分も一人で見下ろしていたことです。
側らのベンチに祖父はステッキの上にあごを乗せ、私の気の済むまでじっと待ってくれていたのを覚えています。
祖父とは、私が字が書ける様になった頃から手紙のやりとりをしており、祖父への信頼は絶対のものでしたから、何も語らずとも、側に居てくれるだけで充分でした。
その時8才か9才の私の視野が、広がった様に思います。
目線を変えて物を眺める事は、人生に必要な思考の転換をもたらしてくれたと思います。

この時の体験が、私にとって大きな意味をなしていたと気付いたのは、先程の御婦人とお話をした後の事です。

私の子供時代も、大なり小なりの波風はあり、寂しいと感じた日々も多々あったと思うのですが、それがすっきり癒されている私とあの御婦人との違いは何かと、思い巡らしてみた時、私には祖父のしっかりとした信仰に支えられた母の存在があった事と、私達家族へ向けてくれた祖父の深い愛情と慈しみの心で接してくれていたという実感がある事だと気がついたのです。

祖父は、私と母に親の思いを教えるために、事あるごとに心をかけてくれていたのだと思い至ったのです。

深く暖かい眼差しで、いつも子供である私達人間を、等しく見守って下さっている親という存在のある安心感を私は祖父の姿から自然に学んでいたのです。

いつも自分を見守ってくれている人がいるという安心感に包まれている事は、人間の成長に深い人への信頼感を培い、それが自分への自信ともなり、更には、大きな目に見えない存在、神様の存在までも視野に入れる事が出来るようになると思います。
そして、深い感謝の気持ちも植え付けてくれるようになると思います。

私達家族の状態がいかに不安定でも、いつでも手を差しのべてくれる人がいてくれる安心感と、大切な家族として包み込んでくれるその眼差しをいつも感じていられたのは、祖父のおかげです。
その他にも、祖母を始め、たくさんの方にお世話になりながら成長してきた事を心からありがたいと思いながら、私は育つ事ができました。

『信仰は、末代にかけて続けるのやで』 逸話扁41
『一代より、二代、二代より三代と理が深くなるねで。理が深くなって末代の理になるのやで』 逸話扁90

という教祖のお言葉を、しっかり心に治めきっていた祖父であったと思います。
そして、もう一点、私の心に治まった点は、人間を宿し込まれた最初の親神様の深い思惑は、夫婦の雛型をお作り下さる事で、これがこの世の治まりの道であるという事でした。
毎日、朝夕唱えさせて頂いているおつとめの地唄の

ちょとはなしかみのいうこときいてくれ
このようのぢいとてんとをかたどりて

ふうふをこしらへきたるでな
これはこのよのはじめだし

という部分を、親神様は、人間にしっかり聞いてくれとおっしゃっているのだ、そして、これがこの社会、地上の治まる道となるのだと分からせて頂いたのです。
魂の生まれかわり出かわりの歴史で、巡り合わせによって人各々、今生の生き方は違ってくるとは思います。
しかし、縁あって結ばれた夫婦が、心を治める努力をお互いに惜しまず暮らす事ができたら、本当の家族の治まりがつくのではないでしょうか。

みかぐらうたの中に、

ふたりのこころををさめいよ
なにかのこともあらわれる   (四下り目二つ)

とあります。

『20世紀は、物の時代、21世紀は心の時代』と言われるようになって久しい今日、天理教を信仰する者は、この心の問題に誠意を持って関わっていかなければならいと思います。
『心の時代』とは、宗教に心の救いと癒しを、拠り所を求めているという事でしょう。
心は、人によってしか育てられません。
心を癒す事は、自然の中に求める事ができます。
しかし、心を育てるとは、人と人の関わりの中で一人の人間として成長して行く課程で愛情を持って接して行く中に、育まれ養われていき、記憶として残り、更には魂のレベルでの成長をも含まれていると思います。
子供から大人へ心の成長を遂げて行けるのだと思います。

人ひとりの命は、夫婦、親がいなければ生まれてきません。
そして、生まれてきた命はかけがえのない存在で、この地上の宝となります。

神様に宿し込まれ、生まれ出させて頂いた命を、親が大切に、しっかりと守り育てて行こうとする所に、親神様の大いなる親心が働くものと信じます。
根底に、親神様の深い思惑があって生まれてきたかけがえのない魂を持って生まれてきた命であるという事をしっかりと認識している私達は、人への慈しみの心も大きいと思います。

