Tenrikyo Europe Centre
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ヨーロッパ出張所役員 岩切耕一
皆さん、こんにちは。ただ今は、9月の月次祭をいっしょに勇んでつとめ終えることができ、たいへんうれしく思います。ご指名をいただきましたので、今から少しお話をさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
ご承知の通り、私たちは今、教祖130年祭に向かう三年千日の中にいますが、ヨーロッパ出張所では、この三年千日の成人目標と心定めを発表しています。ヨーロッパ出張所報の第一面に掲載されていますから、ご承知のことと思います。今日は、この心定めということについてお話をしたいと思います。
教祖が残された、おふでさき5号の24に、次のようなお歌があります。
しやんして 心さためて ついてこい
すゑハたのもし みちがあるぞや
教祖の教えについていけば、私たちはかならず幸せになる道にたどり着くことができます。しかし、このお歌に示されているように、ついてくる前に、まず心を定めてほしいと教祖はおっしゃるのです。また、このお歌には、「しやんして」という言葉があります。「しやん」という言葉は、おふでさきに70回も出てきますから、深い意味のある言葉だろうと思いますが、親神様の思し召しをよく思案してから心を定めるよう求められているのだと思います。
また、手おどりの9下り目の6には、
むりにでやうというでない
こころさだめのつくまでハ
とあります。心定めができていない人には、無理にどうせよと言ってはいけないと教えられています。逆の言い方をすれば、親神様の思し召しをよく思案して心が定まっていないと、教祖の教えにはついていけないということが言えるのではないかと思います。
なぜ心を定めることが大切なのでしょうか。皆さんご承知の通り、天理教では、「人間というは、身の内神のかしもの・かりもの、心ひとつ我が理」と教えられています。天理教教典第7章に、「銘々の身上は、親神からのかりものであるから、親神の思召に従うてつかわせて頂くのが肝腎である。この理をわきまえず、我が身思案を先に立てて、勝手にこれをつかおうとするから、守護をうける理を曇らし、やがては、われと我が身に苦悩を招くようになる。」と書かれているように、自由が許されている心の使い方次第では、人間は不幸になる道を歩みかねないのです。親神様の思し召しに沿う心を定めて生きることが大切になります。
天理教の心定めとは何でしょうか。天理教辞典には、心定めについて次のように書かれています。
「人間をたすけたいという親神の思いを理解し、その救済意志に対して、これに応えようとする信仰的誓いと決意の意味。親神はこうした人間の誓いと決意に対して、常に新たな救済の局面をひらいてくださると教えられる。」
おふでさき7号の43には、次のように歌われています。
しんぢつに 心さだめてねがうなら
ちうよぢざいに いまのまあにも
親神様のご守護をいただくためには、心を定めてお願いすることが、大切だと教えられるのです。
心を定めることに関して、注目すべき次のような教祖のおひながたが残されています。1887(明治20)年に教祖がお姿をおかくしになる直前、おつとめをつとめよと急き込む教祖と初代真柱様との間の緊迫した問答が交わされました。おつとめをつとめることは国の法律にさからうことになり、人間は国の法律にさからうことはできませんと言う初代真柱様に対して、教祖は、「さあさあ月日がありてこの世界あり、世界ありてそれぞれあり、それぞれありて身の内あり、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一やで」と応えられました。
現代社会では、おつとめをつとめても国の法律にさからうことはありません。だったら、おつとめをつとめるのに、心を定めなくてもいいのかというと、そうではありません。むしろ今日のような世界に生きる私たちだからこそ、世間の風潮に流されないようにしっかり心を定めてから、おつとめをつとめる態度が求められていると思います。
私ごとで恐縮ですが、教祖100年祭の時の私の心定めに関して、少しお話をしたいと思います。1986年1月26日に、おぢばで100年祭を参拝させていただき、パリに戻ってすぐのことでした。海外部のご命で2月9日から4月9日までの2ヶ月間、コンゴ勤務の海外部員がおぢばに帰参する間の留守番として、アフリカのコンゴブラザビル教会に出向したのです。
着いて2週間ぐらいして、2月26日本部月次祭の日の早朝2時頃でした。寝ている時、突然歯に激痛が走り、あまりの痛さに寝ても起きてもおられない状態になりました。真っ暗な部屋の中で、激しく痛む歯を押さえながら、何かさんげすることがあったのではないかと、いろいろ思案を巡らせました。そして思い当たったことがありました。それは100年祭の3年前にした心定めのことでした。私は三年千日の間に一日一回のおさづけの取り次ぎを心定めしていたのです。その心定めは途中で挫折して、とっくに忘れていたのです。これはえらいことになったと思いましたが、他に思い当たることはありません。それで、心定めをやりなおして、コンゴ滞在中に1000回おさづけを取り次ぎますから、3日間でこの歯痛をご守護下さいとお願いしたのです。
歯医者もいないし、薬もないし、必死なお願いでした。それで翌日から、他の人には内緒で、おさづけの回数を稼ぐために、教会周辺の家々を急ぎ足で回り始めました。毎日30人、40人におさづけを取り次ぐのですが、この間も歯の激痛は治まりません。口が開けられない状態ですから、食事が出来ません。体力は急速になくなります。
そして3日目がきました。歯痛が少しも治まらない中、近所を回っておさづけを取り次いだ後、ふらふらしながら教会に帰り、夕食の時間になりました。食卓を見てぎょっとしたのですが、固そうなステーキがお皿に盛られていました。歯痛のことは誰にも話していませんでしたので仕方がありません。何食わぬ顔でナイフで肉を切って、痛くて開けられない口を少し開いて、痛んでいる歯の上に乗せました。どうしてそんなことをしたのか皆さんは理解に苦しむでしょうし、してはいけないことでしたが、わたしは神様を試してやろうと思ったんです。そしてゆっくり口を閉めました。当然、歯にあたって飛び上がるとこです。それがなんと痛みがありません。エッ嘘だろうと一瞬思いました。そしておそるおそる歯に力を入れました。全く痛みがありません。信じられないことでした。とうとうむしゃむしゃと何事もなかったかのようにかんで食べてしまったのです。
この時のうれしさは例えようがありませんでした。お願いした通り、親神様は3日目に、信じられないようなご守護を見せて下さったのです。
それからまた2週間後、もう一度、親神様からお手引きを頂きました。3月14日のことです。急にひどい下痢に見舞われ、熱が出はじめて、頭痛もし始めました。どんな心得違いがあったのだろうと、いろいろ思案しましたがわかりません。おたすけは休めませんから、14、15日とおたすけに回り、15日の夕づとめを済ませて部屋に戻って体温を測ると40度になっていました。いろいろ思案を巡らせていた時あることに気がつきました。
おたすけに回る村は砂地で、目を病むお年寄りが多くいました。おたすけを開始した当初は、たまたま持っていた目薬を差してあげてから、おさづけをしていました。そのうち目薬は使い切ってしまいます。すると、目薬をしてくれなかったら、おさづけは受けないと言い出したのです。もちろん下痢の人も、熱のある人も、頭が痛い人もいました。貧しくて人々は薬を買えないので無理もありません。そんな人たちに、「私は薬の運び屋ではない、天理教の布教師だ、薬よりもっと効く御供さんがあるから、これをいただきなさい、その上でおさづけをしてあげよう」と言っておさづけをしていたのです。
その私が、下痢、高熱、頭痛になったら、御供さんではなく、薬を探し回って飲んでいたことに気がついたんです。親神様にもコンゴの人にも、まことに申しわけないことでした。それですぐにお詫びして、薬をやめて御供さんをいただき、お腹に御供さんの紙を当てて、お願いしました。
翌日16日は日曜だったのでお休みさせていただきました。すると16日のお昼過ぎから汗がたくさん出て熱が下がり、下しも軽くなってきました。17日の朝づとめの時でした。頭痛はまだ残っていて、体もフラフラしていたのですが、手おどりをしていると、気分が何ともさわやかになってきました。体に生気が戻ってくるのが感じられました。今病気が治っているところだなあと感じました。この不思議な感覚は、今でも忘れることが出来ません。そして朝づとめが終わり、朝食が始まる頃には、体は元通りになっていたのです。
結果的には、コンゴ滞在の2ヶ月間に、心定めは達成できました。心定めが達成できたことはうれしかったです。しかし、心に刻み込まれた本当の喜びは、数々の不思議なたすけを通して、親神様、教祖が実在することを感じ取ることができたということです。心定めの実行を通して得たこの経験は、わたしの生涯の宝になっていて、30年後の今の私を支える信仰の基盤ともなっています。
天理教で最初に心定めをした方は、教祖の夫様である中山善兵衛様だと言われます。教祖伝第一章には、教祖が、1838年10月26日に神のやしろにお定まりになった時のことがこう書かれています。
「食事も摂らず床にも寝まず、昼夜の別なく元の神の思召を伝えられるみきの緊張と疲労は、傍の見る眼にもその度を加え、このままでは一命の程も気遣われる様子になったので、遂に善兵衛は、事ここに到ってはお受けするより他に途は無い、と思い定め、二十六日、朝五つ刻、堅い決心の下に、『みきを差し上げます。』とお受けした。」
「みきを神のやしろに貰い受けたい。」という天啓から3日間、思案に思案を重ねて、遂には、人間の常識を捨てて、夫善兵衛様が親神様の思し召しに従うことを堅く心に定めたからこそ、今日の私たちの信仰があるのだということを深く認識しておきたいものと存じます。
ご静聴ありがとうございました。