どのよふなところの人がでてきても
みないんねんのものであるから   四-54

皆、親神様から元の因縁、陽気ぐらしをさせてやりたいという思いから生まれてきているのです。
この思いに立って、夫婦・親子が暮らして行く所に、自然と家族の治まりができ、心の絆も培われて行くものと思います。

家族の絆が深まって行くためには、各々がその役割をふさわしく果たして行く事、協力し助け合って行く事が必要となってきます。
そこには、相互に感謝と報恩の心が植え付けられて行くと思います。

ある脳科学者が、『ヒトの進化とは、前頭連合野の発達と言ってもいい。』と発言されていました。
前頭葉には、理性の働きを司る部分と、思考・創造・意思を司る部分があり、この部分を幼児期に発達させる事が大切で、子供同士で遊び、よく人と関わる事だとおっしゃっていました。
反面、この前頭葉は刺激によっては、負けん気・競争心を掻き立て、競争相手を倒したり、殺したりする衝動を生む両刃の剣ともなるそうです。
接する大人や、与える環境を間違えたら、子供の心は育たないのです。
人ひとりの運命にも関わってくるのではないでしょうか。
信仰を持つ私達は、いつも慈しみの心と感謝の心を持って人と接して行く姿勢でありたいものです。

歴史家トインビーは、『人間にとって一番大切な事で、しかも非常に難しい事、自分と他人の間に協力の心を教え指導するのが宗教だ』と言っています。
また、ある精神科医は、
『今の現代人の不安の根源は、現代人が個としてしか自分を意識できず、全体との繋がりをどこにどのようにして見出してよいのか分からない所にあるとすると、自分にとって、最も身近な親と子・夫婦という血縁的直接関係を意識的に、自覚的に捉え直してみる考え方のきっかけを作るのが、求められる宗教ではないか』と、言っているのを聞いた事があります。

世界中の人々が宗教に生きるという事に答えを求めている時代と言えます。
心をどこへ拠り所としてもって行けばよいのか分からない人々に、私達天理教の果たせる役割は大きいです。
この世に生まれ出させて頂いた以上、各々が自分の役割を自覚して、果たして行く事がひいては自分の存在意義も大きくします。
自分を必要としてくれる人がいるという事に、心から喜びが湧いてくるはずです。
そして、最も大きな人間一人ひとりの役割は、教祖の道具衆の一人としておつかい頂ける用木となり、また、次の世代の命をも育てさせて頂く事です。
その方法は人によって色々であっても、未熟であっても、志が親の心に近ければ、きっとその心は魂に刻まれて行くに違いありません。

命を慈しむ心を育てる事は、人類愛だけにとどまらず、全ての生成を遂げるもの自然界へも感謝の気持ちと畏敬の念を芽生えさせてくれる事でしょう。

だん/\となに事にてもこの世は
神のからだやしあんしてみよ   三-403・135

このお言葉が胸に治まってゆくものと思います。

現代人に求められる行為は、目線を下げる事だと聞いた事があります。
小さき命、もの言わぬものの声にも耳を傾ける事、それが、全ての始まりであり、私達の未来を変える心の処方箋となるでしょう。

『命にまさる宝なし』ドイツのある用木宅に掛けられていた言葉です。
奥様は、この言葉に込められた想いを噛みしめてお通り下さった御生涯であったそうです。
改めて、私達も心にとどめておきたい言葉です。

月日にハにんけんはじめかけたのは
よふきゆさんがみたいゆえから    十四-25

このねへをしんぢつほりた事ならば
まことたのもしみちになるのに    五-66

このみちハどふゆう事にをもうかな
よろづたがいにたすけばかりを    十三-37

せかいぢうたがいにたすけするならば
月日も心みなひきうける       十三-69

一れつのこどもハかわいばかりなり
どこにへたてはさらになけれど    十五-69

おふでさきの中の親心あふれるお言葉を誠の心と受け止め、この親の思いに近づく努力を続けることが、これから21世紀を生きる私共用木のつとめであると思います。

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